「なぁ、三太郎が裏切ったって本当なんだろうか?」
「まさか! あのお人よしだぞ? そんな噂……」
この場所から4里ほど離れたあたりにも一つ集落があったが、
今朝方、人間共によって一掃されたと電報があったという。
しかも獣人の中に人間に情報を流す裏切り者がいたと言う噂が流れはじめ、
ただならぬ空気が要塞内に満ちている。
内通者は、行方知れずの三太郎と。
できれば幼馴染を疑いたくない、きっと何か事情があるはずだと信じたい。
「しっかし、いくつめだ? 人間の機関に攻められるの」
「第四区域、全滅か」
「ひどいことするよな」
「そりゃ人間だからな、心が氷なんだろ」
溜息が白く虚空に消えた。
寒さの厳しい今時期、この第六区域は前の滝が凍り付いて自然の城壁となる。
春になり氷が溶けるころには沢山の緑が我々を護ってくれるだろう。
ここは最も人間の集落から離れており、最も安全で、最も獣人の家族が多く住む。
ここが落とされた時獣人は終わるといっても良い、大事な要塞。
「あのさ、」
「なに?」
「いや、三太郎のことなんだけど」
千秋は黒く長い毛をボサボサ掻きながら手すりにもたれ掛かった。
「あいつさ、人間の中にも優しい奴がいるはず、とか言ってたっしょ」
「まったくバカな男だぜ」
「なまら馬鹿げてるんだけど、三太郎は間違ってないような、そんな気がした」
「千秋、おまえ」
「三太郎って、わやMっしょ。 争いごとが起こるぐらいなら一生奴隷でも構わんって言い切ったし」
「ったく、あんなんだから疑われるんだっつの、なぁ」
「俺も心動かされちゃったのさ。三太郎って、ああ見えて真っ直ぐなんだなって」
千秋はタバコを取り出したが、火がつかないらしく、またポケットにしまった。
風が強い。
「うは、しばれる」
「三太郎は昔っからボケなんだよ。 人間と平和になればいいなんて、そんなありえない事まだ信じてるんだろ」
「まぁ三太郎ほど半可くせぇのはいないけどさ、言ってる事はまさに理想なんじゃね?」
「そうか?」
「長い長い先の話、人間と獣人が一緒に暮らす未来がもしかしたら」
「ばかいうな! 人間だぞ! 人間は悪魔だ。ったく虫唾が走るようなこと言うな」
「だって、……だって三太郎が」
「千秋は人間に姉さん殺されてんだろ、憎くないのかって!」
「わるくない人間だって、いるかもしんないよ」
「千秋も、獣人を裏切るのかよ」
事実、獣人が従順に仕えていれば、人間はとても温厚で誠実だった。
子供の頃はそんな時代だった。
でもその見せ掛けの優しさは、単に我々獣人を騙しこき使うための演技だったということ。
獣人が人権を主張すれば、それだけで人間は憤慨し我々を殲滅する。
三太郎はお人よし過ぎて今でも人間に騙されている、そういうことだろう。
「千秋、言い過ぎた、ごめん」
「なんもだ。 俺のほうこそ突然変な事言ってスマン」
「はやくこんな生活終わればいいな、息が詰まる」
「そだね」
「独立戦争、もう始まるんだっけ?」
「俺、いざ戦争になったら、人間殺せるか自信ないよ」
「なんでだよ、悪魔はいくら切ったって構わんだろうに。 むしろ正義じゃ、」
「嫌だろ、殺しあうなんて」
「やらなきゃ、やられる。 片っ端から人間を消せばいいって。 そのためにここで訓練してんだろ」
「……変わったな、おまえ」
千秋が俺を一瞥した後、背を向けて要塞に戻っていった。
悲しい目をしていた。 ちょうど、千秋が姉を亡くした時と同じような目。
雪が降り始めた。今日の夜は底冷えしそうだ。
最終更新:2009年07月05日 00:48