合成界の歴史

-合成界の歴史を、各年度別に重要な出来事を絡め、まとめています。

年代区分

大よその年代区分です(1~2期までは1年毎ではないことに注意)

  • 1期(創世期)2003年、上半期まで
  • 2期(黄金期) 2003年、下半期まで
  • 3期(第一次衰退期)2004年
  • 4期(第一次復活期)2005年
  • 5期(停滞期)2006年
  • 6期(第二次復活期)2007年
  • 7期(第二次衰退期)2008年 または氷河期とも呼ぶ。
  • 8期(引退期)2009年
  • 9期(氷河期)2010年
  • 10期(第三次復活期)2011年
  • 11期(停滞復活期) 2012年
  • 12期(第二次氷河期) 2013年
  • 13期(第三次衰退期) 2014年
  • 14期(沈黙期) 2015年
  • 15期(---) 2016年

曖昧な部分が多いと思います。
指摘、修正等あればお願いします。


2003年(創世期)


合成界・・・その歴史は2003年から始まる。

「ポケットモンスタールビー・サファイア」が発売され、それと同時にGBAのエミュのそのロムが全国各地に周る。
2ちゃんねるのスレ「モアイゴン・コンブールを極めるスレ」で合成ポケモンが作り始められる。


このスレで合成ポケモンの起源とも言える作品、モアイゴン、コンブール、ラグナロス、ノーチラス、ピカバーグ、メタロード等が作られる。
そしてぽけ者カーン専用機の二大サイトを中心に合成界は廻り始める・・・


2003~2004年(黄金期)


2003年下半期、この辺りから合ポケの名が知れ渡り、合成師の人口も大幅に増加。
カーン専用機ドット絵協会に名称を改め、再スタートした。
そのほかのサイトも作られ、合成界は黄金期に突入する。

2004年になるとドット絵協会を中心とし、合成アジト・カパ基地合成王国スーパーポケモンといった巨大サイトの連続登場
言うまでも無く合成界には史上最高と呼ばれる活気が訪れる。しかし

aaaa氏による攻撃によりぽけ者の閉鎖、そして黄金期も長くは続かなかった。


2004~2005年(第一次衰退期)


荒らしが非常に多く、その影響で閉鎖したサイトも。合成界ではじめての衰退期である。
合成王国が荒らしの影響で、管理人TAKAの消息が絶え、閉鎖。

合成アジト・カパ基地の閉鎖については、スーパーポケモンの管理人による襲撃が大きな原因の一つである。
しかし、この時点では、殆どの人がこの真実を知らなかった。


2005~2006年(第一次復活期)


大手のサイトがスーパーポケモンドット絵協会の二つのみとなり、合成師が少なくなる。
だが、この二つのサイトには、閉鎖された合成王国合成アジト・カパ基地の住人が流れ込んでくる形となり、
この二つのサイトの活気はむしろ今まで以上に満ちていた。
ライジングが発明したサイキッカーなどのブームの影響もあって、合成界全体としても回復の兆しが見える。


2006~2007年(停滞期・第二次復活期)


こうして、閉鎖されたサイトの住人を自分のサイトに引き入れるという、下条の思惑通りに事は進んでいた。
そしてついにドット絵協会への攻撃を開始、この辺りでついに人々が真相を知る事になる。
これによりスーパーポケモン閉鎖ドット絵協会の更新もほぼ停止状態に。
※この事実については、管理者が実際に下条氏にメールで事実についてお聞きしました。

大手サイトを失った合成界の住人は散り散りになり、合成界全体の活気は皆無といっても良い状態だったが、
そんな中、元画像をドット加工するというスタイルが誕生。
まだ主流とまではいかなかったが、少しずつ合成ポケモンの幅を広げていく要因となる。

閉鎖したにも関わらず、根強い人気と影響力により非常に多いフォロワーを持っていたスーパーポケモンが復活。
しかし、遂に管理人の意欲低下によりドット絵協会が閉鎖

いつの間にか成長し、大手サイトとなっていた合成ポケモン王国に新人が集まっていた。
活気はあったが、衰退期に散ったかつての上級者はこのサイトに存在しておらず、技術もマナーも低下していた。

合成ポケモン王国を中心とし、初心者・中級者が作るサイトが多数出現。
一部のレベルの高い人物は散り散りになり、小、中規模のサイトに集まると言った現象が起こった。
そんな中、一つのサイトに篭り続けていた新参達は、その狭い基準の中で自分の技術を測るという方向に陥っていた。
具体的にはアンチエイリアスをかける事ができれば凄いソフト加工を使用した努力の無い作品の増加。
挙句の果てには修正点を言うと一方的に否定しかしない者まで増え、新参のその反抗的な態度に時代の違いを感じ、一箇所のサイトに集合する者も多かった。

そんな合成界に厭きれ、かつての上級者は去り、技術のある人は初心者サイトに篭り、他人の評価をしないスタイルを続けた結果、合成界全体として、マナーも技術もそれ以上進歩しなかった。


2007~2008年(第二次衰退期)


後のあっぷる社の管理人となる影法師こと夏蜜柑の猛攻撃と管理人受験のため、合成ポケモン王国が閉鎖。
更に次いで大きかったポケモン帝国合成ポケモンの隠れ家も閉鎖され合成界から大手と呼べるサイトが完全に無くなる。

RIKIが後任の管理人として合成ポケモン王国が復活するが、中途半端な管理が問題視される。
ダイパ素材の導入により新参の数は増えるが、任天堂㈱の許可が無い為、画像掲示板への投稿は一部で不可能となっていた。
これを口実に夏蜜柑が再び攻撃を開始、またしても合成ポケモン王国閉鎖

更に余波として復活期に出現した小、中規模のサイトも次々と閉鎖され、またしても合成界は壊滅状態に陥る。

その後、古参ロッキーによる合成ポケモン工房や、新参の間でも高い技術を持っていたぺそ合ポケ病棟など一部のサイトが復活し、
新たな大手サイトとして影法師(夏蜜柑)によるあっぷる社が出現。
後にポケモンスター合ポケ救助隊ロードオブカオスなどの大手サイトが出現。
これらを中心にサイトは増える傾向にあったが、衰退期の影響でマナーや技術に関して、導ける者が少なく、合成界全体のマナー・技術は低下していった。

新参者が多く参加し、合成界の人口は以前より増加していた。
しかし、同時マナーを知らない者の増加により、合成界のネットマナーが余りにも悪い事が問題視され、そういった人物はゆとりと呼ばれていた。
この頃から「古参・新参」の言葉が流行り始め、同時に少しずつ差別や「新参は皆ゆとり」などといった偏見も生まれていった。


2008~2009年(引退期)


ある一件で、古参と一部の新参の間で新しい繋がりが芽生え、合成界と復活させようという動きが生まれ始める。

最もネットマナーの低さや技術レベルが問題視されていたポケモンスターに、古参や新参達が改正を求めるも、
ポケモンスターはまもなく閉鎖、次いであっぷる社も閉鎖

古参達を中心に合成界全体としてのネットマナー改正を行っていたが、
一部の古参は、あまりにも厳しい発言や、時には暴言、wikiに新参者の発言を晒したりなど、横暴さもあった。
実際にこのwikiのメニューの一つで、主に古参が管理していた人物名鑑(アンサイ風)は、悪口ばかり書かれていた時期もあり、本来手本であるはず古参もマナーがなっていなかった。
結局のところ古参や新参などという言葉から、格差や差別のようなものが生まれたとも言われている。

結果として合成界は大手サイトを失い、3月頃になると学校の卒業などに伴い古参の殆どが引退
ドラゴンズロードまつとびファクトリーポケドラーク等、有名サイトも閉鎖。

当時更新が続けられていた中では最大手といえた合成ポケモン共和国も管理人の意欲低下により閉鎖。
合成界は、サイトすら少なく、滅亡の粋を辿っている。
だがそうはさせまいと、中小サイトが誕生・復活していった。

合ポケ応援同盟も誕生。
しかしこの同盟の発足者Seaの正体は長き間「合成ポケモンは犯罪だ」と訴え続け、
数々のサイトを閉鎖に追い込んだ夏蜜柑であり、この以前彼が言っていた事と全く逆の行動に反対したものも多かった。

大手サイトを失った合成界だったが、新たに合成ポケモン公国ぴっとぴとが大手サイトに成り上がった。
そらのはしらも次いで大きなサイトとして、合成界の新たな時代を担うサイトかと期待が掛けられた。
しかし2009年のはじめ頃に、ぴっとぴとが閉鎖、合成ポケモン公国は一時閉鎖と、合成界は瞬く間に氷河期へと後戻りした。


2009~2010年(氷河期)


最大手であった合成ポケモン公国の一時閉鎖(実質的に完全閉鎖)の影響は大きく、合成界に大手サイトが存在しない状態が続いた
しかし、コンテンツが充実し、サイトデザインも親しみ易い、いわば準大手サイトだったそらのはしらに住人が集まり、そらのはしらは大手サイトへと変貌した。

合成ポケモン公国や一部の合成師らがPokedot.comを設立。
大会参加者が30人を超えるなど、そらのはしらにも劣らぬ盛り上がりを見せたが、遂には閉鎖。

合成界を盛り上げようと合成ポケモン現代史@wikiも設立された。

結局そらのはしらが大手のまま、合成界は停滞していった。


2010年(第三次復活期)


4月、大会を締め切らないままそらのはしらの管理人が失踪。
殆どの掲示板がスパムや荒らしによって再起不能な状態だった。

ナイト氏によるもう一つの合成ポケモンに特化したサイト、Composition Extremeが設立。
初心者向けのサイトであったが、結局チャットしか盛り上がらない状況となった。
10月末にはリニューアルによる一時閉鎖となる。
結局その後、年初めに管理の悪さを自覚し閉鎖と相成った。

そんな中、7月にロゼ氏がRoyal Knightsのリニューアルサイトである「ロゼシティ」をオープン。
住人制+ポイント制というシステムで、行き場を失った多くの住民を得た。
この時点では、一番栄えているサイトであった。
又、ロゼシティが行った住人制度・ポイント制度は、後続する多くの合成ポケモンサイトにもコンテンツとして採用された。

途中でそらのはしらの管理人Nox氏が一時的に復活。
受験を控えているという理由で、住民のたねさん氏に副管理人を委ねる。

全体的に新参が増え、表面上でしか規約やルールを捉える事ができない人が増えた。
正しく指導できる人間が少ないため、全体的に技術・マナーがなっていなかった。


2011年(停滞復活期)


2月、現在の大手サイトであったロゼシティ
管理人ロゼ氏の多忙につき、閉鎖。
それと同時に復帰に向けてサイトをリニューアルする方針も発表した。

ロゼシティの閉鎖は合成界を衰退させるものだと思われたが、
そんな中でPokedot.comが復活する。

また、そらのはしらの管理人Nox氏が復帰。
3月後半に{そらのはしら}はリニューアルされ、デザインやコンテンツなども一新しGOPOKEというサイトに生まれ変わった。

4月初旬に 先述したロゼシティの管理人ロゼ氏が復活。
サイトもリニューアルされ、更新も再開された。

1年半の沈黙を破り、合成ポケモン公国も復活。

いずれのサイトも賑わっており、これからの合成界に期待が寄せられる。

また11月下旬よりグローバルリンクが開催されている。
ロゼシティGOPOKEAlpha氏が管理人を務めるポケナビが、「ひとつの掲示板を共有することで多数のサイトで参加者を募る」大会であり、第3回大会まで開催された。


2012年(停滞復活期)


次を担うと期待される新人たち、クオリティの高い作品を展開していく上級者。
多くの合成師の活動で順調に活気付いた合成界。
さらにGOPOKEの管理人・NOXが、そらのはしらに過去投稿されたもののうちクオリティの高い作品を紹介した動画がYoutube及びニコニコ動画にUPされる。
動画の反響は非常に高く、検索サーチでも上位に登場をするほどである。

合成ポケモン公国は衰退しており、大手と呼べるであろうサイトは、この時点でGOPOKEロゼシティの2つだけだった。
そんな中、5月31日の大会を最後に大手サイトの一つ、ロゼシティが実質一時閉鎖。

9月21日、ロゼシティが完全閉鎖。PokeDot.comやポケナビも勢いをなくしており、大手と呼ばれるサイトは事実上GOPOKEのみになる

作品の質はどんどん高まる傾向にあるが、自己の作品制作に集中する者が人口の殆どを占めている為、また、チャット等で手軽に被評価を済ませる習慣が広がったため、現時点で作品の評価・被評価が盛んな合成サイトは少ない。
向上心の高い者が多いので、合成界全体の技術が高まり、創作サイト郡としてのアピールに繋がるのは大変良い事だが、反面敷居が高いイメージがどうしても付いてしまい新規参入者を取り込めない事が問題となっている。

また、5期大手サイト合成ポケモン王国の利用規約を基盤とした"合成界の常識"とされる独特なマナーが、今もなお受け継がれ合成界に広く浸透しており、新規参入者を妨げる要因の一つとなっている。
合成ポケモン王国が栄えていた5期には、例の利用規約は今の様に合成界全体に浸透していた訳では無く、中小サイトもかなり多かったので、利用規約が"合わない"という者にも行き場所があった。が、
サイトすら少ない現在の合成界においては、"合成界の常識"に合わない者を知らず知らずの内に締め出してしまう事に繋がるのだ。

前述した動画の様な"合成界"の枠を超えた取り組みで合成界をアピールし、創作サイトとしての原点に立ち返った誰にでも親しみ易い環境作りが、停滞と大手サイトの少ない状況を脱する鍵となるだろう。


2013年(第二次氷河期)


2012年後半、ロゼシティが閉鎖されたのち、いくつかのサイトで共有のコンテンツを設置。結びつきを強めたこれらのサイトを中心に、かつてほどではないがさまざまなサイトが活気を高めていった。
複数サイトで共同で行う大会が増え、それらは多くの参加者を集めた。

1月にはPokeDot.comも復活

従来の独特なマナーという縛りから合成界を解放しようという動きも高まり、停滞からの脱却も見えてきた中、あるニュースが合成界を戦慄させた。
合成界はこれまで、『ポケットモンスター』シリーズの新作の発売により新たな合成用素材を得、RS塗り、DP塗りなどの言葉が示すようにそれぞれのソフトが持つ独特の塗り方を取り込みつつ、発展してきた。
2013年10月頃に発売されるという『ポケットモンスターX』『ポケットモンスターY』は、2012年1月8日の先行公開映像に、3Dでバトルするポケモンたち、3Dでマップを移動する主人公の姿が映っていた。
これらは、合成ポケモン、合成トレーナーのどちらにも新素材がもたらされないことを意味する可能性と、新たな塗り方との触れ合いによる、新しい作風の誕生をなくす可能性を意味する。
どのようにしてこの、合成界にこの先の拡張をなくしかねない状況を打破するか、検討していく必要があるだろう。

2014年~(第三次衰退期以降)


GOPOKEの更新は停滞し、PokeDot.comも再び更新停止状態に陥る。
ロゼシティの完全閉鎖と同時に、各サイトが共有しはじめたコンテンツ一言掲示板が、共有していたサイトが軒並み更新頻度と活気を失っていく一方で、いつしか合成界の最大手サイトと化していた
ロゼシティ閉鎖時に難民と化した住民を得、また、共有した様々サイトからの住民の流入もあったこの「一言掲示板」というサイトは、大手となるためには十分な住民を獲得していたのだ。
しかしこのサイトにおいても、合成ポケモンの作品の投稿はほとんどなされず、もはや作品を介しての交流は大会でしか行われていない。

7月にGOPOKEでは『ポケットモンスターオメガルビー・アルファサファイア』の発売を記念して大会が行われたが、2015年1月になっても管理人5人の審査結果が揃わずに結果待ち状態となっており、また、一言掲示板で11月下旬に行われた第二十三回は、遂に参加者が0人となり、期限が半永久的になってしまった。共有サイト群も、2013年の『ポケットモンスターX・Y』発売近辺で更新が途絶えているサイトが多く、2015年1月3日現在、一言掲示板共有サイト群で最後に大会が行われたのは2014年12月23日~12月31日であったものの、やはり参加者は0であった。

「ポケットモンスタールビー・サファイア」発売後の「モアイゴン・コンブールを極めるスレ」で始まった合成界だが、その「ルビー・サファイア」のリメイクが発売された頃には、もはや以前の活気をリメイクできないほどに衰退していた

一方で、イラスト交流サイトPixivや、動画だけに収まらずイラストも取り扱うニコニコ動画、あるいはtwitterをはじめとするSNSなどでは、交流が充実しており、掲示板よりもコメントをもらいやすい、大勢の人に見てもらえるなどの大きな利点があるため、未だに合成ポケモンが投稿されているようだ。
掲示板やチャットタイプのサイトは、これらの超規模交流コンテンツに圧倒され、合成ポケモンというジャンルに限らず衰退し続けており、合成界のあり方を考える必要がある。

上のように、いまや個人サイトとその掲示板だけで合成界の活気を維持するのは難しく、一言掲示板およびその住民を中心として存在するサイト群だけでなく、上に並べたような、新たな発表の場で展開される新たな合成界のかたちについても理解しなければならない。

2015年1月中旬、長らく掲示板が利用できなかったGOPOKEで、かつて賑わっていたドット絵総合掲示板雑談掲示板(と、連絡掲示板)が、ベータ版ではあるものの復活した。一言掲示板の利用者はだいたい15人ほどであったが、GOPOKE内コンテンツ「住民一覧表」を見る限りでは、その利用者は50人ほど確認された。

合成ポケモンに類似するコンテンツ「ポケモンフュージョン」がしばしばtwitterなどで大きな話題となるも、合成界への大幅な人口流入には至らなかった。

とはいえtwitterは、幾度かの合成ポケモン大会の会場となったほか、有志により合成ポケモン博物館なるアカウントが取得されるなど、コンテンツの維持にとり無視し得ない役割を果たしているといえる。

2018年10月、Yahoo! JAPANにより、無料ウェブサイト開設サービス「ジオシティーズ」を2019年3月末に閉鎖するという発表がなされた。
個人的な創作を行う界隈の多くが、広くこのサービスを活用してきた。
合成界もその例外ではない。多くのサイトがこれを用いて開設・運営されており、その中には合成界サイト一覧に掲載されるほどの重要性を帯びたものもある。
また、管理人により閉鎖されることもなく、かつジオシティーズ利用規約による強制削除をなぜか回避したまま放置されているサイトもしばしばあり、それらは合成界の往時の面影をそのままに残し伝えていた。

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最終更新:2019年02月20日 21:28