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今宮健太 背番号2 内野手 -たかせんでの呼び名は「イマミー」など。チーム内では「健太」「ナウミー」と呼ばれているもよう。また、後述の「坊西ィ!」事件以後は、&bold(){「坊西」}と呼ばれることもある、と書くと何が何だか。 -2009年ドラフト1位で大分県の明豊高校から入団。城島と出身校が同じであることや、期待を受けて背番号「2」を与えられる。 -守備力と負けん気の強さ、真面目さがウリ。そして極度の人見知り。一発を放つ力もある。特に守備面での評価は高く、ルーキーイヤーには同じく高卒で入団した[[川﨑>川崎宗則]]の一年目を凌駕するとの声もあった。2012年に、当時解説者をつとめていた水上さんに、「私は守備を見る目は厳しくなりますが、今宮は12球団一上手いショートだと思いますね」と絶賛されている。鳥越ドヤッ ただし、時々簡単なポロリもする。 -2013年にGG賞を受賞したが、2014年6月8日の阪神戦で、上本の打球を後ろ向きで追いかけ、[[一度グラブからボールが出るも空中で二度目のキャッチを行ったプレー>http://www.youtube.com/watch?v=Rwg-q0zdoSg]]で、阪神ファンからも大喝采。セファンにも広くその守備力が知れ渡った。 -打撃面では[[内川のバッティングフォームを取り入れており>http://www.fbs.co.jp/yume/oainfo/onair_1680249.html]]、たまにスレでミニ内川と呼ばれる。 -高校球児の血が騒ぐのか、夏場に強く、スレで&bold(){「夏の今宮」「夏宮」}と呼ばれることも。[[城所>城所龍磨]]「ん?」 また、打つと&bold(){「これは明豊今宮」}と書きこまれることもある。 **高校時代 -明豊高校時代は投手兼遊撃手として、小柄ながら高校通算62HRを記録。&bold(){「九州の怪童」}という渋い二つ名を持っていた。 -高校三年の夏には甲子園に出場。一回戦では後にチームメイトとなる[[島袋洋奨]]のいる興南高校、二回戦では秋山拓巳(虎)のいる西条高校、三回戦は庄司隼人(鯉)のいる常葉橘、準決勝では菊池雄星(獅子)のいる花巻東という、ものすごい顔ぶれと対戦している。 -庄司隼人(鯉)がエースをつとめる常葉橘戦では、「ずっとライバル視していた」という庄司から、&bold(){全球ストレート勝負}を持ちかけられるという漫画の主人公みたいなシーンも。見事打ち返し、試合後には庄司からバッティンググローブを渡され激励されるシーンが「熱闘甲子園」にて取り上げられた。 -準決勝で、菊池雄星(獅子)率いる花巻東に延長で敗れはしたが、同点で迎えた9回に前の投手が残したランナーを塁においた場面で再登板。自身の持つ152km/hを超える&bold(){154km/h}を記録するなど、やっぱり漫画の主人公みたいなことをしてピンチを抑え、鮮やかな記憶を残した。 -小柄ながら、上記のように甲子園を湧かせたこと、2012年にレギュラー争いまでこぎつけたことが理由か「ホームラン3月号(2012年)」内で第84回センバツ出場全32校主要640選手を対象に行われた好きな選手アンケートにて、現ホークス選手の中で一番多くの投票数を獲得した。 **入団後 -入団2年目となる2011年シーズンには、内之倉隆志以来21年ぶりとなる10代での開幕一軍入りスタート。2011年4月12日の開幕戦(檻戦)の12回裏に途中出場し、プロ初出場とした。その後は代走や守備固めの場面で使われるも、首脳陣の考え(と彼に打席が回ってこない程度の野手陣の攻撃の繋がり)からか圧倒的に打席が回らなかった。 -[[川﨑>川崎宗則]]がマリナーズへ移籍した2012年シーズンは、開幕遊撃手の座を狙い、[[明石>明石健志]]とほぼ一騎打ち。打撃は明石>今宮、守備は今宮>明石と一長一短の争いの中、打撃好調の明石に開幕遊撃手の座を奪われるも、明石のゆるふわ送球や[[本多>本多雄一]]・[[松田>松田宣浩]]の怪我により終盤は遊撃手として定着した。課題の打撃も、「バットに当たるようになる」→「一日一善」→「マルチ」→「初HR体験」と、急成長すぎる年となった。自身初となるCSでも、初打席でスクイズを決めてみせる。 -2013年には本多の不調により2番に定着することが増えると、[[ペーニャ>ウィリー・モー・ペーニャ]]に&bold(){「ミスター・バント」}と呼ばれるほど、シーズン歴代犠打記録3位タイとなる実に「62」の犠打を決めるなど(パでは新記録)、飛躍の年とした。守備も高く評価され、この年自身初となるGG賞を受賞。 -2014年は打率が.240と去年より落ちたものの、ハムの武田久や竜の岩瀬を打つなど要所で印象的な打撃を見せた。プロ野球史上初となる2年連続60犠打を達成。2016年6月2日の竜戦で史上最年少で200犠打を記録した。 **エピソード -誕生日は7月15日で、[[ほあっさん>帆足和幸]]と一緒。 -2016年オフに年下の女性と結婚したことが報じられた。 -プロ一年目で迎えた初の納会ゴルフでは、まさかの&bold(){野球帽&野球ウェア}で登場。おろしたての靴は天候が悪くドロドロ…という散々な中、ゴルフ初体験で前半はボロボロながら、後半には持ち前の運動神経の良さを見せた。 -「パイの実」にハマっているらしく、毎日寝る前には欠かさないとか。お部屋紹介の企画でも、ばっちりパイの実が部屋に常備されている様子が写真におさめられている。逆に、苦手な食べ物はナスビ。どうやら野菜全般ダメな様子。 -やや?2323疑惑があり、[[この人>攝津正]]に並んでその具合を心配する住民もチラホラ。 -男3人兄弟の末っ子であり、兄は住職をしている(かつては祖母が住職をつとめていた)。今宮もいずれ的場のように住職ネタを繰り出す可能性が…?頭髪的には素質は充分である。 -プロ初のタイムリーエラーをした時には悔しさから涙を見せた。「配球から自分の方に来るのはわかっていて準備していてのエラー。悔しくてたまらなかった」 -年下の投手が登板すると「俺のところへ打たせろ」と言ったり、兄貴らしく接することも。今宮△。2012年8月4日の[[武田>武田翔太]]先発試合では、プロ初HRまで決めてしまった。 -ローカル番組内でお立ち台についての意気込みを尋ねられ、[[内川>内川聖一]]や[[松田>松田宣浩]]のようにやったらウケなさそうなので、[[攝津>攝津正]]のようなクールなヒーローインタビューをやりたいと語っていた。 --が、プロ初のお立ち台では、[[同郷の先輩>内川聖一]]に無茶ぶりという名のプロの洗礼を受け「マジでヤバイっす」と大いに慌て、たかせんを和ませる。 -[[ギータ>柳田悠岐]]を朝の練習前に起こすのが一時の日課だったようだ(二人とも一軍時限定?)。他にも、&bold(){偶然同じ日に同じ店でネックレスを買ったことも}。雑誌で、「お互いがもし異性だったなら、どんな関係?」と尋ねられると、二人して「恋人」と答えている。あのさぁ…。年齢は柳田が上であるが、他の何人かの年下選手同様、彼のことを「ギータ」と呼んでいる。また、同じく年上である[[松田>松田宣浩]]に対しても、試合中にとっさに声をかける場合は「松田さん」だと呼びづらいため、「マッチ」と呼んでいるのだそう。 -納会ゴルフの服を今宮が見立てるなど同級生の[[森くん>森唯斗]]とも仲が良く、トークショーでは仲を突っ込まれた森くんが「そんなに会話はしないけど、無言でも2人で居ることが出来る仲です」と発言した。 -2013年9月4日の日ハム戦では、パ最長試合となり、登板していない自軍投手は[[柳瀬>柳瀬明宏]]だけ、という事態が発生。スレ住民や首脳陣が、もしものリリーフに今宮を想定する中、本人も「パッと見たらホワイトボードにもう柳瀬さんしかいない状態だったので、何かあれば行く気持ちでしたよ」と、やる気満々だったらしい。 -カープ・菊池の著書『二塁手革命』では、[[ギータ>柳田悠岐]]、[[晃>中村晃]]とともに、菊池が選んだ[菊池ジャパン]のメンバーにサードとして選出されている。選出理由は「守備感覚が優れており僕に似ている。サードで見てみたい」からとのこと。 **「坊西ィ!」 -2014年8月10日の対日ハム戦で、今宮ファインプレー時に実況の四家アナが思わず、「いやー、この3連戦は今日のエラーも含めて、今宮あまり良い所が無いんですがね、&bold(){坊西ィ!}」と、この日解説をつとめた坊西さんと今宮を呼び間違えてしまった事件。今宮ファインプレー時に「坊西ィ!」と書き込まれることがあるのはこのためなんですね、坊西ィ!
今宮健太 背番号6 内野手 -たかせんでの呼び名は「イマミー」など。チーム内では「健太」「ナウミー」と呼ばれているもよう。また、後述の「坊西ィ!」事件以後は、&bold(){「坊西」}と呼ばれることもある、と書くと何が何だか。 -2009年ドラフト1位で大分県の明豊高校から入団。城島と出身校が同じであることや、期待を受けて背番号「2」を与えられる。 -守備力と負けん気の強さ、真面目さがウリ。そして極度の人見知り。一発を放つ力もある。特に守備面での評価は高く、ルーキーイヤーには同じく高卒で入団した[[川﨑>川崎宗則]]の一年目を凌駕するとの声もあった。2012年に、当時解説者をつとめていた水上さんに、「私は守備を見る目は厳しくなりますが、今宮は12球団一上手いショートだと思いますね」と絶賛されている。鳥越ドヤッ ただし、時々簡単なポロリもする。 -2013年にGG賞を受賞したが、2014年6月8日の阪神戦で、上本の打球を後ろ向きで追いかけ、[[一度グラブからボールが出るも空中で二度目のキャッチを行ったプレー>http://www.youtube.com/watch?v=Rwg-q0zdoSg]]で、阪神ファンからも大喝采。セファンにも広くその守備力が知れ渡った。 -打撃面では[[内川のバッティングフォームを取り入れており>http://www.fbs.co.jp/yume/oainfo/onair_1680249.html]]、たまにスレでミニ内川と呼ばれる。 -高校球児の血が騒ぐのか、夏場に強く、スレで&bold(){「夏の今宮」「夏宮」}と呼ばれることも。[[城所>城所龍磨]]「ん?」 また、打つと&bold(){「これは明豊今宮」}と書きこまれることもある。 **高校時代 -明豊高校時代は投手兼遊撃手として、小柄ながら高校通算62HRを記録。&bold(){「九州の怪童」}という渋い二つ名を持っていた。 -高校三年の夏には甲子園に出場。一回戦では後にチームメイトとなる[[島袋洋奨]]のいる興南高校、二回戦では秋山拓巳(虎)のいる西条高校、三回戦は庄司隼人(鯉)のいる常葉橘、準決勝では菊池雄星(獅子)のいる花巻東という、ものすごい顔ぶれと対戦している。 -庄司隼人(鯉)がエースをつとめる常葉橘戦では、「ずっとライバル視していた」という庄司から、&bold(){全球ストレート勝負}を持ちかけられるという漫画の主人公みたいなシーンも。見事打ち返し、試合後には庄司からバッティンググローブを渡され激励されるシーンが「熱闘甲子園」にて取り上げられた。 -準決勝で、菊池雄星(獅子)率いる花巻東に延長で敗れはしたが、同点で迎えた9回に前の投手が残したランナーを塁においた場面で再登板。自身の持つ152km/hを超える&bold(){154km/h}を記録するなど、やっぱり漫画の主人公みたいなことをしてピンチを抑え、鮮やかな記憶を残した。 -小柄ながら、上記のように甲子園を湧かせたこと、2012年にレギュラー争いまでこぎつけたことが理由か「ホームラン3月号(2012年)」内で第84回センバツ出場全32校主要640選手を対象に行われた好きな選手アンケートにて、現ホークス選手の中で一番多くの投票数を獲得した。 **入団後 -入団2年目となる2011年シーズンには、内之倉隆志以来21年ぶりとなる10代での開幕一軍入りスタート。2011年4月12日の開幕戦(檻戦)の12回裏に途中出場し、プロ初出場とした。その後は代走や守備固めの場面で使われるも、首脳陣の考え(と彼に打席が回ってこない程度の野手陣の攻撃の繋がり)からか圧倒的に打席が回らなかった。 -[[川﨑>川崎宗則]]がマリナーズへ移籍した2012年シーズンは、開幕遊撃手の座を狙い、[[明石>明石健志]]とほぼ一騎打ち。打撃は明石>今宮、守備は今宮>明石と一長一短の争いの中、打撃好調の明石に開幕遊撃手の座を奪われるも、明石のゆるふわ送球や[[本多>本多雄一]]・[[松田>松田宣浩]]の怪我により終盤は遊撃手として定着した。課題の打撃も、「バットに当たるようになる」→「一日一善」→「マルチ」→「初HR体験」と、急成長すぎる年となった。自身初となるCSでも、初打席でスクイズを決めてみせる。 -2013年には本多の不調により2番に定着することが増えると、[[ペーニャ>ウィリー・モー・ペーニャ]]に&bold(){「ミスター・バント」}と呼ばれるほど、シーズン歴代犠打記録3位タイとなる実に「62」の犠打を決めるなど(パでは新記録)、飛躍の年とした。守備も高く評価され、この年自身初となるGG賞を受賞。 -2014年は打率が.240と去年より落ちたものの、ハムの武田久や竜の岩瀬を打つなど要所で印象的な打撃を見せた。プロ野球史上初となる2年連続60犠打を達成。2016年6月2日の竜戦で史上最年少で200犠打を記録した。 **エピソード -誕生日は7月15日で、[[ほあっさん>帆足和幸]]と一緒。 -2016年オフに年下の女性と結婚したことが報じられた。 -プロ一年目で迎えた初の納会ゴルフでは、まさかの&bold(){野球帽&野球ウェア}で登場。おろしたての靴は天候が悪くドロドロ…という散々な中、ゴルフ初体験で前半はボロボロながら、後半には持ち前の運動神経の良さを見せた。 -「パイの実」にハマっているらしく、毎日寝る前には欠かさないとか。お部屋紹介の企画でも、ばっちりパイの実が部屋に常備されている様子が写真におさめられている。逆に、苦手な食べ物はナスビ。どうやら野菜全般ダメな様子。 -やや?2323疑惑があり、[[この人>攝津正]]に並んでその具合を心配する住民もチラホラ。 -男3人兄弟の末っ子であり、兄は住職をしている(かつては祖母が住職をつとめていた)。今宮もいずれ的場のように住職ネタを繰り出す可能性が…?頭髪的には素質は充分である。 -プロ初のタイムリーエラーをした時には悔しさから涙を見せた。「配球から自分の方に来るのはわかっていて準備していてのエラー。悔しくてたまらなかった」 -年下の投手が登板すると「俺のところへ打たせろ」と言ったり、兄貴らしく接することも。今宮△。2012年8月4日の[[武田>武田翔太]]先発試合では、プロ初HRまで決めてしまった。 -ローカル番組内でお立ち台についての意気込みを尋ねられ、[[内川>内川聖一]]や[[松田>松田宣浩]]のようにやったらウケなさそうなので、[[攝津>攝津正]]のようなクールなヒーローインタビューをやりたいと語っていた。 --が、プロ初のお立ち台では、[[同郷の先輩>内川聖一]]に無茶ぶりという名のプロの洗礼を受け「マジでヤバイっす」と大いに慌て、たかせんを和ませる。 -[[ギータ>柳田悠岐]]を朝の練習前に起こすのが一時の日課だったようだ(二人とも一軍時限定?)。他にも、&bold(){偶然同じ日に同じ店でネックレスを買ったことも}。雑誌で、「お互いがもし異性だったなら、どんな関係?」と尋ねられると、二人して「恋人」と答えている。あのさぁ…。年齢は柳田が上であるが、他の何人かの年下選手同様、彼のことを「ギータ」と呼んでいる。また、同じく年上である[[松田>松田宣浩]]に対しても、試合中にとっさに声をかける場合は「松田さん」だと呼びづらいため、「マッチ」と呼んでいるのだそう。 -納会ゴルフの服を今宮が見立てるなど同級生の[[森くん>森唯斗]]とも仲が良く、トークショーでは仲を突っ込まれた森くんが「そんなに会話はしないけど、無言でも2人で居ることが出来る仲です」と発言した。 -2013年9月4日の日ハム戦では、パ最長試合となり、登板していない自軍投手は[[柳瀬>柳瀬明宏]]だけ、という事態が発生。スレ住民や首脳陣が、もしものリリーフに今宮を想定する中、本人も「パッと見たらホワイトボードにもう柳瀬さんしかいない状態だったので、何かあれば行く気持ちでしたよ」と、やる気満々だったらしい。 -カープ・菊池の著書『二塁手革命』では、[[ギータ>柳田悠岐]]、[[晃>中村晃]]とともに、菊池が選んだ[菊池ジャパン]のメンバーにサードとして選出されている。選出理由は「守備感覚が優れており僕に似ている。サードで見てみたい」からとのこと。 **「坊西ィ!」 -2014年8月10日の対日ハム戦で、今宮ファインプレー時に実況の四家アナが思わず、「いやー、この3連戦は今日のエラーも含めて、今宮あまり良い所が無いんですがね、&bold(){坊西ィ!}」と、この日解説をつとめた坊西さんと今宮を呼び間違えてしまった事件。今宮ファインプレー時に「坊西ィ!」と書き込まれることがあるのはこのためなんですね、坊西ィ!

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