feat.Advent(Redeemer)


ひどい有様だった。狭い部屋の中に救護班、兵士の仲間、野次馬などさまざまな獣人たちがすし詰めになって、それぞれ勝手気ままに動き回っている。その中心には例の負傷した兵士が寝かされていた。
 混乱の中を右往左往した末、声聞はなんとか顔見知りの救護班の一人を捕まえることに成功した。
「ミサキ、状況は?」
「あ、声聞さま! 弾丸自体の殺傷力は小さかったようですが、当たり所が悪かったみたいで、流した血が多すぎて……」
「……助かる可能性は?」
 黙って首を振る彼女の顔を声聞はじっと見つめていた。まだ少女といってもいいミサキの顔には深い悲しみが刻み込まれている。そういえば、第二区画の英雄と呼ばれた大佐を看取ったのも彼女だと聞いた。立場柄見てきたのだろう。見てはいけないものを何度も何度も。
「分かった。今後の処置は?」
「……これ、です」
 震える手でミサキが差し出したのは一本の注射器だった。
 せめて楽に逝けるように、麻酔で痛みを和らげてやること。
 自分がそう規定したことながら、声聞はその残酷さに胸を刺される思いがした。
「後は俺がやる。ありがとう、ミサキ」
「わ、私、助けたいのに……助けたいのに、こんなことばっかり……」
 うつむいて声にならない嗚咽を漏らす彼女の頭に触れると、声聞は注射器を受け取ってそこを離れた。彼女の仕事は終わった。声聞の仕事はこれからだ。
「皆!」
 声聞のその一声で室内が水を打ったように静まりかえる。啜り泣きだけが続く中、声聞は声を大きく張り上げた。
「救護班の皆はご苦労だった。もう……撤収してくれ。関係のない者も去れ。以上だ」
 救護班の獣人たちは手早く道具をまとめ、迅速に部屋から出ていった。そんな中、何もなさそうな一団がぐずぐずと部屋の中に居残っている。声聞の視線を受けて彼らは竦みあがったが、やがてその中の一人がおずおずと手を上げた。
「……なんだ」
「あの、襲われたのってここの近くなんですよね?」
「そうらしいな」
「それで、ここに奴らが攻めてくるって可能性は……?」
 幾つもの怯えた視線に晒されて、今度は声聞が圧される番だった。早く彼らを安心させなければいけないと思うのに言葉が出てこない。手の中の注射器を握り潰さないように気をつけながら、声聞はどうにかこうにか言葉を選び出した。
「大丈夫、ここはちゃんとカモフラージュされているから、そう簡単に見つかりはしない。もし来たとしても……俺が、なんとかするよ」
 声聞の言葉に獣人たちは皆一様にほっとした様子になる。ぞろぞろと部屋を出て行く彼らの背中を見ながら、声聞はどうしようもない憤りを感じずにはいられなかった。疑いもせず、自分の頭で考えもせず、与えられた言葉をただ信じるだけ。どうしてそんなことができるのか。
 声聞はそう考えた自分を嫌悪した。それだけ彼らが自分を信じてくれている証拠だし、そうでないと困る。自分で考えられないのは彼らの咎ではない。所詮、八つ当たりだ。

 先程までやかましかった部屋は随分と静かになっていた。残っているのは兵士とその仲間らしき獣人たち、声聞。そして六道。
「火宅! しっかりしろ火宅!」
 兵士の手を握り、六道は必死にその名を呼ぶ。火宅と呼ばれた豹人の彼が死神の腕に抱かれているのは、誰の目にも明らかだった。
 声聞を振り返った六道はその手にある注射器を認め、歯を剥き出して唸る。
「……六道」
「イヤです」
「六道」
「分かってます。でも!」
「六道……」
 このまま強引にやってしまってもいいものか。声聞の心に生じた迷いは火宅の咳に掻き消された。
「……ぁ……」
 意識を取り戻したのか、火宅は首を動かして周りを見ようとする。六道はそんな彼の手を握り、意識を保とうと呼びかけた。
「火宅、火宅! 聞こえているか!」
「教官……?」
「そうだ、六道だ! しっかりしろ! そんな軟弱者に育てた覚えはないぞ!」
「……ぅ……」
 突然火宅は泣き出して顔を背ける。そんな彼を振り向かせようと六道は色々と話しかける。声聞はそんな二人を黙って見ていることしか出来なかった。
「すいません……」
「火宅?」
「俺、逃げちゃったんです……さいてーですよね……だからもう、俺教官の顔見れないっていうか、ほんと限界で、俺、あー俺何言ってんだろ、もうわかんねー、はは、俺、あーもう、あぁ……」
 話している間にも火宅の声はどんどん弱々しくなっていく。嗚咽を堪え、六道はただただその命を此岸に繋ぎとめようと手を握っていた。
「軟弱者。お前のような奴は私が一から鍛えなおしてやる。だから……死ぬな! 火宅! 火宅!」
「……また、教官に鍛えられるのは、ちょっと勘弁なんで、俺、あっちで大佐にしごかれてきます……ごめん……な……さ……」
 火宅は気丈にも笑みを浮かべ、それが死に顔になった。
 一つの肉体から命が消え、物言わぬ屍に成る。教え子の骸を抱いて六道はしばらく肩を震わせていたが、突然顔を上げると遠吠えを放った。一人の体から出ているとは思えないほど大きな叫びが部屋を越え、どこまでも広がっていく。原初の哀しみを孕んだ響きは永遠に続くように思われた。



 いたたまれなくなって部屋を出た声聞を待っていたのはミサキだった。
「ミサキ?」
「声聞さま……」
 ミサキはひどく傷ついた顔をしていた。六道の哀号はまだ続いている。声聞は彼女をいたわろうとして、不意に自分も傷ついていることを知った。二人の間に沈黙の帳が下りる。
 それを振り払うようにミサキの手が突き出される。薬品で漂白されてしまった肉球の上に乗っているのは、小さな黒い金属片だった。
「これは?」
「あの人を……殺した弾です。ちょっと変なので、声聞さまに見てもらおうと思って……」
 ミサキから受け取ったそれを声聞は廊下の照明にかざして見る。一つの命を奪ったというのに、光を受けて小さな無機物はきらめいた。
 手に持ってみると確かに普通の銃弾より重い気がする。何より目を引くのは明滅を繰り返す赤いランプ。
――発信機。
 声聞の思考に確信を伴ってその単語が浮かびあがる。彼の狼狽を感じ取ったのか、ミサキは一層不安そうな顔をした。
「どうでしたか?」
「いや、なんでもないよ。これもらっていいかな?」
「やっぱり何かあったんですね、それ」
「大丈夫、俺が何とかする。大丈夫だよ」
 なおも不安げなミサキに手を振ると、声聞は走り出した。


 防寒具。ショットガン。拳銃。槍。
 武器庫からそれらの品を運び出すと、声聞は最後の一つを取りに向かった。
 広い第六区域の隅にある小部屋。誰も使っていないであろうそこは、何かを隠しておくのに絶好の場所だ。幼い頃の声聞はよくそこに逃げ込んでいたものだった。声聞だけの秘密の場所。
 薄暗い中に忍び入りながら、声聞は思わず笑ってしまった。昔と違って怒られるわけでもないのに、こうしてこそこそしている自分はかなり滑稽に違いない。見つかりたくないのだから仕方ないのだが。
 目的の品を棚から出して防寒具のポケットに入れた。割れてしまわないか心配だったが、これ以上どうしようもない。なるようになるしかないだろう。
 そう諦めた声聞が部屋を出ようとしたところで、突然後ろから誰かに羽交い絞めにされてしまった。
 昔、よく訓練でやられた通りに。
「動かないで」
「ここを知っていたのか……」
「話を逸らさないで」
「六道、俺は……」
「分かってる。私より弱いくせにたった一人で行こうなんて。無茶よ……」
 小部屋の暗がりに潜んでいたのは六道だった。普段の敬語は忘れられ、声聞を拘束する腕は痛みを感じさせるほどに強い。彼女は、本気だ。
「今のあなたは責任の感じすぎで冷静じゃない」
「俺は冷静だよ」
「嘘。本当に冷静なら隊を組織して迎撃に向かうはずよ」
「それじゃ犠牲が多すぎる」
「他の奴らがどうなったっていいッ!」
「――六道ッ!」
「ひどいこと言ってるのは分かってる。だけど! あなたが死んだら終わりじゃない! あなたが死んだら……」
 声聞を拘束する腕が緩み、やがてだらりと力を失う。大粒の涙を零す六道を声聞は優しく抱きしめた。
「そうやって、あなたはいつまでも甘いのよ……」
「そうなのかな」
「そうよ。いつも無理ばっかりして。私がどれだけあなたを心配してるか知らないでしょ」
「知ってるさ」
「そんな気がしてるだけよ……」
 泣き濡れた六道を見て声聞は綺麗だと思った。縁覚以外の誰かを綺麗だと思うのは初めてだった。
「約束して。生きるって。生きてくれるって」
「……」
「あなたがいなかったら私は生きていけない。あなたは私の全て。あなたのためなら私はなんだってやってみせるわ」
「うん」
「だからお願い、約束して……生きるって」
 それだけ言うと六道は床に崩れ落ち、穏やかな寝息をたてはじめる。声聞の手には先程の注射器が握られていた。
「ごめんな、六道……ごめん」
 自分が深い眠りの中に投げ込んだ彼女に謝ると、声聞は外に繋がるゲートに向かって走り出した。
 獣人のために。縁覚のために。六道のために。




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最終更新:2009年07月05日 00:55
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