甲藤啓介

背番号48 投手 右投右打

会いた甲藤。

  • 名前の読みは「こうとう」ではなく「かっとう」
  • 気迫溢れる投球が持ち味で、ガッツポーズした際に勢いで帽子が脱げたこともある投手。
  • 2005年に大学生・社会人ドラフト4巡目で近大よりホークスに入団。

  • 2010年当初までは敗戦処理が多かったが徐々にピンチの場面での登板も増え、勝利の方程式として確立していたSBMにAKB48と背番号48をひっかけたSBM48という新勝利の方程式を誕生させるまでに。この年は138試合ブルペンで肩を作ったという便利屋ポジションを勝ち取る。しかし、酷使がたたり肘痛を発症。
  • 2011年春のキャンプは肘の痛みをごまかして投げていたが手術を回避しリハビリすることに決定。5月からはブルペンに入るようになったが肘をかばって投げる癖がついてしまい直球が走らなくなっていた。秋ごろやっと思い切って腕が振れるようになり、2軍での登板もできるようになった。
  • 2012年4月19日、2年ぶりに1軍戦に登板。ビハインドでの場面ながらきっちり抑えて復活を飾るも、以後は結果を残せず二、三軍暮らしとなった。
  • 2013年7月25日に、檻・吉野誠とのトレードが発表された。今までありがとう!肩を大事にして、新天地でも鷹戦以外で頑張ってください。檻・佐藤達也も袖まくりキャラなだけに、袖まくりリレーが期待されたが、一軍登板がないまま2014年10月1日に戦力外通告を受けた。



エピソード


  • 大隣は大学時代の後輩でもある。
  • ドラフト後「人生勝ち組」と色紙に書いて写真撮影。
  • 自他専からのイメージは恐らく「袖まくりの人」。基本半袖なのだが、1球投げるごとにとにかく袖をまくる。チャンス・ピンチに関わらない。シーズン中に元々よりも袖の短いもので登板した際は、袖まくりが発動しない代わりに調子も上がらず「だめだ、袖まくりしないと」との声が上がった。袖まくりができるいつもの丈がベスト…なのだと思われる。
  • 2010年シーズン中盤から、背番号にちなんで登場曲をAKB48の「会いたかった」にされる。このことに関し川﨑は、「(甲藤の名前がコールされて)『会いたかった』が流れると、♪会いた甲藤〜会いた甲藤〜って口ずさんでいます!」とローカル番組内で発言している。なお、本人は「2011年は変えますよ」と発言していたが、離脱もあり変更したかはわからないままに。
  • 2010年契約更改で事前に、「登板しない日も肩を作っていたりしたことを評価してもらいたい」と発言していたが、球団側に想像を上回る400%UPを提示され思わず二度見。本人曰く「びっくりして」思わず保留。2度目の交渉で前回提示された金額と同額で改めてサイン。たかせんを和ませる。
  • 2010年のファン感謝祭では仮装障害物競走で甲藤だけ仮装を指定され、AKBのコスプレでゴール。ダンスもやらされる。
  • 2011年のファン感謝祭では一軍で投げてないのに登場。金澤と二人で缶積み競争に挑み、スタートの合図の前にガンガン積む準備をする・敵チームに缶を投げつける等好き放題やっていった。
  • いじられキャラらしく、攝津曰く「面白い」。まなぶ曰く「気持ち悪い(笑)」「俺の次に面白い」「(引退後キャラ的な後継者を挙げるなら)あえて言えば甲藤」とのこと。

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最終更新:2014年10月02日 01:23