Sköll's Episode#3


 例の獣人マニアが研究所に来なくなってから3日目を迎えた。
今は忙しい時期ではないので奴がいなくてもそれほど困らないが、嫌な雰囲気ではある。
ウザい人は、その場にいないだけでもウザいのだ。

 相方は相変わらずスコルに不必要な単語を教えて遊んでいる。
べつに研究室に自分達二人しかいない時なら、どんなに卑猥な言葉を吐こうが気にはならない。
しかし、あいにく昨日から女性研究員が一名、助っ人としてやってきたので気が気でない。
相方のエロ言語の複雑化が進み、スコルに複乳萌えを説明するに至っている。
絶対に、変な目で見られている自信がある。

 女性研究員はレラと名乗った。
聞き覚えの無い名前だった。女性そのものが研究所界隈では少ないので大抵は名前だけでも覚えているものだ。
どこの研究所から赴任してきたのだろう?
背が高く線の細い女性だが、なにより目を引くのが機械的で大きな眼鏡だった。
眼鏡はツルが太くこめかみの部分で頭部と融合しており、彼女が「改造」された人間であることを物語っている。
眼鏡と白い皮膚の接続部分を隠すように長く艶やかな黒髪を垂らしている。

 レラはスコルの記憶演算システムの制御を担当しにやって来た。
ついでに保健所との連絡も彼女にやってもらうことにしてある。
この研究所はもともとバイオ系の研究開発をしており、機械系、特に情報処理分野に長けた人物が少なかった。
まして今時期はほとんどの研究員が休暇をとっており、一時的に人手不足となっている。
彼女は機械。機械は休まない。

 休む間もなくタイピングの乾いた音が響く。
無表情のままレラは画面をみつめ、目にも留まらぬ速さでキーボードを操っていた。
不意に画面が暗転し、彼女の顔と自分の顔が映り込んだ。

「いま、私を見てた」

驚いて目をそらすと、彼女が初めてクスリと笑った。
かたわらで相方のニヤニヤした視線を感じる。

「見ての通り、私は半分機械なの。 でも半分は人間だから」
「ごめん」
「いいの。ここは居心地がいい。ここには人間がいる」

 情報系の研究員はほとんど彼女のような半機械人間ばかりだと聞く。
人間の脳よりも機械の回路の方が都合がいいのだ。
体を改造し機械として生まれ変われば、限界を超えた職務をこなせる様になる。
しかし、同時に人間として何かを失うような切なさがあるように思える。
感情の無い、静かで暗い職場を想像した。

画面に光が戻り、彼女は作業を開始した。
仕事をしている横顔は、やはり若干冷ややかな印象を受ける。

「ほんとうは、機械に改造された獣人がどんなふうになるのか見てみたくてここに来たの」

 エンターキーを軽やかに押すと彼女は立ち上がり、スコルの元へ歩き始めた。
スコルは礼儀正しくお辞儀をした。

「優しそうな獣人なのね」
『スコルと申します、以後よろしくおねがいします』
「もっと乱暴な獣人を想像してた」

彼女はスコルの鼻を指で小突いたあと、席に戻り眼鏡を外した。
外れないと思っていた眼鏡が外れたので、少々驚いた。
度の高い眼鏡の内側に、米粒大の小さな数式が明滅しているのが見えた。

「めずらしいかしら?」
「すごい眼鏡ですね」
「そう?」

 相方は眼鏡をまじまじと見つめた後、怪訝な顔をした。
失礼な男は犬の相手でもしていろ。

「この研究所に、屋敷の息子さんがいると聞いたのだけれど」
「奴は無断で欠勤しています」
「そう、その子のお姉さんと私は同期だったから、挨拶しようと思ったのだけれど」
「奴は裏切り者ですよ、人間より獣人が好きな奴です」
「知ってる」

 静かに、そして冷たく微笑んだ。
瞳孔が開き虚空を見つめている、彼女の目には光が無いとわかった。

「お姉さんは良い人だったんだけれど」
「……」
「レジスタンスに加盟してしまったのよ」
「家族揃って裏切り者、でしたか」
「そのようね。 私をこんな体にした獣人が赦せない」

 レラは態度が豹変していた。
優しそうな顔は、怒りと憎悪でゆがみ、目の下のくまが強調された。
ようやく妙な雰囲気に気付き、相方がスコルいじりをやめて、話を聞きにきた。

「私の目は獣人にやられたの・眼鏡がなければ目の前は闇。その闇の中に私を襲う獣人が焼きついてる」
「……」
「だから私、獣人を駆除するって決めたの。今の職に就いたのは、そのためね」

 煮えたぎった怒りが肌に突き刺さるように感じる。段々とレラが怖くなってきた。
機械の持つ無感情の冷たさと、人間の持つ怒りの火が共存している
どんな言葉をかけて良いかわからず、自分は沈黙してしまった。

 突如、PCから放たれるアラート音で静寂は破られた。
レラが眼鏡をかけなおし、画面に向き直る。

「フェンリルの現在位置座標のデータが取得できない」
「なに?」
「もう一人、教育係の付き添いかしら? その人も消えたわ」
「消えた? 二人とも襲撃されたのか?」
「まじで? どうなってる?」
「そんな! 最後に報告されている状態データによると、一部損傷はあるものの致命的なものではなかったはずなのに」
「衛星側の誤作動では?」
「衛星が誤作動してたらここにこの情報は届いてないよ」
「くそっやられたか!」
「おちつけ、まだやられたと決まったわけじゃない、情報が途絶えただけだ」
「ずいぶん山の中ね、廃止された駅が近くにあるみたいだけど、ここがどこなのかよく分からない……」
「どこの山だ? 名前は?」
「名称は記載されていないみたい。とにかく山よ。 旧スキー場と農村に続く川が一本あるわ、駅があったところね」

 農村、川、廃駅、スキー場……

「レラさん! 近くに滝は?」
「ある。多分川のこの部分が滝ね。等高線の間隔がかなり急になってる」
「第12研究所C棟付属ミネラル研究所跡地だ、うちの爺さんが勤めてた場所」
「そんな場所、どこにも無いわよ?」
「略して『跡地』だ。ボロいし古いし名前長いし、なんにも研究してないからデータに残ってないと思うけど」
「……なんだよそれ」
「調べれば分かるよ、滝のすぐそばに微生物の研究所があったんだ」

 相方は溜息をついているが、自分には確信がある
フェンリル一行は、獣人の本拠地を目指して行ったのだった。
この近くでスコルの元となる獣人が見つかったのだから、本拠地が近いのは確かだ。

 獣人が隠れられるような自然豊かな地域で、なおかつ、獣人製造が可能な小さな工場がある。
「跡地」は時代遅れのお粗末な施設しかない場所とは言え、獣人の細胞を培養するには十分の場所だ。
もともと浄水場のバクテリアを遺伝子組み換えで作っていただけだが、やっていることはまさに遺伝子操作。
正常な空気も水も揃っている。
爺さんが退職してもう半世紀も経っている。いまや遺跡のようになっているだろう
研究所の恥さらし「跡地」は、もはや研究所協会からも政府の保健所からも除名されており、
だれの記憶にも残っていなかった。
人間の目を掻い潜って存在し続け、そして、獣人の本拠地になった可能性はある。

「保健所の本部に座標データ送信完了」
「仕事が速いな」
「どうします? おじいさんの研究所についても言及しておきますか?」
「だめもとで、送ってみてくれ」

 フェンリルと教育係が消失した地域の近くに獣人の本拠地になりえる研究所があったこと。
この情報を保健所に送れば、こんどこそ獣人を根絶やしにできる。
レラが「跡地」についての文章を打ち始める。

 そのとき突然、研究所のドアが開け放たれた。



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最終更新:2009年07月05日 01:04
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