釜元豪

背番号60 外野手

  • 「釜本」と誤記されやすいが、表記は「釜元」が正しい。
  • 2011年育成ドラフト1位指名で長崎県の西陵高校から入団。入団当時の背番号は「122」。
  • 右利きだが、イチローに憧れて幼少期から左打ち。川﨑「」
  • 元々ホークスへの入団を希望していたが、通常ドラフトでは指名されず「受験勉強して、大学に入って野球をしたい」と報道陣に明かした直後に育成枠で指名される。「普通のドラフトで指名されなくて落ち込んでいたが、それでも挑戦したい気持ちになった」とプロ入りを決意。
  • 西陵高校時代は国立大学を目指すクラスに所属するなど、学業成績も良かったらしい。長崎県人として、初の県立普通校からのプロ野球選手となる。なお、本人は当初「野球かソフトボールを教えたい」と教員を志していたもよう。
  • 2011年の夏の県大会では松田遼馬(阪神)から2本のタイムリーを放ち、「プロ注目の松田くんから打てて自信になった」と語っている。

  • 2012年2月21日、富士重工との練習試合に新崎と共に「6番レフト」として出場すると、この日がプロ入り初対外試合ながら、いきなり3打数2安打2打点の活躍。球団公式ツイッターには「育成のイケメンルーキー」と評される。
  • 怪我に泣かされるも、2013年オフには台湾のウインターリーグ、2014年にはフレッシュオールスターゲームに出場、同年オフにはプエルトリコのウインターリーグに派遣されるなど、育成選手ながら貴重な経験を積んでいる。2015年にはユニバーシアード日本代表壮行試合のNPB選抜として、ホークス勢では唯一選出された。
  • 2015年7月31日に期限ギリギリで支配下登録を叶えた。新背番号は「60」ということで、前背番号主の人のような頑張りを期待したい。
  • 2016年3月19日のタマスタ筑後こけら落としの一戦で、記念となる初ヒット&猛打賞を記録した。
  • 2016年9月14日に初めて一軍に上がると、その日の鷲戦で点差を開けたことにより途中よりプロ初出場&初打席を経験する(結果はみのさん)。



エピソード


  • 応援歌は「GO!!駆けろその足で GO!!投げろその肩で 豪 バットで決めろ」など言葉遊びの餌食になっている。
  • 2012年4月2日、履正社学園との試合で活躍すると若鷹スピーチの指名を受ける。ハキハキとした声で「自己紹介を始めます!背番号122、全部足したら『5(豪)』です!」「好きな食べ物はカレーです。差し入れ待ってます!」と喋り、拍手を浴びた。あれっ、またアホの子枠…?
  • 「替え玉くん」と言われた白根より大食漢である様子。
  • 白根とは仲が良く、観覧車に二人きりで乗ったりしちゃう仲。
  • 初参加となった2012年球団納会ゴルフでは、テレビ放映の扱いは悪かったものの、悪い意味で専属キャディーさんがついた柳田の記録を上回る成績を残し、最下位となる。
  • 2014年オフにプエルトリコに派遣された際には、同室の塚田に手料理をふるまい「あいつ、いい奥さんになるっすよ」「ちなみに釜元選手のご飯は相変わらず美味しいです^ ^」など、たびたび絶賛された。

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最終更新:2016年09月16日 00:59