江尻慎太郎

投手 背番号00 右投右打

  • 通称「えじりん」。
  • ホークスでは和田以来となる早稲田出身選手。しかも二浪した上で、一般入試に合格したというエリートである。アホの子が近年増加しているホークス選手との化学反応が気になるところ……と思われたが、持ち前の明るさですぐに溶け込み、商店街でも人気者に。
  • 耳のでかさに目を奪われがちだが、なかなかの男前。ハム時代には「石田純一兼松岡修造」と称されていたらしい。
  • サイドスロー気味のスリークオーター投手で、140km台の直球(調子の良い時は30半ばにしてなお150km台が出ることも)やスライダー、フォーク、カットボールなどが武器。
  • 外見のスマートさに反して熱く、かぷてんにHRを食らった際に、マウンドにグラブを叩きつけ悔しさをあらわにしたことも。しかし、野球への向上心が強いことから、年の離れた飯田弟森福に助言をあおいだりもしている。

  • 2001年に北海道日本ハムへ自由枠で入団。背番号「27」とし、プロ入りまでの経緯も似ている「小宮山二世」と期待される。オーバースロー投手であったが、09年途中より小林繁コーチの提案によりサイドスローに転向しリーグ優勝に貢献。
  • 2010年にトレードで横浜へ移籍した後は、翌年2011年に中継ぎの柱として大車輪の活躍を見せるも、2012年は2試合の登板に留まりオフに、吉村山省と共にホークスへトレード移籍となった。移籍発表後、ブログに両球団への真摯な想いを綴ったり、「福岡で男になってきます」と宣言したことで住民の心を鷲掴みにする。ぜひ熱い投球を見せてほしいところである。
  • 即戦力を期待された2013年シーズンは序盤こそ制球に苦しんだが、14歳年下の飯田優に下半身の使い方についてすすんで教えを請うなど調整を続け、8月に再昇格。8月15日の西武戦では移籍後初勝利を挙げた。

  • 2014年シーズンはクローザーとしてウエスタン三連覇に貢献するも、一軍出場は数試合に留まり、オフ後に戦力外通告を受けた。
  • トライアウト1回目では群を抜いて安定した結果を残すも2回目は不参加。そして11月22日に現役引退を発表した。11月24日のファンフェスでは80回も練習したという、江尻らしい温かな引退スピーチを披露後(後述参照)、松田の音頭もあり7度胴上げされた。おつかれさまえじりん。また、会いましょう。

  • 現役引退後はホークス関連会社に就職することが決まった。2015年4月18日の日ハム-楽天イーグルス戦では地元・仙台で岩本勉と共に初の解説をつとめた。


エピソード


  • 家族は奥様と愛娘のみーちゃん一人。
  • 初先発はダイエーホークスで、移籍入団会見の際にもこの件について触れている。
  • 日ハム時代、リーグ優勝時にはビールかけの服用にナース服を着たものの、奥様には不評で「今度あれ着たら別れるから」と釘を刺されたらしい。
  • 背番号「00」を選んだ理由は、「ジョーカーみたいでカッコイイ!」からとのこと。ジョーカーにちなんでか、ホークスでの登場曲はミスチルの「フェイク」である。
  • 松田と仲が良いようで、初勝利の際には頭を撫でられていた(年齢はもちろん江尻が上)。
  • ブログなどからその文才がうかがい知れる。
  • 和巳引退の際にはブログにて、今好調だと感じていても一軍で自分の力が通用しなかったらと思うと怖いと吐露した際に、「うらやましいよ!その感覚!懐かしいもんなぁ~。失敗が怖いなんて」と和巳に返されたことにハッとしたというエピソードを紹介。「これからも何度も失敗が怖くなるたびに、この事を、和巳の事を思い出すだろう。これから何度も助けられていくだろう」という文を綴った。
  • 2014年に発売された、若手選手にスポットライトを当てた特別球団誌「ヤングホークス」では、25歳以下の選手が取り上げられる雑誌ながら、なぜか37歳にも関わらずファッションコーナーに登場。スタイルの良さとオシャレっぷりを披露した。
  • 2014年、ウエスタンリーグの三連覇が決まった瞬間喜びを爆発させるも、チームメイトがマジック対象のカープが負けたことを知らなかったり、若手が多く喜びの表現方法がわからなかったことで、一人気恥ずかしい思いをした。えじりん可愛いよえじりん。なお、その後は石渡二軍監督と共に胴上げ投手となった。


江尻の引退スピーチ

はじめに、このような場所を用意していただいた福岡ソフトバンクホークスの関係者の皆さまに心よりお礼申し上げます。
大学を卒業し、プロ野球という夢の扉をたたいたあの日から気が付けば13年という月日が流れていました。入団した頃は、まさか自分が北海道、横浜、そして福岡と日本を横断してプロ野球生活を送ることになろうとは思いもしませんでした。13年間で優勝の喜びも、ダントツ最下位の悔しさも味わってきました。しかし、そこで見た選手の野球を思う気持ち、勝利を願うファンの姿はどこも同じです。

この2年間、チームメイトには本当に励まされてきました。選手会長はよそから来た僕を、いつもチームの輪に引き込んでくれました。リードオフマンがリハビリをしながらも笑顔を絶やさず、みんなを盛り上げる姿を見ました。また、怪我に苦しみ続けるかつてのエースの姿、もがき続けるかつての三冠王の姿を目の当たりにすることができ、プロ野球選手で居続けることの尊さを感じることができた最後でした。2年間という短い時間ではありましたが、日本一に輝く球団、ホークスの一員になれて幸せでした。ホークスのみんな、ありがとう。

みぃちゃん、寂しい思いをたくさんさせちゃったけど「投げているパパが好き」って言葉をエネルギーに、ここまで頑張ってこれたよ。パパが野球を辞めても、これからもホークスを応援し続けるってこの前、言ってたよね。この中のどの選手と結婚しても、パパは大賛成です。

まり、13年間、いや、学生時代も含めてもっと長い時間、どんな時も一緒に戦い続けてきてくれた。いつも笑顔でいてくれる君に、もっと活躍する姿を見せたかった。君がいてくれたから、今日という日を迎えることができました。ありがとう。

ファイターズ、ベイスターズ時代から応援し続けてくれたファンの皆さん。華々しい活躍はできませんでしたけれど、皆さんのご声援がなければここまでやって来ることもできませんでした。抑えても打たれても、次のマウンドに立つことが楽しみで仕方がなかった。

今ここにいるプロ野球選手を目指す子ども達、ここは皆さんが思い描く通り、いや、それ以上の素晴らしい夢の世界です。プロ野球選手になってください。できることなら僕も、このまま皆さんと一緒に夢の続きを見ていたい。

福岡の皆さん、僕を福岡の男にしてくれてありがとうございました。福岡に来て、良かったです。本当にホークスに来て、良かったです。僕はホークスが大好きです。僕の大好きなホークスのみんなのことを、これからもよろしくお願いします。

13年間ありがとうございました。またどこかで会いましょう。

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最終更新:2015年04月19日 00:23