柳瀬明宏

背番号54 投手 右投右打

  • YANASE。同期の松田本多「MAZDA」「HONDA」「YANASE」とセット扱いされることも。
  • 「ヤナセ自動車」と名字の「柳瀬」にかけて、チーム内の呼び名は「ベンツ」。ただし、本人は特にベンツに乗っているわけではなく、松田に言及された際には「買ってください!(笑)」とコメントしている。
  • さちょるが間違われた選手の一人。スレ内では、「新垣に似ている」と言われることがある。
  • リハビリ期間が長かったこともあってか、Yahoo!テキスト速報の二つ名は「不死鳥セットアッパー」
  • 140km/h台の速球や、カーブ、フォークなどが武器。

  • 2005年度大学・社会人ドラフト6巡目で龍谷大より入団。当時の背番号は「56」。
  • ルーキーイヤーの2006年は故障で出遅れるも、シーズン終盤より1軍登録され、中継ぎ陣の一員として大活躍。 当時、王監督の「隠し玉」とされ、同年のプレーオフ第1ステージでは、第2戦・第3戦ともにリリーフとして登板。秋の風物詩に振り回されず好投し2連勝!シーズン中より先にポストシーズンでの勝ち星を手にした(NPB初)。
  • 2009年までの4年間で87試合に登板するも徐々に調子を落とし、2010年には右肘を手術。オフに戦力外通告を受けたが、その後育成契約を結んだ。 育成時代の背番号は「131」。リハビリのため、2軍での登板に至るまで2年かかっている。
  • 2012年6月7日に再支配下契約を結ぶ。オメ!支配下選手が育成を経て、再び支配下に戻る例は球団史上初めてである。「やっと1軍で投げられるチャンスを与えてもらった。肘に不安もありません。内角を突いて三振を取れるような投球をしたい」とのことである。新背番号は「54」であるため、前の背番号主のような援護力を期待したい。
  • 同年6月13日に、1点リードでランナーを塁においた場面で3年ぶり(1037日)に登板。いきなり厳しい場面で使わなくてもと住民がハラハラする中、よんたまを出すも、続くバッターを仕留めて完封リレーに貢献。4年ぶりにホールドを記録し、うれしいうれしい久々のお立ち台へと上がった。
    • この日一緒にお立ち台に上ったのは顔の似ている新垣だったため、「双子じゃないか」「双子のヒロインって初じゃね?」などと、たかせん民から愛ある茶々が入った。
  • 9月4日の西武戦では9回に登板。三者連続三振という文句なしの内容で、4年ぶりのセーブをあげる。オメ!

  • 2016年シーズンは制球に苦しむ面も見られ、オフに戦力外通告を受けた。その後、トライアウトを経て虎に入団。


エピソード


  • 高校時代に捕手経験があったことから、大学入学時は捕手転向する予定であったらしい。しかし初練習の際にキャッチャーミットを忘れて渋々投手練習に参加したことが運命の分かれ道になった。
  • 登板の際に流れる曲はミスチルの「蘇生」。リハビリ期間が長かったこともあり、復帰登板では、歌詞の「何度でも何度でも僕は生まれ変わっていける」部分に柳瀬を重ねて胸を熱くする住民も沸いた。

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最終更新:2016年11月18日 23:59