金子圭輔

背番号4 内野手

  • 2003年ドラフト6位指名で千葉の志学館からダイエーホークスに入団。2010年まで在籍したのち、トレード(後述参照)で2年間檻に移籍していたものの、2012年から再びトレードでホークスに復帰し住民を驚かせた。
  • 球団内では「ネコ」(「カネコ」だからか)と呼ばれているもよう。また、2015年シーズンはウエスタンで若手の兄貴分として親しみを込めて「キャプテン」と呼ばれだしたそう。
  • 安定した守備・走塁能力が武器。地味にホークスでは唯一のスイッチヒッターである。高校時代は投手だったため、肩も強い。


ホークス時代


  • 入団当初から、同期の城所明石顔の区別がつかないと言われることしばしばであった。明石曰く「三人B型で仲が良い」そう。城所には月ホで「ただ、親友。理由はない」と言われている。入団当時の背番号は「53」。
  • 内野をどこでも守れるとして期待を集めたが、打撃はお察しくださいという量産型タイプの一人だったため、なかなかチャンスを得られず。
  • 2009年に荒金と一緒に、金澤と2対1のトレードをされ、檻へ移籍。背番号は「54」。
    • トレードに関わったメンバーが、荒子・澤と、偶然3人とも名前に「金」が付いたことが少しだけ話題となった。


オリックス時代


  • 2010年は檻でそこそこの出場機会が与えられ、攻守っぷりがパリーグチャンネル動画に数度UPされたことも。中でも8月の猛アピールは打にも及んだ。8月4日の西武戦で獅子・中島の難しいバウンド球を冷静に捌いたプレーは一見の価値あり。後日張本に「守備だけで飯が食える選手」と絶賛された。しかし、彼の外見を見て皆が思うことは「もっと飯を食え」である(※下記の痛風再発予防のため、太るのは難しいのではというのがたかせんの一部見解である)。なお、本人は少食というわけではなく、『選手が選ぶグルメそうな人ランキング』でも4位にランクインしている。明石曰く「贅沢病」。
  • 2011年にはなんと背番号「6」を与えられ、開幕1軍スタート!いけるでと思った矢先に痛風や他選手の台頭により、ヒット1本もないままオフを迎えてしまった。
  • 2012年1月17日に、高橋秀とのトレードが決まり、まさかの2年で出戻り決定。おかえり!相変わらず内野争いは熾烈だが、守備面での安定度は一歩リードか。


ホークス出戻り以降


  • 2012年遊撃手争いでは、「明石の打撃、今宮の守備、金子の応援歌を合体させたい」と住民に言われていたが、開幕後は一人出番がなく、もっぱら影薄状態である。
  • が、その一方で交流戦では途中まで完全に抑えられていた巨人・澤村からチーム初ヒットを放ったり、二軍に落としたとたん内野手に怪我が出たりと、プチ座敷わらし的存在になっている。
  • 2013年には長打力が増し、出場試合数こそ少なかったものの「強打者金子」「俺の知っている金子じゃない」と住民に言われるほど、打つほうで存在感を示した。
  • 2014年シーズンは、本多の離脱もあり夏場にスタメン機会を得ると、8月3日のハム戦ではまさかの大谷撃ち。さらに8月12日にはプロ11年目にして初のお立ち台を経験。チームを9連勝に導くなど、出番が少ないながらも嬉しいシーズンとした。ちなみにスタメン時のチーム勝率ランキングというデータ内において、スタメン12試合中11勝1敗・勝率.917とし、ぶっちぎりで1位を獲得している。
  • 2015年シーズンはほとんどを二軍で過ごすことになるも、優勝争いをするチームを引っ張り、ウエスタン4連覇を決めた9月20日には水上二軍監督の次に胴上げをされた。ウエスタンで投手でもなく胴上げといえば、田上の一件もあり、引退かいや4連覇と背番号「4」を掛けてだろうなどと憶測が飛んだが、上記の通り若手の見本、チームの中心的人物としてということだったらしく、本人も引退を否定した。迎えたファーム日本選手権では先制の適時打を決めるなど活躍し、日本一に貢献&優秀選手賞を獲得。先日憶測が飛びかったばかりだったためか本人は軽く拒否したものの、やっぱり水上二軍監督の後に仲間たちに胴上げされた。なお翌2016年も2年連続2度目の胴上げをry
  • 一軍に数度呼ばれはしていたものの、2016年オフに戦力外通告を受けた。


エピソード


  • 2012年に伊藤由奈似の6歳年下の女性との入籍が判明。ホークス出戻りが決定し、「今のタイミングしかない」とプロポーズしたらしい。2016年8月には第一子となる長女が誕生している。
  • 誕生日は7月23日で、チームメイトの塚田と一緒。
  • 好きな色は緑で、リストバンドも同色を使っている。
  • 幼少時代に、野球教室に来ていたボブさん「この子は将来プロになれる」と言われたことがある。
  • 高校時代は、投手としてばっさんと投げ合い、勝ったことがあるのだとか。
  • 檻時代は、同じ名字の金子千尋たんがいたため、圭輔の方に配慮した千尋たんが「金子千尋」と表示名を変えてくれていた。おりせんではT-岡田にならって「K-金子」と表記されていたもよう。
  • 2011年オフに檻が高橋信二を獲得したことで、背番号6を明け渡すことに。本人はこの件について、「変更はお金もかかるし大変」としながら背番号6になり喜々としてユニ番号をそろえたことに触れつつ、いっそ新背番号は54(去年の背番号)がいいなとほんわか自虐をしていたもよう。
  • 出戻りした頃には既に、元背番号「53」を柳川が付けていたため、「どうして53を選んだんですか」と冗談混じりに柳川へ突っ込んでいる。
  • ホークス時代のキャンプ練習メニューはかなりエグかったらしく、2012年に復帰を伝えられたときは、真っ先にキャンプのことが浮かんで「きつい」と思ったとのこと。
  • 復帰会見ニュースを観たさとるに、「ガリガリやないか!」と突っ込まれる。
  • オリックス移籍後も、一緒に移籍した荒金同様ホークス時代の応援歌がそのまま使用されていたが、若干アレンジされていた。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2016年10月24日 00:35