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〇 ニーチェ

ニーチェは理性的人間観を否定し、新たに人間を行動的・身体的存在として捉えることにより、
根源的・全体的な人間観を提示した。
しかし、このことによって意識的・精神的存在としての人間の側面を否定したのではない。
それらは、人間理性の一部として「小さな理性」であり、この「小さな理性」を根拠とし、これに包含される。
行為的・身体的存在としての人間とは、この「大きな理性」である。
つまり、「小さな理性」である自我は「大きな理性」である自己(selbst)を根源とするものであり、
「大きな理性の小さな道具である」に過ぎないのである。
その背後には自己があり、「身体」が生じるのであり、この「身体としての私」が本物の私である。
「あなたの最善の知恵の中よりもあなたの身体の中に多くの理性がある」




「人間の本質が身体である」とはどういうことか。
1)人間は本質的に理性的存在であるとする理性主義への批判
2)人間は生存するものではなく生成するものである
3)人間の本質が生成であるとは、創造性が人間的生の根源的意味である。
4)人間は過度的存在である。
5)形而上学的価値の一切を否定する。
この独自の人間観をディオニュソス的なものとして説く。




ディオニュソス神は、生命的衝動と情念の神として、激情と陶酔と狂乱とを特徴としている。
創造も破壊も生命も生命力の豊穣によるものであり、想像の喜びも破壊の苦悩も同時に包含し、
しかも無限に創造する神である。




ニーチェが「永遠に自分自身を創造し、また永遠に自分自身を破壊する働きとしての
ディオニュソス的世界」というとき、一面では生の永遠と回帰を、他面では、
苦悩と破壊と絶滅への意志であることを示している。
この躍動する奔放なこの生命力に対し、調和と均整の神であるアポロを対置する。
アポロは美の神であり、光と造形の神であり、その予言は中庸の美徳を示すものである。
この「ディオニュソスとアポロ」の調和に独立の美術的美を見出している。



アポロの美と調和の形式美はディオニュソスの創造意志にひとつの秩序を与えることにより、
根底からの調和を生み出すのである。
アポロの美はこのようにして、ディオニュソス的生命意志の力動性によって
保たれていたのであり、アポロの形式美にはそのないようとして、
ディオニュソスの創造的生命意志があったのである。
古代ギリシアにおけるアッティカの悲劇は、このアポロとディオニュソスの最高の調和であった。
それはまた、ディオニュソスに象徴される生の根底にある苦悩、生そのものに内在する虚偽と
廃頽を内包した生がアポロの美へと純化高揚する最高の瞬間であった。
生きんとする意思の根源をディオニュソス的なものに見出したニーチェはさらに
「生の矛盾と疑惑をわが身のうちへと摂取して、救済する精神の典型」をそこに見る。
救済するとは、矛盾、虚偽、頽廃を内包した生が、まさに人間の生の事実であることを知り、
この現実の生の中から現実の生を通して自らを救う世界観を示した。
しかし、それはキリスト教やプラトン主義のような救いではなく、
ディオニュソス的生の意味をあくまで大地の生として説いている。


















































































































































































































































































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