多村仁志

背番号6 外野手

  • 1994年に横浜ベイスターズに入団。2007年からトレードでホークスにやってきた輝く彗星。
  • 呼び名は「タム」「タムさん」「スペ」など。
  • 本名は「多村仁」であるが、2009年怪我から復帰の際に登録名を「多村仁志」に変更した。
  • 成瀬(鴎)専用機。ホークスでは貴重な軟投派に強い選手でもある。
  • 後述の通り、キューバではちょっとしたレジェンドである。


スペランカーとして


  • ここに挙げていくのが面倒くさいほど故障と縁があるため(スライディングしただけで 「ああ、多村の残機が減った…」 と言われるほど)、いとも簡単に死んでしまうゲームのキャラにちなんで 「スペランカー」と他球団ファンからも呼ばれている。入団時に王会長やボブさんに「彼は怪我が多いから」と、まず怪我の心配をされていた。ちなみに本人は怪我キャラとして認知されているのが気に入らないもよう。が、たかせん住民の中には「少しの期間だけ現れて、活躍してくれる助っ人外国人みたいなくらいに捉えた方がいい」という意見の者もいる。
  • 特に、2005年運転中に車がスリップして激突し検査入院→全治3日の左肩挫傷、全治2週間の左外傷性複視、網膜震盪症と診断され、復帰には倍かかるということでシーズンを棒に降った事故は記憶に新しい。事故の際、本人はこのまま死んでしまおうかと一瞬考えたが、家族の顔が浮かびとっさにハンドルを切ったとのこと。多村の応援歌歌詞に「輝く彗星」とあるが、なんだか不吉以外の何物でもない。
  • 上記のようなこともあり、2010年はキャリアハイの成績を残したことよりも、たった4試合しか休まなかったことに誰もが驚いた。


  • 2011年5月5日の試合ではヒーローに選ばれるも、それまで不調が続いたため「監督、コーチ、スタッフ、選手…。みんなが励ましてくれるから頑張れた。つらいことばかりは続きません。自分を信じてやれば報われる。頑張っていきましょう」と涙ながらに話した。 そのため、以後のシーズンは多村お立ち台のたび「多村号泣www」と嘘書き込みが出回った。なお、このお立ち台後はロッカールームで、アンソニー・レルーにTバック姿で出迎えられるなど、ナインから祝福されたらしい。
  • 2011年後半は、またも不振に喘ぐもスタメン起用が続き、結果日本シリーズで大活躍。監督に 「おまえは考え過ぎ。思い切り楽しめ。サインを出さないということは 打ってほしいということ。ホームランをな」 と声を掛けられて吹っ切れたとのことである。監督イケメンすぎ。

  • 2012年シーズンになると家族を福岡に呼び寄せて、晴れて一緒に暮らすように!成瀬との対戦打率が良い意味で異常だったり、気迫あふれる守備を魅せる反面、ちょこちょこタムる。オフの秋季キャンプ記事でもさっそく「多村は参加しない」と発表され、タムったのではと囁かれた。
  • 11月4日にばっさんトレード放出記事がすっぱ抜かれ、住民の多くが悲嘆に暮れたり阿鼻叫喚ものだった。が、翌日に多村、吉川神内吉村山省江尻のトレードが成立。「え、多村出戻り?は?大場どこ?」と、たかせんはませんを大困惑させた。本人も寝耳に水だったとのこと。「(キャンプに)多村は参加しない」は前フリだった…?とされるが定かではない。
  • 「福岡は第2の故郷になりました。今後は対戦相手として、オープン戦や交流戦で福岡ドームに来ることになりますが、これまでと変わらない温かい声援をお願いします。ホークスでの経験を生かし、試合ではもちろん、それ以外の面でもベイスターズに貢献し、優勝を目指して頑張っていきたいと思います」とは本人の弁。ぜひ古巣で頑張って、そしていつかは若鷹にお散歩キャッチを伝授してほしいところである。今までありがとう!

  • 横浜DeNAベイスターズでは7点差からの大逆転など、印象的な場面で打つこともあったが2015年シーズンは二軍暮らしが長く続き、10月に球団から戦力外通告を受けた。
  • 2016年1月に、中日ドラゴンズに育成選手として入団することが決まったが支配下登録まで行き着かず、その年に戦力外通告を受け現役引退を発表。お疲れさまでした。



エピソード


  • 相川亮二(巨人)とは横浜時代から仲良しで、タムさんの娘さんは相川ファンらしい。タムさん曰く、「あいつには嫁にやらない」とのこと。
  • 落合さんの打撃指導を受けるも、次の日には元に戻した強者。
  • 低音ボイスがとても渋く、ローカル番組で麒麟の川島の物真似「麒麟です」を言わせられたことがある。
  • 元チームメイトの森本学とは特に仲が良く、多村の方が年上であるにも関わらず「タムちゃん」呼びに始まり、タメ口で会話が行われているらしい。
  • 壁にぶつかるたび、たかせんをヒヤヒヤさせるものの、基本守備力は大変高く、打ち上がったボールを余裕を持って優雅にキャッチする姿は 「お散歩キャッチ」 と呼ばれるほど。
  • 自分と球審のストライクゾーンが合わないと、その日はごきげんななめ。温厚そうに見えて、死球には(他の選手と衝撃の比が違うせいか)かなり怒る。
  • 三振→ベンチに帰るまでが非常に流れが速いことから「スタコラ三振」と呼ばれることも。
  • 酒に弱いため、ビールかけの際は当日に備えて毎日少しずつアルコールを摂取して慣らしていくらしい。
  • 選手内でも評価の高い、真のオシャレ番長この人とは違うようである。
  • 福岡出身のバンド「ビーグルクルー」のファンで、彼らのライブに行って感動した旨を綴ったこともある。
  • トンカツ専門店「浜勝」のヘビーユーザーで、単身赴任時代は特にドーム近くの浜勝で、多村スペシャルをちょくちょくお持ち帰りしていたそうだ。
  • 2015年シーズンをもって二軍の本拠地が雁ノ巣から筑後市へ移転することが決まると、最終試合に合わせてスタンド花を贈った。タム△。


キューバのレジェンドとして


  • WBCで超特大ホームラン&超ファインプレーで魅せるなど大活躍した際、キューバの野球ファンのハートを掴んだのだそう。
  • 巨人のセペダにはホークス時代に使用していた自身のバットを使用していると公表され(しかも「H6」と刻まれた筋金入りのもの)、横浜DeNAベイスターズに所属したグリエルからも「ヒトシ・タムラという選手を心から尊敬していますしレジェンドです。レジェンドである多村さんと一緒にプレーできることに満足しています」「キューバの野球を日本式に変えようと思ったくらい。それだけ国内で語られた偉大な方です」と言葉を寄せられている。

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最終更新:2016年10月04日 00:38