L'art pour l'art

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[[L'art pour l'art]] [[Art for art's sake>L'art pour l'art]] 藝術のための藝術 Cassagne [1906]: &italic(){La théorie de l'art pour l'art en France : chez les derniers romantiques et les premiers réalistes.} A. Hauser, 『芸術と文学の社会史』, 高橋義孝 訳, tr. jp. 836. >「藝術のための藝術」というスローガンはロマン主義運動の子であり、自由を求めて戦ったロマン派の武器の一つであった。それはロマン派の文学理論の一帰結であるとともに、ある意味ではその総決算とも見なしうるものであった。ロマン主義は、もとをただせば古典主義の文学理論に対する反撥にすぎなかったのであるが、それが終いには、外界からの一切の制約を拒否し道徳や科学など藝術とは無関係の価値体系はすべてこれを排除しようという一つの革命的な運動にまで発展して行ったものなのである。すでにゴーティエも、藝術家の自由は市民階級の価値基準によっては拘束されず、市民階級が追及する功利的な目的に関心を示さず、それらの目的の実現に協力しないということと考えていた。こうして「藝術のための藝術」というスローガンは、ロマン派の詩人たちにとって象牙の塔となり、彼らはその中に身を潜めつつ、社会の現実に眼を閉じた。彼らは、社会の既成秩序をそのまま認める代償として、誰にも煩わされず観照のみに生きる特権を獲得したのである。 A. Hauser, 『芸術と文学の社会史』, 高橋義孝 訳, tr. jp. 836- 837. >1830年までは、ブルジョアジーも、文学は自分たちの目的達成に役立つものだと思い込んでいた。だから彼らは、文学者がその作品の中で政治的な宣伝をするのを奨励した。(...)ところが1830年以後になると、市民階級文学に対して疑惑の眼を向け始め、これまでのように文学が自分たちと連合戦線を張ってくれることを歓迎するよりは、むしろ文学が政治的には中立の立場を取ってくれる方がいいと考えるようになる。「両世界評論」は今や、「文学者が独自の政治的・社会的理念を抱懐することは不必要であるばかりか、有害でさえある」と主張する。一流の批評家たち、なかでもギュスターヴ・プランシュ、ニザール、クザンらもまたこの見解を支持した。だから今では逆に「藝術のための藝術」の叫びは、市民階級の主張になってしまったわけである。市民階級は文学の出世間性や文学者の政治的な党派を超越した崇高な地位を強調する。市民階級は、文学者を黄金の鳥籠に閉じ込めようとする。 ****************************************
[[L'art pour l'art]] [[Art for art's sake>L'art pour l'art]] 藝術のための藝術 Cassagne [1906]: &italic(){La théorie de l'art pour l'art en France : chez les derniers romantiques et les premiers réalistes.} &u(){ロマン主義運動の申し子} A. Hauser, 『芸術と文学の社会史』, 高橋義孝 訳, tr. jp. 836. >「藝術のための藝術」というスローガンはロマン主義運動の子であり、自由を求めて戦ったロマン派の武器の一つであった。それはロマン派の文学理論の一帰結であるとともに、ある意味ではその総決算とも見なしうるものであった。ロマン主義は、もとをただせば古典主義の文学理論に対する反撥にすぎなかったのであるが、それが終いには、外界からの一切の制約を拒否し道徳や科学など藝術とは無関係の価値体系はすべてこれを排除しようという一つの革命的な運動にまで発展して行ったものなのである。すでにゴーティエも、藝術家の自由は市民階級の価値基準によっては拘束されず、市民階級が追及する功利的な目的に関心を示さず、それらの目的の実現に協力しないということと考えていた。こうして「藝術のための藝術」というスローガンは、ロマン派の詩人たちにとって象牙の塔となり、彼らはその中に身を潜めつつ、社会の現実に眼を閉じた。彼らは、社会の既成秩序をそのまま認める代償として、誰にも煩わされず観照のみに生きる特権を獲得したのである。 &u(){市民階級の側からの要請としての非政治性} A. Hauser, 『芸術と文学の社会史』, 高橋義孝 訳, tr. jp. 836- 837. >1830年までは、ブルジョアジーも、文学は自分たちの目的達成に役立つものだと思い込んでいた。だから彼らは、文学者がその作品の中で政治的な宣伝をするのを奨励した。(...)ところが1830年以後になると、市民階級文学に対して疑惑の眼を向け始め、これまでのように文学が自分たちと連合戦線を張ってくれることを歓迎するよりは、むしろ文学が政治的には中立の立場を取ってくれる方がいいと考えるようになる。「両世界評論」は今や、「文学者が独自の政治的・社会的理念を抱懐することは不必要であるばかりか、有害でさえある」と主張する。一流の批評家たち、なかでもギュスターヴ・プランシュ、ニザール、クザンらもまたこの見解を支持した。だから今では逆に「藝術のための藝術」の叫びは、市民階級の主張になってしまったわけである。市民階級は文学の出世間性や文学者の政治的な党派を超越した崇高な地位を強調する。市民階級は、文学者を黄金の鳥籠に閉じ込めようとする。 ****************************************

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