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小椋真介

背番号16 投手 左投左打

  • 「松坂世代No.1左腕」と言われた剛速球を投げるノーコン投手(妖精)。高い奪三振率、5回100球ペースが特徴である。観ている者に、1ストライク1ボールの行方をハラハラさせるテクニシャン。
  • ある意味、ノーコン投手でも5回1失点に抑えられるというパンの真骨頂の立役者となった人物でもある。
  • 名字の読みは「おぐら」

  • 1998年にドラフト3位指名で福岡工業大学付属高校から入団。
  • 怪我や成績もあり、毎年契約更改の場では「今年が勝負の年」と口にする、ちょっとした雁ノ巣の妖精的存在で、にも関わらずロマン枠なのか熱い残留力を見せていた。
  • 2010年4月24日の対ロッテ戦で8年ぶりの1軍先発、プロ入り12年目にして1軍先発初勝利を
5回114球、被安打2、7四球、1失点(自責点0)というらしい投球内容で飾った。先発の枚数がとにかく足りなかったこの年は、一年を通して一軍に定着。
  • 2011年は若手の台頭もあり、再び妖精へと戻ってしまった。オフには新加入のほあっさんに背番号「11」を明け渡す事になり、いよいよ戦力外かと思ったところで、新背番号が「16」となったことが発表。なんだかんだで球団側の高い期待が伺えなくもないこともない。
  • 異常のようなロマン枠であった小椋も、2012年シーズンは股関節など度重なる故障に悩まされ、ついに戦力外通告を受けることに。現役引退をするとのことである。おつかれさまでした。小椋引退により、チームの松坂世代は新垣のみとなった。
  • が、小椋引退後、小椋の背番号「11」を受け継いだ投手は、ことごとくgdgd投球をしてしまうという呪いを受けているところが難点。

  • 引退後はホークスアカデミーの野球塾に所属しながら、大学にて保健体育の教員免許取得を目指している。



攝者召還士として


  • 攝津とのリレーの不安定さはピカイチで、2010年シーズンは小椋の後に攝津が投げると打ち込まれるということが頻繁にあった。同年の攝津の自責点(20)の7割が小椋先発の試合で、小椋先発時の攝津の防御率は8.79とのこと(それ以外は0点台)。小椋の荒れ球の後だから、正確なコントロールを誇る攝津の球は打ちごろに見えてしまうのが原因ではないかとも言われるが、定かではない。
  • よっぽどであったため、攝津と小椋不仲説など冗談半分でたかせんで言われていたが、球団プロフィールによると、小椋の特に仲の良い選手として攝津の名が挙がっている。


エピソード


  • プロ入りして一番の思い出は、2010年に日本球界へ復帰した城島と対戦し、2三振奪ったこと。「バッテリーを組んだこともあるし、憧れの方でしたから」とのことである。