二階俊博とグリーンピア南紀の闇



昭和55年から、日本経済の市場解放が始まり、バブル景気は、昭和63年(1988年)に絶頂になった。

年金福祉事業団の還元セールスのように、全国に被保険者や年金受給者などのためのリゾートホテルを建設する計画が立てられた。年金福祉事業団は、大切な国民の年金掛け金の運用を預かる公的機関だ。従って、運用対象を拡大するのは、政治の意思と推進が働いたことに他ならない。

和歌山県のリゾートは、那知勝浦のグリーンピア南紀だった。

当時、市場解放後のバブルで、円高が進行し、日本国民の海外旅行熱も一挙に高まった。余暇の産業化とか、観光事業が脚光を浴びる時代だった。

そういう時期の平成2年(1990年)、二階俊博議員は、海部内閣の運輸政務次官になっている。

運輸省は、航空行政を預かる官庁だ。二階議員が運輸政務次官に就任する前年の、平成元年(1989年)、関西空港が完成している。運輸政務次官就任は、

関空開港とピッタリ歩調が合った任命だった。


小泉政権が誕生し、行財政改革元年の平成13年(2001年)、バブル期に政策立案された全国のグリーンピアを、

平成17年(2005年)までに廃止することが閣議決定された。

この小泉改革の13年度に、それまで、厚生年金、郵便貯金、簡易保険で国民から集めた資金が、「財政投融資資金」という名目で、いろいろな国家プロジェクトに投資されてきた。小泉改革は、「財投債」発行して、その資金を国家債務勘定に繰り入れ明確にした。

そして、その金額が44兆円に達していたことは、先の「国債」の項でみた。このグリーンピア南紀も、その財政投融資事業の対象の一つだった。


グリーンピア南紀は、

平成15年(2003年)経営が行き詰まり、

インターネット・ウィキペディアによると、つぎのように紹介されている。

「グリーンピア南紀(和歌山県)の跡地開発をめぐり、所有する那智勝浦町に中華人民共和国のリゾート会社「香港BOAC」を紹介したのは、地元政界に強い影響力を持つ二階だと報じられている。

跡地は賃貸後の2015年に無料で業者へ譲渡されるという異例の契約となっており、地元で批判が高まっている。グリーンピア跡地の大半が公募で請負先を決めている中では異例だった。
その後、資金難を理由に開発計画を先延ばししようとしたペーパーカンパニーの疑いが濃い香港BOAOに対して 那智勝浦町議会は、債務不履行を理由に契約解除を決めたが、違約金等で長引く可能性があり、そもそもこのような会社を紹介し、圧力をかけた二階氏に対する疑問の声は地元ですら多い。

香港BOAO側も那智勝浦町長も二階氏に紹介されたと証言しており、自分は関係ないとする二階氏の態度に疑問がもたれている。」


つまり、勝浦町は、小泉改革でグリーンピアの廃止期限となった平成17年(2005年)、

中華人民共和国香港会社「香港BOAC」と、グリーンピア南紀の10年の請負契約を結んだ。

が、その契約は、今現在履行されないままという。更に、契約期限の平成27年(2015年)に、無償で、業者へ譲渡されるというのが、インターネット情報だ。

この香港BOACとの契約の中身や、期限での譲渡先業者が何処の、誰なのかも明らかではない。平成21年8月の国政の政権交代後、

9月の町長選で初当選の那智勝浦町長が、その2ヶ月後の11月に自殺したとインターネット情報に出ている。自殺の背景はわからない。


白浜パンダの10年契約の方の期限は、平成15年(2003年)だったが、

「ふるさと一番」のパンダを見て、この賃借り契約は更新されていることは明らかだ。

ただ、10年1000万ドルなのかどうか、更新条件は分からない。この一連の商行為への二階議員の関与の程は分からない。 (つづく)
最終更新:2011年03月09日 12:02