立岡宗一郎

背番号68 内野手

  • スレでの主な呼ばれ方は、普通に「立岡」、もしくは「タピ岡」。
  • チームメイトには現在、「タピ」(タテオカ→タピオカ→タピ)と呼ばれることが多いようである。
  • 2008年に「秋山2世」を期待され、と同郷の熊本県は鎮西高校からドラフト2位で入団。背番号「7」を貰う。
    • 猪本は鎮西高校時代の同級生であり、今ドラフトの育成4位指名を受け一緒にホークス入団となった。

  • 2010年に1日一軍体験として夏場に昇格。かぷてんの代走として一軍初出場!
  • その2日後の雁ノ巣球場で行われた檻戦では、一番バッターとして先発出場するも、いきなり熱中症を発症。1回裏の攻撃に先頭打者として出ることすら叶わなかった。なお、この日は審判も熱中症でダウンする一幕があったようだ。
  • 2011年オフには背番号が「7」から「68」に変更。元背番号主であった竹岡のように、ひと華咲かせてほしいところであった…が、2012年6月13日に久米と共に巨人へトレードが決まる。おお…。同年7月、プレー中に、左肘の靱帯を断裂する大けがを負い、肘痛のために9月から左打者に転向した。大丈夫か…?

  • 2013年シーズンは、左打者としてのスタートとなったが、打撃好調により5月14日に一軍昇格。翌日5月15日にサヨナラにつながるプロ初安打を決めて初お立ち台を経験した。本当におめでとう!Twitter上で若鷹達からも祝福の声が多く寄せられる。
    • ちなみにこの日はトレード相手の福元もプロ初安打を決めており、なんだかミラクルな日に。さらに言えば、この二人の一軍初出場は同じく8月15日(立岡が2010年、福元が2012年)。小久保の代走であったことまで同じである。
  • 2013年5月24日から両打ち登録に、2015年シーズンからは外野手登録にとユーティリティープレイヤーへの道を歩み始めている……のかもしれない。シーズン中は苦しんだチームの中で数少ない希望となり、打率3割台をキープ。大飛躍の一年となった。
  • 2016年3月29日のベイスターズ戦で、プロ初HRを記録した。


エピソード


  • 1990年5月18日生まれで、同期入団のニ保とは生年月日が一緒。
  • 名前の「宗一郎」は、本田技研工業の創始者・本田宗一郎氏にあやかったもの。
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  • 2008年ドラフト

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最終更新:2016年04月08日 02:44