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「逃げろ! 保健所の奴らが来た!」
 夜明けも近づき、うっすらと白みを帯びた、静かな空の下に、獣人の悲鳴が木霊した。
 人間に対する反乱の計画と、この集落の場所が、何故だか分からなかったが、人間側へと知れ渡ってしまったのだ。
 そして、人間に所在地のばれた獣人の集落へは、例外なく保健所の職員が派遣される。その集落が反乱を企てているとあれば、最優先でだ。
 集落に響き渡る獣人の悲鳴を掻き消すように、一発の銃声が響く。逃げ惑う虎の頭が爆ぜた。
『ちっ、今ので全員起きたか』
 全身を黒くすらりとした、保健所正式採用の防護服で身を包む追跡者が、ヘルメットの内側から忌々しげに漏らした。
 事実、さっきまでひっそりと静まっていた集落に、次々と明かりが灯り、ガヤガヤという雑踏が聞こえ始める。
 ああ、せっかくもっと静かに済ませようとしてたのに。ヘルメットの下でまたも舌打ちすると、内臓された通信機へと語りかけた。
『潜入がばれた。駆除を開始する。フェンリル、さっさと来い』
『Aye-aye,ma'am』
 返答の声は、生身の声帯から発せられるものであったが、抑揚を欠き非常に無機質だった。
 まったく、何だって自分が、あんな獣人もどきの教育係を。3度目の舌打ちをする。
 イライラをぶつけるように、腰のベルトにつけられた、6つの手榴弾のうちの一つを手に取り、明かりのつき始めたボロ屋へと投げ込んでいく。
 獣人の拙い建築技術で建てられた、粗末な家は、中で息を潜める住人と共に、轟音を立てて爆散した。
 すでに存在はばれている。盛大に行こうじゃないか。手持ちの手榴弾を全て使い切る頃には、集落は火の海と化していた。
 浅い雪に包まれ、レーダーも届かない奥地でひっそりと反乱の時を伺っていた集落も、今や生身の人間では立っていられないような熱気に包まれていた。
 だが、防護服の中ではその熱も大して伝わってこない。
 保健所の職員の中でも一握りの戦闘員に与えられる最高級の防護服の性能は、人間と獣人の身体能力の差を埋め合わせてもお釣りの来る代物である。
 このままだと、あいつが来る前に終わりそうだ。いくらか溜飲を下げ、多少ながら上機嫌に思考する。
 爆炎から逃れ、散り散りに逃げていく獣人たちを、背中にマウントして持って来たライフルを用いて、慣れた動作で狙撃する。
 バイザーに仕込まれたスコープが、的確に目標の急所をロックオンしてくれるのだから、それに合わせて狙撃するだけなんて、楽な作業である。
――pipi!
 ヘルメットの中に響くアラーム音。眼前には『WARNING』の赤い文字。振り返れば、遠く離れた物陰に何かがいる。
 オートでズームを開始された。バイザーの左上の部分に、随分と古い型のライフルで、こちらを狙う獣人が映し出される。
 見れば、随分と大口径のライフルだ。並みの銃では貫く事も出来ないこの防護服だが、ただでは済まないかもしれない。
 それでも、彼女は動じる事無くライフルの銃口をそちらへと向ける。相手の獣人とほとんど同じタイミングでトリガーを引く。
 やばい、当たる。そう思った刹那、視界を黒い影が遮り、目標をロストした。
 ガインっ、鉄の塊に弾丸がめり込む、鈍く重々しい音が響く。
 目の前の黒い影が振り返る。普通の獣人に比べて、獣の特性が色濃く現われ、より獣に近い力強い脚、より戦闘に特化した常時前項姿勢の体つきだ。
 さらに、鈍い光沢を放つ合金で作られた、機械仕掛けの両腕をしていた。良く見れば、左目も作り物の義眼である事が分かる。
 最新の機械と野生の獣の織り交ざった、ともすれば非常にアンバランスな姿である。
 右腕は大口径の弾丸を受止めた衝撃でひしゃげているが、頭の中も半分は機械のようで、まるで慌てた様子を見せない。
『遅かったけどどうしたの?』
「クソッタレな風で粉雪が舞い上がり、遠距離のサーチが仕様不可。索敵に手間取りました。
あなたの取りこぼした標的をぶっ殺すのに時間を取られた次第です」
『OK獣人もどき。さっき私を狙ってったクソッタレは?』
「あなたの弾にドタマぶち抜かれるのをこちらで確認いたしました」
『この集落の生き残りは?』
「近辺のインポ獣人野郎どもの皆殺しは完了です」
『はぁ、やっと暑苦しいヘルメットが脱げるわ。ライフル預かってて』
「Aye-aye,ma'am」
 通信機越しに聞こえたのと同じ、抑揚に欠く、生物の物とは思えないほどの無機質な声。事実、彼が生物なのか機械なのか、誰にも分かりはしなかった。
 獣人の反乱により、バイオテクノロジーに見切りをつけた人間が、懲りずに手を出したのは機械工学であった。
 その技術の粋を集めて作成された、獣人殲滅用の平気が、この黒い狼、コードネーム『フェンリル』である。
 そして、ヘルメットを脱いで、端正な顔立ちを晒す人間の女こそ、フェンリルを獣人の駆除に立ち合わせ、経験値の向上を任せられた教育係であった。
 彼女は額に溜まった汗を拭い、短く切り揃えられた黒髪を手で撫で付けながら、周囲を見回した。
 熱気も冷め、今は丁度良い程度の温度に落ち着いていた。フェンリルの太い足に寄りかかって、胸ポケットからタバコを取り出す。
 熱の篭ったライフルの銃口に、タバコを押し当てて火をつけた。仕事が終わった後の一服は、数少ない楽しみの一つだ。
「アオイ様、寛いでいるところ申し訳ありませんが、マザーファッカーな上司から、次のクソッタレな仕事の入電が入っています」
「チッ、空気が読めないわねクソ犬。いくらモドキでも、これだから獣人は嫌いなのよ」
 忌々しげにタバコを投げ捨て、ヘルメットから通信を繋ぐ。聞きなれた上司の声が聞こえてくる。
「なんですか所長。次の以来ですか?」
『ああそうだ。近頃獣人どもが組織的過ぎる。誰か指導者が現われたと見ていい。
そいつを見つけて連れて来い。この仕事を達成するまで、装備はおまえの望むまま支給する。
これは、恐らくおまえの父親の尻拭いだ。精々気合を入れてやれ』
 いかにも気だるそうに、半開きにされていた女の瞳が、カッと見開かれる。
 通信機の向こうで、意地の悪い笑みを浮かべているだろう男が、さらに話し続けた。
『獣人どもに亡命して、案の定行方知れずのおまえの父親だが、もしも新しい獣人を作り出していたなら、そろそろ成年になる頃だろう。
そいつが獣人どもを纏めているのなら、早めに消すべきだが、どのようなものが出来上がったか、学者連中も興味心身だ。
身内の不始末を片付ける意味でも、おまえにぴったり仕事だろう? 父親の手で生まれた獣人の指導者、おまえと同じ親を持つ兄弟みたいなものだ。会話も弾むだろうよ』
 通信が切れる。「クソッタレが」女は忌々しげに呟いた。獣人は死ぬほど嫌いだ。父親が奴らの味方をしたせいで、裏切り者の家族扱いだ。
 父親の罪の象徴を差して、「兄弟のようなもの」とは侮辱も甚だしい。虫唾が走った。
 だが、そいつを捕まえて差し出せば、父親の犯した罪から、自分が解放される気もした。
「クソ犬、仕事は受諾するわ。クソ親父の作った、クソみたいな獣人、とっ捕まえましょう」
「任務了解。アオイさまのクソ親父が作成した、クソみたいな獣人捕獲任務に就きます」
「まずあんたの腕を直して、武器を補充しないとね。帰るわよクソ犬」
「Aye-aye,ma'am. 左腕に掴まってください」
 アオイがフェンリルの左上に手をかけると、その機械の腕でフェンリルは主人を抱きかかえ、獣人すらも遥かに凌駕した運動能力を発揮して、雪上を疾走した。
 10分ほどこのペースで走り続ければ、二人の乗ってきた雪上車へと辿り着くはずだ。
 アオイは冷たくなってきた風から身を守るため、再度ヘルメットを被る。バイザーにはフェンリルの体の損傷状況が詳細に示されている。
 右腕部半壊……戦闘能力32%減……生命維持・運動能力には支障なし……etc
 なんともうざったいが、フェンリルのデータ採取は、ヘルメットのナビゲーションシステムにインプットされた、最重要任務である。せいぜい、画面の端に縮小する事までしか出来ない。
 アオイは小さく溜め息をついて、バイザーに映し出される情報を無視するように目を瞑った。
 この獣人もどきに抱かれて運ばれるのも、もう少しの辛抱だ。さて、補給が完了すれば、現在判明している獣人の集落から獣人を攫い、情報を聞き出さねばならない。
 生け捕りは殲滅と違って、どうにも難しい。かかる手間を考えると、少し頭が痛くなった。
『まあ、関係ないか。兄弟が感動の再開を遂げるためだものね』
 早くクソッタレな兄弟の顔を拝んでみたいものだ。アオイは既に気持ちを切り替えて、ヘルメットの下に端正な笑みを浮かべていた。




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最終更新:2009年07月11日 05:59
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