Übermensch


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超人

En. : Overman, Superman, Super-human
Fr. : Surhomme

Arendt
Arendt, The Human Condition, 1958 (rep. 1998) I, 1, p. 11.
志水速雄 訳, 『人間の条件』, 筑摩文庫, 1994, p. 24.
人間の本性を定義づけようとすると、「超人」としかいいようのない、したがって神といってもいい一個の観念に必ずゆきつくという事実は、ほかならぬ「人間の本性」という概念そのものに疑いを投げかけるものである。







Arendt
Arendt, The Human Condition, 1958 (rep. 1998) I, 1, p. 11.
志水速雄 訳, 『人間の条件』, 筑摩文庫, 1994, p. 24.
厄介なことに、「自然的」特質をもつ物――人間とは有機的生命の最も高度に発展した種の一例にすぎないと限定してしまえば、ここに人間自身を含めてよい――には適用できる人間の認識方法も、「われわれは何者であるか?」who are we?という問いを提出する場合には通用しない。これこそ、人間の本性を定義づけようとする企てが、必ず、ある神の創造に終わり、結局、哲学者たちが最後には神を創造せざるをえない理由なのである。プラトン以来、この神はよく調べてみると、一種のプラトン的人間のイデアとして現れている。だから、もちろん、このような神の哲学的概念は、実のところ人間の能力と特質の概念化にすぎないと暴露することはできる。しかし、そうしてみたところで、別に神の非存在が証明されるわけでもないし、神の非存在を主張することにもならない。しかし、こういうことはいえる。つまり、人間の本性を定義づけようとすると、「超人」としかいいようのない、したがって神といってもいい一個の観念に必ずゆきつくという事実は、ほかならぬ「人間の本性」という概念そのものに疑いを投げかけるものであると。(…)ヘロドトス(i, 131.)は、ペルシア人は「神の像も、寺院も、祭壇ももたないのみならず、こうしたものを馬鹿げていると考えている」と報じた後、続けて、これによって彼らが「神々は人間的本性anthrōpophyeisをもつということ」――あるいは、神々と人間とは同じ本性をもつということ、といってもよかろう――を「ギリシア人のように信じていない」ことが判ると説明している。
Pindar Carmina Nemaea viも参照。〔tr. jp. 41, n. 17.〕








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