下沖勇樹

背番号123 投手 右投右打

  • チーム内での愛称は「シモ」。
  • 顔が監督新垣に似ている。入団会見でも話を振られ、「(監督に)実際に会ってみて、似ていると思った」と答えている。
  • 投球フォームは入団当初はスリークォーターだったが、現在はサイドスローへ転向中。
  • 2009年ドラフト3位指名で光星学院から入団。背番号は「65」。

  • 光星学院時代は、一年時にいきなり登板の機会を得ると、参考記録ながら5回ノーノーを達成した。エースとなった以降は同郷だった西武・菊池雄星と2回対戦している。
  • 入団一年目にはキャンプ内容が評価され、6月に12球団高卒ルーキー内一番乗りで「戦力として(高山さん談)」一軍昇格した(出番はナシ)。
  • 2011年のオープン戦では2番手で登板。打球をファウルと判断し、走らなかったことでかぷてんに「思っていても走らんかい!」とお説教をくらう。下沖といえばこのイメージ、というたかせん民も多い。下沖ェ…。
  • 臨時コーチ武田一浩に「下半身が川上憲伸のよう」と絶賛されたり期待を受けるも、右肩痛を発症。出場が決まっていたフレッシュオールスターも辞退し、川原に譲ることになった。
    • 皮肉にも川原はこの時に154km/hをマークし、全国ニュースで取り上げられた。
  • 以降は、約2年実戦登板がなく、2012年の登板は8月に三軍戦の1試合だけで、現在もリハビリ中。一度戦力外通告を受け、育成契約を結んだ。新背番号は「123」。今は肩への負担を減らすために、スリークォーターからサイドスローへのフォーム改造に取り組んでいる。人手不足により、野手として出場することも。

  • 2013年オフに再び戦力外通告を受けて退団。現在は福岡にある野球塾で、コーチとして指導にあたっているようだ。



エピソード


  • 巨人・坂本は高校の先輩にあたり、中学生だった下沖が光星学院の練習見学に訪れた際、光星の監督から「ウチに来るよう口説いておけ」と根回しされたのだとか。
    • 入団後の巨人戦で、高校の先輩坂本に挨拶しようとするも、「いた!」と間違えて大田泰示に駆け寄ったことがある。

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最終更新:2014年07月25日 01:26