年表

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*ストライクウィッチーズ世界と実世界の比較年表 いらん子中隊のウィッチたちの年齢は『いらん子中隊ReBOOT!』一巻のものを1939年末と解釈(下記矛盾点も参照)。フミカネ氏HPに描かれているウィッチは、各々の年齢表記が各年の1月1日時点のものとし、ハイデマリー・W・シュナウファーは誕生日が元ネタの人と同じと仮定。 -矛盾点 --芳佳の入隊時期・・・アニメ版では1944年(月日不明、少なくても8月以前)。小説版・乙女の巻では1943年8月(7月に手紙が届いているので、その直後ブリタニアへの航海に出たとして、約1ヶ月掛かった場合)。小説版とアニメ版とではこまごまとした時期設定に違いがある。 --ファンブックの誕生年月日と年齢設定・・・芳佳は劇中で15歳になるが、エイラやペリーヌ、リーネは15歳設定ながら1928年の8月以前生まれで劇中ではすでに16歳になっているはず。また、エーリカとシャーリーも劇中ではすでに17歳になっている。年齢表記は1944年1月1日時点が基準? --ハルカの誕生年・・・WW2018では「1939年時」に15歳。しかし1940年4月とされるイラスト当時は14歳と記載(=1940年末14歳)。『いらん子中隊ReBOOT!』一巻(1939年末)では14歳と記載。WWでの記載が逆転している? --ガリア陥落・ダイナモ作戦などの時期・・・2期ファンブックでは1940年6月ごろ。しかしO.V.A.Vol.3など以降、1941年ととれる描写(ベルリン攻撃が1940年6月、ネーデルラント陥落が1941年、ルミナスウィッチーズ冒頭ダイナモ作戦が1941年5月など)が増えている。当年表では作中描写を重視し、1941年にダイナモ作戦実施とする現行の年表を掲載する。 -わかんないこと --いらん子のエルマ・レイヴォネン中尉の元ネタ ---[[ヤマグチノボル>http://twitter.com/#!/hexagonzero/status/163644189425401856]]氏によると「特に元ネタの人はいません」とのこと。 --谷水竹雄氏の誕生日。ヘルムート・レンナルツ氏の誕生年月日 --&del(){ストライカーの開発(思想・設計)者}と開始年度 ---宮藤博士が「宮藤理論」を提唱、開発開始年度は不明 左がストライクウィッチーズ世界。右が実世界 |SW世界|CENTER:できごと|実世界|CENTER:できごと| |B.C.&br()(Before Caesar)&br()753|ローマ市建国|B.C.&br()(Before Christ)&br()753|ローマ建国| |B.C.550|アケメネス朝ペルシャ建国|B.C.550|アケメネス朝ペルシア建国(~B.C.330)| |B.C.525|ダレイオス1世オリエント統一||| |B.C.509|ローマ共和制開始|B.C.509|ローマ共和制開始| |B.C.500|ペルシア戦争(~B.C.442)|B.C.492|ペルシア戦争(~B.C.442)| |B.C.431|ペロポネソス戦争(~B.C.404)|B.C.431|ペロポネソス戦争(~B.C.404)| |B.C.334|アレクサンドロスの東方遠征|B.C.334|アレクサンドロスの東方遠征| |||B.C.323|アレクサンドロス没| |B.C.306|アレクサンドロス、オリエント統一||| |B.C.272|ローマ、半島統一|B.C.272|ローマ半島統一| |B.C.264|第一次ポエニ戦争(~B.C.241)|B.C.264|第一次ポエニ戦争(~B.C.241)| |B.C.218|第二次ポエニ戦争(~B.C.201)|B.C.218|第二次ポエニ戦争(~B.C.201)| |B.C.202|ザマの戦い|B.C.202|ザマの戦い| |B.C.168|ピュトナの戦い|B.C.168|ピュトナの戦い| |B.C.149|第三次ポエニ戦争(~B.C.146)&br()カルタゴ滅亡|B.C.149|第三次ポエニ戦争(~B.C.146)&br()カルタゴ滅亡| |B.C.060|第一回三頭政治|B.C.60|第一回三頭政治(~B.C.53)| |B.C.058|カエサル、ガリア遠征(~B.C.051)|B.C.58|カエサル、ガリア遠征(~B.C.51)| |||B.C.45|ユリウス暦導入| |B.C.044|カエサル、暗殺の危機から逃れる|B.C.44|カエサル暗殺| |||B.C.43|第二回三頭政治(~B.C.36)| |||B.C.31|アクティウムの海戦| |B.C.027|カエサル、アウグストゥスの称号を受ける|B.C.27|オクタヴィアヌス、アウグストゥスの称号を受ける| |B.C.004|オクタヴィアヌス、アウグストゥスの称号を受ける||| |0000|アウグストゥス、ユリウス暦を改正&br()ここより紀元を開始する|B.C.7~4年|イエス、生誕| |0029|属州ユダエア地方に怪異発生&br()ユダエア地方消失|A.D.28年ごろ|イエス、刑死| |||66|第一次ユダヤ戦争(~73)| |0079|オーストラリア北西部消失|79|ヴェスヴィオ火山噴火&br()ポンペイ消失| |0097|ポンペイに怪異発生&br()ベスビオス火山の噴火で町諸共消失||| |||132|第二次ユダヤ戦争(~135)&br()ハドリアヌス帝、イェルサレムからユダヤ人追放| |0226|ササン朝ペルシア成立|226|ササン朝ペルシア成立(~651)| |||235|軍人皇帝時代(~284)| |0293|ディオクレティアヌスの帝国4分統治|293|ディオクレティアヌスの帝国4分統治| |||313|ミラノ勅令| |||330|コンスタンティノープルに遷都| |0375|ゲルマン民族、東方からの圧力を逃れローマ帝国領内へ庇護を求める|375|フン族、東ゴートを征服&br()ゲルマン民族の大移動始まる| |||391|キリスト教、ローマ帝国の国教に| |0395|ローマ帝国、東西に分裂&br()対東方防衛網活発化、ゲルマンのローマ化|395|ローマ帝国、東西に分裂| |||410|西ゴートによるローマ略奪&br()西ローマ帝国の弱体化、決定的に| |||476|西ローマ帝国滅亡| |||481|クロヴィス1世、フランク王国建国(メロヴィング朝)| |0486|クロヴィス1世、西ローマ帝国皇帝に即位(ローマ・フランク朝)||| |0527|ユスティニアヌス、東ローマ皇帝に即位|527|ユスティニアヌス1世、東ローマ皇帝に即位&br()西方の再征服(535~545)| |||610年ごろ|ムハンマド、イスラム教を開く| |||622|ヒジュラ(イスラム暦元年)| |||642|ニハーヴァンドの戦い| |0660|この頃、中東方面に怪異が頻繁に発生する&br()中東イラン・イラク周辺消失||| |||661|ウマイヤ朝成立(~750)| |||697|ヴェネツィア共和国成立(~1797)| |||732|トゥール・ポワティエの戦い| |||750|アッバース朝成立(~1258)| |||751|ピピン3世、フランク王に即位(カロリング朝)| |0768|カール1世、西ローマ皇帝に即位(ローマ・カロリング朝)||| |||800|カール1世、ローマ皇帝戴冠| |0843|西ローマ帝国の分裂|843|ヴェルダン条約(フランク王国分裂)| |0862|ルーリック、ノヴゴロド王国建国|862|リューリック、ノヴゴロド国建国| |||930年ごろ|カスティーリャ王国成立| |0962|オットー、神聖カールスラント帝国建国|962|オットー1世、神聖ローマ皇帝に即位| |0987|ユーグ・カペー、ガリア王に即位|987|ユーグ・カペー、フランス王に即位(カペー朝)| |||1035|アラゴン王国成立| |1038|セルジューク朝、成立|1038|セルジューク朝、成立(~1157または1194)| |||1054|東西教会分裂| |||1066|ヘイスティングスの戦い(ノルマン・コンクエスト)| |||1077|カノッサの屈辱| |1096|第一次レーツェル討伐軍遠征|1096|第一回十字軍(~1099)| |||1143|ポルトガル王国、カスティーリャ王国から独立| |||1155|スウェーデン王、フィンランド遠征(北方十字軍)| |||1180|治承・寿永の乱(源平合戦、~1185)| |||1184|粟津の戦い、源義仲戦死| |||1189|第三回十字軍(~1192)| |1190|ゲルマニア騎士団成立|1190|ドイツ騎士団成立| |||1192|鎌倉幕府成立| |||1202|第四回十字軍(~1204)&br()コンスタンティノープル陥落| |1206|チンギス・ハン、モンゴル帝国皇帝に即位&br()以後東西で怪異と衝突&br()カフカス(コーカサス)地方消失|1206|チンギス・ハン、モンゴル統一| |1224|モンゴル帝国、南ロシアの怪異と戦闘&br()南ロシア(ドン川流域)地方消失||| |||1234|モンゴル、金を滅ぼす| |||1237|モンゴル、モスクワ占領| |1241|モンゴル帝国、ワールシュタットにてゲルマニア騎士団と共に対レーツェル戦闘|1241|ワールシュタットの戦い&br()リューベック=ハンブルク条約(ハンザ同盟成立)| |1242|ドイツにハンザ同盟が成立||| |||1298|マルコ・ポーロの「東方見聞録」| |||1309|教皇のバビロン捕囚(~1377)| |||1338|室町幕府成立| |1339|ブリタニア、ガリア百年戦争|1337(または1339)|英仏百年戦争(~1453)| |||1378|教会大分裂(~1417)| |||1453|オスマン・トルコ帝国により東ローマ帝国滅亡| |1455|ばら戦争|1455|ばら戦争(~1485)| |||1467|応仁の乱(~1477)| |||1479|スペイン王国成立| |1480|モスクワ大公国独立|1480|モスクワ大公国独立| |1488|バーソロニュー・ディアス、喜望峰発見|1488|バルトロメウ・ディアス、喜望峰到達| |1492|コロンブス、新大陸発見|1492|コロンブス、新大陸発見| |1498|バスコ・ダ・ガマ、インド航路発見|1498|バスコ・ダ・ガマ、インドに到達| |||1517|ルターの「95ヶ条の論題」&br()宗教改革始まる| |1519|マゼラン船隊、世界一周|1519|マゼラン船隊、世界一周(~1522)| |||1529|オスマン・トルコ帝国、ウィーンを包囲| |||1555|アウグスブルクの和議| |||1568|オランダ独立戦争(~1609)| |||1571|レパントの海戦| |1582|扶桑、本能寺の変、信長西に逃れ、秀吉軍に合流|1582|本能寺の変、織田信長自害| |1588|扶桑、信長による全国統一&br()アルマダの海戦|1588|アルマダの海戦| |||1590|秀吉の天下統一| |1596|ネーデルランド、東洋に進出、扶桑傭兵軍を尖兵に||| |1600|ブリタニア、東インド会社設立、ネーデルランドに雇用された扶桑軍と激突|1600|イングランド、東インド会社設立&br()関が原の戦い| |||1602|オランダ、東インド会社設立| |||1613|ロシア、ロマノフ朝成立(~1917)| |||1618|三十年戦争(~1648)| |1620|扶桑有力武士団、北リベリオン大陸に瑞穂国建国|1620|ピルグリム・ファーザーズ、北アメリカ大陸に上陸(メイフラワー誓約)| |||1639|日本、ポルトガル船の来航を禁止、鎖国の完成| |||1642|清教徒革命(~1649)| |||1643|ルイ14世、フランス王即位| |||1648|ウェストファリア条約| |1649|ブリタニア、一時共和制に移行するが1660に王政復古|1649|イングランド、国王チャールズ1世を処刑、共和政宣言(~1660)| |||1652|第一次英蘭戦争(~1654)| |1661|ガリア、ルイ14世親政|1661|フランス、ルイ14世の親政開始| |||1665|第二次英蘭戦争(~1667)| |||1672|第三次英蘭戦争(~1674)| |1676|第一次ブリタニア扶桑戦争||| |1683|第二次ブリタニア扶桑戦争||| |||1688|名誉革命(~1689)| |1699|扶武同盟(扶桑、ブリタニア同盟)||| |||1701|プロイセン公国、王国に昇格| |1707|大ブリタニア王国成立|1707|グレート・ブリテン連合王国成立| |||1720|サヴォイア公国、サルデーニャ王国となる(~1861)| |||1740|オーストリア継承戦争(~1748)| |1756|七年戦争|1756|七年戦争(~1763)| |1763|パリの条約~ブリタニア・ガリア講和|1763|パリ条約| |1765|ブリタニアのワットによる魔力革命&br()(魔女ジェレミー・ワット、蒸気機関で魔力増幅する術を発見(魔力革命))|1765|ワット、蒸気機関改良(産業革命)| |||1773|ボストン茶会事件| |1775|リベリオン独立戦争|1775|アメリカ独立戦争(~1783)| |1776|リベリオン独立宣言|1776|アメリカ独立宣言| |1789|ワシントン、リベリオン初代大統領に就任&br()ガリア革命|1789|ワシントン、アメリカ合衆国初代大統領に就任&br()フランス革命勃発(~1794)| |||1793|フランス、国王ルイ16世を処刑、共和制に移行| |||1797|ヴェネツィア共和国、ナポレオンに降伏し滅亡| |1804|ナポレオン、ガリア皇帝に即位|1804|ナポレオン、フランス皇帝に即位&br()オーストリア帝国成立(~1867)| |||1806|神聖ローマ帝国解体| |||1807|フィンランド大公国(ロシア帝国の属国)成立(~1917)| |1812|ナポレオン、黒海遠征、大規模怪異に遭遇|1812|ナポレオン、ロシア遠征| |1814|ナポレオン失脚、ウィーン会議開催|1814|ナポレオン失脚、ウィーン会議開催(~1815)&br()スウェーデン=ノルウェー連合王国成立(~1905)| |1830|ガリア、七月革命|1830|フランス、七月革命| |||1840|アヘン戦争(~1842)| |1853|クリミア戦争(クリミア方面に大規模怪異発生)|1853|クリミア戦争(~1856)| |||1859|イタリア統一戦争| |1861|リベリオン南北戦争|1861|南北戦争(~1865)&br()イタリア王国成立(~1946)| |1866|カールスラント継承戦争|1866|普墺戦争| |1867|扶桑皇国、議会制へ移行|1867|オーストリア=ハンガリー二重帝国成立(~1918)| |||1868|明治維新| |1869|スエズ運河開通|1869|スエズ運河開通| |1870|狩我戦争(カールスラント、ガリア戦争)|1870|普仏戦争(~1871)| |1871|カールスラント帝国成立|1871|ドイツ帝国成立(~1918)| |||1889|大日本帝国憲法発布| |||1890|第一回帝国議会| |||1894|日清戦争(~1895)&br()2月8日、ウィリアム・ビショップ誕生(~1956)| |||1895|米、ハワイを併合、フィリピン・グアムを獲得| |1903|12月、リベリオンのライト姉妹、飛行機を発明(動力式飛行機、乗り込むタイプ)|1903|ライト兄弟、飛行機を発明&br()9月28日、加藤建夫誕生(~1942)| |1904|扶桑近海に大規模な怪異発生|1904|日露戦争(~1905)| |||1905|ノルウェーがスウェーデンから独立| |||1913|3月6日、アレクサンドル・I・ポクルイーシキン誕生(~1985)&br()3月11日、ヴォルフ=ディートリッヒ・ヴィルケ誕生(~1944)| |1914|第一次大戦(第一次ネウロイ大戦)勃発|1914|第一次世界大戦勃発(~1918)&br()2月21日、エイノ・イルマリ・ユーティライネン誕生(~1999)&br()3月13日、エドワード・オヘア誕生(~1943)| |||1915|2月27日、ジューゼッペイ・チェインニ誕生(~1943)| |||1916|8月18日、武藤金義誕生(~1945)&br()7月2日、ハンス・ウルリッヒ・ルーデル誕生(~1982)&br()8月26日、坂井三郎誕生(~2000)| |1917|第一次ネウロイ大戦終結|1917|二月(グレゴリウス暦三月)革命、ロシア帝国滅亡&br()フィンランド、独立宣言&br()12月24日、フランコ・ルッキーニ誕生(~1943)| |||1918|ドイツ革命、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世退位、ヴァイマル共和政成立(~1933)&br()オーストリア=ハンガリー帝国滅亡&br()2月13日、笹井醇一誕生(~1942)&br()2月17日、黒江保彦誕生(~1965)| |||1919|フィンランド共和国成立&br()3月20日、ゲルハルト・バルクホルン誕生(~1983)&br()4月?、谷水竹雄誕生(~2008)&br()5月31日、ニルス・エドヴァルド・カタヤイネン誕生(~1997)| |1920|国際連盟成立|1920|国際連盟成立(~1939または1946)&br()11月11日、ヴァルター・クルピンスキー誕生(~2000)| |1921|2月17日、黒江綾香誕生&br()12月6日、エリザベス・F・ビューリング誕生|1921|2月28日、ピエール・クロステルマン誕生(~2006)&br()8月18日、リディア・リトヴァク誕生(~1943)&br()9月23日、菅野直誕生(~1945)&br()10月22日、鴛淵孝誕生(~1945)&br()12月5日、穴吹智誕生(~2005)&br()12月6日、ジョージ・F・バーリング誕生(~1948)| |1922|3月13日、キャサリン・オヘア誕生|1922|オスマン・トルコ帝国滅亡&br()2月16日、ハインツ=ヴォルフガング・シュナウファー誕生(~1950)&br()4月19日、エーリッヒ・ハルトマン誕生(~1993)| |1923|2月27日、ジュゼッピーナ・チュインニ誕生&br()5月20日、ウィルマ・ビショップ誕生&br()12月5日、穴拭智子誕生|1923|関東大震災&br()2月13日、チャールズ・E・イェーガー誕生(~2020)&br()11月9日、巡洋戦艦赤城の航空母艦への改造工事着手| |1924|6月4日、エルマ・レイヴォネン誕生&br()8月26日、坂本美緒誕生|1924|第二次護憲運動| |1925|2月13日、竹井醇子誕生&br()3月11日、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ誕生&br()3月20日、ゲルトルート・バルクホルン誕生&br()4月1日、迫水ハルカ誕生||| |1926|11月11日、ヴァルトルート・クルピンスキー誕生|1926|昭和天皇即位| |1927|||| |1928|2月13日、シャーロット・E・イェーガー誕生&br()3月6日、アレクサンドラ・I・ポクルイーシキン誕生&br()4月19日、エーリカ&ウルスラ・ハルトマン誕生&br()9月23日、管野直枝誕生&br()612月13日、ハンナ・ユスティーナ・マルセイユ誕生|1928|ファシスト党、独裁政権樹立| |1929|世界経済恐慌&br()8月18日、宮藤芳佳誕生&br()2月16日、ハイデマリー・W・シュナウファー誕生&br()2月21日、エイラ・イルマタル・ユーティライネン誕生&br()2月28日、ペリーヌ・クロステルマン誕生&br()5月31日、ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン誕生&br()6月11日、リネット・ビショップ誕生&br()|1929|世界恐慌| |1930|ロンドン軍縮会議&br()5月26日、雁淵ひかり誕生&br()8月18日、サーニャ・V・リトヴャク誕生&br()10月10日、ヘルマ・レンナルツ誕生|1930|ロンドン軍縮会議| |1931|8月18日、服部静夏誕生&br()12月24日、フランチェスカ・ルッキーニ誕生|1931|9月18日、柳条湖事件(満州事変)| |||1932|5・15事件| |||1933|ナチス政権樹立| |1936|ブリタニアでストライカーユニットの共同開発が開始する&br()宮藤一郎博士、渡欧&br()7月、ヒスパニアで小規模の異変が発生(ヒスパニア戦役)、カールスラント・コンドル兵団、オラーシャ軍、ロマーニャ軍、ガリア外人部隊、国際義勇旅団などの共同作戦で1939年3月に沈静化&br()宮藤理論を採用した新型ユニットの原型機が各国にて完成&br()扶桑陸軍がキ27を制式採用|1936|2・26事件&br()7月、ヒュー・ダウディング英空軍中将、戦闘機軍団司令官に就任(翌年、空軍大将に昇進)&br()7月18日-22日、独墺対抗アイガー北壁踏破計画実施、失敗に終わる&br()10月、キ27が初飛行&br()ベルリンオリンピック| |1937|7月7日、扶桑海沖に怪異発生(扶桑海事変)、扶桑海軍艦隊が遭遇戦を実施&br()7月7日、扶桑陸海軍ウィッチ、実戦参加、坂本美緒、竹井醇子がウィッチに志願&br()8月、扶桑海軍、十二試艦上戦闘脚の試作指示を出す&br()カールスラントからアドルフィーネ・ガランドが観戦武官として扶桑海事変に参加&br()ブリタニアの登山家ジョージ・マロニーとエドワード・ヒラリー、人類連合軍の要請を受け人類初のアイガー北壁踏破達成、山頂に航空標識を設置|1937|7月7日、盧溝橋事件(支那事変)&br()11月、日独伊防共協定| |1938|各国で宮藤理論を採用したストライカーユニットの量産が本格化&br()扶桑海事変にてウィッチが活躍&br()「挺身作戦」実施、扶桑海事変終結|1938|ドイツ、オーストリアを併合&br()7月24日、独墺合同パーティが人類初のアイガー北壁踏破達成| |1939|黒海に怪異の巣出現&br()8月18日、宮藤一郎博士事故死の通知が宮藤家に到達。&br()怪異、ダキアに上陸(&bold(){第二次ネウロイ大戦})&br()ダキアに上陸した怪異を「ネウロイ」と命名&br()9月、ダキア、モエシア陥落、オストマルクもトランシルバニアを残して陥落&br()人類統合戦線結成&br()10月、扶桑皇国欧州派遣軍が扶桑を出航&br()坂本、竹井らと共に遣欧艦隊の一員としてリバウ基地に転属&br()11月、ネウロイ、スオムス侵攻開始&br()11月10日、スオムス空軍義勇独立飛行中隊(いらん子中隊)結成&br()11月下旬、ミュンヘン空襲&br()11月30日、ネウロイ、スオムスに侵攻開始(冬戦争もしくは第一次スオムス戦役)&br()オストマルク連邦政府、度重なる移転の末ロンドンに落ち着く&br()12月27日、スオムス空軍義勇独立飛行中隊、爆撃タイプ大型ネウロイ「ディオミディア」を撃墜、世界初の大型ネウロイ撃墜例|1939|9月1日、ドイツ、ポーランドに侵攻&br()同月3日、英仏、ドイツに宣戦を布告(第二次世界大戦勃発)&br()11月30日、ソ連、フィンランドに侵攻を開始(第一次ソ連=フィンランド戦争もしくは冬戦争)| |1940|1月?、スオムスのスラッセンが陥落&br()2月5日、スラッセンを奪回&br()3月?、スオムスのカウハバ基地周辺にネウロイによる機械化航空歩兵のコピーが出現。洗脳・情報収集・技能吸収能力を確認&br()トランシルバニアのオストマルク軍、「最も長い撤退戦」開始&br()5月、小ビフレスト作戦開始、ベルリン近郊より民衆避難&br()6月、エルベ川防衛戦開始。カールスラント皇帝家がベルリンから撤退&br()6月5日、ベルリンにネウロイの巣が発生&br()9月、ネウロイがエジプトに侵攻、スエズ運河使用不能に|1940|3月、ソ連・フィンランド、講和条約を締結&br()5月10日、ウィンストン・L・S=チャーチル、英国首相に就任&br()5月26日~6月4日、ダイナモ作戦(ダンケルクの戦い)&br()6月10日、イタリア、英仏に宣戦を布告&br()6月18日、ド・ゴール将軍、自由フランスを結成&br()6月22日、フランス降伏&br()9月、イタリア軍、エジプトに侵攻&br()9月23日~9月25日、ダカール沖海戦&br()11月、ヒュー・ダウディング英空軍大将、戦闘機軍団司令官から解任| |1941|1月、大ビフレスト作戦実施、カールスラント撤退戦。&br()春、カールスラント撤退戦終結。&br()5月、ダイナモ作戦、ガリアからブリタニアへ撤退。ダンケルク撤退戦&br()同月、ベルリン陥落&br()6月、パリ陥落。ガリア領ヴィシーに臨時政府が成立&br()同月、バルバロッサ作戦開始、北方よりオラーシャ北部へ反攻&br()同月、タイフーン作戦開始、黒海方面および東方よりオラーシャ中央部へ反攻&br()ペテルブルグ解放&br()ツァリーツィン解放&br()夏、連合軍における統合戦闘航空団の組織化が始まる&br()冬、バルバロッサ作戦、タイフーン作戦中止&br()同年内、第501統合戦闘航空団(ストライクウィッチーズ)結成|1941|6月22日、独伊、ソ連に宣戦を布告、バルバロッサ作戦開始&br()10月18日、東條内閣発足&br()11月26日、米、日本にハル・ノート提示&br()12月8日、日本、米英に宣戦布告、真珠湾攻撃、マレー半島上陸| |1942|統合戦闘飛行隊「アフリカ」(ストームウィッチーズ)結成&br()夏、ハルファヤ峠攻防戦&br()8月、ペデスタル作戦開始&br()同月、マルタ島の大型ドーム状ネウロイ撃破&br()8月?、シャーロット・E・イェーガー、ボンネビルフラッツにて二輪車世界最高速度を記録&br()9月?、ダカール沖海戦&br()同月?、イコシウム防衛戦|1942|4月27日、坂井三郎、太田敏夫、西澤廣義、ポート・モレスビーの敵基地で3機の編隊宙返りを3×2回行う&br()後日、賞賛の手紙がラバウル基地に投下される&br()5月22日、加藤建夫帝国陸軍中佐、ベンガル湾にて戦死&br()同日、アドルフ・ガーランド独空軍大佐、メッサーシュミットMe262のテスト飛行を行う&br()6月5日~7日、ミッドウェー海戦、赤城大破・処分&br()6月28日、スターリングラード攻防戦開始(~1943年2月2日)&br()4月27日、坂井三郎、太田敏夫、西澤廣義、ポート・モレスビーの敵基地で3機の編隊宙返りを3×2回行う&br()7月27日、ジョージ・F・バーリング英空軍軍曹、マルタ島にてフリオ・N・ドッリオ伊空軍大尉を撃墜&br()8月2日、ペデスタル作戦開始(~8月14日)&br()8月7日、坂井三郎、ガダルカナル島の空戦にて頭部被弾。右目失明、左目視力低下&br()8月26日、笹井醇一帝国海軍中尉、ガダルカナル島にて戦死(死後、海軍少佐へ特進)&br()9月30日、ハンス・ヨアヒム・マルセイユ独空軍大尉、北アフリカで墜落事故死&br()11月、米英軍、モロッコ・アルジェリアに上陸&br()同月、トラッフォード・リー=マロリー英空軍中将、戦闘機軍団司令官に就任| |1943|5月22日、アドルフィーネ・ガランド少将、Me-262のテスト飛行を行う&br()その後、御前会議に生産を提案し、フリードリヒ4世が了承&br()初冬、オラーシャ・ペテルブルグに第502統合戦闘航空団(ブレイブウィッチーズ)結成&br()統合戦闘飛行隊「アフリカ」、第31統合戦闘飛行隊に改編&br()スフィンクス作戦開始&br()12月、ヘルシンキにて501、502、503各JFWのトップ(司令、司令、副司令)が会談|1943|7月5日、フランコ・ルッキーニ伊空軍大尉、シチリア島カターニアにて戦死&br()8月1日、リディア・リトヴァクソ連労農赤軍中尉、ドミトリェフカ村付近にて戦死&br()8月、トラッフォード・リー=マロリー英空軍中将、ノルマンディー上陸作戦連合軍遠征空軍司令官に就任&br()9月4日、ジューゼッペイ・チェインニ伊空軍大尉、アスプロモンテ山にて戦死&br()11月26日、エドワード・オヘア米海軍少佐、ギルバート諸島近海にて戦死| |1944|ワイト島分遣隊結成&br()3月、ヴァージニア・ロバートソンがロンドンへ赴く&br()宮藤芳佳の元に宮藤一郎博士からの手紙が届く&br()宮藤芳佳、ブリタニアへ&br()上記より約1ヶ月後、宮藤芳佳、第501統合戦闘航空団(一次)に入隊する&br()4月、ハンナ・ヘルッタ・ウィンド大尉、スオムス義勇独立飛行中隊第三代中隊長に着任。ミエリッキ作戦(「シリンダー」襲来)&br()5月頃、連盟空軍航空魔法音楽隊結成&br()6月、スオムスに「タワー」出現(第二次スオムス戦役)、スオムス空軍と近隣国のウィッチを動員して撃破&br()6月、航空魔法音楽隊ロマーニャ・ローマ公演&br()8月、航空魔法音楽隊チェリャビンスクへ&br()8月16~18日、ウィッチの真似をするネウロイが出現する&br()8月末?、航空魔法音楽隊扶桑・東京公演&br()9月初頭、航空魔法音楽隊リベリオン・ニューヨーク公演&br()9月、ガリア全域でネウロイ消滅、第501統合戦闘航空団(一次)解散&br()ワイト島分遣隊解散&br()秋、雁淵孝美中尉及び雁淵ひかり軍曹、欧州派遣。「雁淵」が第502統合戦闘航空団(ブレイブウィッチーズ)に着任&br()第506統合戦闘航空団(ノーブルウィッチーズ)結成を巡りガリア、ブリタニア、リベリオンで政治的紛糾&br()ライン川空挺突破作戦実施&br()12月、スオムス義勇独立飛行中隊、スオムス空軍から連合軍総司令部に移管され第507統合戦闘航空団(サイレントウィッチーズ)に改編&br()この頃までに第504統合戦闘航空団(アルダーウィッチーズ)結成&br()12月末(至1月初頭)、第502統合戦闘航空団にサーニャ・V・リトヴャク中尉とエイラ・イルマタル・ユーティライネン少尉が滞在&br()12月26日、於パリ、ガリア解放記念式典、ルミナスウィッチーズ公演。モフィ、ヴァージニア・ロバートソンのもとに還る|1944|3月23日、ヴォルフ=ディートリッヒ・ヴィルケ独空軍大佐、シェッペンシュテット近郊にて戦死&br()6月6日、ノルマンディー上陸作戦&br()7月、坂井三郎、武藤金義、敵艦への体当たり攻撃を命じられる。悪天候で敵艦隊を発見できず帰還&br()8月25日、パリ解放&br()11月14日、トラッフォード・リー=マロリー英空軍中将、アルプス山脈にて事故死| |1945|初頭、雁淵ひかり軍曹の第502統合戦闘航空団所属が本国に発覚。雁淵孝美中尉、療養を終え第502統合戦闘航空団に派遣。&br()冬、フレイアー作戦実施。第502統合戦闘航空団、ネウロイの巣「グレゴーリ」撃破。世界初の人類独力によるネウロイの巣破壊に成功&br()3月、宮藤芳佳・山川美千子、扶桑皇国 横須賀第四女子中学校を卒業&br()宮藤芳佳の元に宮藤一郎博士からの手紙が再び届く&br()春、ヴェネツィア上空に巨大なネウロイの巣が出現、第504統合戦闘航空団は交戦するも戦闘不能となる(トラヤヌス作戦)&br()同春、宮藤芳佳・坂本美緒、二式大艇にて再び欧州へ向けて発つ&br()第501統合戦闘航空団(二次)・連合軍総司令部の命令により再結成&br()5月頃?、ルミナスウィッチーズ1周年記念公演&br()5月16日、ミーナ、200機撃墜の達成により柏葉剣付騎士鉄十字章を受勲&br()スレッジハンマー作戦実施&br()7月、ヴェネツィア・ロマーニャ上空のネウロイ完全消滅、第501統合戦闘航空団解散(二次)、この戦闘で宮藤芳佳は魔法力を使い果たした&br()この時期以降、第508統合戦闘航空団(マイティウィッチーズ)結成。扶桑・リベリオン間で第508統合戦闘航空団の扶桑側戦闘脚採用を巡り紛糾&br()夏、宮藤芳佳、ヘルウェティア医学留学のため欧州に出立&br()ライン川方面にネウロイの大攻勢発生&br()秋、第501統合戦闘航空団(三次)再々結成&br()オペレーション・サウスウィンド始動&br()12月、キール奪還|1945|4月30日、アドルフ・ヒトラー独総統自決。フレンスブルク政府成立&br()5月8日、ドイツ、降伏文書に調印&br()7月24日、武藤金義帝国海軍少尉、呉軍港空襲迎撃戦にて消息を絶つ(戦死認定後中尉昇進)&br()8月14日、日本政府、ポツダム宣言受諾を表明&br()9月2日、日本、降伏文書に調印。第二次世界大戦終結| |1946|春、ヴィクトーリア作戦。ベルリン奪還|1946|| まだ書きかけですわよ。お手伝いしてくれる方がいればうれしいですわ  スフィンクスの魔女vol.2にヒスパニアの異変の時期が記載されていたので追加しました  矛盾点分からない点にスタイルの修正と追加、表にキ27とカウハバ基地の噂を追加  ストライカーユニット開発関係を追加  巴御前関連として源平合戦関連を追加  芳佳の入隊に関して追加  芳佳の入隊時期とウィッチの真似をするネウロイ(アニメ6話のことでいいのかな?)の出現時期を修正  いらん子中隊関係を修正(ウィッチもどき出現の時期、および噂からはっきりした出来事に変更、「いらん子」の注釈を削除)  フミカネ氏HPに描かれたウィッチを追加。ウィッチたちの誕生年月日をファンブックおよびDVD5巻特典の作戦予定表に準拠  2期アニメ第一話で芳佳の卒業後に宮藤博士から再び手紙が届いたことが判明*大見出し //旧1939-1942(ダイナモ作戦が1940年)を保管 //|1939|黒海に怪異の巣出現&br()8月18日、宮藤一郎博士事故死の通知が宮藤家に到達。&br()9月1日、怪異、ダキアに上陸(第二次ネウロイ大戦)&br()ダキアに上陸した怪異を「ネウロイ」と命名&br()同月、ダキア、モエシア陥落、オストマルクもトランシルバニアを残して陥落&br()同月、ネウロイ、オラーシャに侵攻、スオムスにも飛行型ネウロイが飛来&br()カールスラント、オストマルクとの国境線に非常防衛体制を敷く&br()10月、扶桑皇国欧州派遣軍が扶桑を出航&br()坂本、竹井らと共に遣欧艦隊の一員としてリバウ基地に転属&br()11月10日、スオムス空軍義勇独立飛行中隊(いらん子中隊)結成&br()11月下旬、ミュンヘン空襲&br()11月30日、ネウロイ、スオムスに侵攻開始(冬戦争もしくは第一次スオムス戦役)&br()オストマルク連邦政府、度重なる移転の末ロンドンに落ち着く&br()12月27日、スオムス空軍義勇独立飛行中隊、爆撃タイプ大型ネウロイ「ディオミディア」を撃墜、世界初の大型ネウロイ撃墜例|1939|9月1日、ドイツ、ポーランドに侵攻&br()同月3日、英仏、ドイツに宣戦を布告(第二次世界大戦勃発)&br()11月30日、ソ連、フィンランドに侵攻を開始(第一次ソ連=フィンランド戦争もしくは冬戦争)| //|1940|1月?、スオムスのスラッセンが陥落&br()2月5日、スラッセンを奪回&br()3月?、スオムスのカウハバ基地周辺にネウロイによる機械化航空歩兵のコピーが出現。洗脳・情報収集・技能吸収能力を確認&br()トランシルバニアのオストマルク軍、「最も長い撤退戦」開始&br()5月、小ビフレスト作戦実施、ベルリン近郊より民衆を避難&br()5月、ベルリン陥落、カールスラント皇帝家、ベルリンより撤退&br()6月、大ビフレスト作戦実施、カールスラントから大規模撤退戦を繰り広げる&br()6月、パリ陥落、ダイナモ作戦開始&br()6月、エルベ川防衛戦開始&br()ミーナ、バルクホルン、ハルトマン、ブリタニアへ撤退&br()ペリーヌ、サーニャ、ブリタニアへ撤退&br()9月、エジプト陥落、スエズ運河使用不能に|1940|3月、ソ連・フィンランド、講和条約を締結&br()5月10日、ウィンストン・L・S=チャーチル、英国首相に就任&br()5月26日~6月4日、ダイナモ作戦(ダンケルクの戦い)&br()6月10日、イタリア、英仏に宣戦を布告&br()6月18日、ド・ゴール将軍、自由フランスを結成&br()6月22日、フランス降伏&br()9月、イタリア軍、エジプトに侵攻&br()9月23日~9月25日、ダカール沖海戦&br()11月、ヒュー・ダウディング英空軍大将、戦闘機軍団司令官から解任| //|1941|5月、ダンケルク撤退戦(ダイナモ作戦)&br()6月、バルバロッサ作戦開始、北方よりオラーシャ北部へ反攻&br()6月、タイフーン作戦開始、黒海方面および東方よりオラーシャ中央部へ反攻&br()ペテルブルグ解放&br()ツァリーツィン解放&br()夏、連合軍における統合戦闘航空団の組織化が始まる&br()冬、バルバロッサ作戦、タイフーン作戦中止|1941|6月22日、独伊、ソ連に宣戦を布告、バルバロッサ作戦開始&br()10月18日、東條内閣発足&br()11月26日、米、日本にハル・ノート提示&br()12月8日、日本、米英に宣戦布告、真珠湾攻撃、マレー半島上陸| //|1942|統合戦闘飛行隊「アフリカ」(ストームウィッチーズ)結成&br()夏、ハルファヤ峠攻防戦&br()8月、ペデスタル作戦開始&br()同月、マルタ島の大型ドーム状ネウロイ撃破&br()8月?、シャーロット・E・イェーガー、ボンネビルフラッツにて二輪車世界最高速度を記録&br()9月?、ダカール沖海戦&br()同月?、イコシウム防衛戦&br()第501統合戦闘航空団(ストライクウィッチーズ)結成|1942|4月27日、坂井三郎、太田敏夫、西澤廣義、ポート・モレスビーの敵基地で3機の編隊宙返りを3×2回行う&br()後日、賞賛の手紙がラバウル基地に投下される&br()5月22日、加藤建夫帝国陸軍中佐、ベンガル湾にて戦死&br()同日、アドルフ・ガーランド独空軍大佐、メッサーシュミットMe262のテスト飛行を行う&br()6月5日~7日、ミッドウェー海戦、赤城大破・処分&br()6月28日、スターリングラード攻防戦開始(~1943年2月2日)&br()4月27日、坂井三郎、太田敏夫、西澤廣義、ポート・モレスビーの敵基地で3機の編隊宙返りを3×2回行う&br()7月27日、ジョージ・F・バーリング英空軍軍曹、マルタ島にてフリオ・N・ドッリオ伊空軍大尉を撃墜&br()8月2日、ペデスタル作戦開始(~8月14日)&br()8月7日、坂井三郎、ガダルカナル島の空戦にて頭部被弾。右目失明、左目視力低下&br()8月26日、笹井醇一帝国海軍中尉、ガダルカナル島にて戦死(死後、海軍少佐へ特進)&br()9月30日、ハンス・ヨアヒム・マルセイユ独空軍大尉、北アフリカで墜落事故死&br()11月、米英軍、モロッコ・アルジェリアに上陸&br()同月、トラッフォード・リー=マロリー英空軍中将、戦闘機軍団司令官に就任|
*ストライクウィッチーズ世界と実世界の比較年表 いらん子中隊のウィッチたちの年齢は『いらん子中隊ReBOOT!』一巻のものを1939年末と解釈(下記矛盾点も参照)。フミカネ氏HPに描かれているウィッチは、各々の年齢表記が各年の1月1日時点のものとし、ハイデマリー・W・シュナウファーは誕生日が元ネタの人と同じと仮定。 -矛盾点 --芳佳の入隊時期・・・アニメ版では1944年(月日不明、少なくても8月以前)。小説版・乙女の巻では1943年8月(7月に手紙が届いているので、その直後ブリタニアへの航海に出たとして、約1ヶ月掛かった場合)。小説版とアニメ版とではこまごまとした時期設定に違いがある。 --ファンブックの誕生年月日と年齢設定・・・芳佳は劇中で15歳になるが、エイラやペリーヌ、リーネは15歳設定ながら1928年の8月以前生まれで劇中ではすでに16歳になっているはず。また、エーリカとシャーリーも劇中ではすでに17歳になっている。年齢表記は1944年1月1日時点が基準? --ハルカの誕生年・・・WW2018では「1939年時」に15歳。しかし1940年4月とされるイラスト当時は14歳と記載(=1940年末14歳)。『いらん子中隊ReBOOT!』一巻(1939年末)では14歳と記載。WWでの記載が逆転している? --ガリア陥落・ダイナモ作戦などの時期・・・2期ファンブックでは1940年6月ごろ。しかしO.V.A.Vol.3など以降、1941年ととれる描写(ベルリン攻撃が1940年6月、ネーデルラント陥落が1941年、ルミナスウィッチーズ冒頭ダイナモ作戦が1941年5月など)が増えている。当年表では作中描写を重視し、1941年にダイナモ作戦実施とする現行の年表を掲載する。 -わかんないこと --いらん子のエルマ・レイヴォネン中尉の元ネタ ---[[ヤマグチノボル>http://twitter.com/#!/hexagonzero/status/163644189425401856]]氏によると「特に元ネタの人はいません」とのこと。 --谷水竹雄氏の誕生日。ヘルムート・レンナルツ氏の誕生年月日 --&del(){ストライカーの開発(思想・設計)者}と開始年度 ---宮藤博士が「宮藤理論」を提唱、開発開始年度は不明 左がストライクウィッチーズ世界。右が実世界 |SW世界|CENTER:できごと|実世界|CENTER:できごと| |B.C.&br()(Before Caesar)&br()753|ローマ市建国|B.C.&br()(Before Christ)&br()753|ローマ建国| |B.C.550|アケメネス朝ペルシャ建国|B.C.550|アケメネス朝ペルシア建国(~B.C.330)| |B.C.525|ダレイオス1世オリエント統一||| |B.C.509|ローマ共和制開始|B.C.509|ローマ共和制開始| |B.C.500|ペルシア戦争(~B.C.442)|B.C.492|ペルシア戦争(~B.C.442)| |B.C.431|ペロポネソス戦争(~B.C.404)|B.C.431|ペロポネソス戦争(~B.C.404)| |B.C.334|アレクサンドロスの東方遠征|B.C.334|アレクサンドロスの東方遠征| |||B.C.323|アレクサンドロス没| |B.C.306|アレクサンドロス、オリエント統一||| |B.C.272|ローマ、半島統一|B.C.272|ローマ半島統一| |B.C.264|第一次ポエニ戦争(~B.C.241)|B.C.264|第一次ポエニ戦争(~B.C.241)| |B.C.218|第二次ポエニ戦争(~B.C.201)|B.C.218|第二次ポエニ戦争(~B.C.201)| |B.C.202|ザマの戦い|B.C.202|ザマの戦い| |B.C.168|ピュトナの戦い|B.C.168|ピュトナの戦い| |B.C.149|第三次ポエニ戦争(~B.C.146)&br()カルタゴ滅亡|B.C.149|第三次ポエニ戦争(~B.C.146)&br()カルタゴ滅亡| |B.C.060|第一回三頭政治|B.C.60|第一回三頭政治(~B.C.53)| |B.C.058|カエサル、ガリア遠征(~B.C.051)|B.C.58|カエサル、ガリア遠征(~B.C.51)| |||B.C.45|ユリウス暦導入| |B.C.044|カエサル、暗殺の危機から逃れる|B.C.44|カエサル暗殺| |||B.C.43|第二回三頭政治(~B.C.36)| |||B.C.31|アクティウムの海戦| |B.C.027|カエサル、アウグストゥスの称号を受ける|B.C.27|オクタヴィアヌス、アウグストゥスの称号を受ける| |B.C.004|オクタヴィアヌス、アウグストゥスの称号を受ける||| |0000|アウグストゥス、ユリウス暦を改正&br()ここより紀元を開始する|B.C.7~4年|イエス、生誕| |0029|属州ユダエア地方に怪異発生&br()ユダエア地方消失|A.D.28年ごろ|イエス、刑死| |||66|第一次ユダヤ戦争(~73)| |0079|オーストラリア北西部消失|79|ヴェスヴィオ火山噴火&br()ポンペイ消失| |0097|ポンペイに怪異発生&br()ベスビオス火山の噴火で町諸共消失||| |||132|第二次ユダヤ戦争(~135)&br()ハドリアヌス帝、イェルサレムからユダヤ人追放| |0226|ササン朝ペルシア成立|226|ササン朝ペルシア成立(~651)| |||235|軍人皇帝時代(~284)| |0293|ディオクレティアヌスの帝国4分統治|293|ディオクレティアヌスの帝国4分統治| |||313|ミラノ勅令| |||330|コンスタンティノープルに遷都| |0375|ゲルマン民族、東方からの圧力を逃れローマ帝国領内へ庇護を求める|375|フン族、東ゴートを征服&br()ゲルマン民族の大移動始まる| |||391|キリスト教、ローマ帝国の国教に| |0395|ローマ帝国、東西に分裂&br()対東方防衛網活発化、ゲルマンのローマ化|395|ローマ帝国、東西に分裂| |||410|西ゴートによるローマ略奪&br()西ローマ帝国の弱体化、決定的に| |||476|西ローマ帝国滅亡| |||481|クロヴィス1世、フランク王国建国(メロヴィング朝)| |0486|クロヴィス1世、西ローマ帝国皇帝に即位(ローマ・フランク朝)||| |0527|ユスティニアヌス、東ローマ皇帝に即位|527|ユスティニアヌス1世、東ローマ皇帝に即位&br()西方の再征服(535~545)| |||610年ごろ|ムハンマド、イスラム教を開く| |||622|ヒジュラ(イスラム暦元年)| |||642|ニハーヴァンドの戦い| |0660|この頃、中東方面に怪異が頻繁に発生する&br()中東イラン・イラク周辺消失||| |||661|ウマイヤ朝成立(~750)| |||697|ヴェネツィア共和国成立(~1797)| |||732|トゥール・ポワティエの戦い| |||750|アッバース朝成立(~1258)| |||751|ピピン3世、フランク王に即位(カロリング朝)| |0768|カール1世、西ローマ皇帝に即位(ローマ・カロリング朝)||| |||800|カール1世、ローマ皇帝戴冠| |0843|西ローマ帝国の分裂|843|ヴェルダン条約(フランク王国分裂)| |0862|ルーリック、ノヴゴロド王国建国|862|リューリック、ノヴゴロド国建国| |||930年ごろ|カスティーリャ王国成立| |0962|オットー、神聖カールスラント帝国建国|962|オットー1世、神聖ローマ皇帝に即位| |0987|ユーグ・カペー、ガリア王に即位|987|ユーグ・カペー、フランス王に即位(カペー朝)| |||1035|アラゴン王国成立| |1038|セルジューク朝、成立|1038|セルジューク朝、成立(~1157または1194)| |||1054|東西教会分裂| |||1066|ヘイスティングスの戦い(ノルマン・コンクエスト)| |||1077|カノッサの屈辱| |1096|第一次レーツェル討伐軍遠征|1096|第一回十字軍(~1099)| |||1143|ポルトガル王国、カスティーリャ王国から独立| |||1155|スウェーデン王、フィンランド遠征(北方十字軍)| |||1180|治承・寿永の乱(源平合戦、~1185)| |||1184|粟津の戦い、源義仲戦死| |||1189|第三回十字軍(~1192)| |1190|ゲルマニア騎士団成立|1190|ドイツ騎士団成立| |||1192|鎌倉幕府成立| |||1202|第四回十字軍(~1204)&br()コンスタンティノープル陥落| |1206|チンギス・ハン、モンゴル帝国皇帝に即位&br()以後東西で怪異と衝突&br()カフカス(コーカサス)地方消失|1206|チンギス・ハン、モンゴル統一| |1224|モンゴル帝国、南ロシアの怪異と戦闘&br()南ロシア(ドン川流域)地方消失||| |||1234|モンゴル、金を滅ぼす| |||1237|モンゴル、モスクワ占領| |1241|モンゴル帝国、ワールシュタットにてゲルマニア騎士団と共に対レーツェル戦闘|1241|ワールシュタットの戦い&br()リューベック=ハンブルク条約(ハンザ同盟成立)| |1242|ドイツにハンザ同盟が成立||| |||1298|マルコ・ポーロの「東方見聞録」| |||1309|教皇のバビロン捕囚(~1377)| |||1338|室町幕府成立| |1339|ブリタニア、ガリア百年戦争|1337(または1339)|英仏百年戦争(~1453)| |||1378|教会大分裂(~1417)| |||1453|オスマン・トルコ帝国により東ローマ帝国滅亡| |1455|ばら戦争|1455|ばら戦争(~1485)| |||1467|応仁の乱(~1477)| |||1479|スペイン王国成立| |1480|モスクワ大公国独立|1480|モスクワ大公国独立| |1488|バーソロニュー・ディアス、喜望峰発見|1488|バルトロメウ・ディアス、喜望峰到達| |1492|コロンブス、新大陸発見|1492|コロンブス、新大陸発見| |1498|バスコ・ダ・ガマ、インド航路発見|1498|バスコ・ダ・ガマ、インドに到達| |||1517|ルターの「95ヶ条の論題」&br()宗教改革始まる| |1519|マゼラン船隊、世界一周|1519|マゼラン船隊、世界一周(~1522)| |||1529|オスマン・トルコ帝国、ウィーンを包囲| |||1555|アウグスブルクの和議| |||1568|オランダ独立戦争(~1609)| |||1571|レパントの海戦| |1582|扶桑、本能寺の変、信長西に逃れ、秀吉軍に合流|1582|本能寺の変、織田信長自害| |1588|扶桑、信長による全国統一&br()アルマダの海戦|1588|アルマダの海戦| |||1590|秀吉の天下統一| |1596|ネーデルランド、東洋に進出、扶桑傭兵軍を尖兵に||| |1600|ブリタニア、東インド会社設立、ネーデルランドに雇用された扶桑軍と激突|1600|イングランド、東インド会社設立&br()関が原の戦い| |||1602|オランダ、東インド会社設立| |||1613|ロシア、ロマノフ朝成立(~1917)| |||1618|三十年戦争(~1648)| |1620|扶桑有力武士団、北リベリオン大陸に瑞穂国建国|1620|ピルグリム・ファーザーズ、北アメリカ大陸に上陸(メイフラワー誓約)| |||1639|日本、ポルトガル船の来航を禁止、鎖国の完成| |||1642|清教徒革命(~1649)| |||1643|ルイ14世、フランス王即位| |||1648|ウェストファリア条約| |1649|ブリタニア、一時共和制に移行するが1660に王政復古|1649|イングランド、国王チャールズ1世を処刑、共和政宣言(~1660)| |||1652|第一次英蘭戦争(~1654)| |1661|ガリア、ルイ14世親政|1661|フランス、ルイ14世の親政開始| |||1665|第二次英蘭戦争(~1667)| |||1672|第三次英蘭戦争(~1674)| |1676|第一次ブリタニア扶桑戦争||| |1683|第二次ブリタニア扶桑戦争||| |||1688|名誉革命(~1689)| |1699|扶武同盟(扶桑、ブリタニア同盟)||| |||1701|プロイセン公国、王国に昇格| |1707|大ブリタニア王国成立|1707|グレート・ブリテン連合王国成立| |||1720|サヴォイア公国、サルデーニャ王国となる(~1861)| |||1740|オーストリア継承戦争(~1748)| |1756|七年戦争|1756|七年戦争(~1763)| |1763|パリの条約~ブリタニア・ガリア講和|1763|パリ条約| |1765|ブリタニアのワットによる魔力革命&br()(魔女ジェレミー・ワット、蒸気機関で魔力増幅する術を発見(魔力革命))|1765|ワット、蒸気機関改良(産業革命)| |||1773|ボストン茶会事件| |1775|リベリオン独立戦争|1775|アメリカ独立戦争(~1783)| |1776|リベリオン独立宣言|1776|アメリカ独立宣言| |1789|ワシントン、リベリオン初代大統領に就任&br()ガリア革命|1789|ワシントン、アメリカ合衆国初代大統領に就任&br()フランス革命勃発(~1794)| |||1793|フランス、国王ルイ16世を処刑、共和制に移行| |||1797|ヴェネツィア共和国、ナポレオンに降伏し滅亡| |1804|ナポレオン、ガリア皇帝に即位|1804|ナポレオン、フランス皇帝に即位&br()オーストリア帝国成立(~1867)| |||1806|神聖ローマ帝国解体| |||1807|フィンランド大公国(ロシア帝国の属国)成立(~1917)| |1812|ナポレオン、黒海遠征、大規模怪異に遭遇|1812|ナポレオン、ロシア遠征| |1814|ナポレオン失脚、ウィーン会議開催|1814|ナポレオン失脚、ウィーン会議開催(~1815)&br()スウェーデン=ノルウェー連合王国成立(~1905)| |1830|ガリア、七月革命|1830|フランス、七月革命| |||1840|アヘン戦争(~1842)| |1853|クリミア戦争(クリミア方面に大規模怪異発生)|1853|クリミア戦争(~1856)| |||1859|イタリア統一戦争| |1861|リベリオン南北戦争|1861|南北戦争(~1865)&br()イタリア王国成立(~1946)| |1866|カールスラント継承戦争|1866|普墺戦争| |1867|扶桑皇国、議会制へ移行|1867|オーストリア=ハンガリー二重帝国成立(~1918)| |||1868|明治維新| |1869|スエズ運河開通|1869|スエズ運河開通| |1870|狩我戦争(カールスラント、ガリア戦争)|1870|普仏戦争(~1871)| |1871|カールスラント帝国成立|1871|ドイツ帝国成立(~1918)| |||1889|大日本帝国憲法発布| |||1890|第一回帝国議会| |||1894|日清戦争(~1895)&br()2月8日、ウィリアム・ビショップ誕生(~1956)| |||1895|米、ハワイを併合、フィリピン・グアムを獲得| |1903|12月、リベリオンのライト姉妹、飛行機を発明(動力式飛行機、乗り込むタイプ)|1903|ライト兄弟、飛行機を発明&br()9月28日、加藤建夫誕生(~1942)| |1904|扶桑近海に大規模な怪異発生|1904|日露戦争(~1905)| |||1905|ノルウェーがスウェーデンから独立| |||1913|3月6日、アレクサンドル・I・ポクルイーシキン誕生(~1985)&br()3月11日、ヴォルフ=ディートリッヒ・ヴィルケ誕生(~1944)| |1914|第一次大戦(第一次ネウロイ大戦)勃発|1914|第一次世界大戦勃発(~1918)&br()2月21日、エイノ・イルマリ・ユーティライネン誕生(~1999)&br()3月13日、エドワード・オヘア誕生(~1943)| |||1915|2月27日、ジューゼッペイ・チェインニ誕生(~1943)| |||1916|8月18日、武藤金義誕生(~1945)&br()7月2日、ハンス・ウルリッヒ・ルーデル誕生(~1982)&br()8月26日、坂井三郎誕生(~2000)| |1917|第一次ネウロイ大戦終結|1917|二月(グレゴリウス暦三月)革命、ロシア帝国滅亡&br()フィンランド、独立宣言&br()12月24日、フランコ・ルッキーニ誕生(~1943)| |||1918|ドイツ革命、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世退位、ヴァイマル共和政成立(~1933)&br()オーストリア=ハンガリー帝国滅亡&br()2月13日、笹井醇一誕生(~1942)&br()2月17日、黒江保彦誕生(~1965)| |||1919|フィンランド共和国成立&br()3月20日、ゲルハルト・バルクホルン誕生(~1983)&br()4月?、谷水竹雄誕生(~2008)&br()5月31日、ニルス・エドヴァルド・カタヤイネン誕生(~1997)| |1920|国際連盟成立|1920|国際連盟成立(~1939または1946)&br()11月11日、ヴァルター・クルピンスキー誕生(~2000)| |1921|2月17日、黒江綾香誕生&br()12月6日、エリザベス・F・ビューリング誕生|1921|2月28日、ピエール・クロステルマン誕生(~2006)&br()8月18日、リディア・リトヴァク誕生(~1943)&br()9月23日、菅野直誕生(~1945)&br()10月22日、鴛淵孝誕生(~1945)&br()12月5日、穴吹智誕生(~2005)&br()12月6日、ジョージ・F・バーリング誕生(~1948)| |1922|3月13日、キャサリン・オヘア誕生|1922|オスマン・トルコ帝国滅亡&br()2月16日、ハインツ=ヴォルフガング・シュナウファー誕生(~1950)&br()4月19日、エーリッヒ・ハルトマン誕生(~1993)| |1923|2月27日、ジュゼッピーナ・チュインニ誕生&br()5月20日、ウィルマ・ビショップ誕生&br()12月5日、穴拭智子誕生|1923|関東大震災&br()2月13日、チャールズ・E・イェーガー誕生(~2020)&br()11月9日、巡洋戦艦赤城の航空母艦への改造工事着手| |1924|6月4日、エルマ・レイヴォネン誕生&br()8月26日、坂本美緒誕生|1924|第二次護憲運動| |1925|2月13日、竹井醇子誕生&br()3月11日、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ誕生&br()3月20日、ゲルトルート・バルクホルン誕生&br()4月1日、迫水ハルカ誕生||| |1926|11月11日、ヴァルトルート・クルピンスキー誕生|1926|昭和天皇即位| |1927|||| |1928|2月13日、シャーロット・E・イェーガー誕生&br()3月6日、アレクサンドラ・I・ポクルイーシキン誕生&br()4月19日、エーリカ&ウルスラ・ハルトマン誕生&br()612月13日、ハンナ・ユスティーナ・マルセイユ誕生|1928|ファシスト党、独裁政権樹立| |1929|世界経済恐慌&br()8月18日、宮藤芳佳誕生&br()2月16日、ハイデマリー・W・シュナウファー誕生&br()2月21日、エイラ・イルマタル・ユーティライネン誕生&br()2月28日、ペリーヌ・クロステルマン誕生&br()5月31日、ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン誕生&br()6月11日、リネット・ビショップ誕生&br()9月23日、管野直枝誕生&br()|1929|世界恐慌| |1930|ロンドン軍縮会議&br()5月26日、雁淵ひかり誕生&br()8月18日、サーニャ・V・リトヴャク誕生&br()10月10日、ヘルマ・レンナルツ誕生|1930|ロンドン軍縮会議| |1931|8月18日、服部静夏誕生&br()12月24日、フランチェスカ・ルッキーニ誕生|1931|9月18日、柳条湖事件(満州事変)| |||1932|5・15事件| |||1933|ナチス政権樹立| |1936|ブリタニアでストライカーユニットの共同開発が開始する&br()宮藤一郎博士、渡欧&br()7月、ヒスパニアで小規模の異変が発生(ヒスパニア戦役)、カールスラント・コンドル兵団、オラーシャ軍、ロマーニャ軍、ガリア外人部隊、国際義勇旅団などの共同作戦で1939年3月に沈静化&br()宮藤理論を採用した新型ユニットの原型機が各国にて完成&br()扶桑陸軍がキ27を制式採用|1936|2・26事件&br()7月、ヒュー・ダウディング英空軍中将、戦闘機軍団司令官に就任(翌年、空軍大将に昇進)&br()7月18日-22日、独墺対抗アイガー北壁踏破計画実施、失敗に終わる&br()10月、キ27が初飛行&br()ベルリンオリンピック| |1937|7月7日、扶桑海沖に怪異発生(扶桑海事変)、扶桑海軍艦隊が遭遇戦を実施&br()7月7日、扶桑陸海軍ウィッチ、実戦参加、坂本美緒、竹井醇子がウィッチに志願&br()8月、扶桑海軍、十二試艦上戦闘脚の試作指示を出す&br()カールスラントからアドルフィーネ・ガランドが観戦武官として扶桑海事変に参加&br()ブリタニアの登山家ジョージ・マロニーとエドワード・ヒラリー、人類連合軍の要請を受け人類初のアイガー北壁踏破達成、山頂に航空標識を設置|1937|7月7日、盧溝橋事件(支那事変)&br()11月、日独伊防共協定| |1938|各国で宮藤理論を採用したストライカーユニットの量産が本格化&br()扶桑海事変にてウィッチが活躍&br()「挺身作戦」実施、扶桑海事変終結|1938|ドイツ、オーストリアを併合&br()7月24日、独墺合同パーティが人類初のアイガー北壁踏破達成| |1939|黒海に怪異の巣出現&br()8月18日、宮藤一郎博士事故死の通知が宮藤家に到達。&br()怪異、ダキアに上陸(&bold(){第二次ネウロイ大戦})&br()ダキアに上陸した怪異を「ネウロイ」と命名&br()9月、ダキア、モエシア陥落、オストマルクもトランシルバニアを残して陥落&br()人類統合戦線結成&br()10月、扶桑皇国欧州派遣軍が扶桑を出航&br()坂本、竹井らと共に遣欧艦隊の一員としてリバウ基地に転属&br()11月、ネウロイ、スオムス侵攻開始&br()11月10日、スオムス空軍義勇独立飛行中隊(いらん子中隊)結成&br()11月下旬、ミュンヘン空襲&br()11月30日、ネウロイ、スオムスに侵攻開始(冬戦争もしくは第一次スオムス戦役)&br()オストマルク連邦政府、度重なる移転の末ロンドンに落ち着く&br()12月27日、スオムス空軍義勇独立飛行中隊、爆撃タイプ大型ネウロイ「ディオミディア」を撃墜、世界初の大型ネウロイ撃墜例|1939|9月1日、ドイツ、ポーランドに侵攻&br()同月3日、英仏、ドイツに宣戦を布告(第二次世界大戦勃発)&br()11月30日、ソ連、フィンランドに侵攻を開始(第一次ソ連=フィンランド戦争もしくは冬戦争)| |1940|1月?、スオムスのスラッセンが陥落&br()2月5日、スラッセンを奪回&br()3月?、スオムスのカウハバ基地周辺にネウロイによる機械化航空歩兵のコピーが出現。洗脳・情報収集・技能吸収能力を確認&br()トランシルバニアのオストマルク軍、「最も長い撤退戦」開始&br()5月、小ビフレスト作戦開始、ベルリン近郊より民衆避難&br()6月、エルベ川防衛戦開始。カールスラント皇帝家がベルリンから撤退&br()6月5日、ベルリンにネウロイの巣が発生&br()9月、ネウロイがエジプトに侵攻、スエズ運河使用不能に|1940|3月、ソ連・フィンランド、講和条約を締結&br()5月10日、ウィンストン・L・S=チャーチル、英国首相に就任&br()5月26日~6月4日、ダイナモ作戦(ダンケルクの戦い)&br()6月10日、イタリア、英仏に宣戦を布告&br()6月18日、ド・ゴール将軍、自由フランスを結成&br()6月22日、フランス降伏&br()9月、イタリア軍、エジプトに侵攻&br()9月23日~9月25日、ダカール沖海戦&br()11月、ヒュー・ダウディング英空軍大将、戦闘機軍団司令官から解任| |1941|1月、大ビフレスト作戦実施、カールスラント撤退戦。&br()春、カールスラント撤退戦終結。&br()5月、ダイナモ作戦、ガリアからブリタニアへ撤退。ダンケルク撤退戦&br()同月、ベルリン陥落&br()6月、パリ陥落。ガリア領ヴィシーに臨時政府が成立&br()同月、バルバロッサ作戦開始、北方よりオラーシャ北部へ反攻&br()同月、タイフーン作戦開始、黒海方面および東方よりオラーシャ中央部へ反攻&br()ペテルブルグ解放&br()ツァリーツィン解放&br()夏、連合軍における統合戦闘航空団の組織化が始まる&br()冬、バルバロッサ作戦、タイフーン作戦中止&br()同年内、第501統合戦闘航空団(ストライクウィッチーズ)結成|1941|6月22日、独伊、ソ連に宣戦を布告、バルバロッサ作戦開始&br()10月18日、東條内閣発足&br()11月26日、米、日本にハル・ノート提示&br()12月8日、日本、米英に宣戦布告、真珠湾攻撃、マレー半島上陸| |1942|統合戦闘飛行隊「アフリカ」(ストームウィッチーズ)結成&br()夏、ハルファヤ峠攻防戦&br()8月、ペデスタル作戦開始&br()同月、マルタ島の大型ドーム状ネウロイ撃破&br()8月?、シャーロット・E・イェーガー、ボンネビルフラッツにて二輪車世界最高速度を記録&br()9月?、ダカール沖海戦&br()同月?、イコシウム防衛戦|1942|4月27日、坂井三郎、太田敏夫、西澤廣義、ポート・モレスビーの敵基地で3機の編隊宙返りを3×2回行う&br()後日、賞賛の手紙がラバウル基地に投下される&br()5月22日、加藤建夫帝国陸軍中佐、ベンガル湾にて戦死&br()同日、アドルフ・ガーランド独空軍大佐、メッサーシュミットMe262のテスト飛行を行う&br()6月5日~7日、ミッドウェー海戦、赤城大破・処分&br()6月28日、スターリングラード攻防戦開始(~1943年2月2日)&br()4月27日、坂井三郎、太田敏夫、西澤廣義、ポート・モレスビーの敵基地で3機の編隊宙返りを3×2回行う&br()7月27日、ジョージ・F・バーリング英空軍軍曹、マルタ島にてフリオ・N・ドッリオ伊空軍大尉を撃墜&br()8月2日、ペデスタル作戦開始(~8月14日)&br()8月7日、坂井三郎、ガダルカナル島の空戦にて頭部被弾。右目失明、左目視力低下&br()8月26日、笹井醇一帝国海軍中尉、ガダルカナル島にて戦死(死後、海軍少佐へ特進)&br()9月30日、ハンス・ヨアヒム・マルセイユ独空軍大尉、北アフリカで墜落事故死&br()11月、米英軍、モロッコ・アルジェリアに上陸&br()同月、トラッフォード・リー=マロリー英空軍中将、戦闘機軍団司令官に就任| |1943|5月22日、アドルフィーネ・ガランド少将、Me-262のテスト飛行を行う&br()その後、御前会議に生産を提案し、フリードリヒ4世が了承&br()初冬、オラーシャ・ペテルブルグに第502統合戦闘航空団(ブレイブウィッチーズ)結成&br()統合戦闘飛行隊「アフリカ」、第31統合戦闘飛行隊に改編&br()スフィンクス作戦開始&br()12月、ヘルシンキにて501、502、503各JFWのトップ(司令、司令、副司令)が会談|1943|7月5日、フランコ・ルッキーニ伊空軍大尉、シチリア島カターニアにて戦死&br()8月1日、リディア・リトヴァクソ連労農赤軍中尉、ドミトリェフカ村付近にて戦死&br()8月、トラッフォード・リー=マロリー英空軍中将、ノルマンディー上陸作戦連合軍遠征空軍司令官に就任&br()9月4日、ジューゼッペイ・チェインニ伊空軍大尉、アスプロモンテ山にて戦死&br()11月26日、エドワード・オヘア米海軍少佐、ギルバート諸島近海にて戦死| |1944|ワイト島分遣隊結成&br()3月、ヴァージニア・ロバートソンがロンドンへ赴く&br()宮藤芳佳の元に宮藤一郎博士からの手紙が届く&br()宮藤芳佳、ブリタニアへ&br()上記より約1ヶ月後、宮藤芳佳、第501統合戦闘航空団(一次)に入隊する&br()4月、ハンナ・ヘルッタ・ウィンド大尉、スオムス義勇独立飛行中隊第三代中隊長に着任。ミエリッキ作戦(「シリンダー」襲来)&br()5月頃、連盟空軍航空魔法音楽隊結成&br()6月、スオムスに「タワー」出現(第二次スオムス戦役)、スオムス空軍と近隣国のウィッチを動員して撃破&br()6月、航空魔法音楽隊ロマーニャ・ローマ公演&br()8月、航空魔法音楽隊チェリャビンスクへ&br()8月16~18日、ウィッチの真似をするネウロイが出現する&br()8月末?、航空魔法音楽隊扶桑・東京公演&br()9月初頭、航空魔法音楽隊リベリオン・ニューヨーク公演&br()9月、ガリア全域でネウロイ消滅、第501統合戦闘航空団(一次)解散&br()ワイト島分遣隊解散&br()秋、雁淵孝美中尉及び雁淵ひかり軍曹、欧州派遣。「雁淵」が第502統合戦闘航空団(ブレイブウィッチーズ)に着任&br()第506統合戦闘航空団(ノーブルウィッチーズ)結成を巡りガリア、ブリタニア、リベリオンで政治的紛糾&br()ライン川空挺突破作戦実施&br()12月、スオムス義勇独立飛行中隊、スオムス空軍から連合軍総司令部に移管され第507統合戦闘航空団(サイレントウィッチーズ)に改編&br()この頃までに第504統合戦闘航空団(アルダーウィッチーズ)結成&br()12月末(至1月初頭)、第502統合戦闘航空団にサーニャ・V・リトヴャク中尉とエイラ・イルマタル・ユーティライネン少尉が滞在&br()12月26日、於パリ、ガリア解放記念式典、ルミナスウィッチーズ公演。モフィ、ヴァージニア・ロバートソンのもとに還る|1944|3月23日、ヴォルフ=ディートリッヒ・ヴィルケ独空軍大佐、シェッペンシュテット近郊にて戦死&br()6月6日、ノルマンディー上陸作戦&br()7月、坂井三郎、武藤金義、敵艦への体当たり攻撃を命じられる。悪天候で敵艦隊を発見できず帰還&br()8月25日、パリ解放&br()11月14日、トラッフォード・リー=マロリー英空軍中将、アルプス山脈にて事故死| |1945|初頭、雁淵ひかり軍曹の第502統合戦闘航空団所属が本国に発覚。雁淵孝美中尉、療養を終え第502統合戦闘航空団に派遣。&br()冬、フレイアー作戦実施。第502統合戦闘航空団、ネウロイの巣「グレゴーリ」撃破。世界初の人類独力によるネウロイの巣破壊に成功&br()3月、宮藤芳佳・山川美千子、扶桑皇国 横須賀第四女子中学校を卒業&br()宮藤芳佳の元に宮藤一郎博士からの手紙が再び届く&br()春、ヴェネツィア上空に巨大なネウロイの巣が出現、第504統合戦闘航空団は交戦するも戦闘不能となる(トラヤヌス作戦)&br()同春、宮藤芳佳・坂本美緒、二式大艇にて再び欧州へ向けて発つ&br()第501統合戦闘航空団(二次)・連合軍総司令部の命令により再結成&br()5月頃?、ルミナスウィッチーズ1周年記念公演&br()5月16日、ミーナ、200機撃墜の達成により柏葉剣付騎士鉄十字章を受勲&br()スレッジハンマー作戦実施&br()7月、ヴェネツィア・ロマーニャ上空のネウロイ完全消滅、第501統合戦闘航空団解散(二次)、この戦闘で宮藤芳佳は魔法力を使い果たした&br()この時期以降、第508統合戦闘航空団(マイティウィッチーズ)結成。扶桑・リベリオン間で第508統合戦闘航空団の扶桑側戦闘脚採用を巡り紛糾&br()夏、宮藤芳佳、ヘルウェティア医学留学のため欧州に出立&br()ライン川方面にネウロイの大攻勢発生&br()秋、第501統合戦闘航空団(三次)再々結成&br()オペレーション・サウスウィンド始動&br()12月、キール奪還|1945|4月30日、アドルフ・ヒトラー独総統自決。フレンスブルク政府成立&br()5月8日、ドイツ、降伏文書に調印&br()7月24日、武藤金義帝国海軍少尉、呉軍港空襲迎撃戦にて消息を絶つ(戦死認定後中尉昇進)&br()8月14日、日本政府、ポツダム宣言受諾を表明&br()9月2日、日本、降伏文書に調印。第二次世界大戦終結| |1946|春、ヴィクトーリア作戦。ベルリン奪還|1946|| まだ書きかけですわよ。お手伝いしてくれる方がいればうれしいですわ  スフィンクスの魔女vol.2にヒスパニアの異変の時期が記載されていたので追加しました  矛盾点分からない点にスタイルの修正と追加、表にキ27とカウハバ基地の噂を追加  ストライカーユニット開発関係を追加  巴御前関連として源平合戦関連を追加  芳佳の入隊に関して追加  芳佳の入隊時期とウィッチの真似をするネウロイ(アニメ6話のことでいいのかな?)の出現時期を修正  いらん子中隊関係を修正(ウィッチもどき出現の時期、および噂からはっきりした出来事に変更、「いらん子」の注釈を削除)  フミカネ氏HPに描かれたウィッチを追加。ウィッチたちの誕生年月日をファンブックおよびDVD5巻特典の作戦予定表に準拠  2期アニメ第一話で芳佳の卒業後に宮藤博士から再び手紙が届いたことが判明*大見出し //旧1939-1942(ダイナモ作戦が1940年)を保管 //|1939|黒海に怪異の巣出現&br()8月18日、宮藤一郎博士事故死の通知が宮藤家に到達。&br()9月1日、怪異、ダキアに上陸(第二次ネウロイ大戦)&br()ダキアに上陸した怪異を「ネウロイ」と命名&br()同月、ダキア、モエシア陥落、オストマルクもトランシルバニアを残して陥落&br()同月、ネウロイ、オラーシャに侵攻、スオムスにも飛行型ネウロイが飛来&br()カールスラント、オストマルクとの国境線に非常防衛体制を敷く&br()10月、扶桑皇国欧州派遣軍が扶桑を出航&br()坂本、竹井らと共に遣欧艦隊の一員としてリバウ基地に転属&br()11月10日、スオムス空軍義勇独立飛行中隊(いらん子中隊)結成&br()11月下旬、ミュンヘン空襲&br()11月30日、ネウロイ、スオムスに侵攻開始(冬戦争もしくは第一次スオムス戦役)&br()オストマルク連邦政府、度重なる移転の末ロンドンに落ち着く&br()12月27日、スオムス空軍義勇独立飛行中隊、爆撃タイプ大型ネウロイ「ディオミディア」を撃墜、世界初の大型ネウロイ撃墜例|1939|9月1日、ドイツ、ポーランドに侵攻&br()同月3日、英仏、ドイツに宣戦を布告(第二次世界大戦勃発)&br()11月30日、ソ連、フィンランドに侵攻を開始(第一次ソ連=フィンランド戦争もしくは冬戦争)| //|1940|1月?、スオムスのスラッセンが陥落&br()2月5日、スラッセンを奪回&br()3月?、スオムスのカウハバ基地周辺にネウロイによる機械化航空歩兵のコピーが出現。洗脳・情報収集・技能吸収能力を確認&br()トランシルバニアのオストマルク軍、「最も長い撤退戦」開始&br()5月、小ビフレスト作戦実施、ベルリン近郊より民衆を避難&br()5月、ベルリン陥落、カールスラント皇帝家、ベルリンより撤退&br()6月、大ビフレスト作戦実施、カールスラントから大規模撤退戦を繰り広げる&br()6月、パリ陥落、ダイナモ作戦開始&br()6月、エルベ川防衛戦開始&br()ミーナ、バルクホルン、ハルトマン、ブリタニアへ撤退&br()ペリーヌ、サーニャ、ブリタニアへ撤退&br()9月、エジプト陥落、スエズ運河使用不能に|1940|3月、ソ連・フィンランド、講和条約を締結&br()5月10日、ウィンストン・L・S=チャーチル、英国首相に就任&br()5月26日~6月4日、ダイナモ作戦(ダンケルクの戦い)&br()6月10日、イタリア、英仏に宣戦を布告&br()6月18日、ド・ゴール将軍、自由フランスを結成&br()6月22日、フランス降伏&br()9月、イタリア軍、エジプトに侵攻&br()9月23日~9月25日、ダカール沖海戦&br()11月、ヒュー・ダウディング英空軍大将、戦闘機軍団司令官から解任| //|1941|5月、ダンケルク撤退戦(ダイナモ作戦)&br()6月、バルバロッサ作戦開始、北方よりオラーシャ北部へ反攻&br()6月、タイフーン作戦開始、黒海方面および東方よりオラーシャ中央部へ反攻&br()ペテルブルグ解放&br()ツァリーツィン解放&br()夏、連合軍における統合戦闘航空団の組織化が始まる&br()冬、バルバロッサ作戦、タイフーン作戦中止|1941|6月22日、独伊、ソ連に宣戦を布告、バルバロッサ作戦開始&br()10月18日、東條内閣発足&br()11月26日、米、日本にハル・ノート提示&br()12月8日、日本、米英に宣戦布告、真珠湾攻撃、マレー半島上陸| //|1942|統合戦闘飛行隊「アフリカ」(ストームウィッチーズ)結成&br()夏、ハルファヤ峠攻防戦&br()8月、ペデスタル作戦開始&br()同月、マルタ島の大型ドーム状ネウロイ撃破&br()8月?、シャーロット・E・イェーガー、ボンネビルフラッツにて二輪車世界最高速度を記録&br()9月?、ダカール沖海戦&br()同月?、イコシウム防衛戦&br()第501統合戦闘航空団(ストライクウィッチーズ)結成|1942|4月27日、坂井三郎、太田敏夫、西澤廣義、ポート・モレスビーの敵基地で3機の編隊宙返りを3×2回行う&br()後日、賞賛の手紙がラバウル基地に投下される&br()5月22日、加藤建夫帝国陸軍中佐、ベンガル湾にて戦死&br()同日、アドルフ・ガーランド独空軍大佐、メッサーシュミットMe262のテスト飛行を行う&br()6月5日~7日、ミッドウェー海戦、赤城大破・処分&br()6月28日、スターリングラード攻防戦開始(~1943年2月2日)&br()4月27日、坂井三郎、太田敏夫、西澤廣義、ポート・モレスビーの敵基地で3機の編隊宙返りを3×2回行う&br()7月27日、ジョージ・F・バーリング英空軍軍曹、マルタ島にてフリオ・N・ドッリオ伊空軍大尉を撃墜&br()8月2日、ペデスタル作戦開始(~8月14日)&br()8月7日、坂井三郎、ガダルカナル島の空戦にて頭部被弾。右目失明、左目視力低下&br()8月26日、笹井醇一帝国海軍中尉、ガダルカナル島にて戦死(死後、海軍少佐へ特進)&br()9月30日、ハンス・ヨアヒム・マルセイユ独空軍大尉、北アフリカで墜落事故死&br()11月、米英軍、モロッコ・アルジェリアに上陸&br()同月、トラッフォード・リー=マロリー英空軍中将、戦闘機軍団司令官に就任|

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