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    <title>にこぷん哲学冒険記 　 哲学思想系動画を置いてみました</title>
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あっちこっちで拾ってきた動画置いてます
哲学系の方、必見
基本は哲学でいこうと思うんですが、将来的には、総合的にそろえたいなぁと
まぁ、趣味でやってます

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哲学者　動画集　＞いろいろな哲学者達の動画を置いてます
　　　　　　　　　なにぶん、勉強不足なため、その動画がどのような動画で何を話しているかわかりません
　　　　　　　　　せめて字幕つけたいとは思っていますが、まだまだ先の話になりそうです
　　　　　　　　　もしよろしければ、どこぞのお偉い方、&amp;blanklink(字幕in){http://jimaku.in/}にて、字幕お願いします



哲学史　　　　　＞動画貼るだけでは能がないので書いてみます
　　　　　　　　　とりあえず、一から書くのは仕事が重いのでノートを公開するところから始めました
　　　　　　　　　なにぶん、僕のノートですので、その信頼性はなく、ストーリーはまとまっていなく
　　　　　　　　　誤字脱字のオンパレード。最悪、全然間違えていることを言ってる、というのも考えられます
　　　　　　　　　というか、あります
　　　　　　　　　推敲は、一通りできてから、やろうかと思いますので、長い目で見てください


哲学　掲示板　　　＞調子乗って作ってしまいました。
　　　　　　　　　　あしあとだけでも残して帰ってくだされば、嬉しいです（σ・∀・）σ


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にこぷんリンク
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&amp;link2(kobato,http://www.kobato.in/,target=blank)
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[[nikopunyobiko&gt;http://www.cramcafe.net/]] [[Re10&gt;http://www.cramcafe.net/]]
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    <item rdf:about="http://www37.atwiki.jp/nikopun0315/pages/185.html">
    <title>サルトルⅡ　</title>
    <link>http://www37.atwiki.jp/nikopun0315/pages/185.html</link>
    <description>
      〇　サルトル



それゆえ、人間にとっては時間性が重要な意味を持つ。
実存主義は人間の自由を最大限に強調するがサルトルが自由を根拠付けるのは
対自の無化作用と未来への投企によってである。
サルトルの実存的自由は選択という形をとる。
人間は絶えずすべての可能性から決断し、行為しなければならない。
「人間は自由であるように断罪されている。」のである。



「具体的状況の中で未来への投企をなす人間の自由」をアンガージュという。
投企するとは、あるひとつの状況の中に自己を投入して、そこに自己を拘束することである。
自己拘束は、人間の自己実現のあり方であり、主体的人間のあり方である。
他方、それは自分が今ある状況から、自己を解放する自己解放である。



人間としてあり、絶えざる投企、自己拘束として生きる。
「実存は本質に先立つ」
人間はまず、実存し、おのれの投企、行為によって自己を形成し、自らの本質を自ら作るのである。



では、自由とは何だろうか。
サルトルは一方で、自由の不可避を説きつつ、他方で自己の自由の放棄の態度を自己欺瞞として非難する。
不可解な未来への選択の自由は、不安と責任をもたらすため、人間は自由の逃避を行う。
また自己拘束は、必然的に他者を伴わざる終えない。
人間は自由を放棄することによって不安から逃れ、安定を得ようとする。
実存するということは、自己の存在欠如を充たして何ものかであることを欲する存在欲求として実存する。
しかし、人間は生きている限り、決して即自として存在することはできないのであり、生きるべきである。



なお、即自存在、対自存在に加えて対他存在がある。
これは要するに自己と他者との関係である。
サルトルは対他関係を克服しがたい対立という厳しい緊張関係においてとらえる。
他者とは私のまなざしを向けているのである。
まなざしとは、相手を対象化する意識作用である。
対象化すること、即自することに他ならない。
すなわち、他者からのまなざしは、対自としての私が即自化することであり、これは私の自由の剥奪である。
他者のまなざしは、私の自由な主体性の喪失として、私の他有化として経験される。




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    <title>サルトルⅠ　</title>
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    <description>
      〇　サルトル


サルトルはフランスにおける実存主義者の提唱者である。
フッサール現象学「意識は常になにもかの意識である。」をよりどころとしている。
フッサールが事物の本質を把握しようとしたのに対し、サルトルは生の存在に関わる意識の根本構造として捉えている。
意識は、超越的な対象に向かっており、志向性を根拠として意識と存在との相関関係を
意識における存在の現象を記述し、分析する。


サルトルはまず二つの異なる存在領域を区別する。
一方は、即自あるいは即存在と呼ばれる。
即自とは事物の存在であり、意識を含む世界の存在である。
『「存在はある」、「存在はそれ自体においてある」、「存在はそれがあるところのものである」、
「それがあるところのであり、それがあらぬところのものであらぬような存在」』要するに単にあるものである。
一方、対自あるいは対自存在である。
これは意識であり、これこそが実存である。
対自のあり方(人間の実存の仕方)は意識が常に何ものかに裂け目を作り出す。
「それがあるところのものであらず、それがあらぬところのものであるような存在」


即自存在の面からみると、充実した存在の中に偶然的に生じた空虚な穴、あるいは、無のようなもので、
対自は無化作用に基づいて即自を限定し、意味づけることによってひとつの世界を成り立たす。
その意味では、対自は即自に対し優越している。



意識は絶えず存在の中に無を散らす。
このことは人間の自分自身に対して否定的に関係し、自己自身との間に無を介入させる。
したがって、意識化された自己、現在としての自己を否定し、いまだあらぬ自己になるべく、
未来へと投企することである。






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    <dc:date>2009-09-25T23:32:09+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www37.atwiki.jp/nikopun0315/pages/186.html">
    <title>ヤスパース</title>
    <link>http://www37.atwiki.jp/nikopun0315/pages/186.html</link>
    <description>
      〇　ヤスパース


〇　包括者

ヤスパースの哲学によって重要な役割を演じている言葉に包括者というものがある。

①　包括者とは、その著『哲学』によって「存在(sein)」と呼んだものと関係を持ち、
　　同じ内容を持っている。この存在の概念は、第一、存在者を存在者として規定し、
　　第二に一者、超越者、神である。それは特定の対象としては、捉えられない非対象なものである。
　　つまり、存在とは、存在者を存在者として成立させ、取り囲む場所として究極的に神である。

②　アリストテレス以来の伝統を認容しつつ、古きアリストテレス的存在論との対決を企画し、
　　キルケゴールに由来する実存解の立場をとる。
　　すなわち、もっとも現実的であるべき人間の内的行為を形而上学の中心問題としている。
　　包括者とは、非対象的なものである。
　　しかし、「もしも包括者に触れる思惟があるとすれば・・・」という想定をもってのみ、
　　この思惟を自己自身を否定し、逆転させ、翻転させる思惟としている。


この包括者への接近を超越と呼ぶ。
この場合、二つの系列によって包括者を確認することができる。


(a)即自的存在としての包括者としての包括者。
　　すべての存在者を存在者として成立せしうめ、包括する場所、それは全体的なものであり、
　　すなわち神であり、世界である。

(b)対自的存在としての包括者としての包括者。
　　我々自身であるところの包括者としての意識である。
　　&lt;現存在、意識一般、精神、実存&gt;




さて、(b)の場合、意識に先行するものとしての現存在を、また意識に後続するものとして、
精神という包括者を、さらに是等の根源をなすものとして実存という包括者を三つの段階の系列によって考えられる。



（Ⅰ）現存在　　現にここにあること一般。生の体験によって包括者としての生に出会う。
（Ⅱ）意識一般　生の体験は、意識を通じて可能であり、意識は言語を可能にし、対象の思惟を可能にする。
　　　　　　　　個々の意識ではなく、ひとつのものとして個々の意識を包括する。
（Ⅲ）精神　　　現存在、意識一般という二つの包括者の綜合をなすもの。
　　　　　　　　すなわち、精神という包括者である。それは個々の精神を包含する全体性である。
（Ⅳ）実存　　　三つの包括者に対し、その根底となる別個の包括者は実存である。
　　　　　　　　（Ⅰ）（Ⅱ）（Ⅲ）の三つのうちから包むものが必要で、精神が個別を全体化するのに対し、
　　　　　　　　実存は、内的な決断を通じて刻々に実現される個別そのものである。
　　　　　　　　人間の内的な歴史を形成する包括者が実存なのである。
　　　　　　　　実存は神という他者との交わりによって可能である。









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----    </description>
    <dc:date>2009-09-25T23:30:30+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www37.atwiki.jp/nikopun0315/pages/187.html">
    <title>ベルクソンⅠ</title>
    <link>http://www37.atwiki.jp/nikopun0315/pages/187.html</link>
    <description>
      〇　ベルクソン



〇　時間と空間と言語

ベルクソンは、時間と空間の二元論を提示した。
我々の意識の本質は不断の流れであり、純粋な時間性である。
ベルクソンにとっての時間の定義は次のようなものである。


①　　本来の時間は、過去・現在・未来という時間の三契機は、それぞれ独立したものではなく、
　　　我々の意識が常にそうである現在は、過去と未来を自らのうちに巻き込む重層的な時間である。
②　　過去・現在・未来の融合体としての持続する時間は、意識の質的変容の遂行として持続する。
　　　意識の持続としての時間は、一瞬前の過去を巻き込むことによって、重層化していくわけであるが、
　　　しかし、過去と現在の量的拡大をもたらすのではなく、意識の質的変容、つまり、まったく新しい意識の
　　　自己創造という側面を持つ。われわれの意識の基底部においては同じ状態はありえない。
③　　過去を巻き込み、未来へと侵入しつつ自己を新たなものへと不断に創造する意識の持続としての時間は、
　　　予想不可能という性格を有する。常に新たなｆものを創造するからである。


〝日常的な〟時間は時間性の対概念であり、空間性としての特徴づけられる。
空間性とは、相互外在的並置性、断続性、等質性、計測性、不可侵入性である。
生活していくことは、外的世界に意識を向け、自己を外在化することである。
外的世界とは、空間的世界であり、物質の世界である。
物質は、ベルクソンのいうように空間的世界をすべて兼ね備えているのである。


言葉は空間的存在である物質を規範として形成された。
したがって、言葉は物質の有する相互外在的並置性、固定性の性質、不可侵入性、固定性の性質を有している。
また一般的概念しか意味しえないがゆえに、表現された意味内容は常に既存の一般的概念へと帰還する。



このような相互外在性を特徴とする物質的・空間的世界のうちに浸っているので、
自己の内的世界にも空間性を導入し、純粋な時間性を相互外在的な並置可能な空間的諸要素へと変形する。



〇　生の飛躍

ベルクソンはダーウィンやスペンサーなどの進化論のパラダイムを批判することによって
エランヴィタール(生命の飛躍)を機転とした独自の進化論を展開する。
ダーウィニズムにおける適者生存の理論パラダイムは生命的存在の条件を外的要因のみに求める考え方である。
これでは人類のような高等生物ができたことを説明できない。
生命自体のうちにより高等な生命体へと発展していこうとする衝動、
自らを全面的に顕現しようとする衝動があるはずである。



生命が自らを緒限するためには物質を媒介しなければならない。
そこで生命は最初の物質性を生命顕言のための媒質へと変形させる。
このような物質は進化にとって不可欠であるが、物質は生命と対立傾向にあり、
障害でもあった。このように生命は物質と妥協しながら進化を続けていく。
(だから一挙に進化しなかった。)



生命進化の多系列への分岐は、生命の有する多様な傾向性がひとつの有機の中で
共存しえないという理由による。
生命の有する全体的傾向性は、進化の頂点において共存しているわけではなく、
進化運動の出発点である生命体の原初的形態の中においてである。

　　　　　　　
根源的衝動　　－動物的衝動(節足動物　　脊椎動物)
　　　　　　　－植物的系列(固定性ゆえに昏睡状態)

進化の度合い＝社会性

動物　－本能　　　ex　昆虫　　単一行動
　　　－知能　　　ex　人間　　多数行動


意識は外的刺激とそれに対応する行動とのズレを意味する。
本来の意識での自覚化は、生命体がある状態にさいし、自らの行動の選択しうる場合のみで、
行動の選択をするということは、外的刺激とそれに対応する行動のズレを生ずることを意味し、
そこに意識が生存する。



純粋なる持続としての時間性は、創造的であるが、まさに意識の持続が生命の創造的進化に他ならない。
人間知性は、知性的行動形態においては、もっとも進化が発達した生命体ではある。
しかし、知性は生命の有する多様な傾向性の一部でしかなく、それは動的なものについての認識よりも
静的なものについての認識に適している。
あるいは、創造的なものの認識よりも反復的なものの認識に適している。
生命を認識する能力としては、知性よりも本能の方を重視する。





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    <dc:date>2009-09-25T23:29:25+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www37.atwiki.jp/nikopun0315/pages/188.html">
    <title>ベルクソンⅡ</title>
    <link>http://www37.atwiki.jp/nikopun0315/pages/188.html</link>
    <description>
      〇　ベルクソンⅡ


〇　純粋知覚

ベルクソンは、作業仮説として身体による純粋知覚を考える。
純粋知覚とは、現実的な知覚が記憶との純合によって成り立っている野に対して、
記憶を排除した、現実という時間のみに限定されたイマージュである。
イマージュは身体が生み出すものではなくて、身体を取り囲む諸々の物質的存在を切り離したものである。
身体それ自身は、何も生み出すことなく、それゆえ脳髄はイマージュを生み出す機能を持たず、
外的世界から情報を受け取り、それに対する反対運動のパターンを末梢神経へと伝達する役割しか持たない。



〇身体的記憶と精神的記憶

我々の現実の知覚は、そうした純粋知覚に記憶が重なり合ったものである。
ベルクソンは記憶を身体的記憶と精神的記憶の二形態に分類する。
身体的記憶とは、さまざまな身体的所作の蓄積が習慣化して、身体の運動のうちに沈殿したものである。
過去の記憶というよりもむしろ、身体を介した過去の再現である。
身体的機能の文節化による世界への身体の関与の様式の多様化をもたらすことによって、
多様な側面における純粋知覚を身体に提示する作用をする。
精神的記憶は、明確な時間的う位置づけを持っており、その内容は時間的な前後を持っている。
それは具体的な情景についての映像とそうした情景を彩る情念を伴っている。
現在の知覚であるそうした純粋知覚と融合することによって、われわれの現実的知覚を構成する。
こうしてベルクソンは、記憶の脳局在説を否定したのだった。




精神としての記憶は、脳を大きくはみ出している。
脳は記憶を顕在化する機能を果たし、無意識化された記憶は、脳によって意識化される。
記憶が意識化されうる機会は、身体の行動である。
身体が直面した状況において身体が遂行すべき課題に役立つ記憶、あるいは、
それに関連ある記憶が意識のうちへとよみがえるのである。



精神と身体は、身体の行動を軸に相互関連している。
精神としての記憶は、身体が直面する状況の中での課題遂行に役立ち、身体の行動を助ける。
眠っている状態とは、身体がk常道を控えている状態であり、それゆえ、意識と現実が夢という形で意識化するからである。
記憶は忘却という意識との相関関係における事態が生じた後も喪失されることなく、無意識の中に蓄積化されている。
意識の持続は、行動を軸にした身体と精神との関連という断層を有するものであり、
身体が非決定的な行動の中心であるがゆえに持続は創造的である。





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    <dc:date>2009-09-25T23:27:57+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www37.atwiki.jp/nikopun0315/pages/191.html">
    <title>メルロ＝ポンティⅡ　</title>
    <link>http://www37.atwiki.jp/nikopun0315/pages/191.html</link>
    <description>
      〇　メルロ＝ポンティ


しかし、メルロ＝ポンティの議論には、相互主義の問題がある。
相互主義性の問題は、他者を自己と同じ実存主体として捉えることがいかにして可能であるのか、の問題である。
自己も他者もともに世界×内×存在としての基本的なあり方をする実存的主体であるがゆえに、
自己の身体と他者の身体との間にも相互に共約しうる対になるシステムがある。
したがって、私が他者の身体の所作のうちに、他者の心的事実が表出する心的意味をとることができるのである。
他者の身体のような所作は、他者の身体の世界×内×存在としてのあり方の、
多様なバリエーションであり、世界×内×存在という実存的土台としての基本的存在構制は、非人称的な匿名的な
世界との紐帯として、自己と他者の個々の振る舞いがそこから生み出される共通の母体に他ならない。



あらゆる絵画は知覚された世界をカンバスにそのまま再現したものではなく、
それ自体が創造物であり、人間が知覚された世界を絵画として表現する際に
世界をある共通項に基づいて秩序付けの仕方に他ならない。
絵画の歴史には何世紀のものの間、次々と出現してその存在の痕跡を絵画へと残したさまざまな
画家に一貫して流れる実存の様式がある。
これをフッサールのスタイルという概念を使って説明する。
スタイルは、単に個人的、恣意的主観性に基づくものではなく、ある個人を取り巻く世界のかかわりによって、
あるいは他者との共同世話によって培われてきた、世界の諸要素をある一定の方向へと形態化する仕方である。
画家は自らのスタイルによって世界を秩序づけてある統一性を世界に与えるのである。
だから、絵画の上の様々な事象は画家の恣意的な主観によって基づいて配置されたのではなく、
ある強制力をもって要求することによって配置されたものである。



ソシュール言語学の考え、言語の単位は差異によってのみ示されるという考えを踏襲する。
言語行為とは、「意味の単なる差異の能力を行使する考え」であり、記号のうちに意味が内在するわけではない。
これと同時に、記号と意味との不可分離性を否定していることになる。
メルロ=ポンティは記号間の差異こそが記号と意味との関係より根源的なものであると考えている。



またレヴィ＝ストロースの構造主義に対して、強い共感を示す。
社会とはこうした処々の構造が相互に交錯することによって、できががった全体、「諸構造の構造」に他ならない。
社会の構成員がkれらが組み込まれている構造に対して存在するのではなくて、
彼らの構造によって規定されるところの構造のひとつの項でしかない。
それゆえに「彼らが請うy増を手に入れるというよりもむしろ、構造が『彼らを手に入れる』のである」とした。






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    <dc:date>2009-09-25T23:25:43+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www37.atwiki.jp/nikopun0315/pages/190.html">
    <title>メルロ＝ポンティⅠ　</title>
    <link>http://www37.atwiki.jp/nikopun0315/pages/190.html</link>
    <description>
      〇　メルロ＝ポンティ

メルロ＝ポンティは、「即自」と「対自」の二元論を避けるために「即自と対自の総合」としての
つまり受肉した主体としての身体の哲学を中心に据える。
メルロ＝ポンティにとっての身体は単なる延長物体としての身体でもなく、
心身二元論の構図を超えた身体であり、このような身体のあり方をハイデガーの世界×内×存在と表現する。
こうしてメルロ＝ポンティはハイデガー同様に上空飛翔的思考を排することを決めたのである。
また、メルロ＝ポンティは身体の身体的存在様式を世界×内×存在とすることによって、
世界は身体に対して一挙に自らを開示するのではなく、身体が位置する世界における時間的、空間的な
位置に対して形成するパースペクティブに即して自らを現す。



身体的主体が世界との関わりを維持するのは自我ではなく、
身体が恒常的に世界と結びついているレベルは、むしろ非人格的な人格性以前の層である。
身体的主体が世界へと帰属することによって、そこを身体が自らの意図を処理するなじみの
場とすることによって、つまり、身体の企投能力によって開かれた有意味性の頒野とする、
身体の非人称的層における世界への構制に幻影の基盤を求める。
すなわち、幻影肢の患者は、知領域、「われ思う」の層において手の欠損の拒否を支えている
前反省的な「われ」の層、つまり、身体の世界への内属の次元において手の欠損を拒否している。



こうした世界への関与の任方の逆説的な様相を次の２つの関係として説明する。
ひとつは、習慣的身体である。
世界へと投企する一般的な様式の身体への沈殿の層をいい、したがって非人称的な層である。
もうひとつは、現勢的身体で、意識的な振る舞いのレベルであり、人格的な層である。
習慣的身体の層は、現勢的身体の層を支えているのであり、たとえ、現勢的身体の層において、
世界へ、あるいは他者へと関わっていても常に習慣的身体の層が付き纏うことによって、
身体の一般的な世界への関与を維持している。



身体的主体は、言語的主体である。
言語が「対象や意味の単なる標識」ではなく、「事物の中に住み込み、意味を運搬する」のは、
つまり言葉が意味を自らに内在するのは、身体の所作的意味を土台としているからである。
言葉の持つ概念的な意味、つまり、表象することによって把握される、言葉の意味は、
身体と世界との結びつきという実存的土台を取り払うことによって、形成されたものである。
また、言語には、感情的価値としての「実存的意味」というものであり、
それは言葉と外的な関係しかないのではなく、「言葉のうちに住み、言葉と不可分なものとなっている」
身体の運動機構のひとつとしての組織された語の音声的、分節的な要素を身体の所作としての作動せしめればよい。








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    <dc:date>2009-09-25T23:24:25+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www37.atwiki.jp/nikopun0315/pages/189.html">
    <title>ジェイムズ　</title>
    <link>http://www37.atwiki.jp/nikopun0315/pages/189.html</link>
    <description>
      〇　ウィリアム・ジェイムズ

ジェイムズによって、アメリカ哲学は独特の存在を得るようになった。
いわゆるプラグマチズムの哲学である。


〇　ピアース　ジェイムズ　デューイ

しかし、プラグマティズムはジェームズによってつけられた名称ではない。
プラグマという言葉は、古代から哲学界で親しまれていたひとつの言葉であるが、
これをプラグマチズムとしたのは、アメリカのピアースである。
明らかなる観念は、実行性を有するものであるから、我々を明瞭ならしむには、
その観念の実行性を検討すればよい、というのがピアースの主張で彼はこれをプラグマティズムと名づけた。
これを徹底させて真偽論までもっていたのがジェイムズである。
では、ジェイムズの真偽論はどのようなものであったか。


ジェイムズによると、真理は実際的効果を持たなければならない。
真理は論議によって決定されるのではなく、事実の上に立証され、
経験に効き目のあることが第一条件である。
真理は単に抽象的に論じられるべきではなく、具体的事実に突き当たって証明されなければならない。

ジェイムズの死後、プラグマティズムの代表者がデューイである。
デューイもその精神はジェイムズと同じであるが、デューイはジェイムズよりも
実行的動的であり、また実験的なところがある。
彼によると、真理はまず、有効に活動するものでなければならない。
すなわち、人間の欲求を実現するための真の道具となりえるものが真理である。
この意味において、彼の哲学は真理器具主義、もしくは道具主義と呼ばれている。
絶対者を求めたり、役に立たぬ絶対真理にあこがれるやり方や考えを否定して、
現実の社会問題や生活の調整や解決の中に哲学の任務を見出し、用具となりえるものを真理とした。



〇　ジェームズの真理論

A)事実と観念

真理は単に抽象的に論ぜられるべきではなく、具体事実に突き当たって証明されなければならない。
観念と事実の二元を立てて、この観念が満足すべき事実に突き当たった場合、この観念は真理と呼ばれる。

B)根本経験論

これはプラグマティズムによって前もって前提された事実と徹底的に究明したもの。

かれは意識とかものとか固定したものを立てることはやめる。
したがって主観と客観というような対立も撤廃される。
「ある」のはただ、経験のみである。
このような根本的経験を純粋経験と名づける。
心的とかもの的とか言われるものは、この実在がある脈略関係によって作用的に見られた一面に過ぎない。
すなわち、主観とか客観とかは同一の経験が、いかなる脈絡関係におかれるかで、決定される。
真理と事実とは互いに影響するものの、相互に異なったものである。
事実それ自身はただ、単に「ある」のであって、まだ真とも偽とも言うことができない。



真理は実在についての信念であり、いかなる場合にも実在は独立する「あるもの」として、
単に製造された事実として作用する。
ゆえに我々の観念は、一度真理として定立されてしまうと、一種の固定性を帯びて永久的性質を持つようになる。
つまり、実在を持つのである。
我々の生活経験によって承認している観念とか映像とか概念化されたものなど、すべて実在である。
このようなものを根源的実在という。
また真理と事実、根源的実在に加え、純粋に心的な観念の問いにおける諸関係もまた実在である。
「共に」や「同時に」や「前後に」などという単純な関係から、
差異や類似や因果のような関係もすべて実在である。

「実在」①　根源的存在
　　　　②　感覚やその映像の間に存する諸関係
　　　　③　従来の真理

これらの実在が合流して、我々が経験し得る実在界をなすとした






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    <dc:date>2009-09-25T23:22:35+09:00</dc:date>
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    <item rdf:about="http://www37.atwiki.jp/nikopun0315/pages/192.html">
    <title>ニーチェⅠ　</title>
    <link>http://www37.atwiki.jp/nikopun0315/pages/192.html</link>
    <description>
      〇　ニーチェ
#image(nietzsche.jpg,width=150,height=180,title=ニーチェ　にこぷん哲学冒険記,right)

ニーチェは理性的人間観を否定し、新たに人間を行動的・身体的存在として捉えることにより、
根源的・全体的な人間観を提示した。
しかし、このことによって意識的・精神的存在としての人間の側面を否定したのではない。
それらは、人間理性の一部として「小さな理性」であり、この「小さな理性」を根拠とし、これに包含される。
行為的・身体的存在としての人間とは、この「大きな理性」である。
つまり、「小さな理性」である自我は「大きな理性」である自己(selbst)を根源とするものであり、
「大きな理性の小さな道具である」に過ぎないのである。
その背後には自己があり、「身体」が生じるのであり、この「身体としての私」が本物の私である。
「あなたの最善の知恵の中よりもあなたの身体の中に多くの理性がある」




「人間の本質が身体である」とはどういうことか。
1）人間は本質的に理性的存在であるとする理性主義への批判
2）人間は生存するものではなく生成するものである
3）人間の本質が生成であるとは、創造性が人間的生の根源的意味である。
4）人間は過度的存在である。
5）形而上学的価値の一切を否定する。
この独自の人間観をディオニュソス的なものとして説く。




ディオニュソス神は、生命的衝動と情念の神として、激情と陶酔と狂乱とを特徴としている。
創造も破壊も生命も生命力の豊穣によるものであり、想像の喜びも破壊の苦悩も同時に包含し、
しかも無限に創造する神である。




ニーチェが「永遠に自分自身を創造し、また永遠に自分自身を破壊する働きとしての
ディオニュソス的世界」というとき、一面では生の永遠と回帰を、他面では、
苦悩と破壊と絶滅への意志であることを示している。
この躍動する奔放なこの生命力に対し、調和と均整の神であるアポロを対置する。
アポロは美の神であり、光と造形の神であり、その予言は中庸の美徳を示すものである。
この「ディオニュソスとアポロ」の調和に独立の美術的美を見出している。



アポロの美と調和の形式美はディオニュソスの創造意志にひとつの秩序を与えることにより、
根底からの調和を生み出すのである。
アポロの美はこのようにして、ディオニュソス的生命意志の力動性によって
保たれていたのであり、アポロの形式美にはそのないようとして、
ディオニュソスの創造的生命意志があったのである。
古代ギリシアにおけるアッティカの悲劇は、このアポロとディオニュソスの最高の調和であった。
それはまた、ディオニュソスに象徴される生の根底にある苦悩、生そのものに内在する虚偽と
廃頽を内包した生がアポロの美へと純化高揚する最高の瞬間であった。
生きんとする意思の根源をディオニュソス的なものに見出したニーチェはさらに
「生の矛盾と疑惑をわが身のうちへと摂取して、救済する精神の典型」をそこに見る。
救済するとは、矛盾、虚偽、頽廃を内包した生が、まさに人間の生の事実であることを知り、
この現実の生の中から現実の生を通して自らを救う世界観を示した。
しかし、それはキリスト教やプラトン主義のような救いではなく、
ディオニュソス的生の意味をあくまで大地の生として説いている。




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