田之上慶三郎

背番号82 一軍投手コーチ

「石の上にも三年、田之上にも八年」

  • 名前の読みは「けいざぶろう」ではなく「けいさぶろう」。「田上」ではなく「田之上」である。
  • 鹿児島県指宿商業高校から1989年にドラフト外でダイエーホークスに入団。苦労人であり二軍暮らしが長く、初勝利をあげたのはプロ8年目。
  • ストレートは140km/hそこそこだが、長身から繰り出す緩急を使った投球で相手を抑え込むタイプ投手。
  • 先発・中継ぎでの登板がほとんどであったが、ダイエー優勝2連覇に貢献。2001年には現役生活最初で最後の2ケタ勝利を手にし、最高勝率・最優秀バッテリー賞のタイトルを獲得している。
  • 2002年には開幕投手もつとめたが、若手の台頭もあり登板機会も減少。
  • 2006年は開幕は二軍で迎えたものの、6月4日の阪神戦でこの年初登板すると、326日ぶりの勝利を飾った。なおこの試合では、先発ピッチャー田之上-キャッチャー田上のバッテリー、実況はKBC田上アナと「トリプルタノウエ」を達成している。
  • 2007年10月に現役引退を発表。コンディショニング担当コーチ補佐となり、2009年から2010年1軍投手コーチ(ブルペン担当)を務め中継ぎを整備し2010年の優勝に貢献した。2011年からは二軍投手コーチを務める。
  • 2012年に来季コーチ契約を結ばないことが発表され、チームを退団。

  • 2013年よりハムの2軍投手コーチをつとめていたが、14年10月28日に任期満了で退任が発表。
  • 2014年11月8日に、再び二軍投手コーチとしてホークスに入団することが報じられた。
  • 2016年シーズンからは一軍投手コーチとなる。



エピソード


  • 選手時代に、間違えて女性専用車両に乗ってしまったことがある。
  • 攝津が中継ぎとして大車輪の活躍をしていた2009、2010年はブルペンコーチであったため、出番が待望されるとたかせんでは「田之上『攝津君でんわ~』」と書きこまれることも多々あった。
  • 2012年新人合同自主トレでは、武田吉本に「常に一緒に行動することで、いろんな刺激を得られる。いろんな発見もある。お互いにとって、プラスになるのでは」と、一緒に行動することを注文付けている。

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最終更新:2015年11月03日 23:28