feat.Advent(passion)#1


 吹き荒ぶ風の中、アオイはバイザーに表示されている光点をじっと見つめていた。地図上を一直線に移動するそれは明確な目標を持っているように見える。
『おいクソ犬、どう思う』
『質問の内容がわかりませんでした。もう一度分かりやすい言葉で質問して下さい』
『……』
 こういうとき、アオイはふとフェンリルに銃口を向けてみたくなる。死の恐怖を前にして、果たしてその無表情な顔が歪むのかどうか。試してみるのも面白いが、それをしたってどうせ結果は見えている。その顔が表情を持つことはなく、後で自分が長い長い始末書を書かされるだけだ。
『お前のスカスカなドタマの方がクソッタレな獣人どもに近いだろうから聞いてやる。連中が発信機に気づく可能性はイエスか、ノーか』
『クソッタレな獣人どもが弾丸を摘出し、それを観察することは可能性としては考えられます』
『……ふうん』
 気のない返事をしてアオイはまたバイザーを眺めた。地図の横に表示されている高度計は発信機がアオイたちと同じ高度、すなわち地上に出たと示している。しばし考えた後、アオイはまたフェンリルに質問してみることにした。
『仮にそうだったとする。それでは、発信機が地上に出てきた意味は何だ?』
『不明です』
 アオイの隣に立つ黒い影にどうやらそこまでの思考能力はないらしい。小さく舌打ちするとアオイはまた思考を巡らせ始めた。
 仮に獣人たちが発信機に気づいたとして、それを地上に出す。その意図は何か。
 まずは自分達の巣を知られたくないからという理由が思い浮かぶが、一度場所が割れてしまった以上はそんなことをしても意味はない。罠。それも考えたが、自分達が騙せるほど人間は馬鹿ではないことぐらい、獣人たちも理解しているはずだ。それすらも理解できないほど馬鹿だというのなら話は別だが。
 しばしの逡巡の結果、アオイは移動を続ける発信機を追うことに決めた。獣人たちの巣は突きとめたのだし、例え罠でもやることは変わらない。追い詰めて、殺す。
 そしてアオイは追った。

 吹雪の中、声聞は斜面に身を伏せて辺りを窺っていた。先程から始まった風は強まる一方だ。防寒具がなかったら一分と待たずに凍死体になっているだろう。凍える手をなだめ、声聞は手に持った拳銃をきつく握りしめた。
 勝ち目のない戦いなのは分かっている。六道に言われた通り、自分が冷静でないのも分かっている。
 それでも声聞は信じていた。この予感、今こそ戦うべきだという魂の囁きを信じてさえいれば、この状況を打ち破ることだってできるのではないかと。
 そして声聞は待った。

 それはアオイたちのセンサーが雪で作動しなくなっていたことと、声聞の「作戦」を鑑みても奇跡に近いことだったのかもしれない。声聞の方が先にアオイを発見したのだ。
「……!」
 とっさに身を伏せ、おそるおそる相手を確認する。前方10メートルほどのところを歩いているのは間違いなくあの二人だった。映像で見た通りに黒い装束に身を包んだ人間が前を行き、銀の腕を持った獣がそれに付き従う。死神を生で見る恐怖に声聞の口は渇いた。
 幸いなことにこちらの位置はまだ気づかれていないようだ。声聞は背中のバックパックに手をやり、用意しておいた槍を取り出した。頭の中でもう一度作戦を復唱した後、声聞もアオイの後を歩き出す。白銀の世界の中、黒い影を追う白い影法師に気づくものは誰もいなかった。

「……くそ」
 アオイは悪態をつき、バイザーを覆う雪を擦り落とした。雪は絶え間なく纏わりついてアオイの視界を白く塗り潰す。おまけに先程から角度を増していく斜面に足を取られて歩きにくいことこの上ない。こんなところに本拠地を構えた獣人ども。リーダーを捕獲したら一人残らずその脳漿を雪の上にぶちまけてやる。
『おい、クソ犬』
『はい』
『面倒だ。発信機の場所まで行って捕まえて来い』
『Aye-aye,ma'am』
 命令を受け、半獣半機の化け物は雪煙を巻き上げて走っていく。その姿を見送ったアオイは妙な気分に襲われていた。
 この任務が終われば、自分は生物兵器の教育係から開放されるだろう。そしてまた保健所職員に戻って獣人狩りでもするのだろうか。噂ではフェンリルはあくまでもプロトタイプであり、十分なデータが取れた後にはこの奇妙な生物を量産するらしい。そうなったらフェンリルはどうなるのだろうか。やはり廃棄処分なのか。なんだったら、また使ってやってもいいかもしれない。
 そこまで考えてアオイは嗤った。自分の中にまだ移るだけの情が残っているなんて。こんなことをあの男が知ったらどうするだろうか。いつも薄汚い笑い声でアオイを苛立たせる、あの上司。そんな彼にフェンリルを助けてくれと頼む自分を想像して、アオイは吐き気にも似たおかしさを感じた。
 耳障りなアラートが鳴り響き、フェンリルからの通信が入ったことを伝えた。
『どうだ』
『目標が発見できません』
『……何?』
 予想外だった。いくら視界が悪いとは言え、最新のセンサーを備えたフェンリルに発見されないほど巧妙に隠れることなどできるはずもない。ましてや発信機まであるのだ。
『映像を転送しろ』
『Aye-aye,ma'am』
 独特の通信音が響いた後、アオイのバイザーいっぱいにフェンリルが今見ている風景が広がる。多少ノイズが混ざるものの、白一色の世界では大した違いもない。
『発信機は?』
『移動を続けています』
『周囲を見回せ』
 アオイの命令どおりフェンリルは首を巡らせる。この雪原には本当に何もなかった。せいぜい痩せこけた木があるくらいだ。動く物と言えば風に煽られて舞う雪に木の枝から落ちる氷柱、斜面を転がり落ちていく雪球。
 ――まさか。
『フェンリル! それだ! その雪球を撃て!』
 アオイの叫びに呼応してフェンリルの右腕に設置されたバルカン砲が吼えた。軽量化と耐久性の妥協点を見事達成したそれは雪球を軽々と粉砕する。同時に発信機の信号も途切れた。
『戻れフェンリル!』
 アオイは命令を出すと同時に拳銃を抜いて姿勢を低くする。まさかこんなバカバカしい手にひっかかるなんて。所詮相手は獣人と油断しきっていた感は否めない。そう唇を噛んだアオイを数発の銃弾が襲った。

 何が役に立つかわからない、と声聞は思う。斜面の上でどこからどこまで雪球を転がせるか。子供の頃に必死になって研究した遊びは、大人になって殺し合いの役に立つことになった。偶然にも斜面の雪質は硬すぎず柔らかすぎず、発信機を芯に抱いた雪球が転がっていくには十分だった。
 獣人もどきがある程度離れたのを確認して、声聞は残されたアオイに向かって拳銃を乱射しながら突っ込んでいった。防護服の前では拳銃などほとんど意味をなさないが、ひるませることぐらいはできる。狙い通り、数発食らった人間は軽くよろめいた。その機を逃さないためにも片手で拳銃を撃ちつつ、右手に持った槍を構える。
 一般に防弾チョッキの材料となるのは布である。繊維が周りにエネルギーを分散させることでダメージを減免するのだ。よって先端が尖った弾丸や刃物には弱い。もちろん繊維の他に装甲もあるだろうが、勢いを乗せた槍なら貫けるのではないか。声聞はそこに賭けた。
「わあぁっ!」
 叫び声を上げて槍を思い切り突き出す。獣人の速度と声聞の体重を乗せた槍は人間の腹に吸い込まれ、はじかれた。
「う……!」
 人間は呻き声を上げたかと思うと声聞を思い切り殴り飛ばす。突進を崩され、バランスを崩していた声聞は雪の上を転がった。
 すぐさま体制を立て直そうとする両者だったが、槍を持っていなかった分人間の方が早かった。すぐさま拳銃を構えて連射する。斜面を転がり声聞はなんとかそれを避けきった。
 声聞が立ち上がったところで人間も拳銃を突きつけて牽制する。二人の間を氷雪が駆け抜ける。ヘルメット越しに透けて見える相手の視線を声聞はきっと睨みつけた。声聞の持つ拳銃に残された弾はおそらく三発。他の装備を取り出している余裕はない。
 まずい。
 声聞がそう結論したところで事態は更に悪化した。視界の端に黒い影が過ぎる。それが何か頭が認識する前に体が反応し、首筋の毛が逆立つ。反射的に声聞は横に飛んで逃げた。次の瞬間、さっきまで声聞がいた空間を銀の腕が薙ぎ払った。
「く……」
 自棄になって何発か撃つが全て弾かれる。弾切れになった拳銃を放り捨て、声聞はもう一度槍を構えて突撃した。狙いは人間。再度腹を狙ったその穂先は人間の代わりに飛び出してきた獣人もどきの目に突き刺さった。
「グァウ!」
 唸り声と共に薙ぎ払われ、声聞の体は宙を舞う。距離ができたのを幸いと逃げ出す声聞の背に何発かの銃弾が浴びせられたが、届きはしなかった。


 腹部がズキズキする。装甲に阻まれたとは言え、槍の一撃はアオイに小さくはないダメージを与えていた。確かめてみないことには分からないが、内出血しているのは間違いない。自身の被害を冷静に計算すると、アオイはもっと被害が大きそうな方を向いた。
「生きてるかクソ犬」
 顔面から槍を突き出させたままフェンリルはぴくりとも動かない。死んだかな、とアオイが思った頃にフェンリルの首がぐるりと回り、生の目がアオイを見つめた。
「メインカメラ及び内部機構の一部が損傷しました。外部との無線通信は不可能です」
「体の方はどうなっている」
「戦闘行動に支障はありません」
「……そうか」
 アオイは改めて自分の迂闊さを呪ったが、今更どうなるものでもない。それよりも今ここで相手に逃げられてしまう方が失態だろう。
「よし、これから別行動を取り索敵を行う。奴が捕獲対象だ。先程の戦闘で分かるように奴はこちらへの決定力を持っていない。見つけ次第捕獲せよ。それができなくても0300にポイントAに集合。以上だ」
「Aye-aye,ma'am」
「それともう一つ。私を庇うな」
「その命令は受け付けられません。上位命令により規制されています」
「同じ事を二度言わせるなと教えたろう。私を庇うな!」
「Aye-aye,ma'am」
 任務を果たすべく駆け出した猟犬はたちまち吹雪の彼方に消えていく。自分も猟犬になるべくアオイも別方向に向かって移動を開始した。周囲への警戒を怠らないようにしつつ、アオイは思考を巡らせた。
 先程の狼の獣人。確たる根拠はないものの、アオイの勘は間違いなく彼が獣人たちのリーダー、自分の「兄弟」だと告げていた。雪とは異なる白を身に纏い、人工の赤とは違う紅に輝く瞳。おそらくアルビノであろう彼には何か独特の雰囲気があったが、それをカリスマと形容することをアオイは避けた。
「……ち」
 舌打ちをしてアオイは走り出した。一刻も早くクソッタレなあいつを見つけ出して捕獲して、それから獣人たちを皆殺しにする。そこまでして、やっと自分は父親への復讐を達成し、新しい人生を歩むのだ。新しくて、きれいで、マトモな自分のための人生を。




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最終更新:2009年07月05日 00:57
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