Miscellaneous

項目を立てるほどでもないネタを。


水幡氏の公開質問

「NDが答えられない質問」らしい。

「ヒト起源」公開質問1

(evolveMLで言語進化研究者の岡ノ谷氏に、jeconetMLで進化学会会長の嶋田氏に、QualiaMLで参加者の一人に)
■質問1■
「ヒト種」ではなく「ヒト」をどのように生物学的に定義されますか?それは「ヒトゲノムの表現形」でいけないとするならなぜですか?
■質問2■
既存の「ヒト起源」は、チンパンジーとの差異化の起源ではないですか?どうしてチンパンジーとの差異化の起源が「ヒト起源」なのですか?もしそうなら、チンパンジーとのゲノム差であるヒトゲノムの2パーセント未満でヒトという存在が説明できることになります。ヒトゲノムのその2パーセントが機能すれば、ヒトが存在として成立するとでもいうのでしょうか?
■質問3■
ダーウィニズムは「ヒト種」概念と「ヒト」概念を混同してませんか?ヒト種概念は時系列上の「一つの種ステージ」に限定されるのではないでしょうか? 一方、ヒト概念は、時系列上の全ステージ、すなわち38億年のヒト祖先の歴史(「ヒト生態史」)を包括した存在概念ではないでしょうか?
すり替えのない解答をお願いします。

進化学に未来はあるか(evolveML参入後2信め)

一般の人々の疑問を無視した“進化学”に、はたして未来はあるのか。この問いに答えて下さい。

Pocoチ~ン公開質問 (続々・博之氏がスレ 46~)

動物においてPoco チ~ンは、競争原理を高めるブースター的機能を持っていると考えられます。そこでダーウィン派への質問です。
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Pocoチ~ンは、何で雄だけについているのですか?
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※個体間の生存競争で進化を説明するなら、雄雌関係なしに生存競争するはずです。だったら雌にも同じPocoチ~ンがなければオカシイ、、。

禁断の「ヒト起源」公開質問2 (続々・博之氏がスレ 160~)

ゲノム生物学じゃ、ヒト起源はヒトゲノムの起源に一致しなければおかしよ(ママ)なぁ、、。だったら、ヒトゲノムの起源はどこに設定されますか。ダーウィン進化論が正しければ直立二足歩行の開始時点がヒトゲノムの起源か???

禁断の「ヒト起源」公開質問3 (進化論革命がスレ 229~)

◆質問1◆ 「ヒトゲノムの起源」について答えて下さい。ダーウィニズムではそれはヒトとチンパンジーの分岐点にあるということですか?
◆質問2◆ 今日のゲノム生物学では、ヒトゲノムを含むあらゆるゲノムの起源は、最初のDNA生命誕生(38億年前)にあることが、常識だと思います。にもかかわらず、ダーウィニズム(その中核思想としての人類学)では「ヒト起源」をヒトとチンパンジーの分岐点(700万年)前においています。ダーウィニズムは科学(ゲノム生物学)とは相容れない(つまり非科学理論)ということですか?
◆質問3◆ wiki(ママ、Wikipediaのことらしい)に「ヒトとはヒト種に属する生物」とありますが、その「ヒト種」とは何でしょう。ダーウィニズムでは同語反復でしかヒトを定義できない。すなわち「ヒトとはヒトである」としか言えないのでしょう???
「答えよ!」と迫りつつ「答えないでくれ」と切実に祈ってるのではなかろうか。そうすれば、べつのところで「奴らは答えられなかった」と言いふらすことができる。その辺の水幡氏の気持ちが表れたのが、次のような発言であろう。
あなたが「ヒト起源」公開質問に答えるか否かは自由です。しかしながら、もし答えずに逃亡したなら、当スレ読者は皆、「ダーウィニズム=種もヒトも定義できない非科学進化論」とみなすでしょう。もっとも、正直に答えれば、「ダーウィニズム=種もヒトも定義できない非科学進化論」を自ら認めるということですが、、。
(進化論革命がスレ 230)
続々・博之氏がスレでは、もう誰かがちゃんと答えてるのに無視して、
「pocoチ~ン公開質問」に答えられないなら答えられないで、ちゃんと認めればいいのに、、。
(73)
あのなぁ、、「ヒト起源」公開質問に答えられないなら答えられないと一言書けばそれですむでしょう。
(161)
と先を急いでいる。


水幡氏の「失敬な依頼」集

挙げればきりがない。水幡氏の場合、依頼内容が失敬なのもさることながら、依頼する相手の選び方が絶妙である。


水幡氏の反省

けっこう珍しい。珍しいだけでなく、全く後を引かない。
▼これでは、それだけで進化学会に誰も足を向けなくなるかもしれません。今年度大会もまた、誰も人が集まらない部屋で、たった一人で新今西説の旗を立てて終わる。
そういう光景が我ながら見えたような気がします。これではいけない。なさけない。

今年度は進化学会企画提出を止め、理論に専念します(中略)“ハンド・ウェーヴィング”では、成就できる「革命」も成就できなくなる。その辺が茂木さんのメッセージには込められていると読みました。この年齢になって、何でこんなことが気がつかなかったのか。長年蓄積したはずの習得記憶(経験)がまったく「生物学的我」演算処理に生かされていない。

やはり理論を議論するにも、論者の人間性が信頼できないと、議論する気になれない。そういうことだと思います。私としてはハンド・ウェーヴィングを回避する鍛錬と共に、ミラーニューロンの働きを回復をせねばなりません。そうでなければ当MLで「生物学的意識定義」第3ラウンドどころの話しではなくなってしまいます。野元さん、丁寧なご忠告、本当にありがとうございました。茂木さん、まったくなさけない話しですが、懲りずに再び醜態をさらしてしまいました。お詫びの言葉もございません。

本当に面目ない。あなたにはあれだけ注意されながら・・・。これでは「進化論革命家」を返上し「新しい進化論研究家」を名乗った意味がまったくない。分かっちゃいても、、長年のルサンチマンのほとばしりを、時々押さえ切れなくなる時がどうしてもある。これでいいなどと開き直るつもりは毛頭ないが、、、これはほとんど自分でもなさけない病気だ。どうか哀れなオヤジの心の発作だと思って、勘弁してやってもらえんか、、、。

 それにしても、こういう事態に直面してすぐ思い出したのは、今年3月末に茂木健一郎氏からもらった言葉です。すなわち「ウェーヴィング・ハンド」、つまり相手に対して手振りしながら無理やり説得するようなやり方は最悪だと。それでは相手に伝えたいことが伝わらないばかりか、相手の拒絶を喰らってしまうと。

 結局、私はあの時の教訓を、今回生かせなかったのだと思います。あの時も随分深く反省したつもりではいました。しかし、あの時構築したはずの脳判断系内のプログラムが、今回の私の「ウェーヴィング・ハンド」を制止できませんでした。

(中略)

 私は、普段はある程度冷静に物事や相手の気持ちも考えながら行動していると思います。しかし、“自分の思想”を人に伝えようとする際の“高揚感”を制御するプログラムは、まだ私の脳判断系内では未完成です。

 後から振り返れば、いつもあの“高揚感”の中で過去の教訓を忘れ、“大失敗”を繰り返しています。3月末の例のクオリアMLでの事件しかり、そして今回もしかりです。まだ長い「進化論革命」への道のりを考えると、これではいけません。



水幡氏の「良かった探し」

ポリアンナさんもしのぐ。無敵。
773 名前:sayonara1859 ◆D2redzDiAI 投稿日:2007/04/02(月) 10:42
771は瀬古ラム也だな、、、。c05年5月にヤフーで出会って以来のつき合いじゃないか。昨年の今頃、ラム也がヤフーで水幡の「砂倉・五重堀批判」に勇気あるコメントで応じたことは、ちゃんと覚えている。あれは学会サイドの「上池・水幡両企画の応募阻止」を見事に打ち砕く力となった。よって昨年水幡が5・9文書を提出できたのもあんたの勇気ある言動あってのことだ。

  • QualiaMLで水幡氏に対して長文の投稿があった。前半部の1/3程度を抜粋(改行のみ変更)
残念ながら、私は水幡理論を理解していません。進化論は目下、私の関心を外れていますので、勉強する時間もありません。
ただし、NDが、水幡さんの言われる意味で「科学理論」でないことは確かだと思います。これは、近代的な世界観の生物学における表明のひとつに過ぎません。
ふたたびただし、反証可能性のある科学理論など、存在しません。これはもはや、現代の科学基礎論の常識です。事実と論理による決まった手続きで、学説を立証したり反証したりすることはできません。
この書き込み自体、科学論のかなり粗雑な素描だが、水幡氏の説に賛同しているわけでもないし、興味を示しているわけでもない(その辺は、引用部分の後を見れば、なお明らかである)。都合のいいところしか眼に入らない水幡氏は、この書き込みを温泉で発酵させて、水幡氏は「 未 代 」を発想した

  • 2007年8月の進化学会大会で口頭発表したときに、質疑応答の締めくくりに、座長の佐藤氏から次のようなコメントを受ける。
どういうふうに何を解釈しようが一向に構いませんけども、150年前に起こったことを間違っていたとか言うことはできないと思うんで、その辺の言葉使いを注意されて、もう少し水幡さんにおいて理論武装しながら、今おっしゃりたい、自分が進化を本当にどう考えるのかということを述べていかれるのがいいんじゃないか。というのが、私のコメントです。
「ダーウィンの著作をあげつらうより自分の説をちゃんと展開してね。ついでに、もっと勉強もしてね。今日は、ここで終わりにしようね」と言われているだけだと思うのだが、水幡氏は、「座長自身がコメントをするのは異例」「内容をちゃんと受け止めている」「ND派の策謀を拒否する宣言だ」と解釈したようだ。
(水幡氏ブログ2007/10/30)



Yahoo掲示板に見る水幡氏への質問と回答

Yahoo掲示板で某氏に問いかけられた質問群。某氏は水幡氏の説にもっとも誠実に疑問を投げた人物であり、Yahoo掲示板での最大の被害者。この質問群と水幡氏の答え(あるいは答になっていない返事)は、水幡氏の理論に多くの人が当然抱くであろう疑問と、それに対して水幡氏がどのように応じるか、を凝縮したものになっている。
なお、某氏の質問の全て、水幡氏の回答の一部は文意を変えないように要約・改変してある。某氏は水幡氏に発言をあちこちに無断でコピーされた経緯があり、さらにここでコピペされるのを好まないと考えられるためである。水幡氏のは無駄に長いため。
  • Q1 「確率淘汰」と「自然選択」はどこが違う?(Q1~9は2005/04/11)
    • A1 自然選択は細菌のみ。となると、"選択"selectionは、情報処理システムのないところには働かないから、確率淘汰という言葉を使うのが妥当 (2005/04/25)
  • Q2 「ダウンロード」とはどのような現象なのかを簡潔に
    • A2 ダウンロード(史得入力)とは、 感覚器官を使わずに、ゲノム制御によって史得記憶を脳プログラムとして入力する現象を指します(2005/05/02)
    • さらに詳しいが理解不能な回答 (2005/05/27)
  • Q3 「史得記憶」とはどのような記憶を指すのか、具体例も
  • Q4 なぜ「有性生殖種」だと「自然選択」が働かないのか?
  • Q5 「行動パターンを決める遺伝子」という表現なら存在を認めますか?
  • Q6 「一夫一妻」の生物は進化しないの?
    • A6 新今西理論では、一夫一妻や乱婚では進化は停止した状態です (2005/06/28)
  • Q7 「交配競演」とはどのような現象か、簡単な定義を。昆虫、魚類、における「交配競演」の例を数例希望。
    • A7 交配競演は雌雄ある種脳を持つ動物に観察できる。それは、ある形質・能力(=性成熟時の「獲得必要形質」)をめぐって雄間で競争し、雌たちとの交配優先権者を決める一連の交配前行動である。この行動により、動物たちは人為選択なしに継代的な意図的交配選択が可能となる。 (2005/06/28)
  • Q8 新しい「種社会の旗」が決まるのは偶然?それとも何らかの必然性(生存に有利etc.)による?
    • A8 要約不能の回答 (2005/06/30)
  • Q9 大脳皮質が発達していない生物(昆虫、魚類、爬虫類、両生類など)が「クオリア」や「美意識」などの検証不可能な(動物になってみる以外にない)主観感覚を持つという前提は「反証不可能」では?
    • A9 質問自体がおかしいと思われませんか?パラダイムの違いを無視して既成人文用語で質問されても、意味が通じるわけがありません。反証可能性云々以前の問題です。
  • Q10 雌の脳が外見から認知できない単一の遺伝子変異、たとえば鎌状赤血球症がアフリカの特定地域に偏在するようになった事実をどう説明する? (2005/04/30)
  • Q11 「もちろんこの「継代後遺伝」とは、ウォディントンが見いだした「遺伝的同化」と新今西の「種社会選択」(特定の交配優先権ルール(MPR)の下の、種脳による継代的な意図的交配選択)が合体したものといえる」とは具体的にどう合体した? (2005/05/20)
    • A-all まずはこれまでの私との熱意あふれる討論にお礼申し上げます。これまでの討論で、「新今西進化論」にどれだけ“理論的磨き”をかけれたか分かりません。本当にありがたいことです。…討論も、今や最大の難所に直面しているように思います。二人でこの難所を乗り越えられれば、このまま討論を続けられるでしょう。しかし、乗り越えられなければ討論は永遠に平行線で、これ以上続けても展望があるとは思えません。この最大の難所にネーミングするなら「パラダイム越えの峠」でしょう。 (2005/06/04)
質問に答えないのはふつうなら負い目に感じるところなのだが、水幡氏は、答えないことで相手に対して優位に立った/答えないことが相手に対する取引材料になると(何故か)考えている。


水幡氏とルイセンコ

ルイセンコについてはトロフィム・ルイセンコルイセンコ論争(ともにウィキペディア)などを参照

共通点

  • 科学的には多くの間違いを含んでいた
  • 政治的な権威によって自説を正統化し、反対説を棄却しようとした(ルイセンコはときの権力者スターリンの支持、水幡氏は学会・裁判所・マスコミなどによる「決着」を要求している)。

相違点

  • テレビ・読書(一般書のみ)と思索だけに基づく水幡氏と違い、ルイセンコは基本的に栽培技術者であり、ルイセンコ説は「春化処理の効果」という現象の間違った解釈を共産主義のイデオロギーにすり寄せたものであった。
  • 一回もモテたことのない水幡氏と違って、ルイセンコは最初のうち(だけ)は栽培技術上の成功を収めた。
  • ルイセンコはソ連の農業・生物学に大きな被害をもたらした。

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最終更新:2008年01月09日 19:00
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