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ja
2012-05-26T14:59:57+09:00
1338011997
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書物/本物のバレンジア 第3巻
https://w.atwiki.jp/oblivionlibrary/pages/276.html
#blockquote(){本物のバレンジア 第3巻
著者不明
数日のあいだ、友人に会えないという悲しみにバレンジアの心は沈んでいた。が、二週間もすると少しは元気を取り戻しはじめていた。こうしたまた旅ができることが喜ばしくはあったが、ストローがそばにいないという喪失感はことのほか大きかった。護衛についていたのはレッドガードの騎士団で、彼らのそばにいると心がなごんだ。かつてともに旅した隊商の衛兵に比べると、ひと回りもふた回りも規律にうるさく、礼儀をわきまえてはいたのだが、バレンジアのおふざけにも気さくに、それでいて敬意を忘れずに応じていた。
シムマチャスはこっそりと彼女を叱りつけた。女王たるもの、ひと時たりとも王族の威厳を忘れてはなりませんと。
「いっさいのお楽しみはおあずけってこと?」と、バレンジアはすねながら訊いた。
「その、ああいう輩とはいけません。女王の沽券にかかわりますから。権力者に求められるのは典雅さであって親しみやすさではないのです。帝都ではいつもしおらしく、慎ましくなさるように」
バレンジアは顔をしかめた。「ダークムーア城に戻ったほうがましかもね。エルフはね、生まれつき淫乱なの。みんなそう言うわ」
「なら、みんながおかしいのです。淫乱なエルフもそうでないエルフもいる。皇帝としても私としても、あなたには見識と良識を兼ね備えていただきたい。お忘れでしょうか、女王様。あなたがモーンホールドの王位に就けるのは血筋の力ではなく、タイバー・セプティムのご意向だからですぞ。皇帝が不適格とみなせば、あなたの統治は始まるまでもなく終焉を迎えます。皇帝は知性、服従、分別、それに絶対的忠誠を部下に求められる。とりわけ、女性には純潔さと謙虚さを要求されるお方だ。女王様にはぜひとも、ドレリアン嬢の立ち居振る舞いを見習っていただきたい」
「ああもう、ダークムーアに帰りたいわ!」と、バレンジアはいらついて言い放った。冷静沈着でぶりっ子なドレリアンの真似をするなど願い下げだった。
「あきらめるんですな、女王様。あなたの価値がなくなれば、皇帝は自分の敵にとってもあなたの価値がなくなったと考えるでしょうから」と、将軍は大仰に言った。「用済みにされたくなければ言うことを聞くんですな。さらに付け加えるなら、権力のもたらす喜びには淫蕩やちんぴらのどんちゃん騒ぎの類は含まれませんぞ」
シムマチャスは芸術、文学、演劇、音楽、それと宮廷での華やかな舞踏会のことを話しだした。バレンジアは興味がわいてきたように聞いていたが、脅されてしぶしぶそうしているわけでもなかった。が、あとになっておずおずと効いてみた。帝都でも魔法の勉強を続けられるのかしら、と。シムマチャスはこの質問に気を良くしたようで、手はずを整えようと約束した。それで勢いがついたのか、彼女はさらに続けた。護衛の騎士のうち、三人は女性だから、あくまで練習をするために彼女らとちょっとでも訓練をすることはできないものかしら、と。これには将軍はさほどいい顔はしなかったが、いいでしょう、と請け合った。ただし、その三人の女性とだけですよ、と念を押した。
その年の晩冬は晴天続きだった。いささか寒さは厳しかったが、旅の終わりにかけてはしっかりした街道を駆け足で旅することができた。旅の最終日には雪解けの気配もうかがわれ、ようやく春が到来したようだった。街道はぬかるんで、あちらこちらから水の流れる音やしたたる音がかすかに、だが途切れることなく聞こえてきた。歓迎の音だった。
&nowiki(){***}
陽が沈むころ、一行は帝都とを結ぶ立派な橋のたもとまでやってきた。大都市にそびえる鮮やかな白い大理石造りの巨大な建物が、ばら色の夕日に照らされてほのかなピンク色に染まっていた。どの建物も新しくて壮麗で一点の曇りもなかった。北に向かう幅広の大通りが王宮まで続いていた。ゆったりとした中央広場には、容姿も種族も異なる人々が集まっていた。夕闇が迫ってくると商店の火は消され、宿屋の火は灯された。一番星がきらめき、さらに二つ、三つと輝きだした。裏道でさえも広々としており、美しい光が踊っていた。王宮のそばでは、東側に圧倒的な魔術師ギルドのホールがそびえ、西側では巨大な礼拝堂のステンドグラスの窓が余光に照り映えていた。
シムマチャスは王宮から少し離れた神殿(将軍はそばを通るときに「最高神の神殿」、と紹介した。皇帝の信仰する古代ノルド人の異教らしく、彼に認められるようバレンジアも信者になったほうがいいということだった)を過ぎたところにある豪邸にいくつか部屋を持っていた。王宮は豪華絢爛だったが、バレンジアの趣味ではなかった。外壁も調度品も美しい純白で統一され、引き立て役としてくすんだ金色がささやかながら使われていた。床には鈍い輝きを放つ黒の大理石が用いられていた。バレンジアは自らの瞳が色彩やら繊細な陰影の交錯やらを欲しているのを感じた。
翌朝、シムマチャスとドレリアンはバレンジアを帝都の王宮まで案内した。バレンジアは誰かに出くわすたびに、彼らがシムマチャスに丁重な敬意でもって、人によってはほとんど媚びへつらうかのように挨拶することに気づいた。将軍にとっては毎度のことらしかった。
彼らは直に皇帝のもとへ通された。細かい枠で仕切られた大きな窓から差し込む朝日が小部屋を満たし、豪勢な朝食の並んだテーブルとそこに逆行を受けて座っている一人の男を照らしていた。一行が部屋に入ると、男はすっと立ち上がって駆け寄ってきた。「おお、わが忠実なる親友シムマチャス。そなたの帰還を心より歓迎しよう」男はその手でシムマチャスの肩をそっと懐かしむように触れると、彼がとっていた礼式的な深く片ひざを曲げる表敬の姿勢をやめさせた。
タイバー・セプティムが振り向くと、バレンジアはひざを曲げてお辞儀をした。
「バレンジア、わがおてんばの脱走娘よ。ご機嫌はいかがかな? さあ、もっと近くで顔を見せてくれ。なんと、かわいらしい。シムマチャスよ、実にかわいらしい娘さんではないか。どうして何年も隠しておったのだ? どうした、光がまぶしすぎるかね? カーテンを閉めようかね? もちろん、そうしよう」制止しようとするシムマチャスを手であしらい、皇帝みずからカーテンを閉めた。召使いを呼ぶまでもないと言わんばかりに。「われらの非礼をどうか許しておくれ。考えることが多すぎて、もてなしの心を忘れてしまったらしい。もっとも、そんなのは空しい言い訳でしかないが。おおそうだ、こっちへきなさい。ブラック・マーシュ産の最高級ネクタリンがある」
彼らはテーブルについた。バレンジアはばかされたような気分になっていた。実物のタイバー・セプティムは思い描いていたようないかつい顔をした巨体の戦士とはほど遠かったからだ。背丈は平均的で、のっぽのシムマチャスと比べると頭半分ほど低かった。皇帝のほうががっしりしていて身のこなしもしなやかだったが。愛嬌のある笑み、射抜かれてしまいそうな青い瞳、ふさふさの白髪にしわだらけの年老いた顔。四十歳とも八十歳ともとれそうな容姿をしていた。一行に食事と飲み物をすすめて、数日前の将軍と同じように彼女に問いかけた。どうして逃げたりしたのかね、後見人に冷たくあしらわれたのかね、と。
「いいえ、閣下」と、バレンジアは言った。「そういうわけではありませんわ。時折、そうした想像をふくらませてはおりましたが」バレンシアは、シムマチャスが筋立てた物語を話していた。そこにはいくらか疑わしい箇所もあったが。馬屋番のストローに言い聞かされましたの。後見人がふさわしい夫を見つけられないからと、リハドの内妻として私を売り飛ばそうとしていると。そうしていよいよレッドガードがやってくる段になって、頭がこんがらがってしまい、ストローと逃げ出したのです。
バレンジアが隊商の護衛としての暮らしぶりについて語りだすと、タイバー・セプティムはうっとりと聞き惚れていた。「なんともはや、バラッドではないか!」皇帝は言った。「最高神の名において、宮廷詩人にメロディーをつけさせよう。さぞかしかわいらしい少年だったことだろうな」
「シムマチャス将軍は──」バレンジアは一瞬だけまごついたが、なんとか先を続けた。「将軍は、とても少年には見えないとおっしゃりましたわ。この数ヶ月でぐんぐん成長したものですから」そう言ってうつむいた。乙女の恥じらいをうまく表現できているかしらと思いつつ。
「われらが親友、シムマチャスの目はごまかせんからな」
「浅はかな娘だったと心底思いますわ、閣下。どうかご容赦くださいませ。後見人にも迷惑をおかけしたと存じております。だいぶ前から自覚はしていたのですが、わが身を恥じるあまり家には戻れませんでした。しかしながら、閣下、私はもうダークムーアに戻りたいとは思いません。モーンホールドが恋しいのです。わが故国に心を奪われているのです」
「われらが愛娘よ、もちろん故郷へ帰れるとも。が、しばらくは帝都に留まって準備をしなければならん。これから背負うことになる粛々たる使命のためにな」
バレンジアはかしこまって皇帝を見つめた。心臓が激しく脈打っていた。シムマチャスの言葉どおりに物事が進んでいた。将軍への感謝の念で心がなごむのを感じたが、意識はあくまでも皇帝に向けられていた。「光栄ですわ、閣下。閣下のため、閣下の築いてこられたこの偉大なる帝都のために、及ばずながら努めて粛然とお仕えしたい所存でございます」
&nowiki(){***}
数日後、シムマチャスは暫定的な統治者となるべく、モーンホールドに旅立った。バレンジアの戴冠の準備が整えば、そのまま首相に就任する手はずになっていた。バレンジアはお目付け役のドレリアンと一緒に王宮のスイートルームで暮らしていた。女王にふさわしい教養を一通り身につけるため、数人の家庭教師がつけられていた。そういう生活を続けるうちに、魔法学にはどっぷりとのめりこんでいったが、歴史や政治はまったくもって好きにはなれなかった。
王宮の庭園で皇帝と会うこともあった。皇帝はそのたびに勉学ははかどっているのかとうやうやしく問いかけ、政治への関心が薄いと知るや笑いながらたしなめた。が、いつでも喜んでバレンジアに魔法の素晴らしさを説いて聞かせ、歴史や政治でさえも楽しめるように学ばせた。「彼らは人なのだよ、バレンジア。埃をかぶった事典の中の無味乾燥な事実ではないのだ」
バレンジアの知識が広がるにつれて、皇帝との談論も長く、深くなり、そうする回数も増えた。皇帝は統一タムリエルの展望についても彼女に話して聞かせた。それぞれの種族がばらばらに暮らしながらもひとつの理想と目標を共有し、国民がおしなべて公共の福利に貢献するような国家について。「この世には、善意の心のそなわった誰もが抱いている、普遍というべきものがある」と、皇帝は言った。「それが最高神の教えなのだ。オークやトロールやゴブリン、それにもっとひどいモンスターのような邪悪で残忍な出来損ないと戦うには、われらはひとつにならねばならん」そう夢を語るとき、彼の青い瞳はらんらんと輝いた。バレンジアはただ座って聞いているだけで楽しかった。皇帝がそばにやってきて肩を並べると、くすぶる炎が迫ってきたかのような熱さを肌で感じたものだった。お互いの手が触れ合おうものなら、皇帝そのものが雷撃のスペルと化したかのようにバレンシアの体はびりびりとうずいた。
ある日、思いがけないことが起きた。皇帝はその手で彼女の顔に触れると、やさしく口づけをした。バレンジアはみずからの感情が昂ぶるのを感じて、驚いたようにしばらく身を引いていた。皇帝がすかさずわびた。「そ、そ、そんなつもりはなかったのだが。おまえがあまりに美しいものだから。まったく、なんと美しいのだ」皇帝は寛大な瞳にどうにもならない渇望を浮かべて彼女を見つめていた。
バレンジアは顔をそむけた。涙がほおを流れ落ちた。
「怒っているのかい? 何か言っておくれ、お願いだ」
バレンジアは首を振った。「怒るわけがありませんわ、閣下。あ、あなたを、愛していますから。いけないことだとはわかっていますが、どうにもならないのです」
「朕には妻がいる」と、皇帝は言った。「素晴らしい徳のある女性で、朕の子と未来の後継者の母だ。何があっても妻をないがしろにはできんが、朕と妻とのあいだには何もない。心のつながりが皆無なのだ。妻のおかげで朕は朕以上のものになれるのであろうな。朕はタムリエルでもっとも力があるかもしれんが、もっとも孤独でもあるのだよ、バレンジア」皇帝はいきなり立ち上がった。「力!」と、むき出しの軽蔑を込めて言った。「神々が認めてくれようものなら、朕はわが力のほとんどを失ってでも若さと愛を手にしたい」
「けれど閣下は強く、たくましく、生気にあふれているではありませんか。閣下のような男性とは出会ったことがありませんわ」
皇帝は激しくかぶりを振った。「今はそうかもしれん。それでも今日の朕は昨日よりも、去年よりも、十年前よりも衰えておる。天命が朕の心をさいなみ、痛いほどに苦しめるのだ」
「その痛み、私が癒してあげましょう」バレンジアは手を伸ばしたまま皇帝に近づいた。
「いかん。おまえの純潔を奪いたくない」
「私はさほど純潔ではありませんわ」
「どうして?」いきなり皇帝の声音が不快なほどけわしくなり、眉根が寄った。
バレンジアは口がからからに渇いていた。とんでもないことを口走ってしまった。しかし、もう後戻りはできない。皇帝に見透かされてしまうだろう。「ストローがいたので」と、ためらいがちに言った。「そ、それに、私も孤独でしたから。今も孤独ですわ。閣下ほどお強くはありませんし」そう言って、まごつきながら目を伏せた。「私は…… 価値のない女でしょうか、閣下……」
「いいや、そんなことはない。バレンジア、朕のバレンジアよ。どのみち、この関係はさほど長くは続くまい。おまえにはモーンホールドと帝都に果たすべき義務がある。朕にも負うべき義務がある。だが、しばしのあいだは、お互いを分かち合い、できることを楽しもうではないか。最高神に祈りを捧げて、脆弱なわれらを許してもらおうではないか」
皇帝は黙ったまま、嬉しそうに両手を広げた。バレンジアは彼の胸に飛び込んだ。
&nowiki(){***}
「バレンジア、噴火口のへりで悪ふざけをするようなものですわ」と、ドレリアンは言い諭した。バレンジアは皇族の愛人から交際1ヶ月を記念して贈られた豪華なスターサファイアの指輪をうっとりとながめていた。
「どうして? お互い幸せなのに。誰にも迷惑はかけてないわ。シムマチャスには見識も良識も必要だって言われたけど。恋人にするには最高の人じゃない? それに、良識だってきちんとわきまえてるわ。皇帝はね、人前では娘みたいに接してくるもの」タイバー・セプティムの夜這いについては、ひとにぎりの王宮の人物、つまり、皇帝その人と数人の側近だけが知っている秘密の伝達経路から広まっていた。
「夕食のときなんて、まるで駄犬みたいにあなたにへつらってますわ。女帝と皇太子の冷たい視線を感じませんか?」
バレンジアは肩をすくめた。皇帝とねんごろになる以前から、彼の家族からは虚礼しか受け取っていなかったのだから。そう、陳腐なほどの礼節しか。「だからどうだっていうの。権力があるのは皇帝だわ」
「しかしですね、将来をになうのは皇太子なのですよ。どうか女帝を公の笑いものになさらぬようお願いします」
「夕食の団らんでも夫を退屈させるような妻なのよ、どうにもならないわ」
「人前ではおしゃべりを慎むこと。私の望みはそれだけです。女帝にほとんど力がないというのは事実です。が、彼女を愛している子供たちを敵にまわすのは懸命ではありません。皇帝の寿命はそれほど長くはないのですから」バレンジアのしかめっ面を見て、ドレリアンはすかさず言い直した。「人間は短命なのです。われらエルフは彼らを『一夜草』と呼びます。季節がめぐるたびに咲いては散るものですが、皇帝の家族がすぐに散るということはありません。皇帝に取り入って甘い汁を吸おうと思うなら、家族との仲たがいは避けるべきです。とはいえ、どうやったら本当にわかってもらえるのやら。あなたはまだ若いし、人間に育てられたのですから。あなたが賢く生きる術を知っているなら、あなたもモーンホールドも、もちろん皇帝がおっしゃるように王朝を興したらの話ですが、セプティム王朝の没落を目にすることができるでしょうね。これまでその興隆を目にしてきたように。それが人間のたどる歴史というもの。気まぐれな潮のように満ちては引くのです。人間の街や国家は春の花のように咲き乱れますが、夏もたけなわになればしおれて枯れてしまう。が、エルフは耐えられる。人間の一時間はエルフにとっての一年、人間の一日はエルフにとっての十年なのですよ」
バレンジアはひたすら笑っていた。皇帝との密通が噂になっていることは知っていたのだ。彼女は注目を浴びることを楽しんでいた。女帝と皇太子をのぞけば、誰もが彼女のとりこになっているようだった。吟遊詩人は彼女の黒肌の美しさと愛らしい仕草を歌にした。街は彼女の話題で持ちきりで、彼女自身は恋をしていた。たとえそれがはかないものであっても。はかなくないものなどがあるだろうか? バレンジアは生まれてはじめて幸せを感じていた。毎日が生きる喜びに満ちていた。もちろん、夜の素晴らしさもまた格別だった。
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「私ったら、どうしちゃったのかしら」バレンジアは嘆いてみせた。「ほら、このスカートが入らないもの。腰のくびれはどこにいっちゃったの? 太ったのかしら?」バレンジアは鏡に映るきゃしゃな手足と疑いようもなくぽっちゃりした腰まわりをむっつりとながめた。
ドレリアンは肩をすくめた。「身ごもったようですね、まだ若いのに。人間といつも交わっていたから早熟になったのでしょう。皇帝の庇護を受けている以上、皇帝に打ち明けるしかないでしょう。皇帝のお許しがもらえたら、これからモーンホールドに向かってそこで子育てをするのが最善策でしょうね」
「ひとりで?」バレンジアは膨らんだお腹をさすった。目が涙ぐんでいた。愛の結晶を愛する人と分かち合いたいと体が訴えていた。「そういうことにはならないわ。皇帝は今さら私を手放したりはしないもの。そうに決まっているわ」
ドレリアンはかぶりを振った。それ以上は何も言わなかったが、その顔にはいつもの冷ややかな笑いではなく、思いやるような悲しみが浮かんでいた。
その晩、皇帝がいつもの逢瀬にやってくると、バレンジアはすべてを話した。
「身ごもったと?」皇帝は動揺していた。いや、がく然としていた。「何かの間違いじゃないのかね? エルフは若いうちに妊娠しないという話だったが……」
バレンジアはぎこちなく微笑んだ。「間違いようがありませんわ。だって──」
「主治医を呼んでこよう」
その医師は中年のハイエルフで、バレンジアが確かに妊娠していると診断した。それから、これは前代未聞のことですよと付け加えた。陛下の絶倫さの賜物ですな、とごまをするように言った。皇帝は彼を怒鳴りつけた。
「あってはならんことだ!」と、皇帝は言った。「おろせ。命令だ」
「しかしながら……」と、医師はあんぐりと口を開けて言った。「私にはできません…… ひょっとしたら──」
「できないことはなかろう、このろくでなしのうすのろめが」と、皇帝はぴしゃりと言った。「たっての願いだ」
バレンジアは恐ろしさのあまり目をむいて言葉を失っていたが、とっさに寝床で身を起こした。「いや!」と、叫んだ。「だめ! いったいどういうおつもりですか?」
「バレンジア……」皇帝は彼女のそばに腰をおろした。いつもの愛嬌のある笑みを浮かべた。「すまないね。心からそう思う。が、これは許されんことだ。この件は息子やその息子たちにとっての脅威となろう。どうかわかっておくれ」
「しかし、閣下の子ではありませんか!」と、バレンジアは泣き叫んだ。
「いいや、あくまでひとつの可能性でしかない。その子はまだ魂を授かっても命を育んでもいない。そうなっては困るのだ。許さん」皇帝は厳しい目つきで医師をひとにらみした。バレンジアは震えだした。
「しかしながら、彼女の子です。エルフの子はなかなか生まれません。エルフの女が4度以上妊娠することは極めて稀なのです。たいていは2人しか産みません。ひとりも産まないエルフもいれば、ひとりだけ産むエルフもいます。この子をおろしてしまえば、彼女は二度と身ごもれなくなるかもしれない」
「われらにやや子はできないと言ったのはおまえではないか。おまえの見立てなどあてにならん」
バレンジアはあわてて布団をはぎ取ると、ドアに向かって走った。行くあてなどなかった。ただ、その場にとどまるわけにはいかなかったのだ。だが、ドアに触れることはなかった。目の前が真っ暗になった。
&nowiki(){***}
バレンジアは痛みで目が覚めた。むなしかった。かつてその空虚を埋めていたものが、そこに息づいていたものが殺され、永遠に消えてしまったのだ。ドレリアンはそばで痛みを和らげてくれていた。時折、股のあいだから流れ落ちる血を拭き取ってくれてもいた。だが、むなしさを満たすものはひとつもなかった。空虚さが消えることもなかった。
皇帝は高価な贈り物や立派な花束を送り届けたり、家来を従えて少しだけ様子を見にきたりしていた。バレンジアは初めのうちこそこうした面会を嬉しく思ったが、夜になって皇帝がやってくることはなかった。しばらくすると、会いにきてほしいとも思わなくなった。
数週間が過ぎ、体調が完ぺきに回復すると、ドレリアンがバレンジアに告げた。これからすぐにモーンホールドに移るようにと、シムマチャスが手紙を書いてよこしていた。バレンジアのモーンホールド行きがただちに発表された。
バレンジアは貫禄のある従者と女王にふさわしい嫁入り道具一式を与えられ、盛大かつ感動的な儀式ばった見送りを受けながら、帝都の門を出ていった。彼女の出発にがっくりと肩を落とすものや、泣きじゃくって引きとめることで悲しみを表現する者もいた。だが、悲しみなどおくびにも出さない者たちもいた。}
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&furigana(ほんもののばれんじあ3)
2012-05-26T14:59:57+09:00
1338011997
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書物/本物のバレンジア 第2巻
https://w.atwiki.jp/oblivionlibrary/pages/275.html
#blockquote(){本物のバレンジア 第2巻
著者不明
バレンジアとストローは貧民街に安い部屋を借りて、&tooltip(リフトン){UESPによると"Riften (also known as Rifton)"、スカイリム日本語版ではリフテン}で冬を過ごすことにした。バレンジアは盗賊ギルドに入ろうとしていた。好き勝手に盗みを働いていてはいつか面倒なことになるとわかっていたから。ある日、盗賊ギルドの名の知れたメンバーのひとりと酒場で目が合った。若さあふれるカジートで、その名をセリスといった。ギルドに紹介してくれたらあなたと寝てもいいわ、とバレンジアは声をかけた。セリスは彼女を見つめてから笑みを浮かべると、いいとも、と言った。が、まずは儀式をこなすのが先決だとも言った。
「どんな儀式なの?」
「ああ」と、セリスは言った。「前払いでたのむぜ、かわいこちゃん」
(この一節は神殿によって検閲を受けている)
ストローに殺される、たぶんセリスも。いったいどういう気まぐれでこんなことをしてしまったのか。バレンジアはおどおどした目つきで部屋を見渡した。だが、他のパトロンはとっくに興味を失って仕事に戻っていた。知らない顔ばかりだった。彼女とストローが泊まっている部屋ではなかった。運がよければ、しばらくはストローにばれずにすむかもしれない。あわよくば永遠に。
&nowiki(){***}
バレンジアはセリスほど刺激的で魅力のある男には出会ったことがなかった。盗賊ギルドのメンバーに求められるスキルについて教えてくれるばかりか、そうしたスキルの稽古もつけてくれた。あるいは、稽古をつけられる人物を紹介してくれた。
その中に、魔術に詳しい女がいた。カチーシャは貫禄たっぷりに肥えたノルドで、鍛冶屋の妻として二人の十代の子供をもうけており、派手さはないが尊敬すべき女性だった。ただし、とにかく猫が好き(論理的に考えれば、その人間版であるカジートも)で、いくつかの魔法の才能があり、変わった友人が多いという特徴はあったが。彼女はバレンジアに透明化の呪文を教えて、隠密行動や変装の技法をいくつか仕込んだ。魔術の才能と魔術のいらない才能を好きなように組み合わせて総合力を高めるということもやってのけた。盗賊ギルドのメンバーではなかったが、セリスのことは気に入っていた。どことなく母性がくすぐられるのだろう。バレンジアは&tooltip(セリス){UESPによると原文は"her"としか書かれていない。セリスは男性である為、カチーシャを指していると思われる}のことが好きになった。女性に対してそういう気持ちになるのは初めてだった。それから数週間かけて、自分のことを洗いざらい彼女に話した。
バレンジアはストローを連れていくこともあった。ストローはカチーシャには好感を持ったが、セリスとは馬が合わなかった。セリスはストローに興味がわいたらしく、バレンジアに「スリーサム(注釈:三人による乱交のこと)」をしないかと持ちかけた。
「絶対にいやよ」と、バレンジアはきっぱりと言った。&tooltip(テリス){UESPによると"Therris"、セリスの表記ゆれ}がこっそりとその話題を切り出してくれたことに、このときばかりは感謝した。「ストローは楽しめないわ。私だってそうよ!」
セリスはとっておきの猫笑いを三角形の顔に浮かべて、椅子の中でだらしなく手足を投げ出し、屈伸運動をして尻尾を丸めた。「きっと驚くだろうに、ふたりとも。ただの交尾ってのはどうにも退屈でね」
バレンジアはにらみつけることで応じた。
「ひょっとすると、君のあのいなかっぺの彼氏だから楽しめないのかも。おれの友人を連れてきてもいいかい?」
「よしてよ。私に飽きたんなら、お友だちと別の女をたらしこめばいいじゃないの」バレンジアはすでに盗賊ギルドのメンバーになっていた。入会の儀式を終えていたのだ。セリスには使い道があるが、どうしても必要というわけでもない。彼女もまた、セリスにちょっと飽きているのかもしれなかった。
&nowiki(){***}
バレンジアは男のことで抱えている問題については、カチーシャに相談してみた。あるいは、バレンジアが問題だと感じていることについて。カチーシャはかぶりを振って、体の関係ではなく愛を求めなさい、と言った。あなたにぴったりの男は会ったときにピンとくるわ、ストローもセリスもあなたにぴったりの男じゃないのよ、と。
バレンジアはけげんそうに小首をかしげた。「みんな言うわ。ダークエルフはいん、いん、いんばいだって」言葉の選択が合っているのかどうかはあやふやだった。
「淫乱って言いたいのね」と、カチーシャは言った。「もっとも、ダークエルフの淫売もいるでしょうけど」と、後から思いついたように続けた。「若いエルフはみんな淫乱なの。でも、大人になれば卒業することよ。ひょっとしたら、あなたも卒業しつつあるのかもね」期待を込めて言った。バレンジアには好感を持っており、どんどん好きになっていた。「けど、素敵なエルフの若者と会ってみるべきね。カジートや人間とつるんでばかりいたら、あっという間に妊娠しちゃうわよ」
バレンジアは想像するうちにほくそ笑んでいた。「楽しいかもね、それも。でも、きっと重荷になるでしょう? 赤ちゃんは世話が焼けるもの。それに自分の家だって持ってないし」
「あなたいくつなの? 17歳? そういうことなら、妊娠するようになるまでにはあと一、二年あるわね。よっぽど運が悪いんでなければ。その後でも、エルフとエルフのあいだには子供ができにくいのよ。だから、エルフと付き合っていればその心配はないと思うわ」
バレンジアは他のことを思い出した。「ストローが牧場を買って私と結婚したいって」
「それがあなたの望みなの?」
「ううん、今はまだ。いつかはそういう気になるのかもしれないけど。いつかはね。けど、そんなことより女王になりたいの。ただの女王じゃないわ、モーンホールドの女王に」と、バレンジアは決然と言った。意固地になっているようにすら聞こえた。あらゆる疑念を振り払おうとするかのように。
カチーシャは最後の発言については聞き流すことにした。彼女のたくましい想像力を微笑ましく思い、健全なる精神の証だろうと受け取った。「ベリー、その『いつか』がやってくる頃には、ストローはきっとお爺ちゃんになってるわ。エルフの寿命はとっても長いから」カチーシャの顔にうらやむような、ねたむような表情がちらついた。エルフが神より授かった千年の寿命について考えるとき、人間はそういう顔をする。確かに、疫病やら暴力やらで命を落とすエルフも多いため、実際にそこまで生きられるものは少ないだろう。それでも、可能性はある。本当に千年生きたというエルフの話もちらほら耳にする。
「お爺ちゃんも好きよ」と、バレンジアは言った。
カチーシャは笑い声をあげた。
&nowiki(){***}
バレンジアは気ぜわしげに身をよじった。セリスが机の書類をていねいに並べていたのだ。徹底的かつ几帳面に、ひとつ残らず元あった場所に戻していった。
二人は貴族の屋敷に押し入ったのだった。ストローには見張りとして外に残ってもらっていた。セリスが言うには、ちょろいヤマだが密やかに進めたいとのことだった。他のギルドの仲間も連れてこないようにと釘を刺していたほどだった。バレンジアとストローなら信頼できるが、他のやつはだめなんだ、と。
「探してるものを教えてよ、見つけてあげるから」バレンジアは急かすようなささやき声で言った。セリスは彼女ほど夜目がきくわけではなかった。しかも、どんなほのかな光でも魔法で灯してはいけないと、彼は前もって告げていた。
これほど贅を散りばめた場所に足を踏み入れたのは初めてだった。彼女が少女時代を過ごしたスヴェン卿とインガ夫人のダークムーア城など比べものにならなかった。バレンジアはごてごてと飾り立てられた音の反響する階下の広間を通り抜けながら、驚きに満ちた視線をあちこちに投げかけた。が、セリスの興味は上階の本に埋もれた小さな書斎にある机だけに向けられているようだった。
セリスは怒りもあらわに指を唇にあててみせた。
「誰か来るわ!」と、バレンジアは言った。すぐさまドアが開き、黒っぽいふたつの影が部屋におどり込んできた。セリスはバレンジアを彼らのほうへ乱暴に押しやると、窓際へ跳躍した。バレンジアの筋肉はこわばっていた。動くことも叫ぶこともできなかった。なす術のないまま、小さいほうの影がセリスを追って跳ぶのをながめていた。青い光が音もなく二度ほどきらめくと、セリスはくずれて動かなくなった。
書斎の外では、屋敷が眠りから覚めたようだった。足音があわただしく鳴り響き、張りつめた呼び声が飛び交っていた。急いで身につけたらしい鎧のきしむ音がとどろいた。
大柄な影は見たところダークエルフの男だった。セリスを半分かかえて半分ひきずりながらドアまで運ぶと、待機していたもうひとりのエルフの腕に押しやった。大柄なエルフが頭をひょいと傾けると、青い法衣を身につけた小柄なエルフもやってきた。大柄なエルフはゆうゆうと歩きながらバレンジアのほうへ近づき、彼女の顔をながめた。バレンジアはなんとか動けるようにはなっていた。動こうとすると頭が割れるように痛んだが。
「胸をはだけてみせるんだ、バレンジア」と、エルフは言った。バレンジアは呆然としながらも、シャツをぎゅっとつかんだ。「女の子なんだろう、ベリー?」と、彼はおだやかに言った。「さっさと男の子の変装をやめなかったのは失敗だったな。かえってひと目を引いただけだった。しかも、ベリーなんて呼ばれてるんだから。お友だちのストローは昔のことをすっかり忘れてしまったのかな?」
「エルフによくある名前だわ」バレンジアはストローをかばって言った。
男は悲しげにかぶりを振った。「ダークエルフはそんな呼び名をつけないもんさ。もっとも、ダークエルフは世俗にはうといのかな。悲しいことだが、きみが悪いわけじゃない。まあいいさ、私が救済してあげようじゃないか」
「あなた、誰なの?」と、バレンジアは問いただした。
「名声なんてこんなものか」男は肩をすくめて苦笑いを浮かべた。「シムマチャスという。バレンジア姫。畏怖すべきわが陛下、タイバー・セプティム一世の帝都軍に仕える将軍だ。あなたを追ってタムリエルを駆けずりまわされたが、まったくもって楽しかった。少なくとも、今は楽しくてしかたがない。いつかきっとモロウウィンドに向かうと思ってたが、運はあなたにあったらしい。ホワイトランでストローとおぼしき死体が見つかってから、二人組みの捜索を打ち切ってしまってね。まったく、とんだ失態だった。まさかこんなに長いあいだ連れ立っているとは考えもしなかった」
「ストローはどこなの? 無事でいるの?」バレンジアは心底うろたえていた。
「ああ、彼なら元気だよ。今のところ。もちろん勾留してるが」シムマチャスは顔をそむけた。「あなたは…… 彼のことが好きなのかね?」そう言うと、いかにも興味たっぷりに彼女を見つめた。彼女にとっては、赤い眼で見つめられるのはなんだか妙な感じがした。ごくたまに鏡で自分の眼を見ることはあったが。
「ただの友達よ」と、バレンジアは言った。彼女の耳には、その言葉はけだるく、あきらめの境地にあるように響いた。まさかシムマチャスとは。帝都軍の将軍その人とは。タイバー・セプティム皇帝の友であり耳でもあると言われている男だなんて。
「ふむ、あなたには何人かの不釣合いなお友達がいるようだが。お気に障られたらお許しを、姫さま」
「その呼び方はやめて」バレンジアは将軍のそこはかとない皮肉にいらついていた。だが、彼は微笑むだけだった。
そうして話しているうちに、屋敷の喧騒はおさまっていった。バレンシアの耳には、おそらく屋敷の住人がさほど遠くないところでささやき合っているのが聞こえたが。のっぽのエルフは机の角に腰かけていた。すっかりくつろいでいるらしく、しばらく帰りそうになかった。
そのとき、バレンシアはピンときた。この将軍は、何人かの不釣合いな友達と言った。つまり、彼女のことなら何でも知っているのだ! いずれにしても結論はひとつだった。「見、みんなをどうするつもりなの? わ、私はどうなるの?」
「ご承知のとおり、この屋敷は管轄の帝都軍司令官の住居でね。ありていに言えば私の屋敷なんだ」バレンジアは息をのんだ。シムマチャスはすかさず顔を上げた。「おっと、知らなかったのかな? そいつはいけませんね、姫さま。いくら若くても軽率すぎる。自分のしていることをしっかり把握しておかないと。あるいは自分が関わろうとしていることを」
「で、でも、ギルドが、ど、どうしても…… どうしても……」バレンジアは震えていた。盗賊ギルドは帝都軍の方針に逆らうような任務に手を染めたりはしない。タイバー・セプティムにけんかを売るような真似はしないのだ。少なくとも、彼女の知り合いはそういうことはしない。ギルドの会員がへまをやらかしてしまった。こっぴどいへまを。これから彼女はその報いを受けることになる。
「言いにくいことだが、セリスがこの件でギルドの承認をもらっているとは思えないね。実際のところ──」シムマチャスは入念に机をチェックして、抽斗を順番に引っぱり出した。ひとつを選んで机に置き、二重底のふたを取り外した。折りたたまれた羊皮紙がしまってあった。どこかの地図のようだった。バレンジアがにじり寄ると、シムマチャスは笑いながらその紙を彼女から遠ざけた。「いやはや軽率なお姫さまだ!」そう言って地図をざっとながめてから抽斗に戻した。
「状況を把握しておけと助言したのはそっちでしょう」
「そうだった、そうだった」いきなり将軍はご機嫌になったようだった。「そろそろ行かないと、姫さま」
シムマチャスは彼女に付き従ってドアから階段へと進み、夜風の中に出た。近くにひと気はなかった。バレンジアは闇に向かって視線を走らせた。シムマチャスを撒けるだろうか、どうにかして逃げられるだろうか、と考えを巡らせた。
「逃げようなんて思ってはいないだろうね。ひとまず、あなたをどうするつもりか聞きたくないかね?」将軍の声はどことなく傷ついているように聞こえた。
「そんなふうに言われたら、聞きたくなるわ」
「友達のことから話したほうがいいかな」
「だめ」
シムマチャスはご満悦の顔つきになった。将軍が望んでいた答えだったのだろう、とバレンジアは思った。が、それは本心でもあった。友達のこと、なかでもストローのことが気がかりだったが、それ以上に自分自身のことが気になっていた。
「あなたには正式にモーンホールドの女王になってもらう」
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シムマチャスが言うには、彼もタイバー・セプティムもずっとその計画を温めてきたということだった。バレンジアが疎開させられてからの十数年間、モーンホールドは軍の統治下にあったが、ゆっくりと民政に戻りつつあった。もちろん帝都の指導のもと、帝都領モロウウィンドとしてではあったが。
「だったらどうしてダークムーアに移されたの?」バレンジアは訊いた。説明されたばかりのことがほとんど信じられなかった。
「もちろん、匿うためだ。どうして逃げたのかね?」
バレンジアは肩をすくめた。「とどまる理由がなかったから。すべて話してくれたらよかったのに」
「そのつもりだったさ。それどころか、皇室の一員として帝都で暮らさせようと、あなたのことを呼び戻そうとさえした。が、そのときにはもう失踪なさっていたわけだ。自分の定めのことならはっきりとわかるはずだ。わかっていてしかるべきだった。それだけの価値がなければ、皇帝は生かしておかない。皇帝にとってのあなたの価値などひとつしかなかろう」
「皇帝のことなんて知らないもの。それを言ったらあなたのことも」
「なら覚えておくがいい。タイバー・セプティムは敵味方関係なく、功績によって評価する」
バレンジアはひとしきりそのことについて考えをめぐらせた。「ストローは私のために尽くしてくれたわ。誰かを傷つけたこともない。盗賊ギルドのメンバーでもない。私を守るためにそばにいてくれたの。使い走りをして生活費を稼いでくれて、それから、ストローは……」
シムマチャスはじれったそうに手を振って彼女の言葉をさえぎった。「ストローのことならすべてわかっている」と言った。「それと、セリスのことも」穴が開きそうなほど彼女を見つめた。「で、あなたはどうしたいのかな?」
バレンジアは深呼吸をした。「ストローは小さな牧場をほしがってた。私がお金持ちになれるんなら、彼にも少しおすそ分けをしてあげたい」
「よかろう」シムマチャスは驚いた顔つきになってから、喜んでみせた。「承知した。望みをかなえよう。セリスはどうするかね?」
「私を裏切ったわ」と、バレンジアは冷淡に言った。危険なヤマだということを、彼は彼女に伝えておくべきだった。そればかりか、彼女を敵のふところに突き飛ばして逃げようとさえしたのだ。褒美を与える必要はない。つまるところ、信じるに足る男ではなかったのだ。
「そうだな。それで?」
「ええと、罰を受けさせるべきかな?」
「当然だろう。どういった罰がいいかね?」
バレンジアは両手を拳ににぎった。みずからあのカジートをぶん殴って引っかいてやりたかった。が、こういう流れになってしまったからには、いささか女王らしさに欠ける罰のような気がした。「鞭打ちの刑かな。二十回じゃ多すぎるかしら? 一生残るような傷は負わせたくないの、わかるでしょ。ちょっとお灸をすえるだけでいいの」
「うむ、もっともだ」シムマチャスはにっこりと笑った。と、いきなり顔つきが引き締まり、真剣になった。「仰せのとおりに、モーンホールドのバレンジア女王様」と言い、お辞儀をした。わざとらしいほど深くて礼儀正しい小粋なお辞儀だった。
バレンジアは心が躍った。
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バレンジアは二日間ほどシムマチャスの部屋で過ごした。すべきことが山ほどあった。欲しいものがあれば、ドレリアンという名のダークエルフの女がなんでも手配してくれた。彼女も食卓を共にすることから、召使いというわけではなさそうだった。かといってシムマチャスの妻にも、愛人にも見えなかった。バレンジアにそのことを訊かれると、ドレリアンは意外そうな顔をして、わたしは将軍に雇われてあなたの世話をしているだけよ、とさらりと答えた。
ドレリアンの取り計らいで、いくつかの上物のガウンと靴がバレンジアのもとへ届けられた。それから乗馬用の服とブーツと細々とした日用品も。自分の部屋もあてがわれた。
シムマチャスは外に出ずっぱりだった。たいていの食事には顔を出したが、自身のプライベートや任務の内容について口を開くことはほとんどなかった。気さくでうやうやしく、たいていの話題なら喜んで歓談に加わり、バレンジアの口にする一語一句に興味があるようだった。ドレリアンもまたそうだった。バレンシアは彼らのことを好意的に受け止めてはいたものの、いかにもカチーシャが言いそうなことだが、どこかつかみどころがないようにも感じていた。バレンジアは言いようのない失望感に襲われていた。ダークエルフとこれほど親しくするのは初めての経験だったため、安心感のようなものが得られると期待していたのだ。ようやく自分の居場所が見つかったような、誰かとつながっているような、何かの一部になれたような、そんな絆を感じられると思っていた。ところが実際は、カチーシャやストローといったノルドの友人たちへの恋しさがつのっていた。
明日になったら帝都へ出発するとシムマチャスに言われたとき、バレンジアは彼らにお別れの挨拶をさせてほしいとねだった。
「カチーシャですか?」と、シムマチャスは訊いた。「そうですね…… 彼女には借りもあることですし。ベリーというひとりぼっちのダークエルフが同族の友達を欲しがってるとカチーシャが耳打ちしてくれたおかげで、あなたを見つけることができた。あなたがたまに少年の変装をしてることも教えてくれた。彼女は盗賊ギルドとは何のつながりもありません。それにあなたの素性に気づいている盗賊ギルドのメンバーも、セリスをのぞけばいないようですね。おおいに結構。あなたが元盗賊ギルドのメンバーだったということは公にはしたくない。どうか口外なさらぬようお願いしますよ、女王様。そうした過去は帝都の女王にはふさわしくない」
「知ってるのはストローとセリスだけよ。彼らは誰にも言わないわ」
「ええ」シムマチャスは妙な微笑みを浮かべた。「もちろんでしょう」
カチーシャも知っていることにシムマチャスは気づいていなかった。が、それでもやはり、どことなく含みのある言い方だった。
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出発の朝、ストローが彼らの部屋にやってきた。ふたりは客間に取り残されたが、他のエルフが耳をそばだてていることにバレンジアは気づいていた。ストローの顔はやつれていて青白かった。しばらく静かなる抱擁を交わした。彼は肩を震わせ、頬に涙を伝わせていたが、無言のままだった。
バレンジアは笑顔をこしらえようとした。「これで、ふたりとも欲しいものが手に入るわね。私はモーンホールドの女王様に、あなたは牧場の主になるの」彼の手をとり、おだやかなありのままの笑顔を向けた。「手紙を書くわ、ストロー。約束する。あなたも代書人を見つけて手紙を書いてもらえばいいわ」
ストローは悲しげに首を振った。バレンジアがなんとか話を続けようとすると、彼は口を開けてそこを指差し、声にならない音をもらした。ようやく、彼女にもすべてがわかった。舌がなかった。切り落とされていた。
バレンジアは椅子にくずれ落ち、わんわんと泣いた。
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「だけど、なぜ?」ストローが退室させられると、バレンジアはシムマチャスを問い詰めた。「なぜなの?」
シムマチャスは肩をすくめた。「彼は知りすぎてしまった。放ってはおけません。死んではいませんし、豚だかなんだかを育てるのに舌はいらないでしょう」
「人でなし!」と、バレンジアは怒鳴りつけ、いきなりかがみ込んで床に吐きもどした。波のように満ちては引く嘔吐感をこらえながら罵倒しつづけた。シムマチャスは無表情のままそれを聞いていた。ドレリアンが床を拭っていた。ようやく彼は口を開き、静かにしないと猿ぐつわをされたまま帝都に向かうことになりますよと言った。
一行は街の出しなにカチーシャの家に立ち寄った。シムマチャスとドレリアンは馬に乗ったままだった。家の様子は普段のままだったが、バレンジアはおびえるようにドアをノックした。カチーシャの声がした。彼女が無事であってくれたことにバレンジアは感謝した。が、カチーシャはまぶたを泣き腫らしていた。それでもバレンジアを温かく抱きしめた。
「どうして泣いているの?」と、バレンジアは尋ねた。
「だって、セリスのことがあったから。あなた、聞いてないのね? ああ、かわいそうなセリス。彼は死んだわ」バレンジアは氷の指で心臓を撫でまわされるような感覚に襲われた。「司令官の家に盗みに入って逮捕されたの。かわいそうだけど、馬鹿なことをしたもんだわ。ああ、ベリー、あの子は今朝、司令官の命令で四つ裂きの刑に処されたの!」彼女はすすり泣きだした。「立ち会ったのよ、あの子が望んだから。むごかったわ。死ぬまでにかなり苦しんだでしょうね。一生忘れられない。あなたとストローのことを探したんだけど、誰に聞いてもどこにいるかわからないって」バレンジアの肩越しに見やった。「あれは司令官じゃないの。シムマチャスだわ」すると、カチーシャは奇妙な行動をとった。泣きやんで笑ったのだ。「あたしったら、あの人を見たときに思ったのよ。バレンジアの運命の人だって!」エプロンをつかんで涙を拭った。「あなたのことを話したの。わかるでしょう」
「うん」と、バレンジアは言った。「わかるわ」カチーシャの手をひとつずつとると、ひたむきな瞳で見つめた。「カチーシャ、愛してるわ。会えなくなるのはとってもつらい。けどね、私のことは誰にも話さないでほしいの。絶対に。お願いよ。とくにシムマチャスには絶対にだめ。それから、ストローの面倒をみてあげて。約束してほしいの」
カチーシャは約束した。戸惑いながらもこころよく。「ベリー、セリスが捕まったのはあたしのせいじゃないわよね? セリスのことは、あ、あ…… あの人に話したことはないもの」そう言って、将軍のほうに眼を向けた。
バレンジアは彼女のせいではないと言ってなだめた。内通者が帝都兵にセリスのたくらみを伝えたのだと。ひょっとしたら嘘かもしれない。が、カチーシャはそういう類の安らぎを求めていたのだ。
「それを聞いてほっとしたわ、こんなひどい状況でもね。考えたってしかたがないけど、だったらどうすればよかったのかしらって思うわ」カチーシャは身をかがめてバレンジアの耳にささやいた。「シムマチャスはすごいハンサムね。それに、とっても魅力的だわ」
「そうは思えないけど」と、バレンジアはそっけなく言った。「そんなこと考えもしなかったわ。他に考えることがあったから」モーンホールドの女王となってしばらく帝都で暮らすことをかいつまんで説明した。「将軍は私を探してただけ。皇帝の勅命でね。私が旅の目的だったのよ。も、も、目標でしかなかったのよ。女として見られてるかどうかも怪しいわ。少年には見えないって言われたけどね」そう言うバレンジアを尻目に、カチーシャは懐疑的なまなざしを向けていた。男性に会うたびに性的魅力および性的有用性という観点で品定めをするのがバレンジアだったからだ。「私が本物の女王様だと知って驚いたでしょうね」とバレンジアが言うと、カチーシャはうなずいて同意した。そうね、ちょっとした驚きだわ。あなたはとても貴重な体験をしてるとは思うけど、と付け加えて、カチーシャは微笑んだ。バレンジアもいっしょに微笑んだ。それからまた抱き合った。ふたりとも泣きじゃくりながら最後の別れを交わした。その後、バレンジアがカチーシャやストローと再会することはなかった。
バレンジアの一行は立派な南門から&tooltip(リフトン){UESPによると"Riften (also known as Rifton)"、スカイリム日本語版ではリフテン}を出た。一度だけ、シムマチャスは彼女の肩に手をやってから、門のほうを指差した。「セリスにお別れを言わなくてよろしいのですが、女王様」
バレンジアは一瞬だけ、門の上で串刺しになっている生首をしかと見やった。鳥にあちこち突かれていたが、面影はなんとかとどめていた。「セリスには聞こえないもの。私が無事だと知ったら喜んでくれるでしょうけどね」と、つとめて晴れやかに言った。「先を急ぎましょうか、将軍?」
シムマチャスは彼女の反応の薄さにがっかりしていた。「そうか、ご友人のカチーシャからお聞きになられたんですな。そうでしょう?」
「そのとおりよ。彼女は処刑の場に居合わせたの」バレンジアはさりげなく言った。シムマチャスが気づいていないとしても、きっとすぐに気づくだろう。彼女はそう確信していた。
「彼女はセリスがギルドの一員だと知っていたのですか?」
バレンジアは肩をすくめた。「みんな知ってるわ。会員であることを隠しておかないといけないのは、私みたいな下っ端のメンバーだけだから」いたずらっぽく将軍に笑いかけた。
将軍の心が動かされた気配はなかった。「ということは、彼女にはあなたが誰でどこから来たのか話しただけで、ギルドのことは教えてないと」
「ギルドの一会員だなんて大っぴらにはできないわ。他の秘密とはわけが違うもの。だいいち、カチーシャは生真面目な人だから。彼女にばらしたら、きっと冷たい眼を向けられるようになる。もっとまともな職につきなさいってセリスに口やかましく言ってたから。もっともな意見だと思うわ」シムマチャスに冷たい視線を向けられるにまかせた。「あなたには興味のないことだろうけど、彼女が他にどんなことを考えてたかわかる? 運命の男と添い遂げたら私がもっと幸せになれると思ってたのよ。ダークエルフの男とね。しかも、中身のともなっている、ね。中身がともなっていて、道理にかなった意見というものを心得ているダークエルフの男。つまり、あなたみたいな」バレンジアは手綱をしぼって馬を駆ろうとした。が、最後に強烈な皮肉をお見舞いするのを忘れなかった。「願いって、思ってもみなかったふうにかなうのね。けれど、自分が望むようにはいかないの。自分がずっと望んでたようにはいかないと言ったほうがぴったりかしら」
あまりにも意外な答えが返ってきたのでバレンジアは虚を突かれて、キャンターで駆け出したことなど忘れてしまった。「ええ、そうですね」と、シムマチャスは応じたのだ。しかも、声音とのずれがみじんも感じられなかった。それから、ちょっとすみませんと言って後ろに下がった。
バレンジアは頭を高く突き出してぐんぐん加速していた。つとめて無関心を装いながら。それにしても、将軍の返事のどういうところに引っかかるのだろう? 言葉そのものではないことは確かだった。むしろ、その言いように引っかかった。どことなく、バレンジアそのものが、将軍のかなえられた願いのひとつであるように感じられた。ありえそうもないことだったが、彼女はそのことをじっくりと考えてみた。将軍はようやく彼女を見つけた。何ヶ月もかけて、おそらく皇帝の圧力にも耐えながら。それは疑いようがない。まさしく、将軍の願いはかなえられたのだ。そういうことに違いなかった。
だが、ある意味、すべてが望んだようにはいかなかったということだろう。}
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&tags()
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&furigana(ほんもののばれんじあ2)
2012-05-26T14:57:54+09:00
1338011874
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書物/本物のバレンジア 第1巻
https://w.atwiki.jp/oblivionlibrary/pages/274.html
#blockquote(){本物のバレンジア 第1巻
著者不明
500年前のことだ。宝珠の街、モーンホールドに盲目の未亡人と、かさばる体つきの独り息子が暮らしていた。亡き父がそうであったように、彼もまた鉱員であった。マジカの才能に乏しいため、モーンホールドの王の所有する鉱山でありふれた肉体労働についていた。立派な仕事ではあったが、賃金は安かった。母親は手作りのコーンベリーのケーキを市場で売って、苦しい家計の足しにしていた。なんとか暮らしていけるものね、と母は言った。食事に困ることもないし、衣服は一着もあれば事足りるし、雨が降らなければ雨漏りもしないから、と。が、シムマチャスはそれ以上のものを望んだ。とてつもない鉱脈を掘り当てて、高額の賞与を手にすることを夢見ていた。仕事が終わればジョッキを片手に酒場で友人と盛りあがり、賭けトランプに興じていた。かわいいエルフの娘たちに色目を使い、ため息をつかせてもいたが、まともに相手にされることはなかった。彼は典型的な田舎育ちのダークエルフの若者で、巨体以外にはとりえがなかった。ノルドの血が混じっているのではないかという噂もあった。
シムマチャスが30歳のとき、モーンホールドの街が歓喜にわいた。王と王妃に女の子が授かったのだ。「女王様の誕生だ!」と人々は喜びを歌にした。モーンホールドの民にとって、女の世継ぎが生まれたことは、未来の平和と繁栄を約束する象徴でもあった。
王族の子の「命名の儀」が近づくと、鉱山はいったん休業となった。シムマチャスはすっ飛んで家に帰って体を洗い、一張羅を身につけた。「真っ先に家に帰ってきて母さんに報告するから」と、出かけられない母親をきづかった。体が弱っていたこともあったが、祝典に集った人ごみの渦に飲み込まれてしまいかねなかったからだ。それに盲目のため、いずれにしても何かを見ることはかなわなかった。
「おまえや」と、母は言った。「出かける前に、僧侶か医者を呼んできておくれ。おまえが帰ってくるまでにおだぶつになっちまいそうだよ」
シムマチャスはわら布団に横たわる母のもとへ近づくと、ひどく不安になった。母のおでこは燃えるように熱く、その息も浅かった。床板を力ずくでずらすと、その下に隠してあったわずかばかりの蓄えをじっと見た。僧侶に治療してもらうにはとても足りなかった。すべての蓄えをはたいたうえで、残金を借りることになりそうだった。シムマチャスは外套を引っつかむと、あわてて出ていった。
通りは聖なる森へと急ぐ人々でごった返していた。が、神殿の門は閉ざされ、かんぬきで錠がしてあった。「儀式のためご容赦ください」と、どの張り紙にも記されていた。
シムマチャスは人ごみを肘でかき分けて進み、茶色の法衣に身を包んだ僧侶になんとか追いついた。「儀式が終わってからではいけませんか」と、僧侶が言った。「お布施さえ頂けるなら喜んで診てあげましょう。聖職者は全員出席するようにとの陛下のお達しですし、陛下の機嫌を損ねるわけにはいきませんので」
「母はひどい病気なんです」と、シムマチャスは泣きついた。「ただの僧侶がひとり欠席したくらいで、陛下が気にされるとは思えません」
「もっともです。が、大司教が気にされる」と、僧侶はいらついて言った。法衣にすかりつくシムマチャスの手を振り払い、群集の中に消えた。
シムマチャスは他の僧侶や魔術師にさえも頼んでみたが、徒労に終わった。鎧をまとった衛兵がつかつかと歩いてくると、手にした槍で彼を脇へ押しやった。王族の行進が近づいてきた。
王家の面々を乗せた馬車が通り過ぎようとしたとき、シムマチャスは人ごみから走り出て声を張り上げた。「陛下、陛下! 母が死にそうなのです!」
「かように輝かしい夜に死ぬことなど認めん!」と、王が叫んだ。高らかに笑いながら、群集に金をばら撒いた。シムマチャスは王のワインの息をかげるほどまで近づいていた。馬車の奥では王妃が赤ん坊を胸に抱き寄せて座っていた。流し目でシムマチャスを見やると、蔑むように鼻の穴をふくらませた。
「衛兵!」と怒鳴った。「この男をなんとかして」シムマチャスは荒っぽい手に鷲づかみにされると、道の脇まで殴り飛ばされ、その場で呆然としていた。
頭痛をこらえながら人ごみのあとをついていき、丘のてっぺんから「命名の儀」を見届けた。僧侶は茶色の法衣を、魔術師は青色の法衣を纏い、はるか眼下の高貴なる面々のもとへ集っていた。
バレンジア。
シムマチャスはぼんやりとその名を耳にした。地平線の両端にある双子の月「昇りしジョン」と「沈みしジョド」に差し出すようにして、高僧がおくるみに包まれた赤子を高くかかげた。
「ご覧あれ、モーンホールドの地に生を受けしバレンジア王女を! 親愛なる神々よ、何時の祝福と賢慮を与えたまえ。王女がやがて理をもってモーンホールドを支配するその日のために。叡智と繁栄、友情と家族の土地を守りたまえ」
「王女ばんざい、王女ばんざい」と、王と王妃のまわりに集まった人々も、両手を突き上げながら、歌うように叫んだ。
シムマチャスだけがひっそりとたたずみ、うなだれていた。最愛の母が亡くなったと心で感じていた。静寂のなか、揺るぎない誓いを立てた。みずから王の災いとなってみせよう。無意味な死に追いやられた母へのとむらいとして、バレンジアを我が嫁として迎え入れ、やがて生まれる母の孫にモーンホールドの地を支配させるのだと。
&nowiki(){***}
儀式が終わり、シムマチャスは王族の行進が宮殿へと戻っていくのを冷ややかに見つめた。最初に話しかけた僧侶がやってきた。シムマチャスがゴールドを手渡し、治療がすんだらもっと報酬がはずむことを約束すると、今回はいかにも嬉しそうな顔をしてついてきた。
母親はすでに死んでいた。
僧侶はため息をついて、金の入った袋をしまい込んだ。「ほんとうに残念です。もちろん、残金のことは忘れてもらってけっこう。私にできることはひとつもありませんから。きっと──」
「おれの金を返せ!」と、シムマチャスは怒鳴りつけた。「おまえは何もしてないじゃないか!」威嚇するように右腕を振りかざした。
僧侶は後ずさりし、呪詛をつぶやきかけた。が、三つめの言葉を口にしたところで、シムマチャスに顔面を殴りつけられた。がっくりと膝をついてくずおれると、火をくべるための炉に使われている石のひとつにまともに頭をぶつけた。即死だった。
シムマチャスはゴールドをひったくると街から逃げた。走りながら、ある言葉を何度も何度もつぶやいていた。ちょうど妖術師が詠唱するように。「バレンジア」そう言った。「バレンジア。バレンジア」
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バレンジアは宮殿のバルコニーから中庭をながめていた。まばゆいばかりの鎧をまとった兵士がぶらぶらしていたが、やがていつもの順番に整列してバレンシアの両親を出迎えた。王も王妃も宮殿から出てきたところだった。ふたりとも黒檀の鎧で全身を包み込み、紫に染めた長い毛皮のコートをたなびかせていた。豪華絢爛に飾り立てられた肌つやのいい黒毛の馬が引いてこられると、そこにまたがった。それから中庭の門まで進んでいき、振り返ってバレンジアに一礼した。
「バレンジア!」と、ふたりが声を張り上げた。「われらの愛しい娘よ、さらばだ!」
少女は涙をごまかすように目をしばたたき、気丈に手を振ってみせた。お気に入りの銀狼の子のぬいぐるみであるウッフェンをもう片方の手で胸に抱き寄せながら。両親と離れ離れになるのは初めてのことだった。それが何を意味するのか彼女には見当もつかなかった。はっきりしているのは西方で戦争が起きたらしく、誰もが憎悪と恐怖を込めてタイバー・セプティムの名を口にしているということだけだった。
「バレンジア!」と、兵士たちが叫んだ。手にした槍や剣や弓を振り上げながら。そして、彼女の両親は背を向けて走り去っていった。そのあとを騎士たちが追っていき、やがて中庭はほとんどもぬけの殻になった。
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しばらくたったある日のこと、バレンジアは乳母に揺り起こされた。あわただしく服を着せられると、彼女の背におぶさって宮殿をあとにした。
この恐ろしい経験についてバレンジアが覚えているのは、空を埋めつくす巨大な影に燃えるような瞳が光っていることだけだった。外国の兵士が現れては消え、そしてまた現れた。乳母はいなくなり、見知らぬ人たちがかわりにやってきた。怪しげな人たちもいた。数日間、ひょっとすると数週間、旅が続いた。
ある朝、バレンシアは目が覚めると、馬車から歩み出た。外は寒かった。巨大な灰色の石造りの城が、灰白色の雪でまばらに覆われた丘の中腹に立っていた。その丘はくすんだ緑色をしており、ひっそりとしていてどこまでも続いていた。彼女はウッフェンを両手でしかと抱き寄せ、灰色の朝もやの中で眼をぱちくりさせながら震えていた。この果てしない、灰色と白色の支配する場所にいると、なんだか心細くなり、ひどく気が滅入った。
バレンジアとハナは城砦に向かった。この茶色い肌と黒い髪の女中とはここ数日のあいだ旅をともにしていた。ふたりが城砦に入ると、くすんだ金色の氷のような髪をした、上背のある青白い女が暖炉のそばに立っていた。ブルーが鮮やかなぞっとする目つきでバレンジアを見やった。
「彼女はとても…… 黒いのね」と、女はハナに向かって言った。「ダークエルフを見るのは初めてだわ」
「私もあの種族のことはよくわかりません、奥さま」ハナは言った。「けど、この娘がいかにも赤毛らしく気が強いことはわかります。気をつけてください、咬まれますよ。それだけじゃすまないかもしれません」
「しつけてやめさせるわ」女は見下した態度で言った。「それに、その汚らしいものは何なの? ひどい臭い!」そう言ってウッフェンをもぎ取ると、燃えさかる暖炉に投げ入れた。
バレンジアは悲鳴をあげ、ぬいぐるみに飛びついたつもりだった。が、咬みついたり引っかいたりして懸命に抵抗したものの、取り押さえられた。ウッフェンは哀れにも黒焦げの灰に成り果てた。
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バレンジアはスカイリムの庭に植えられた雑草のように成長した。そこはスヴェン卿とその妻、インガ夫人の土地だった。表向きはすくすく育っていたが、心はいつも冷たくて空虚だった。
「わが娘のようにあの子を育ててきたのよ」インガ夫人はひとつため息をついた。遊びにやってきた近所のご夫人たちと下世話な話に興じながら。「けどね、あの子はダークエルフだから。期待なんてかけられないわ」
バレンジアは盗み聞きするつもりはなかった。少なくとも自分ではそう思っていた。ただ、ノルドの主人たちよりも耳がよかったのだ。それ以外のダークエルフの能力はあまり誉められたものではなかった。手癖が悪く、嘘つきで、弱い炎のスペルを唱えてみては、意味もなく浮遊したりする。彼女は大人への階段をのぼっていくにつれて、異性への強い興味を抱くようにもなった。彼らの与えてくれるときめきはとても心地よく、そればかりか贈り物までしてくれるのだ。が、インガにはわけのわからない理由で反対されてしまうため、できるだけこっそり楽しむようにしていた。
「バレンジアはね、子供たちとは仲がいいのよ」とインガは付け加えた。バレンジアよりも幼い彼女の五人の子供たちのことを言っているのだ。「あの子といるときに子供たちが危険な目にあったことはないもの」ジョンニが6歳、バレンジアが8歳のとき、ある家庭教師が雇われたことがあり、ふたりはそろって授業を受けた。バレンジアが武具のことも学びたがってみせると、スヴェン卿とインガ夫人はそんなことはけしからんとたしなめた。そういうわけで、バレンジアに与えられたのは小さな弓がひとつだけだった。その弓で男の子に混じって射撃練習をすることだけが許された。彼女は機会があればいつでも男の子たちの武術訓練をのぞき見し、大人たちがいないところで手合わせをし、実力では誰にも負けていないことに気づいた。
「彼女はとても…… 誇りを持ってるのね」ご婦人方のひとりがインガにそうささやくと、バレンジアは聞こえない振りをして、ひそかに納得してうなずいたものだった。スヴェン卿やインガ夫人よりも自分のほうが優れているような気がしてならなかった。軽蔑の念を抱かせられる何かが彼らにはあった。
のちに、スヴェンとインガはダークムーア城でもっとも地位の低い住人の遠い親戚であることがわかった。これでバレンジアはようやく合点がいった。彼らはきざなペテン師で、誰かを支配できるような器ではなかったのだ。少なくとも、そうなるようには育てられていない。そう考えると、なんとも形容しがたい怒りがわいてきた。怒りや恨みとは無縁のきわめて健全な憎悪だった。彼らのことが、嫌われこそすれ、恐れられることのない、胸の悪くなるような不快な虫のように思えてきた。
&nowiki(){***}
月に一度、皇帝の急使がやってくる日があった。スヴェンとインガは金の入った小ぶりの袋を、バレンジアは大好物のモロウウィンド産乾燥マッシュルームの入った大ぶりの袋を受け取るのだ。この日になるといつも、バレンジアはちゃんとした格好をさせられてから、あるいは、痩せっぽちのダークエルフができるかぎりめかし込んだとインガの目に映るような身なりをさせられてから、急使とのささやかな顔合わせのために呼ばれるのだった。訪れる急使はたいてい違っていたが、農夫が売りごろの豚をじっくりと見定めるかのように彼女をじろじろとながめる仕草は、誰がやってきても繰り返された。
16歳の春、バレンジアは急使の目つきから、自分の売りごろがやってきたことに気づいた。
じっくりと考えたのち、バレンジアは売られたくないという結論にいたった。彼女はここ数週間、金髪で大柄で体つきのいい、ぎこちなくて優しくて温かくていかにも単純な馬屋番の青年、ストローから、駆け落ちをしようと口説かれていた。バレンジアは急使の置いていった金の袋をくすねると、貯蔵室からマッシュルームを失敬して、ジョニーの古いチュニカと脱ぎ捨てられた半ズボンで少年に見えるように変装した。そして、さわやかなある春の夜、バレンジアとストローはとっておきの二頭の馬をこっそり盗み出し、そこそこ栄えている街ではもっとも近い、ストローがどうしても訪れてみたいというホワイトランに向かって夜を一目散に駆け抜けた。が、モーンホールドとモロウウィンドもまた東方の土地であり、それがバレンジアを引きつけたともいえた。ちょうど磁石が鉄を引きつけるように。
翌朝、ふたりは馬を乗り捨てることにした。バレンシアがそうすべきだと言い張ったのだ。追っ手にひづめのあとをたどってこられる可能性があった。追跡されそうな要素は一掃しておくべきだった。
午後はひたすら歩いた。わき道を逸れないように進み、打ち捨てられた小屋で何時間か睡眠をとった。黄昏どきに小屋をあとにし、夜明け前にホワイトランの街の正門についた。バレンジアはストローのためにうさんくさい通行証を用意してあった。地元の村の領主の使いで街の神殿までやってきた旨が記されている間に合わせの書類だった。バレンジアは浮遊のスペルで外壁をひとまたぎした。一緒に旅をしているダークエルフの娘とノルドの少年に目を光らせておくようにとのお触れがこの衛兵のもとにも届いていると考えるのが妥当だったからだ。案の定、その推理は正しかった。ストローのような、連れのいないおのぼりさんの姿はありふれた光景だった。さらに通行証もあるのだから、彼が人目を引く心配はないと考えてよかった。
バレンジアの計画は滞りなく進んだ。正門のすぐ近くにある神殿でストローと落ち合った。彼女は何度かホワイトランに来たことがあったが、ストローは生まれ故郷であるスヴァンの邸宅から数マイル以上は離れたことがなかった。
ふたりは街中を進んでいき、ホワイトランの貧民街にあるうらぶれた宿屋にやってきた。肌寒い朝で、バレンジアは手袋とロングコートと頭巾を身につけていたため、その黒っぽい肌や赤い眼が人目に触れることはなく、彼らに注意を払うものもいなかった。二人は別々に宿屋に入った。ストローは宿屋の番頭に金を払って一人部屋を借り、たっぷりの食事と酒をジョッキで二杯注文した。バレンジアは数分してからこっそりと部屋に入った。
ふたりは飲み食いを満喫した。脱走の成功を祝い、狭苦しいベッドで激しく愛し合ってから、死んだように眠った。夢さえも見なかった。
&nowiki(){***}
ホワイトランでの滞在は一週間にもなった。ストローは使い走りをして小遣いを稼ぎ、バレンジアはいくつかの家で夜盗を働いた。あいかわらず少年の格好をしていた。さらなる変装にこだわって髪を短く切りそろえ、燃えるような赤毛を漆黒に染めた。そのうえでなるたけ人目には触れないように心がけた。ホワイトランでダークエルフを見かけるのはまれだった。
ある日、ストローのとりなしで、東方へ向かう隊商の警護の仕事をすることになった。隻腕の軍曹がバレンジアをいぶかしげに見つめた。
「ふん、ダークエルフとはな」と、言いながら苦笑した。「狼に羊の番をさせるようなもんだな。とはいうものの、腕っ節のいいやつが足りない。それに、モロウウィンドには近寄らないようにするから、おまえさんの仲間に売り飛ばされることもない。あそこの盗賊どもときたら、敵でも味方でも見境なく喉をかっ切りやがる」
軍曹は振り向くと、見定めるような目つきでストローをながめた。と、バレンジアのほうに勢いよく向き直り、ショートソードをすらりと抜いた。バレンジアもまたたく間にダガーを取り出して迎え撃つ姿勢になった。ストローはナイフを手にとると、男の背後にまわり込んだ。軍曹は剣を地面に落とすと、また苦笑した。
「なかなかやるじゃないか。弓の腕前はどうなんだ?」バレンジアは実力の一端を披露した。「悪くない、悪くないな。おまえは夜目もきくし、いい耳を持ってる。信頼できるダークエルフほど心強い味方はいないよ。よくわかってる。片腕をなくして傷病兵としてお払い箱にされるまでは、あのシムマチャスに仕えていたんだ」
「裏切ってやろうぜ。金払いのいい知り合いがいるんだ」と、おんぼろの宿屋での最後の晩、寝床につくと、ストローは言った。「それか、おれらでひったくるとか。あの商人どもはうなるほど金を持ってるぜ、ベリー」
バレンジアはけらけらと笑った。「そんな大金、いったいどうするの? 第一、旅の護衛が必要なのはこっちも向こうも変わらないわ」
「ちっぽけな牧場を買おう。ふたりの牧場だよ。そこで暮らすのさ。幸せだろうな」
あさましい夢ね! バレンジアは軽蔑の念を込めて心の中でつぶやいた。ストローはつまらない田舎者で、つまらない夢しか思い描けないのだ。そう思ったが口には出さなかった。「ここじゃだめよ、ストロー。ダークムーアに近すぎるもの。東に行けばもっと可能性が広がるわ」
&nowiki(){***}
隊商はサンガードまで東進しただけだった。皇帝タイバー・セプティム一世は、比較的安全で警備体制の整った街道の建設にことのほか貢献していたが、べらぼうに高い通行料を払わなくてもすむよう、彼らはここまで側道を使ってきた。そのため、人間やオークの追いはぎや、種族を超えて徒党を組んだ盗賊団に襲われる懸念もあったが、商売や貿易にはこうした危険はつきものだった。
サンガードにたどりつくまでに、こうした蛮族に二度ほど襲われた。待ち伏せされたときには、バレンジアが鋭い耳で感づいてくれたため、余裕を持って隠れている連中の背後から奇襲をかけることができた。カジートと人間とウッドエルフの入り混じった賊に闇討ちをされたこともあった。したたかな連中で、バレンジアの嗅覚をもってしても彼らの接近に気がつかず、迎え撃つ体勢になれなかった。このときは激しい戦闘になった。なんとか撃退したものの、隊商の衛兵がふたり殺され、ストローは襲いかかるカジートの喉笛をバレンジアと連携してかっ切るまでに、太ももに深手を負った。
バレンジアはそうした毎日を楽しんでいた。話好きな軍曹は彼女を気に入ったらしく、夜になると篝火を囲みながら、セプティム皇帝とシムマチャス将軍についてモロウウィンドを行軍したときのことを語ってくれた。軍曹が言うには、シムマチャスはモーンホールドの陥落後に将軍となったらしかった。「シムマチャスはたいした戦士だよ、まったく。もっとも、腕がいいから抜擢されたとは限らんがね、モロウウィンドはそういう土地柄だから。まあ、おまえさんならわかってるとは思うがね」
「ううん、僕、よく覚えてないんだ」バレンジアはさり気なく言った。「ほとんどスカイリムで過ごしてきたから。母さんはスカイリムの男と結ばれたんだ。どっちも死んじゃったけど。それで、モーンホールドの王と王妃はどうなったの?」
軍曹は肩をすくめた。「どうなったことやら。おそらくは死んでる。休戦が調印されるまではあちこちで戦火があがってたから。今では静かなもんさ。静かすぎるくらいだ。嵐の前の静けさというやつか。で、おまえはあそこに戻るのか?」
「たぶん」と、バレンジアは言った。本当はモロウウィンドに、モーンホールドに抗いたいほど惹かれていた。ストローはそのことを察していた。むっつりしているのはそのせいだろうが、バレンジアが少年を演じているせいで一緒に寝ることができないのが不満でもあった。彼女もまたそうしたことに飢えてはいたが、ストローほど切羽詰っているわけではなかった。表向きは。
軍曹としては、帰り道もふたりに護衛を頼みたかった。彼らはその申し出を断ったものの、特別報酬と羊皮紙の推薦状を与えられた。
ストローはサンガードの近くに定住したがったが、バレンジアは東への旅を続けると言って譲らなかった。「私はね、モーンホールドの王女なんだから」と、そう口にしながら、それが真実なのかどうかわからなかった。ひょっとすると、わけもわからずにうろたえていた幼いころの自分がこしらえた白昼夢にすぎないのかもしれない。「故郷へ帰りたいの。帰らないといけないの」ということだけは真実だった。
&nowiki(){***}
数週間後、ふたりは東へ向かう別の隊商に乗せてもらえることになった。初冬にはリフトンに到着し、モロウウィンドの国境に近づきつつあった。が、冬が深まるにつれて寒さはいっそう厳しさを増し、東へ向かう隊商をつかまえるには次の春を待たなくてはならなかった。
バレンジアは街の城壁のてっぺんに立ち、深い渓谷を見渡した。目の前には雪を戴いた山が人を寄せつけないようにそびえ立ち、その向こうにモロウウィンドがあった。
「ベリー」と、ストローは優しく声をかけた。「モーンホールドまではまだかなりあるし、どのみちこれより先へは進めないよ。あの土地は野生の狼や盗賊やオークでいっぱいだし、もっと手ごわいモンスターもいる。雪解けを待ったほうがいいよ」
「シルグロッドの塔があるわ」と、バレンジアは言った。スカイリムとモロウウィンドの国境を警備するための古代の尖塔を囲むようにして栄えてきた、ダークエルフの街のことを話しているのだった。
「橋の衛兵が通してくれないさ、ベリー。帝都の精鋭たちだからね。賄賂も通用しない。どうしてもと言うなら、独りで行ってくれ。引きとめはしない。けど、どうするつもりなんだ? シルグロッドの塔は帝都軍だらけだぞ。あいつらの洗濯係にでもなるつもりか? それとも慰安婦にでも?」
「その気はないわ」と、バレンジアはゆっくりと、もったいぶって言った。その考えに少しの魅力も感じないわけではなかった。兵士と寝れば、そこそこ暮らせていけるだけの金は稼げる。スカイリムを旅している頃、彼女はそういう類の火遊びを楽しんだことがあった。女の格好をして、ストローの目を盗んで抜け出したのだ。彼女は味に変化をつけたいだけだった。ストローは優しいが退屈だったから。ことが終わると、引っかけた男から金を差し出された。バレンジアは驚いたが、跳びあがって喜びたくもなった。もっとも、ストローは腹を立てていた。情事の現場を取り押さえると、しばらく怒鳴り散らしてから、数日間はすねてしまうことがあった。彼は嫉妬深かった。別れようと脅したりもしたが、実行したわけではなかった。できやしなかったのだ。
だが、帝都の兵士は男っぽくて野性味にあふれているらしかった。バレンジアは旅すがら、いかにも汚らわしい話を聞かされていた。なかでも極めつけは、隊商の篝火を囲みながら退役軍人がしてくれた話だった。彼は誇らしげにとうとうと語った。ふたりを困らせてからかっているのだと、バレンジアは気づいていた。ストローはこの手の卑猥な話を毛嫌いしていたが、それよりもバレンジアの耳に入ってしまうことがどうしても許せなかった。それでも心のどこかでは、彼もまたそうした話に魅了されていた。
バレンジアはそれに気づくと、ストローにも他の女をあさるように勧めた。が、バレンジア以外の女などほしくないと突っぱねられた。自分はそういう女じゃないわと、彼女はにべもなく言った。それでも、誰よりもストローのことが好きだとも。「だったらどうして他の男と寝たりするんだ?」あるとき、ストローはそう尋ねた。
「わからないわ」
ストローはため息をついた。「やっぱり、ダークエルフの女はそういうもんなのか」
バレンジアは微笑んでから肩をすくめた。「わからないわ。でも、わかるような気もする。ええ、わかるわ」と、バレンジアは振り向きながら言い、愛情たっぷりのキスをした。「これであなたもわかってくれたかしら」}
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&tags()
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&furigana(ほんもののばれんじあ1)
2012-05-26T14:56:06+09:00
1338011766
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書物/死霊術師の月
https://w.atwiki.jp/oblivionlibrary/pages/273.html
#blockquote(){虫の兄弟姉妹たちよ!
我々が直面している試練に落胆することはない。我らの時代はすぐにも訪れるのだから。
虫の神は我々の教団を見守っており、最後の審判の日に我々を苦しみの時代から救い出してくれる。その時が来るまで神が与えし務めを密かに果たし、神の求めに従い、空に目を向けて神の印を探し続けるのだ。
死霊術師の月である幽鬼が我々を見守っている。神性へと昇華した彼の形態は、それがあるべき場所である空に収まり、我々が神に仕えられるよう、敵であるアーケイを我々の目から隠してくれている。印を期待して待て。神々しい光が空から降りてくる時、神の祭壇へと駆けつけ、捧げ物をするのだ。そうすれば神はその真の力の一端を見せてお前を祝福してくれるだろう。神に捧げられた極大魂石は黒ずみ、無意識な魂をわなで捕らえる際に使われるだろう。偉大なるガスタでさえその偉業に驚嘆するに違いない。
黒虫の教団に忠実であれ。お前の忠誠はやがて報いられるだろう。いずれ時が来れば神は世界を正しい状態にするために戻ってきて、邪魔だてをする者たちは、かつて刃向かった者たちがそうなったのと同じように、その手にかかり永遠に苦しむことになるだろう。
その日が来るまで、辛抱強く信じ続けるのだ。洞窟の中に、廃墟の要塞に、あるいは秘密の隠れ家に身を潜めて。子分を育て、召使いを召喚し、呪文をかけるのだ。求められた時には教団の招集に応じるがいい。目を凝らし、耳を澄ませ。}
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&tags()
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&furigana(しりょうじゅつしのつき)
2012-05-26T14:48:09+09:00
1338011289
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書物/ベロのスピーチへの反応
https://w.atwiki.jp/oblivionlibrary/pages/272.html
#blockquote(){ベロのスピーチへの反応
魔闘士マルヴィサー 著
収穫の月14日、ベレヴァー・ベロという名の幻惑士が、帝都にあるジュリアノスの礼拝堂にて、非常に無知なスピーチを行なった。類稀なる無知なスピーチであったため、反応する理由がなかった。残念ながら、彼はその後スピーチの内容を『魔闘士へのベロのスピーチ』として自主的に出版し、少しばかりの受けるに値しない注目を学会から浴びた。ともに彼の誤認を解消しよう。
ベロは講演を、タイバー・セプティムの帝都魔闘士、ズーリン・アルクタスから、ユリエル・セプティム七世の帝都魔闘士、ジャガル・サルンまでの有名な魔闘士の一般的に事実とされている記録を述べるところから始めた。彼の狙いは、重要な場面で魔闘士は、その強みとされている破壊学よりも、違うマジカに頼るということを知らしめたかったのである。まず、この歴史の事実について異議を唱えさせてもらう。
ズーリン・アルクタスはベロが主張するように、神秘論や召喚の呪文を使ってヌミディウムというゴーレムを作り出していない。実際のところ、ヌミディウムがどのように作られたか、またはそれがゴーレムや精霊のような言葉がもつ伝統的な意味あいのものであったのか、我々は知らない。ユリエル5世の魔闘士ヘソスは帝都魔闘士ではなかった── 彼は単に帝都に雇われた妖術師であったので、彼がアカヴィルとの様々な戦闘でどのような呪文を唱えたかは無関係であり、それらが聞き伝えであることは言うに及ばない。ベロは女帝モリハーサの魔闘士ウェロックのことを「洗練された外交家」と呼ぶが、「破壊学の強力な研究者」とは呼ばない。帝都魔闘士を正しく識別できたことに関してはベロに祝いの言葉を送るが、破壊学に関するウェロックの技術の例は多くの書面に残されている。例を挙げると、賢者セララスは、ウェロックが吸血の雲をブラックローズの反乱軍に対して唱え、彼らの腕力と技術を味方に移したことを長く書き綴っている。これは何であるか? 破壊学の素晴らしい実例以外の何ものでもない。
ベロは哀れにも、ジャガル・サルンを実力の低い魔闘士として挙げている。気の触れた裏切り者を理性的行動の例に使うのは受けいれ難い見解である。ベロは何を希望しているのか? &tooltip(サーン){"Tharn" ジャガル・サルンのこと}に破壊学を用い、タムリエルを従来の手段で破壊して欲しかったのであろうか?
ベロは彼の虚偽の歴史を論拠としている。もし彼が歴史の中から、魔闘士が破壊学以外の呪文を唱えている、4つの好例を探し出したとしても── 実際、見つけられていないが── それは逸話的な証拠であり、論理を支えるには至らない。私は、治癒の呪文を唱える幻惑士や瞬間移動する処刑人などの例を4つ楽に探し出せる。すべてに適切な時と場所が存在するのである。
この不安定な土台にたっているベロの論理は、破壊学は真の学問ではないというところである。彼は破壊学を学問の道としては「狭くて浅い」と呼び、その生徒たちは性急で、誇大妄想の傾向があると言う。これにはどのように反応すればよいのか? 破壊の呪文を一切しらないものが、その学問を単純すぎると酷評する? 破壊学は「最大のダメージを最小の時間で与える」ことを学ぶとして要約するのは明らかに馬鹿げている上に、幻惑学で研究した複雑な要因を列挙することによって、己の無知加減をさらに詳しく露呈している。
破壊学にて学ぶ要因を挙げることで反論させてもらう。破壊学では呪文を到達させる方法が他のどの学問よりも重要である。接触によって呪文をかけるのか、距離をおいて、集中的な円の中で、または1度かけて後に発動させるのかなどである。炎、雷、冷気などの呪文をかけるには、どのような力を加えなければならないのか? それぞれの利点や危険性は? 違った種類の破壊の呪文攻撃に対する様々な標的からの反応は? 可能な防御や、いくつの標的に対して攻撃できるのか? どのような環境要因が考慮されなければならないのか? 遅延ダメージを与える呪文の利点は? ベロは破壊学は繊細になり得ないと示唆するが、時には世代に次ぐ次世代にまで影響を繊細かつ崇高に及ぼし、この学問の範囲に収まる「呪い」の数々のことを彼は忘れている。
変性学は、破壊学とは区別された個別の存在であるが、その2つは併合されるべきと主張するベロの論理は明らかに滑稽である。彼はこう断言する── またもや、変性学や破壊学について何もしらない男が言うのである── 「ダメージ」は変性の呪文によって与えられる、現実の変化の一部である。意味合いとしては、変性の呪文を挙げると、空中浮遊、それは破壊の呪文である電撃と非常に近い存在であると。それを言うのであれば、変化の現実を学ぶ変性学が、変化の表現を学ぶ幻惑学を吸収したほうがよいと言うのも同等に理にかなっている。
幻惑学のマスターが破壊学にこの攻撃を仕掛けたのは決して偶然ではない。結局のところ、幻惑とは真実を覆い隠すことなのである。}
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&tags()
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&furigana(べろのすぴーちへのはんのう)
2012-05-26T14:47:00+09:00
1338011220
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書物/狼の女王 第3巻
https://w.atwiki.jp/oblivionlibrary/pages/199.html
#blockquote(){狼の女王 第3巻
ウォーヒン・ジャース 著
筆:第三紀1世紀の賢者モントカイ
第三紀98年
今年も残りあと2週間というとき、皇帝ペラギウス・セプティム二世が逝去した。「北風の祈祷祭」のさなかの星霜の月15日のことで、帝都にとっては悪い兆しだと考えられた。皇帝が統治した17年間は苦難の連続だった。枯渇した財源をうるおそうと、ペラギウスは元老院を解散させ、その地位を買い戻させたのだ。有能だが貧しい評議員を何人か失った。皇帝は復讐に燃える元老院のメンバーによって毒殺されたのだ、多くのものがそう口にした。
亡き父の葬儀と新皇帝の戴冠式に出席するため、皇帝の子供たちが帝都にやってきた。末っ子のマグナス王子は19歳で、アルマレクシアから帰郷した。彼はそこで最高裁判所の審議官を務めていた。21歳になるセフォラス王子はギレインからレッドガードの花嫁、ビアンキ王女を連れて帰ってきた。長男の&tooltip(アンティス){UESPによると"Antiochus"(アンティオカス)}王子は43歳になる推定皇位継承者で、父とともに帝都で暮らしていた。最後に現れたのは、「ソリチュードの狼の女王」と呼ばれる一人娘のポテマだった。30歳になるまばゆいばかりの美女で、壮観な従者の一団を連れて、初老のマンティアルコ王と1歳になる息子のユリエルとともにやってきた。
当然のことながら、アンティオカスが皇位を継ぐものと思われていた。狼の女王に何かを期待するものはいなかった。
第三紀99年
「今週になって、毎日夜中近くに、ヴォッケン卿が数人の男をポテマ様の私室に連れ込んでおりました」と、諜報参謀は言った。「ご主人にそれとなく気づかせればおそらく──」
「ポテマは征服の神、レマンとタロスの信奉者だ。愛の女神、ディベラではない。その男たちと乱交に及んでいるのではなく、何かを企んでいるのだろう。誓ってもいいが、妹よりも私のほうが男とベッドをともにした経験が豊富だろう」アンティオカスはげらげらと笑ってから、真剣な顔つきになった。「元老院が戴冠を先延ばしにしている裏では妹が絡んでいるのだろう。まちがいない。もう6週間になる。書類の更新と戴冠式の準備に時間がかかるということらしいが。皇帝はこの私だ! 堅苦しいことは抜きにして、冠をかぶせてくれ!」
「たしかにポテマ様はあなたの友人ではございませんが、要因は他にも考えられますぞ。お父上がいかに元老院を冷遇されたか、お忘れではあるまい。警戒すべきは彼らのほうでしょう。必要とあらば、手荒い説得もやむをえませんな」諜報参謀はそう言うと、意味ありげにダガーを突いてみせた。
「かまわん。が、めざわりな狼の女王にも見張りをつけておけ。私がどこにいるかはわかってるな」
「どちらの遊郭でしょうか?」と、諜報参謀は訊いた。
「今日は金曜ゆえ、『猫とゴブリン』であろう」
ポテマ女王のもとに訪問者はなかったと、諜報参謀はこの夜の報告書に書きこんだ。というのも、ポテマは御苑の向かいにある蒼の宮殿で、実母であるクインティラ女帝と夕食をとっていたからだった。冬にしては暖かい夜で、昼間の嵐が嘘のように空には雲ひとつなかった。地面はたっぷり水を吸い込んでいたため、格式ばった庭園は水を撒いたあとのような光沢を放っていた。二人はワインを片手に広いバルコニーに向かい、地上を見下ろした。
「腹違いの兄さんの戴冠を妨害しようとしてるわね」と、クインティラは視線を合わさずに言った。時の流れは母親にしわを刻んだというよりも、しおれさせてしまっていた。そう、石に描かれた太陽のように。
「そのつもりはないわ」と、ポテマは言った。「でも、そうだと言ったら心が痛む?」
「アンティオカスは私の息子じゃないわ。私があの人と結婚したとき、アンティオカスは11歳だった。それからずっと疎遠なまま。あの子は推定皇位継承者になったせいで成長が止まったのよ。家庭を築いて立派な子供たちがいてもおかしくない年齢なのに、あいかわらず道楽と女遊びにふけってる。立派な皇帝にはなれないわ」クインティラはため息をついて、ポテマのほうを向いた。「けど、不満の種を撒いても家族のためにはならない。派閥に分かれるのは簡単だけど、絆を結びなおすのはとても難しい。帝都の未来が心配だわ」
「そんなことを言うなんて── お母さん、ひょっとしてもう長くないの?」
「凶兆が見えたわ」クインティラははかない、皮肉めいた笑みを浮かべた。「忘れないで、私はカムローンでは高名な妖術師なのよ。私の命はあと数ヶ月。それから一年もしないうちに、あなたの夫も亡くなるわ。心残りがあるとしたら、成長したユリエルがソリチュードの王になるところを見届けられないことね」
「お母さんには見えたのかな──」ポテマは言いよどんだ。自分の計画をぺらぺらと話すべきではなかった。その相手が、死にかけている母親であっても。
「ユリエルが皇帝になれるかどうかって? その答えもわかってるわ。心配しないで。あなたはその答えを見届けられるわ、いずれにしても。ユリエルに贈り物があるわ、大人になったときのために」女帝は大きな黄色の宝石がひとつ埋め込まれたネックレスを首から外した。「魂の宝石よ。雄々しい人狼の霊魂が吹き込まれているの。私とあの人が36年前に戦って倒したのよ。幻惑系の魔法をかけてあるから、着用者は望んだ相手を魅了できるわ。王様にはもってこいのスキルでしょう」
「皇帝にもね」ポテマはネックレスを受け取った。「ありがとう、お母さん」
一時間後、手入れされた一対の植え込みから伸びる黒い枝の脇を通りすぎたとき、ポテマは不穏な影に気づいた。その影は私室へと続く小道に立っていたが、ひさしの落とす闇の中へ消えた。あとをつけられていることには気づいていた。宮中の生活にはこうした危険がつきまとう。が、この影は彼女の私室に近づきすぎていた。ポテマは首のネックレスにそっと指をすべらせた。
「姿を見せなさい」ポテマは命じた。
男が暗がりからすっと出てきた。浅黒い小柄な中年の男で、黒く染めたヤギ皮をまとっていた。視線は凍りついたようにじっと動かない。魔法がきいているのだろう。
「誰に命じられたの?」
「わが主人、アンティオカス王子」と、男は死人のような声で言った。「私は王子のスパイ」
ある計画を思いついた。「王子は書斎にいるの?」
「いいえ」
「鍵は持ってるの?」
「はい、女王様」
ポテマは満面の笑みを浮かべた。この男はもう私のものだわ。「案内してちょうだい」
翌朝、またもや嵐が吹き荒れた。たたきつけるような風雨が壁や天井を打ち鳴らし、アンティオカスを苦しめた。昨晩遅くまで痛飲したのだが、若かりしときのように二日酔い知らずというわけにはいかないらしい。彼はベッドをともにしているアルゴニアの娼婦を激しく揺さぶった。
「たのむから窓を閉めてくれ」と、アンティオカスはうめいた。
窓が閉められるやいなや、扉にノックの音がした。諜報参謀だった。王子に微笑みかけると、一枚の紙を手渡した。
「こいつはなんだ?」と、アンティオカスは横目で見ながら言った。「まだ酔いがまわってるらしい。オークの字みたいに見えるよ」
「きっとお役に立ちましょう。ポテマ嬢がお見えになられていますぞ」
アンティオカスは服を着ようか娼婦を追い出そうか迷ったが、思いなおした。「部屋に通せ。あいつをカチンとこさせてやろう」
ポテマがカチンときたにせよ、表情には出さなかった。オレンジとシルバーのシルクにくるまって、勝ち誇った笑みを浮かべながら部屋に入ってきた。人間山脈ヴォッケン卿がすぐあとをついてきた。
「こんばんは、兄さん。昨晩、お母さんと話してね、とっても知的なアドバイスをいただいたの。公の場では兄さんと戦うなと言われたのよ。家族と帝都のためを思って。そういうわけで──」そこまで言うと、法衣のふところから一枚の紙を差し出した。「兄さんに選ばせてあげるわ」
「選ぶ?」アンティオカスは笑みを投げ返した。「それはどうもご親切に」
「皇位をみずから放棄してちょうだい。そうすれば元老院にこれを見せる手間がはぶけるわ」ポテマは義兄に手紙を手渡した。「兄さんの印章つきの手紙よ。自分の父親がペラギウス・セプティム二世じゃなくて、宮廷執事のフォンドウクスだってことを兄さんは知っていましたって告白してあるの。さあこれで、この手紙を書いたかどうかを否定するまでもなく、兄さんは噂を否定できなくなるわ。それに、元老院はきっと、あの元皇帝なら奥方を寝取られてもさもありなんと信じるでしょうね。にっくき相手だもの。真実がどうあれ、手紙がいんちきであろうとなかろうと、このスキャンダルで兄さんが皇帝になれるチャンスは吹っ飛ぶわ」
アンティオカスは青ざめた顔で憤っていた。
「心配ないわ、兄さん」ポテマは兄の震える手から手紙をひったくった。「快適な隠遁生活を送れるようにしてあげるから。心が望むだけ、その下半身が望むだけ、娼婦をあてがってあげる」
と、アンティオカスはいきなり笑い出すと、諜報参謀に目配せした。「そういえば、私がこっそり隠していたカジートの春画を見つけ出して、脅迫してきたことがあったな。かれこれ20年も前になるか。おまえも気づいたはずだが、最近は鍵もかなり進歩しててね。自分の力では望んだものが手に入らないとわかって地団駄を踏んだことだろうな」
ポテマはただ笑ってみせた。だからなんだっていうの。もうこっちのものだもの。
「ここにいる私の従者を魅了してまんまと書斎に入り込み、印章を使ったんだな」アンティオカスはにやにや笑った。「呪文を使ったか。魔女の母親に教わって?」
ポテマはひたすら笑みを浮かべていた。義兄は思ったよりも頭が切れるわ。
「魅了の呪文は、どんなに強力なものでも、後に効力が消えることを知っているか? もちろん、知らなかったろう。魔法はおまえの得意とするところじゃなかったからな。ひとつ教えてやろう。長い目で見れば、呪文をかけるより、俸給をふんぱつしたほうが奉公人はより長い間仕えてくれるものさ」今度はアンティオカスが一枚の紙を取り出した。「それでは、おまえに選択肢を与えよう」
「どういうこと?」と、ポテマは言った。笑顔はしおれかけていた。
「意味不明なものにしか見えないが、心当たりがあるならはっきりとわかるだろう。練習用紙だよ。私の筆跡に似せようとしているおまえの筆跡でいっぱいの。いい贈り物をもらったよ。以前にもやったことがあるんじゃないのか、他人の筆跡をまねたことが。そういえば、おまえの旦那の亡くなった奥方が書いたとされる、夫婦の第一子は婚外子と告白した手紙が見つかったそうだな。その手紙もおまえが書いたんじゃないのか。おまえがくれたこの証拠を旦那に見せたら、あの手紙もおまえが書いたものだと信じるかもしれないな。いいかね、狼の女王。今後いっさい、同じような罠をしかけようなんて思いなさんな」
ポテマはかぶりを振った。はらわたが煮えくり返ってしゃべることもできなかった。
「そのいんちきの手紙をよこすんだ。で、ちょっと雨にでも打たれてくるといい。そして、のちほど、私を皇位につかせないためにおまえがどんな陰謀をたくらんでいたのか白状してもらうとしよう」アンティオカュスはポテマをまっすぐに見すえた。「私は皇帝になるつもりだよ、狼の女王。さあ、行くがいい」
ポテマは義兄に手紙を手渡すと、部屋を出ていった。廊下に出てからしばらく、言葉が出てこなかった。大理石の壁についた目に見えないほど細かい裂け目からしたたり落ちる銀色の雨水をじっとにらんでいた。
「ええ、皇帝になるがいいわ」と、ポテマは言った。「けど、いつまでもというわけにはいかない」}
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&tags()
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&furigana(おおかみのじょおう3)
//GOTY
2012-03-19T20:11:39+09:00
1332155499
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書物/ジール城の恐怖
https://w.atwiki.jp/oblivionlibrary/pages/271.html
#blockquote(){ジール城の恐怖
─幕物
バロス=クル 著
登場人物
クラヴィデス、帝都衛兵隊長 シロディール民
アナーラ、ダンマーの侍女
ユリス、帝都衛兵副隊長 アルゴニアン
ゾラッサ、若きアルゴニアン魔術師
深夜。洗練された家具やつづれ織りで十分に飾られている、スキャス・アヌド城の玄関大広間で芝居は幕を開ける。松明だけが唯一の明かりをもたらしている。広間の中心には、城への正面入り口である大きな鉄の扉が立っている。上の踊り場へと続く階段は扉の横にある。舞台左手には、今は閉じられている図書室への扉がある。舞台右手には、もうすこしで部屋の天井に届く、20フィートもの巨大な鎧の1式が立っている。誰も見えないが、女性の歌声が図書室の扉から伝わってくる。
正面扉を叩く大きな音。歌をやめる女性。図書室への扉が開き、何の変哲もない侍女、アナーラが部屋から出てきて正面扉へと急ぐ。インペリアルの制服をまとった見栄えの良いクラヴィデスが目の前に立つ。
アナーラ: こんばんは。
クラヴィデス: こんばんは。ご主人はいるかね?
アナーラ: いいえ、不在です。いるのは私だけです。私のご主人様であるセデゥーラ・ケナ・テルヴァンニ・ホルダルフ・ジール様は避寒地にいます。私で何かのお役にたてますか?
クラヴィデス: かもしれない。入ってもいいかね?
アナーラ: どうぞ、お入りください。フリンでもお持ちしましょうか?
クラヴィデスは広間に入り、あたりを見回す。
クラヴィデス: いや、結構。名前は?
アナーラ: アナーラです。
クラヴィデス: アナーラ、ご主人はいつスキャス・アヌドを発った?
アナーラ: 2週間以上前です。なので、私しか城にはいないのです。閣下にお仕えする他の召使いや奴隷たちはみんなご主人様に同行しています。何かあったのですか?
クラヴィデス: うむ、あったのだ。サル・カリファという名のアッシュランダーを知っているかね?
アナーラ: いいえ。知りません。
クラヴィデス: では、これからも知ることはないな。彼は死んだのだよ。数時間前、アッシュランドで凍傷によって死にかけているところを発見されたのだ。彼は狂乱していて何を言っているのかほとんど理解できなかったが、最後の言葉は「城」と「ジール」だった。
アナーラ: 夏季に凍傷によって死ぬ、アッシュランドにてですか? 妙な事が起こるものですね。ご主人様がその人を知っていた可能性はありますが、彼はアッシュランダーでご主人様はテルヴァンニ一族、失礼な言いかたですが、お友達ではなかったと思います。
クラヴィデス: あれがご主人の図書室? 中を見てもいいかね?
アナーラ: どうぞ、どこへでもご自由に。何も隠すものはありません。私たちは帝都の忠臣です。
クラヴィデス: テルヴァンニは皆、そうであると聞いている。
(劇作家からの覚え書き:この台詞は皮肉抜きで読まれるべきである。観客の笑いを信じて── 地元の政治情勢に関係なく、失敗はない)
クラヴィデスは図書室に入り、本を見越す。
クラヴィデス: 図書室はほこりを払う必要があるな。
アナーラ: はい、ちょうどあなた様がいらっしゃった時に行なっていたのです。
クラヴィデス: それには感謝する。もし終わっていたら、つい最近持ち去られたかなり大きな本があった場所の、ほこりの付いていないところに気が付かなかったであろう。あなたのご主人は、どうやらウィザードらしいな。
アナーラ: いいえ。というか、彼は研究熱心ですが、もし呪文を唱えることがウィザードを意味するなら、彼はまったく唱えません。彼はケナで、大学なども出ています。あの、今になって考えると、昨日、大学から他のケナがやってきて、何冊か本を借りていきました。ご主人様の友人なので、問題ないかと思っておりました。
クラヴィデス: そのケナ、彼の名前はワーヴィム?
アナーラ: だったかも知れません。覚えていません。
クラヴィデス: 大学に、我々が昨夜拘束したケナ・ワーヴィムという名の疑わしい死霊術師がいる。彼が大学で何をしていたかは分からないが、違法行為であったことは間違いない。本を借りたのはそのケナか? 足が萎れて不自由な、小さい男?
アナーラ: いいえ、その人は昨日のケナとは違います。彼は大きくて、しっかりと歩いていたのを見ました。
クラヴィデス: 家の他の場所も見させてもらうぞ。
クラヴィデスは階段を登り、次の台詞を踊り場、および上の部屋から言う。アナーラは下の階の整頓を続け、床を磨くために背もたれの高い長椅子を鎧の間へへと移動する。
アナーラ: 何を探しているのか聞いてもいいですか? お手伝いできるかもしれません。
クラヴィデス: これが城のすべての部屋かね? 秘密の通路はないのかね?
アナーラ(笑いながら): なぜ、セデゥーラ・ケナ・テルヴァンニ・ホルダルフ・ジール様が秘密の通路を必要とするのでしょう?
クラヴィデス(鎧を見ながら): あなたのご主人は大物だからな。
アナーラ(笑いながら): からかうのはやめてくださいな。あの巨大な鎧はただの飾りです。ご主人様が10年前にあの巨人を倒し、その記念品として取っておかれているのです。
クラヴィデス: そうだ、それは初めてここに赴任してきたときに聞いた覚えがある。巨人を殺したのがジールという名字のものであったのは知っていたが、名がホルダルフだったとは思わなかった。記憶とは薄れていくのだな。巨人の名は何であったかな?
アナーラ: 残念ながら覚えておりません。
クラヴィデス: 私は覚えている。トルファングだ。「トルファングの盾から出た」
アナーラ: 何のことでしょう。トルファングの盾?
クラヴィデスは階段を駆け下り、鎧を調べる。
クラヴィデス: トルファングの盾から出られたようなことをサル・カリファが言っていた。気が狂い、取りとめのない話をしていたと思っていたのだが。
アナーラ: ですがその通り、それは盾など持っていません。
クラヴィデスが背もたれの高い長椅子を動かすと、鎧の基部から据え付けられた大きな盾が見えた。
クラヴィデス: 持っているね。あなたがあの長椅子で覆ったのだ。
アナーラ: わざとやったのではありません! 掃除をしていただけです! 毎日あの鎧を見ていますが、ああ、神よ、誓ってその盾に気付いたことはありません!
クラヴィデス: もうよいアナーラ、信じるよ。
クラヴィデスが盾を押すと、それは後退して下への地下道をあらわにした。
クラヴィデス: セデゥーラ・ケナ・テルヴァンニ・ホルダルフ・ジールには秘密の通路が必要なようだな。松明を持ってきてくれるか?
アナーラ: ああ、恐ろしい、そんなのは見たことがありません!
アナーラは壁から松明を外し、クラヴィデスに手渡す。クラヴィデスは地下道へと入って行く。
クラヴィデス: ここで待つように。
アナーラはクラヴィデスが地下道へと消えて行くのを見守る。彼女は動揺しているように見え、ついには正面扉へと走っていく。扉を開けると、入り口には帝都衛兵副隊長であるアルゴニアンのユリスが立っていた。彼女は叫ぶ。
ユリス: 驚かせて申し訳ありません。
アナーラ: 今は駄目! どこかへ行って!
ユリス: お嬢さん、隊長はそれをあまり快くは思わないと思います。
アナーラ: あなたは…… 隊長殿と一緒ですか? ああ、よかった。
クラヴィデスは顔面蒼白で地下通路から出てくる。話すまでしばらく時間がかかる。
ユリス: 隊長? 下には何が?
クラヴィデス(アナーラへ向かって): あなたのご主人が死霊術師であることを知っていたか? 地下室が死体で溢れていることも?
アナーラは気を失う。ユリスが彼女を長椅子まで運び、横たえる。
ユリス: 隊長、見せてください。
クラヴィデス: 慌てなくてもすぐに見られるさ。死体を運び出すには駐屯地にいる全兵士が必要だ。ユリス、私はたくさんの戦闘を見てきたが、こんなのは見たことがない。2体として同じものがない。カジート、スロード、ダンマー、シロディール、ブレトン、ノルドたちが、生きたまま焼かれ、毒を飲まされ、感電させられ、溶かされ、バラバラにされ、内蔵を出され、切り刻まれた上で縫い合わされているんだよ。
ユリス: それが、脱出したアッシュランダーの身に起きたというのですか?
クラヴィデス: 分からない。なぜこのようなことをするのだ、ユリス?
扉を叩く音。クラヴィデスが出る。若いアルゴニアン女性のゾラッサが小包と手紙を携えて立っている。
ゾラッサ: おはようございます、あなたはジール卿ではありませんね?
クラヴィデス: 違う。それは何だ。
ゾラッサ: 閣下に配達するはずの小包と手紙です。閣下はすぐ戻りますか?
クラヴィデス: いや、戻らないだろう。差出人は誰だ?
ゾラッサ: 大学にいる私の講師、ケマ・ワーヴィムです。彼は足が不自由なので、これらを閣下に届けるよう言われました。正直に言いますと、本当は昨夜届けるはずだったのですが、忙しくて。
ユリス: おはよう、同族の妹よ。我々が小包を閣下に渡しましょう。
ゾラッサ: ごきげんよう、同族の兄よ。りりしきアルゴニアンがスキャス・アヌドにいるとは聞いていました。残念ながら、小包は閣下の手に直接届けると、ケマ・ワーヴィムに約束してしまいましたので。もう遅れていますし、置いて行くわけ──
クラヴィデス: お嬢さん、我々は帝都衛兵だ。私たちがその小包と手紙を預かる。
ゾラッサは渋々とクラヴィデスに手紙と小包を渡す。帰るために逆を向く。
ユリス: もしからしたらお話を伺うかもしれませんが、大学にいますか?
ゾラッサ: はい。お元気で、兄よ。
ユリス: 良い夜を、妹よ。
ゾラッサが退場するなか、クラヴィデスが小包を開ける。何枚ものバラ紙が挟まった本である。
クラヴィデス: どうやら紛失していた本を見つけたようだ。我々のこの手に届けられるとはな。
クラヴィデスがその本を黙読し始める。
ユリス(満足そうに、自分に話しかける): スキャス・アヌドにアルゴニアンがもう1人。しかも可愛い。彼女に対してあまり無礼でなかったならいいのだけれど。もうツルツルとした濡れ肌の女性はうんざりだ。非番の時に会えたら最高なのだが。
ユリスは自分に話しかけながら、手紙の封を切り読む。
ユリス(続く): 彼女は私と同様、南からのようだ。北ブラック・マーシュからのアルゴニアンは… その… アレだ……
ユリスは読み続け、その手紙に立ちすくむ。クラヴィデスは本の最後へと飛ばし、最終章を読む。
クラヴィデス(読み上げる): 黒のインクで、「カジート男性は簡単な雷の呪文に対しても驚くほどに低い耐性を見せたが、中位の酸の呪文をゆっくりと数日間にわたってかけることで、興味深い生理的な結果を得た」余白部分に赤のインクで、「ああ、なるほど。酸の呪文は被験者の全体に均一にかけられたのですか?」黒のインクで、「ノルド女性は16時間の冷気の呪文にさらされ、最終的には結晶化して仮死状態になり、それが原因となって息絶えた。ノルド男性もアッシュランダー女性も違った。彼らはさらに早い段階で昏睡状態に陥ったが、後に回復した。その後アッシュランダーは脱出を試みたが、拘束した。ノルドはその後、簡単な炎の呪文に対して興味深い過剰な化学反応を起こして息絶えた。付随の図解を参照ください」赤のインクで、「ああ、なるほど。腫れと損傷の傾向が何らかの内面燃焼を示唆していますね、もしかしたら、長い期間の冷気の後の短い炎の発射によって引き起こされたのかもしれませんね。実際に実験を見にいけなくて残念ですが、素晴らしい記録に賛辞を述べます」黒のインクで、「侍女アナーラにゆっくりと被毒させることを提案してくれてありがとうございます。提案してもらった用量は、ゆっくりと彼女の記憶を巧妙に侵食する、非常に興味深い結果を得ました。用量を急激に増やし、彼女が気付くまでどれくらいの期間がかかるかを見るつもりです。そういえば、アルゴニアンの被験者がいなくて残念ですが、奴隷商人が秋には健康な試験体を約束してくれました。彼らの代謝作用をエルフや人間と比べてみたいものです。私の理論では、中位の連続した雷の呪文の波は、シロディール女性やあの巨人のように、アルゴニアンにとって少なくとも数時間が致命的なラインであると感じています」赤のインクで、「秋まで待たなければならないのは残念です」
ユリス(手紙を読み上げる): 赤のインクで、「このアルゴニアンをどうぞ。結果を教えてください」これは署名されています。「ケマ・ワーヴィム」
クラヴィデス: ああ、神キナレスよ、これは死霊術ではない。これは破壊だ。ケマ・ワーヴィムとケナ・テルヴァンニ・ホルダルフ・ジールは死の実験を行なっていたのではなく、魔法による拷問の限界を調べていたのだ。
ユリス: この手紙はケナ・テルヴァンニ・ホルダルフ・ジールに宛てられていません。宛先は、セデゥーラ・アイアチラ・ジールです。彼の妻でしょうか?
クラヴィデス: アイアチラ。その名前こそが巨人殺しに関連して聞いたジール家のテルヴァンニだ。侍女をここから連れ出さなければ。彼女は治癒師に行かなければならん。
クラヴィデスがアナーラを起こす。混乱している様子である。
アナーラ: 何が起きたのですか? どちらさまですか?
クラヴィデス: 心配はいらない、すべて大丈夫だ。あなたを治癒師へ連れて行く。
ユリス: 上着は必要ですか、アイアチラ?
アナーラ: いいえ、ありがとう。寒くはないです──
アナーラ/アイアチラは止まり、捕まったことに気付く。クラヴィデスとユリスは剣の鞘を払う。
クラヴィデス: 閣下、指に黒のインクが着いています。
ユリス: 扉で私を見たときに、あなたの友人であるワーヴィムが送ってきたアルゴニアンだと思った。だからあなたは、「今は駄目! どこかへ行って!」と言ったのですね。
アナーラ/アイアチラ: あなたはアナーラよりも観察力がありますね。彼女は、私が毒の呪文を3倍にして、私が観測した感じでは非常に苦しみながら息絶えるときでさえ、何が起きているのかが完全に分かっていませんでした。
ユリス: 私には最初に何をかけるつもりでしたか、雷、それとも炎?
アナーラ/アイアチラ: 雷。炎は予測しづらい。
彼女が話している最中、松明の炎が消される。舞台は完全な暗闇。
争う音がして、剣が音をたてる。突然、稲妻の閃光が走り、沈黙に包まれる。暗闇の中からアナーラ/アイアチラが話す。
アナーラ/アイアチラ: 非常に興味深い。
幕が下りるなか、さらにいくつかの雷の閃光が走る。
完}
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&furigana(じーるじょうのきょうふ)
//GOTY
2011-11-07T21:28:23+09:00
1320668903
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書物/氷とキチン
https://w.atwiki.jp/oblivionlibrary/pages/270.html
#blockquote(){氷とキチン
プレティアス・スパテック 著
物語の舞台は第二紀855年、タロス将軍がタイバー・セプティムを名乗り、タムリエルの征服に乗り出した頃にさかのぼる。その配下の指揮官の一人であるイリオロスのビアティアは、皇帝と謁見した帰り道、待ち伏せにあって驚かされることになった。彼女とその警護に当たる5人の兵士はかろうじて難を逃れたが、本隊からはぐれてしまった。みぞれの降る荒涼とした崖の岩場を、彼女たちは徒歩で進んだ。襲撃があまりにも急であったため、鎧を着る暇も馬に乗る暇もなかったのだ。
「ゴルヴィグの尾根まで行くことができれば…」と、かすみの向こうに見える峰を指さしながらアスカタス中尉が叫んだ。その声は風にかき消されてようやく分かる程度だった。「ポルフナックに駐留させた軍隊と合流できるはずです」
ビアティアは岩だらけの地形を見渡し、風にさらされ霜に覆われた木々へと目をやり、首を振った。「こっちには行けないわ。山に着くまでの道を半分も行かないうちにやられてしまうもの。木の間から、敵の馬の白い息が見えるでしょう」
彼女はゴルヴィグの尾根とは入り江を隔てて反対側にある凍てつくネローン地峡の、天守の廃墟へと警護の者たちを導いた。突き出した岩の岬に建つそれは、スカイリム北部にある他の多くの見捨てられた城郭と同じように、アカヴィル大陸に対する防御用の盾としてレマン・シロディールが築いたものの名残だった。目的地に辿り着いて火を起こしていると、ダンストラーの酋長たちが立てる音が後方から聞こえてきた。ビアティアたちが今いる場所から南西の位置に敵がキャンプを張ったことにより、彼女たちの退路は海以外になくなった。ビアティアが廃墟の窓から霧に覆われた海を見つめている間、警護の者たちは天守の貯蔵品を調べて回った。
彼女は石を放り投げ、それが霧をわずかに引きずるようにしながら氷の上を跳ね、水しぶきを立てて裂け目に落ちるのを見ていた。
「食料も武器も見当たりません、指揮官殿」と、アスカタス中尉が報告した。「倉庫には鎧が積まれていますが、長く風雨にさらされてボロボロになっています。果たして使えるものが掘り出せるかどうか……」
「ここにいても長くは持ちこたえられない」ビアティアが答えた。「夜になれば我々が脆弱になることをノルドは知っているし、この古い天守では連中を寄せつけずにいることはできない。利用できそうなものをとにかく何でも見つけ出しなさい。氷原を渡って尾根に辿り着かなければいけないのだから」
少しの間、鎧の山を調べ、何かの断片を組み合わせたりした後、護衛の者たちはひどく汚れて擦り切れ、ひび割れた2着のキチン鎧を差し出した。長年の間にこの城に踏み入って物資を略奪したであろう冒険者や海賊の中で、最も誇りのない者でさえ、こんなキチンの皮には目もくれなかったのだろう。兵士たちはあえて鎧をきれいにしようともしなかった。こびりついたほこりが唯一の接着剤となって、鎧がバラバラになるのを食い止めているように思えたからだ。
「こんなものじゃ身を守れないだろう。むしろ足手まといになる」顔をしかめてアスカタスが言った。「暗くなってから氷の上を走ろうとしても……」
「ダンストラーの酋長たちみたいに待ち伏せを計画して実行できるぐらいの連中であれば、私たちの行動は予期しているはず。奴らが近づいてくる前に急いで行動に移さなければ」ビアティアは床に積もったほこりに入り江の地図を描き、城から海を通ってゴルヴィグの尾根へと続く半円の道を描き加えた。「あなたたちはこんな風に長い道を歩いて入り江を渡りなさい。岸から離れたところなら氷が厚くなっているし、身を隠すための岩場もある」
「指揮官どのはまさか残って城を守るつもりではありませんよね!」
「もちろん違うわ」ビアティアは首を振り、城から入り江を渡って向こう岸の一番近い場所へとまっすぐに続く線を引いた。「私はキチン鎧を身につけて、この経路で行ってみる。向こう岸に着いた時に私の声が聞こえず姿が見つからないとしても、待つ必要はない──そのままポルフナックに向かいなさい」
アスタカス中尉は指揮官を思いとどまらせようとしたが、敵の注意を逸らさなければ自分たちはゴルヴィグの尾根に辿り着く前に全滅するだろうし、ビアティアが敵の注意を引きつけるという自殺的行為を部下の誰かにさせるような人間ではないことも知っていた。指揮官を守るという任務を遂行するために彼が思いつく方法は一つしかなかった。自分も一緒に行くべきだという主張をビアティアに受け入れさせるのは容易ではなかったが、ついには彼女が折れた。
日は低くなっていたが夕焼けが大きく広がり、霊的な感じのする光で雪を照らしていた。五人の男たちと一人の女は、城の下の巨岩を滑り落ちるようにしながら岸に向かった。ビアティアとアスカタスはキチン鎧が岩に当たって立てるバリバリという鈍い音を痛いほどに意識しながら、慎重かつ正確に進んだ。指揮官の合図を受けて、鎧をまとっていない四人の男たちは、北に向かって氷の上を一目散に駆けた。
岬の天守から数ヤードのところにある、最初の隠れ場所となる尖った岩のところまで男たちが辿り着くと、ビアティアは振り返って頭上から敵軍の音がしないかどうか確かめた。何の物音もしない。まだ敵の姿はないようだ。アスカタスがうなずいた。兜の奥に見えるその瞳には恐怖の色はまったくなかった。指揮官と中尉は氷の上に足を踏み出し、走り始めた。
ビアティアが城の窓から入り江を観察した時、対岸までの最短経路は、何の特徴もない真っ白な氷が延々と続いているように見えるだけだった。実際に氷の上に立ってみると、それはさらに真っ平らで殺風景な場所に感じられた。薄く垂れ込めた霧はかかとの高さまでしかなかったが、彼らが進んでいくに従い、まるで自然の指先が彼らの存在を敵に知らせているかのように、彼らの姿は完全にさらされていた。ダンストラーの偵察者が笛を吹いて上官たちに知らせる音が聞こえてきた時、ビアティアはむしろほっとする気さえしたほどだった。
敵軍が向かってくるかどうかは振り返って確かめるまでもなかった。疾走してくるひづめの音となぎ倒される木の音が、吹きつける風に乗ってとても鮮明に聞こえていた。
部下の者たちが、視界から隠れているかどうかを確かめるために北の方角を一瞥したかったが、ビアティアはあえてそうはしなかった。自分の右側からは、遅れずについてくるアスカタスの激しい息づかいが聞こえていた。彼はもっと重い鎧を身につけることにも慣れていたが、長く使われずにいたキチン鎧の継ぎ目は脆く、しかも固く、無理に曲げようとすれば自然と息が荒くなるのだった。
尾根へと続く対岸まではまだ永遠の長さがあるように感じたその時、ビアティアは、敵が一斉に放った最初の矢が飛んでくる感触と音に気がついた。大部分は鋭い音とともに足もとの氷にぶつかったが、いくつかは彼女たちの背中に命中して跳ね返った。鎧を作ってくれたのが誰であれ、とっくの昔に亡くなったはずのその無名の職人に対して、ビアティアは静かに感謝の祈りを捧げた。最初の一斉放射に続いてすぐに第2波、第3波の矢が飛んできたが、二人は走り続けた。
「ステンダールの神様、ありがとう」と、アスカタスが息を切らしていった。「もし天守にただの皮しかなければ、今頃は串刺しになっていたはずだ。ただ望むらくは…… こんなにも固くなければ……」
ビアティアは自分の鎧の継ぎ目が固くなってきているのを感じていた。一歩進むたびに、足腰にかかる抵抗は強くなっていた。対岸に近づいていることは確かだが、走る速度がどんどん遅くなっていることもまた確かだった。氷の上を追いかけて迫ってくる敵軍の恐ろしげなひづめの音が、初めて彼女の耳に入った。滑りやすい氷の上で馬を操る者たちは慎重になっており、馬を全速力では走らせないようにしていたが、それでももうすぐ追いつかれてしまうはずだということをビアティアは知っていた。
古いキチン鎧には矢をいくつか跳ね返せるぐらいの強さはあったが、馬の上から繰り出される槍にはとうてい耐えられないはずだ。時間的にどれほどの猶予が残されているのかということだけが未知数だった。
アスカタスとビアティアが向こう岸の手前に辿り着いた時、それまで雷鳴のように響いていたひづめの音が止み始めた。岸辺には巨大な岩がのこぎりの歯のように並んでおり、それが敵の進行を妨げたのだ。二人の足もとで氷がため息をつくような音を立て、それからミシミシといいはじめた。じっと立っていることができず、かといって引き返すこともできず、二人は前に向かって走ろうとした。鎧の継ぎ目のくたびれた金属に無理に力を加えた反動で彼女たちは前方に倒れて2回跳ね、巨岩のほうへと飛んでいった。
最初に氷の上で跳ねた時、爆発のような亀裂音がした。立ち上がって最後のジャンプをしようとした時にはもう水をかぶっていて、薄い鎧の中に入ってきた水はあまりにも冷たすぎて逆に炎のように感じられた。アスカタスは、岩の深い切れ目に右手でしがみついた。ビアティアは両手でしがみつこうとしたが、彼女が選んだ岩は凍っていて滑りやすかった。顔を押しつけるようにして岩にしがみついている彼女たちは、振り返って敵軍の様子を見ることはできなかった。
それでも氷が裂けていく音は耳に届いていたし、恐怖におびえる敵兵の叫びも一瞬だけ聞こえた。だがその後は、すすり泣くような風の音と、ちゃぷちゃぷという水の音以外には何も聞こえなくなった。そして間もなく、頭上の崖から人の足音が聞こえてきた。
四人の護衛たちは入り江を渡りきっていた。そのうち二人が岩場のビアティアを引き上げようとし、別の二人がアスカタスを助けようとした。あまりの重さに音を上げそうになりながらも、どうにかして彼らは指揮官と中尉をゴルヴィグの尾根のはずれの安全な場所まで連れて行くことができた。
「いやまったく、軽装鎧にしてはずいぶん重いですね」
「そうね」疲れ切った様子のビアティアが微笑み、もう誰の姿もない割れた氷原を振り返った。彼女とアスカタスが走った2本の平行線から放射状にひび割れが広がっていた。「でもたまには、それも悪くないわ」}
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&furigana(こおりときちん)
//GOTY
2011-11-07T21:18:43+09:00
1320668323
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書物/鍛冶の試練
https://w.atwiki.jp/oblivionlibrary/pages/269.html
#blockquote(){鍛冶の試練
マイモフォナス 著
300年前、それはダンマーがタムリエル全土を支配した最初で最後のことであったが、カタリアは女帝の地位に就くと、帝都議会の反対意見に直面することとなった。彼女の夫であるペラギウスが精神の治療を受けている間、いかに夫に代わって摂政をきちんと行うと説明したところで、依然議会の攻勢は衰えなかった。特にヴェンゲト公爵や従士ミングルマイアーは喜々として女帝の実践的知識のなさを世間に知らしめようとした。
そのいい例が、カタリアと議会で行ったブラック・マーシュの不安定な情勢やアルマニア近郊での帝都軍の大敗についての協議である。沼地や夏の間のうだるような暑さは従来の武器を身に着けた兵士を危険にさらす恐れがあった。
「腕利きの鍛冶屋を知っています」と、カタリアは言った。「彼の名前はハザジール、アルゴニア人で我が軍が直面している状況を熟知しています。私は彼が鍛冶屋の親方の下で奴隷として働いている時にヴィヴェックで知り合ったのですが、今は自由の身となり、帝都に移り住んでいます。ぜひ彼に今回の作戦に適した武具を作ってもらいましょう」
これを聞いたミングルマイアーは突如大きな笑い声をあげ、「女帝が我が軍に持たせる武具を奴隷に作らせようとは! 帝都で一番優秀な鍛冶屋と言えばシロラス・サッカスです。それはみなが知っています!」と言った。
長い議論の末、2人の鍛冶屋にこの任務をめぐって競わせることになった。議会は力と腕前が同じくらいの2人の戦士、ナンドール・ベライドとラファラス・エールを選び出し、実戦さながらに武装させ2人を戦わせることにした。その勝者が身に着けていた武具を作った鍛冶屋がこの勝負に勝ったものとし、今回の依頼を引き受けさせる。ベレイドはハザジールの武具を、エールはサッカスの武具をそれぞれ身に着けることになった。
勝負は7日後に執り行われることになった。
シロラス・サッカスは早速、作業に取り掛かった。もっと時間が欲しかったが、彼は今回の試験の本質を見抜いていた。アルマニアにおける現状は差し迫ったものである。帝都は早急に鍛冶屋を選び出したいのだ。そして選ばれたあとも、ブラック・マーシュにいる帝都軍のため早く、最上の武具を作らねばならぬ。彼らが求めているのは単に優秀な鍛冶屋ではない。それは明らかなことだ。
サッカスが半インチほどの未加工のオーク材を蒸気で曲げ、鎧の継ぎ目にあてるバンドに差し入れていたその時、彼の弟子ファンディアスがドアをノックし、客人を案内してきた。その客人は背が高い爬虫類系で、光沢のない緑色の縁のついたフードをかぶり、目を黒々と光らせ、つや消しの茶色のマントを着ていた。それは女帝が推薦する鍛冶屋、ハザジールであった。
「お互いに頑張りましょう──おや、これは黒檀ですか?」と、ハザジールは言った。
まさにその通りであった。サッカスはこの話を聞いたあとすぐに帝都で最上質の黒檀を手に入れ、溶錬の行程に入っていた。普通ならばこの精製に6ヶ月はかかるのだが、マジカの白色炎を注入された巨大熟成炉はこの行程を3日に短縮した。サッカスは誇らしげに武器製作に有利な品々を指差した。大剣の刃を驚くほどの鋭さに研ぎ上げる過酸化石灰。アカヴィリの溶鉄炉と黒檀を自由に折り曲げられるペンチ。ハザジールは笑顔を見せた。
「私の鍛冶場へ来られたことはありますか? 煙の充満する部屋も2つしかない小さなところです。前に店を構え、裏にあるのは壊れた武具、金づちがいくつか、それに溶鉄炉がひとつ、それだけです。それがあなたと数百万金貨をかけて帝都の依頼を争う相手です」
「しかし、女帝はあなたに自国の軍の武具を作らせたいと思うほどに信用を寄せているのも確かです」とサッカスは穏やかに言った。彼は依然にハザジールの店を見かけたことがあり、彼が嘘をついていないことは分かっていた。そこはスラム街にたつ哀れなほどの作業場で、ちょっとした冒険用の鉄のダガーを作ったり、銅鎧を修理する程度のものであった。サッカスは相手の不利な点は考えず、自分は最高品質のものを作ろうと決めていた。それが彼のやり方であり、その考え方こそが彼を帝都でもっとも優秀な鍛冶屋たらしめるゆえんであった。
だが一方で親切心から、またいくばくかの自尊心から、サッカスは真のプロの鍛冶屋がどうあるべきかをハザジールに見せた。アルゴニア人はサッカスの弟子であるかのように彼の立派な黒檀の精製を手伝った。黒檀を鍛え、冷めれば曲げた。数日間の共同作業で、2人は蚊のまゆげを整えられるほどに鋭い刃を持つすばらしい大剣を作り出し、帝都の闘士に長さに合った炎の魔法をかけてもらった。さらに木、皮、銀、黒檀を材料に、オブリビオンから吹く風にも負けない武具一式を作りだした。
サッカスとハザジール、そして弟子のファンディアスの3人は武具を磨き上げ、ラファラス・エールへ一式を渡しに行った。それからハザジールはナンドール・ベレイドが武具を身に着けるべく自分の店の前で待っているであろうことに気づいて戻って行った。
2人の戦士が競技場の女帝と議会員の前に姿を現した。競技場はブラック・マーシュに似せて、沼地のような状態になっていた。重い黒檀の鎧に身を包み、赤々と燃える大剣をひっさげたエールは、ハザジールの店そのままのような埃と錆だらけの軽装な武具に身を包んだベレイドの姿を見て、勝利の軍配はどちらに上がるか分かったような気がした。そしてそれは正しかった。
エールの大剣から振り下ろされた一撃は、攻撃をはね返す金属の装飾のついていない、軟らかな盾に食い込んだ。エールが剣を引き抜く前に、ベレイドは炎を上げだした剣が刺さったままの盾を放り投げ、エールの鎧の黒檀でできた継ぎ目の部分を槍で突いた。エールはどうにか壊れた盾から剣を引き抜きベレイドに向かって一振りするも、彼の軽い鎧はうろこ状に曲がって攻撃をかわした。大剣の行く先は水中へと転じその炎は失われた。ベレイドがエールの足を引っ掛けると彼はそのままどろどろの地面に倒れこみ、動きを止めた。女帝は喜びに震え、勝利者の名前を叫んだ。
ハザジールは帝都から依頼を受けた。彼はアルゴニアの戦術や武器について知識を持ち、それに対抗する最上の方法を知っていたので、アルマニアで巻き起こる反乱を鎮圧させるための武器を作ることができた。女帝は議会とミングルマイアーからしぶしぶながらも尊敬を勝ち取った。サッカスはハザジールと同じことを習得するため、モロウウィンドへと旅立ったがその後の消息は不明である。}
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&furigana(かじのしれん)
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2011-11-04T22:11:06+09:00
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書物/ケメル・ゼーの廃墟
https://w.atwiki.jp/oblivionlibrary/pages/268.html
#blockquote(){ケメル・ゼーの廃墟
ロナルド・ノードセン 著
帝都協会で浴びた拍手喝采がまだ耳に残っているうちから、私はもうモロウウィンドへ戻る決心をしていた。帝都での贅沢な暮らしが名残惜しくないと言ったら嘘になるが、ラレド・マカイから持ち帰った驚きなど、モロウウィンドにあるドワーフの遺跡の上っ面をなぞっただけのものでしかない。あそこにはまだ目を見張るような宝が埋もれていて、掘り起こされるのを待っているのだ。出発しないわけにはいかなかった。それに、哀れなバナーマンの示唆に富む前例もあった。二十年前、ブラック・マーシュで一度きりの発掘を行い、今になってもそのおこぼれで食いつないでいるような男になるつもりなどない。私はそう誓ったのだ。
女王の手紙を持っていたので、今回ばかりは帝都政府も全面的に協力してくれそうだった。もう、迷信深い地元民に襲われる心配もない。が、いったい次はどこを探せばいいのだろう? ケメル・ゼーの廃墟は妥当な選択だった。ラレド・マカイのように廃墟にたどりつくまでが苦しいということもない。“崖の街”としても知られるケメル・ゼーはヴァーデンフェル断層の本土側にあって、断崖絶壁の海岸線のたもとに広がっている。ヴァーデンフェルの東海岸からなら海路で訪れるのが一般的だが、近くの村から陸をとっても、余計な苦労を背負い込むことなくたどりつける。
探検チームがセイダ・ニーンに集結すると、こうした文明の遅れた土地での作業につきものの面倒をうんざりするほど抱えたまま、私たちは廃墟にほど近いマログの村へと出発した。発掘の作業員はその村で雇えばいいだろう。私の通訳を担当するツエン・パナイはダークエルフらしからぬ陽気な男で、地元の軍司令官から推薦されてセイダ・ニーンで雇ったのだった。パナイいわく、ケメル・ゼーを熟知しているマログの村人たちは、祖先の代からあの廃墟を荒らしているらしい。ついでだが、テン・ペニー(その場でつけた彼のあだ名で、本人も気に入っていた)は雇っても後悔させない男で、モロウウィンドの原野への似たような探検を考えている同僚がいたら、ためらうことなく彼を推薦しようと思う。
マログ村で最初の困難にぶつかった。控えめで気品のある村の長は快く協力してくれそうだったが、村の僧侶(この地で信仰されている、モロウウィンドの王宮に住んでいるという法廷なる存在を崇拝するくだらない宗教の代表者)が廃墟の発掘に対して激しく抗議してきたのだ。この僧侶は、この発掘が“宗教的禁忌”にあたると訴えかけることで村人を懐柔しにかかったが、私が女王の手紙を彼の鼻先で振ってみせ、セイダ・ニーンに詰めている軍司令官の友人のことを口に出すと、たちまち静かになった。この猿芝居が、村人が画策した賃上げ交渉の基本戦術であることは疑いようがない。とにもかくにも、僧侶は何やらつぶやきながら歩き去った。外国からやってきた魔性のリーダーに呪いをかけているのだろう。ほどなくして、なんとしても作業員の職につきたいという顔をした村人が列を成した。
契約条件や支給品などの委細を煮つめるのは助手に任せておいて、私とアルム師は廃墟まで馬を駆った。陸路から廃墟へ向かうには、断崖の壁面に沿って上からうねうねと伸びている小道を通らなければならず、一歩間違えば、眼下のいかつい岩場で渦巻いている海へと転がり落ちていくことになる。街への入口はもともと北東にあったに違いない。はるか昔、赤き山の噴火によってこの度肝を抜かれる火口が生まれたときに、それは海面下に沈んでしまっていたのだが。足場のぐらつく小道を首尾よく突破すると、大部屋のような場所へやってきた。片側は吹き抜けになっていて大空が広がり、もう片側は闇の中へ消えていた。歩を進めていくと、鉄くずの山をブーツで踏みつけた。古代遺跡で見かける陶片のように、ドワーフの廃墟ではお馴染みのものだ。略奪者たちはきっとこの場所で、遺跡の奥から見つけてきたドワーフ製の機械から金になる外殻だけをはぎ取り、無駄な部品を置き去りにしたのだろう。そのほうが、機械を分解しないまま崖のてっぺんまで運ぶよりはずっと楽だろう。何人もの戦士が知らず知らずのうちにドワーフ製の機械の一部を背負いながらタムリエルを歩きまわっている姿が浮かんできて、私はほくそ笑んだ。もちろん、それがたいていの“ドワーフの鎧”の正体、つまり、古代の機械人間の強化外骨格にすぎないのだ。完全な姿の機械であったら、どのくらいの値がつくのだろうと思い、ふと我に返った。大広間の床を埋めつくす鉄くずの量から判断するに、この廃墟がドワーフ製の機械装置の宝庫であることは確実だろう、いや、確実だったろう。何世紀もかけて、略奪者はここを荒らしまくってきた。外殻だけでも、鎧として売れば、まとまった金になるのだ。たいていのドワーフの鎧は雑多な部品の寄せ集めのため、かさばって扱いにくいというのが通説だ。が、完全な一体の機械から作られる鎧一式なら、金に換えられる以上の価値があるだろう。すべての部品が滑らかに重なり合い、そのいかつさがほとんど気にならなくなるのだから。もちろん、どんなに価値があろうとも、見つけた鎧を壊すつもりなど毛頭ない。科学的研究のために協会に持ち帰るつもりだった。今度の講義で鎧をお披露目したときの同僚たちの驚嘆ぶりを思い描いて、私はまた微笑んだ。
私は足元の鉄くずの山から、捨てられた歯車を拾った。まだ新品のように輝いていた。ドワーフ製の合金は時が経っても腐食しない。目の前に横たわる空洞の迷宮にはいったいどんな秘密が眠ったままになっているのだろうか。略奪者の企みを寄せつけないまま、気の遠くなるような時間を経て再び光のもとにさらされ、輝く時を待っている。私のことを待っている。私が見つけるためだけにとどまっている。急き立てるようにアルム師を手で呼んでから、私は暗がりに歩を進めた。
アルム師、テン・ペニー、そして私は数日間かけて廃墟を探検した。助手が崖のてっぺんに野営地を設営し、村から物質や装備品を運んできてくれた。私は実りの多そうな場所が見つかればいつでも発掘に取りかかるつもりでいた。廃墟内の前人未到の場所へと続く、略奪者の触れていない封鎖された通路や廊下が見つかれば。
そういった場所はすでにふたつほど見つけていたが、すぐに、何本かの曲がりくねった通路が封鎖地点を迂回して背後にある部屋へと通じていることがわかった。こうした外縁地域にも略奪者の手は伸びており、何世紀にもわたる発掘でほとんど秘宝は奪われていたものの、目に映るものすべてに考古学者の興味はそそられた。はるか昔の地殻変動で蝶番がふっ飛んでしまった巨大な青銅の扉の背後に、壮麗な彫刻が壁に施された大部屋を発見した。疲れ果てていたテン・ペニーでさえも目を見張っていた。彼はモロウウィンドのドワーフの廃墟なら完全踏破したと豪語していたのだが。壁の彫刻はなんらかの古代の儀式を描いたものらしかった。古典的なあごひげを生やしたドワーフの長老が長い列を成して横の壁を行進していた。どのドワーフも、正面の壁に彫刻された巨大な神らしきシルエットにお辞儀をしているように見えた。そのシルエットは山の火口から一歩踏み出し、煙か水蒸気の雲に飛び込もうとしていた。アルム師の話では、これまでにドワーフの宗教儀式が描かれたことはなく、とても刺激的な発見だと述べた。私は作業班に命じて、彫刻された石版を壁からはぎ取らせようとしたが、表面を傷つけることさえできなかった。詳しく調べてみると、この大部屋は手触りも見た目も石に模した金属性物質で表面加工されているため、手持ちのツールではまったく歯が立たなかったのだ。アルム師の魔法で壁を爆破してもらおうかと考えたが、彫刻そのものを破壊してしまうリスクを負うことはできず、諦めた。これらの彫刻を帝都に持ち帰りたいのはやまやまだったが、石ずりをとるだけで我慢した。協会の同僚が興味を示せば、石版を安全に取り外せるだけの知識が備わった、名人級の錬金術師のような専門家を紹介してもらえるだろう。
私は変わった部屋をもう一つ、蛇行する長い階段のてっぺんに見つけた。天井から落っこちた瓦礫をかき分けてなんとか進んだ。階段を上がりきると丸天井の部屋になっていて、大がかりな壊れた装置が中央に据えてあった。丸天井の表面のところどころに星座が描かれているのが今もまだ見てとれた。この部屋は天文台のようなもので、中央の装置はドワーフ式天体望遠鏡の残骸だろうということで、アルム師と私の意見は一致した。装置を取り外して狭い階段で運び下ろすには、完全に分解する必要があった。(だからこそこの装置は略奪者の目に留まらずに済んだのだろう)ため、ひとまずは持ち帰るのを諦めることにした。が、この天文台の存在が、この部屋がかつて地上に出ていたことを示唆していた。構造を細かく調べてみると、この部屋は堀り穿たれたわけではなく、実際の建物であることがわかった。もう一つの出口は完全に塞がれていた。崖のてっぺんから最初の部屋まで、さらにこの天文台までの深さを慎重に測定してみたところ、私たちは現在の地表から250フィート以上も地下にいることがわかった。もはや忘れられているが、赤き山の噴火はそこまで凄まじいものであったのだ。
この発見によって、私たちの意識はさらなる地下へと向けられた。古代の地表のおおよその位置がわかった今、それよりも上にあるふさがれた通路は無視してもよくなった。私の興味をとらえたのは、模様の彫られた円柱が両端に並んだ幅広の通路だった。はなはだしい落石のせいで行き止まりになっていたが、略奪者の掘ったトンネルが瓦礫の山の途中まで続いていた。発掘チームとアルム師の魔法が揃えば、先駆者が諦めた地点から作業を引き継ぐことができそうだった。ダークエルフのチームを呼んで通路を片づけさせ、ようやくケメル・ゼーの本格的な発掘にとりかかれる。私は安堵した。じきにこのブーツで、世界が始まってから一度も踏みつけられたことのない埃を巻き上げることになるのだろう。
こうした期待感に興奮しすぎたのか、私は採掘人をいささか追い立てすぎてしまったようだ。テン・ペニーの報告によると、彼らは労働時間の長さに文句をつけはじめ、こんな仕事はやってられないと口にする者までいるらしい。ダークエルフに気合を入れ直させるには鞭で脅すのが一番だというこを経験上学んでいたので、私は彼らのリーダーを鞭打って、通路が確保されるまで残りの採掘人たちを働かせた。セイダ・ニーンから数名の帝都兵を同道させたのは正解だった。採掘人たちは最初こそ渋い顔をしていたが、トンネルが貫通したさいには一日分のボーナスを与えると約束すると、意気揚々と作業に取りかかった。文明生活に慣れてしまっている読者には野蛮なやり方に聞こえるかもしれないが、こういう人種を作業に従事させるにはこうするより他はないのだ。
落石の規模は思ったよりもひどかった。結局、通路を確保するまでにほぼ二週間を要した。採掘人のつるはしが最後の穴を開けて反対側の空洞へと抜けたときには、私も彼らに混じって大喜びし、終わりよければすべてよしという意味で地元の酒をまわし飲みした(ひどい味だったが)。採掘人が向こうの部屋に進めるよう穴を広げるのを見ながら、私ははやる気持ちを抑えられなかった。この通路は古代都市の新たな階層へ続いていて、そこには消息を絶ったドワーフの残した秘法が埋まっているのだろうか。それともただの袋小路で、どこにも続いていない横道にすぎないのだろうか。私は興奮に打ち震えながら穴をくぐり抜け、その先の暗闇でしばらくしゃがんでいた、足元で砂利が擦れる音がして、あたりに鳴り響いた。大きな部屋にいるらしかった。それもかなり大きな部屋だ。私はゆっくりと立ち上がり、ランタンの覆いを取り払った。灯りが部屋を満たし、呆気に取られながら部屋を見渡した。それは想像を遥かに超える驚愕すべき光景だった。
ランタンの漏らす光が落石地点の向こうの部屋を満たしていき、私はまたもや驚きの眼差しをぐるりと投げかけた。ドワーフ製の合金の放つほのかな輝きで満ちていた。古代都市の未知の領域に足を踏み入れたのだ! 興奮のあまり心臓が早鐘を打っていた。私はあたりを見渡した。部屋はあきれるほど巨大で、天井はランタンの光が届かない闇まで突き抜けていた。部屋の奥は暗くてよく見えないが、思わせぶりな光のまたたきが、まだ見ぬ宝物の存在をほのめかしていた。両側の壁に沿って機械人間が立ち並んでいて、荒らされた様子はなかったが、奇妙な点がひとつだけあった。儀式的な意味でもあるように、その頭部が取り外されて足元に置かれていたのだ。考えられることはただひとつ。私は偉大なドワーフの貴族の墓を発見したのだ。ひょっとすると、ドワーフの王のだ! この種の墓所は何度か発見されていて、もっとも有名なのはランサム率いるハンマーフェルの発掘で出土したものだろう。が、完ぺきな状態の墓は未発見だった。そう、今までは。
が、これが本当に王族の墓所だとしたら、その主はどこにいるのだろう? 私はそろそろと前進した。時代を超えてそうしてきたように、頭のない人形の列が静かに立ちすくんでいる。取り外された頭部の瞳で見つめられているような気になった。ドワーフの呪いに関する突拍子もない話ならさんざん聞かされていたが、私はそのたびに迷信だと笑い飛ばしていた。が、今こうして、この都市を作った謎の建築家が吸ったのと同じく空気を吸っていると、そして彼らに災いをもたらした天変地異が起きてからひっそりと眠りつづけていた都市に立っていると、恐怖心がわいてきた。何らかの力が漂っている。私の存在に立腹している邪悪な力が。私はしばらく立ち止まって耳をすませた。ひっそりと静まり返っていた。
いや…… かすれるような音が聞こえてきた。呼吸するように一定の間隔で。私はパニックに襲われそうになるのを懸命にこらえた。武器もない。塞がれた通路の向こうを探検したいと気が急くあまり、危険が待っているなどはつゆほども思わなかった。脂汗をたらしながら、気配を感じようと暗がりに視線を這わせた。部屋は暖かい。ふと気づいた。これまでのどの部屋よりもかなり暖かく感じる。興奮が舞い戻ってきた。いまだに機能している蒸気パイプ網につながっている区画を見つけたのだろうか? 廃墟のいたるところで見かけた配管が壁沿いに走っていた。私は配管に近づいて触れてみた。ほとんどさわれないほど熱かった。古代の配管のあちこちが腐食して、か細い蒸気が噴き出しているのがわかった。私が聞いた音はこれだったのだ。みずからの早計さを笑った。
さて、私はさっそうと奥まで進んだ。ついさっきまでは気圧されそうな迫力があった機械戦士たちに笑顔で敬礼をしながら。光が数世紀ぶんの闇を追い払っていき、台座にそびえるドワーフ王の巨大な彫像が露わになっていくにつれて、私は勝利の笑みを浮かべた。ドワーフ王はその鉄の手に錫杖をにぎっていた。これまでの苦労が報われたぞ! 私は台座をゆっくりとひと回りし、古代ドワーフの職人芸にため息をもらした。黄金の王は高さが20フィートほどで、ドーム型のクーポラの下に立っていた。先端が反り返った長いあごひげを威厳たっぷりにたくわえていた。ぎらつく鉄の視線にずっと追われているような気がしたが、私の迷信深さはもう消えていた。私は慈しむように古代ドワーフ王を眺めた。わが王、既にそんなふうに思いはじめていた。台座に乗っかって彫刻された鎧を間近で観察しようとした。と、彫像の眼が開き、篭手をつけた拳を振りあげて殴りかかってきた!
黄金の腕が振り下ろされ、私は身を翻してかわした。直前まで立っていた場所から火花が飛び散った。蒸気を吹き、歯車をきしませながら、彫像はぎこちない動きでクーポラの天蓋から歩み出ると、ものすごい勢いで私のほうへ迫ってきた。慌てて後ずさりをする私の姿をその眼が迫っていた。またもや拳が振り下ろされると、私は円柱の陰にさっと隠れた。うろたえるあまりランタンを落としてしまい、光の池から闇の中へとすべり込んだ。あわよくば、顔のない像の間をすり抜けて安全な通路まで逃げられるようにと。怪物はどこにいったんだ? 20フィートもある黄金の彫像を見失うなんてありえないと思うだろうが、王の姿はどこにもなかった。弱々しいランタンの火がわずかに部屋を照らしていた。暗がりのどこに王がいてもおかしくなかった。私は這うように進んだ。何の前触れもなく、目の前に並んだつやのないドワーフ戦士が飛び上がるや、怪物のような守護神が目の前にそびえ立っていた。逃げ道をふさがれた! 執念深い機械が矢継ぎ早にパンチを繰り出しながら追ってきて、私は後方へかわしながら逃げた。やがて、部屋の片隅に追いつめられた。逃げ場所も絶たれてしまった。壁を背にして立っていた。私は敵をにらみつけて覚悟を決めた。巨大な腕から最後の一撃が振り下ろされた。
そのとき、広間に閃光が殺到してきた。紫のエネルギー弾がドワーフの怪物の鋼鉄の殻を引き裂いた。怪物の動きが止まった。新たな敵の姿を認めようとして半分振り向いたところだった。アルム師が駆けつけてくれた! 私が歓喜の声をあげかけた時、巨像がこちらへ振り向いた。アルム師の放った稲妻の魔法にもびくともせず、最初の侵入者を叩きつぶそうと決心していた。私は叫んだ。「蒸気だ、蒸気を使え!」巨像は拳を振り上げて私を地面にめり込ませようとした。しゅっという音とともに冷気が吹き抜け、私は顔を上げた。怪物が氷の殻に覆われていた。今まさに私に仕留めようとする姿で。アルム師はわかってくれたのだ。私はほっとして壁にもたれた。
氷がひび割れた。巨大な黄金の王が目前にそびえていた。氷の殻がはがれ落ちると、勝ち誇ったような顔で私のほうを向いた。このドワーフの怪物を止める手立てはないのだろうか? と、彫像の眼から光が消え、腕をだらりと下げた。氷の魔法が奏功し、蒸気機関が冷やされたのだ。
アルム師と採掘人がやってきて私を取り囲み、奇跡の生還を祝福した。私はぼんやりとしていた。帝都に帰還したらどうなるだろうか。きっと最大級の賛辞を浴びることだろう。越えることのできない発見をしてしまったのだ。次の道を模索する時なのかもしれない。伝説の“アルゴニアの瞳”を探し当てたら…… またもや大騒ぎになるぞ! 私はほくそ笑んだ。この瞬間の栄光を満喫しながらも、次の冒険に思いを馳せていた。}
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&furigana(けめるぜーのはいきょ)
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2011-11-04T22:07:15+09:00
1320412035