大隣憲司

背番号28 投手 左投左打

  • 呼び名は「となりん」、「ふとりん」、「デブ隣」、「嫁の旦那」など様々。好投すると「神隣」に呼び名がクラスチェンジする。
  • 近大在学中は「江夏二世」と評され、2006年ドラフトの目玉として注目が集まる中、希望枠でホークスに入団。ちなみに元チームメイトの甲藤は近大時代の先輩、は後輩に当たり、他球団でも糸井(檻)など近大出身の選手は妙に濃い顔ぶれである。
  • 最速152km/hの速球と平均130km/hの直球が最大の武器。他にも鋭く下に落ちるチェンジアップ、スライダーを得意にしている。
  • 入団時から即戦力を期待されるも、神隣投球とふとりん投球を繰り返すロマン枠。エース級のピッチャーが相手だと、自身も試合にのっていけることが多いようだ。


  • 2007年6月9日はプロ初先発で広島のエース黒田と投げ合い、プロ初勝利を飾る。なお、この試合から強打者となりんの片鱗を見せている(後述参照)。
  • 2008年は五輪組が不在の中、チーム最多の11勝をマーク。が、その年チームは最下位に沈んだため、以降となりんが好投すると活躍を期待される半面、2008年が思い出されて頭痛を訴える住民も多い。

  • 2011年は父の逝去や故障も重なり、大きく出遅れるものの夏過ぎに活躍。楽天のマーさんやハムの斎藤と投げ合い、2試合で16奪三振被安打3本という鬼隣さんぶりだった(なお3安打のうち1本は当たり損ね。2本は栄村安打・良川2塁打であり、後者の場面ではkdkrの「僕はワンプレーでメシを食っているんですから」発言が飛び出した)。ヒロインでは大隣本人も「これが本来の僕の投球」という自信あふれる言葉を残す。いつもその投球を見せろと小一時間(ry。
  • 2011年11月22日、嫁(後述)と同年9月14日に入籍したことをさらりと発表してウインターリーグへ。おめでとう!…が、その後レギュラーメンバーの若手が続々入籍したことにより、ややインパクトが薄まってしまった。がんばれとなりん!

  • 2012年春季キャンプの紅白戦にて登板。3回5失点だったことも絡み、アッキーに「実績を残した選手は、考えながら練習をやっている。だから大隣君は怒られる」と、黙々練習するほあっさんと比べられ、「君」付けの公開説教を食らう。が、蓋を開けてみるとその「実績を残した選手」が行方不明(ry
  • 背中の張りにより攝津開幕戦回避が囁かれる中、開幕投手の座をかけて3月22日に2軍戦に登板!が、5回8四死球4失点127球8奪三振という、逆にすごい結果高山コーチに「ふざけるなと言いたい」とコメントされてしまう。
  • そんなこんなで2012年4月12日にやっと初登板。11奪三振の無四球完封勝利に、住民一同「これは神隣」と絶賛(完封勝利は4年ぶりであったそう)。これを皮切りに勝ちを重ね、オールスターに監督推薦で初出場。途中登板するも3回gdgd1失点という結果で、神隣ではなくふとりんの持ち味を充分に見せつけてしまった。が、後半戦の撒き餌だったのか最終的に自己最多の12勝、防御率2.03、3完封をマークした。
  • 第3回WBC日本代表メンバーに選出。WBCでは初回に一発を浴びるも後はパーフェクトなど、わけのわからない成績を残した。ある意味、となりんの真骨頂を見せたと言えよう。

  • 2013年シーズンは、腰の痛みによる登録抹消を繰り返しながら登板を重ねていたが、検査の結果巨人の越智らも患った「黄色靱帯骨化症」であると診断される。4月末には足のしびれの他に熱さ・冷たさがわからないほど感覚がなくなっていたという。6月末に手術を受けシーズン中の復帰は絶望だったものの、10月のフェニックスリーグで実戦復帰。「(緊張で)足が震えた」と言う144日ぶりのマウンドで最速は135キロだが打者3人を5球で打ち取った。
  • 2014年7月11日に406日ぶりに一軍登録されると、13日に登板。ドラフト同期の高谷と組み、1回を三者凡退で抑えて復活登板とした。27日には約一年ぶりの先発登板で7回3安打1失点と結果を残し、復活勝利。ヒロインでは、「1日でも早くここへ戻ってきたいと思っていた。やっぱりヤフオクドームが一番です!」「(奥様への言葉として)苦しい時でも、明るくプラスの言葉をかけてくれてありがとう。 これからも頑張ります」と言って、多くのファンの涙と拍手を誘った。おかえり、となりん。
  • シーズン終盤にチームが失速し、優勝の行方は2位檻とのペナントレース最終戦で決まることに。最終決戦日「10.2」の先発を託されると6回無失点と好投し、リーグ優勝の立役者となった。この日の好投により、CS初戦に登板。さらに今季初の中4日で最終戦「10.20」のマウンドを再び託され登板。なんとか5回とファンが願う中、7回99球6奪三振無失点の快投でチームはCS制覇。試合後の監督勝利インタビューでは途中で「今日は僕じゃない。大隣、呼びましょか」と異例で招き入れられ「中4日でいけるところまでと思っていたが、『まだ、投げます。まだ、投げます』と言って。七回まで必死に投げて結果を残してくれた。頭が下がります」と褒められた。大隣本人は後に、大事な試合に投げさせてもらったことはもちろん、インタビューに呼ばれたことが胸に来るものがあったと語っている。
  • 日本シリーズ第3戦にも登板すると、1勝1敗の嫌な流れを丁寧な投球で断ち切り、シリーズ初登板勝利をあげる。日本一決定後には松中さんの「お前のおかげや」という言葉によって、チームメイトから胴上げされた。


エピソード


  • 1984年11月19日生まれで、チームメイトの本多とは生年月日が同じ。そのため、2013年WBC候補に二人して選ばれた際には、プロフィールに関して「誤植ですか?」と球団へマスコミより何回か問い合わせがあったらしい。
  • ピリッとしない投球が続いた時には、試合中にかぷてん川崎がマウンドにやってきてマジ説教をしたり、我慢強いと評されることの多い秋山監督をして「ウチの大隣君はねぇ…」と呆れ顔でコメントさせたことも。大隣はクン付けされると「やばい、そろそろ二軍に落とされるのかな」と思っていたらしい。大隣君はねぇ…。
  • オフで、ローカルCM内の秋山監督の物まね「HOTかよ〜!」を披露したことがある。誰とでも打ち解ける性格で、2014年シーズンに加入した賢ちゃんに「あんなに愛される選手を初めて知った」と驚かれるほど。
  • ホテルで失神し、前歯が1本折れたことがある。
  • 檻・糸井は近大の3年先輩にあたり、入学後は寮の同部屋で「部屋長」と「部屋っ子」として身の回りの世話をしていたらしい。
  • 2013年WBC代表候補に選出された際、となりん練習中に「行くぞ、(WBC)代表!」とコーチが声を掛けると、他選手から「候補!」「候補!」と大合唱が起きたのだそう。


嫁の旦那として


  • 2011年に元グラビアモデルの奥様と入籍。奥様に「一生のお願い」と言われメンタルトレーニングを開始。それが2012年、ひいては手術後の成績に繋がったことから、たかせんでは素晴らしい嫁さんを貰ったと大絶賛。「大隣の嫁の旦那」「大隣は信用しないが嫁は信じる」と言われることもしばしばであった。ただ、2014年の大活躍により「左のエース」と呼ばれることも増えた。2016年7月には長男が誕生。
  • 結婚後は食事に関しても意識するようになり、マヨネーズ断ちや外食を減らすなど食事に気を配るように(が、一方で西戸崎ホークス寮の食堂のおばちゃんに聞いた「つまみ食い常連」の選手として真っ先に名前を挙げられている。大隣クンはねぇ…)遠征先、果ては自主トレに嫁がついてくることもあり他の選手から冷やかされているらしい。住民の総意は「いいぞ、もっとやれ」。自主トレ先では奥様が後輩らのお昼ご飯も作ってあげていたそう。
  • 奥様からは「ケン」「ケンちゃん」と呼ばれ、自身は「優ちゃん」と呼んでいる様子。打たれてしょんぼりしながら帰宅した日に、となりんを励まそうした奥さんが、眉毛を繋げ鼻毛を生やしたおっさんメイクで迎えたことがあるそうな。先発登板する前日は、刺激物は避けた方がいいかもしれないという考えから奥様特製の唐辛子抜きペペロンチーノを食べることが定番となっているらしい。
  • 「自分が柱になるまで」と09年10月31日により丸刈り頭にしている。結婚後は嫁に刈ってもらっている模様。


主砲として


投球はロマン枠の粋をなかなか抜け出せないが、打つ方では恵体主砲。
交流戦の季節や、味方がどんどん三振を献上する試合になると、強打者となりんを待望される。

  • 2007年6月9日、VS広島(広島市民球場)にてエース黒田博樹からプロ初打席初安打を放つ(※この日がプロ初登板である)。
  • 2008年5月29日、VS横浜(北九州市民球場)にて、小林太志から見事な流し打ちで左越2ランを放ち、プロ初本塁打・初打点をマーク。
    • 前日には当時在籍したリック・ガトームソンもHRを放っており、稲尾・池永投手以来39年ぶりに投手が2試合連続HRを放ったという珍記録に貢献。
  • 納会ゴルフにてスレッジ打法(+和田によるスレッジ応援歌)で278yardドラコン獲得。
  • 攝津曰く「投手陣の中で一番打ちそう。交流戦の打撃練習中でも、ボールをスタンドまで運んでいた」
+ タグ編集
  • タグ:
  • 2006年ドラフト

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2016年07月28日 00:44