海外紳士元ネタ解説2 > 5話


第5話「私のロマーニャ」の元ネタ解説翻訳

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タイトルが “WWII References” から “Historical References” に変更されました。

目次

Sparton Model 10

The Sparton (Sparks-Withington Co.) Model 10 is an early 7-tube AC non-AVC superheterodyne radio, broadcast band only.
The set features a double-tuned pre-selector (four section tuning capacitor) with RF amplifier stage.
It uses 2.5 volt tubes typical of the mid 1930's.

スパートン・モデル10
スパートン(スパークス・ウィズィントン*1)モデル10は、真空管を7球 使った初期のラジオで、交流電源を用いる。自動音量調整装置を搭載していない、スーパーヘテロダイン方式の、放送波帯*2受信専用ラジオである。
この受信機の特徴は、受信したラジオ周波数を増幅する段階で、前増幅器の波長整調器を二重にしている点(4セクションの同調コンデンサ)である。
本機は、1930年代半ばによく用いられた2.5ボルト真空管を使用している。
(翻訳を修正してくれる有志求む)


(訳注: モデル10の説明はこちらから。1931年頃の米国製のようです(Radiomuseum.org)。)



Army Issue Duffle Bag

WWII Army issue duffle bag. The top of the bag has metal grommets and a link and hook closure for secure transport. Soldiers stored all of their belongings in duffle bags when they were not living in barracks.
They carried the duffles on their backs and stored them in trucks and trenches.
A smaller knapsack of essentials (like water, instant coffee, sugar, mess cup, cigarettes, and poncho) could be carried once the soldier had set up camp.

陸軍支給雑嚢
第二次世界大戦期の(訳注:アメリカ)陸軍が支給した雑嚢・ダッフルバッグである。このバッグの上部には、金属製の鳩目*3と鉤型の止め金具があり、移動中に荷物が落ちないようになっている。兵士たちは兵舎で寝起きしている場合を除いて、自分の荷物は全部この雑嚢に収容しておいた。
彼らはこの雑嚢を背負って、トラックや塹壕の中に持っていった。
この雑嚢より小形の背嚢・ナップザックに必需品(水、インスタント・コーヒー、砂糖、食器類、タバコ、ポンチョ*4など)を入れて持って行くことで、野営してからはそれだけ持ち歩けるようにしておいた。
(翻訳を修正してくれる有志求む)


(訳注: World War II Duffle Bagの説明はこちらから。)



XP-56

The XP-56 Black Bullet was a unique prototype fighter interceptor built by Northrop.
It was one of the most radical of the experimental aircraft built during World War II. Ultimately, it was unsuccessful, and never produced.
The initial idea for the XP-56 was quite radical for 1939. It was to have no horizontal tail, only a small vertical tail, used an experimental engine, and be produced using a novel metal.
The plane was to be a wing with a small central fuselage added to house the engine and pilot.
The hope was that this configuration would have less aerodynamic drag than a conventional airplane.

XP-56
XP-56 ブラックバレットは、ノースロップ社が開発していた迎撃戦闘機の試作機で、非常に独創的な航空機である。
本機は、第二次世界大戦中に開発された実験用航空機のなかでも、最も先鋭的な試みの一つであった。結局、成功を見ず 量産されることもなく終わった。
XP-56の元々の構想は、1939年当時にしては、かなり進歩的であった。水平尾翼を持たず、小さな垂直尾翼を一つだけそなえ、実験用エンジンを搭載していた。そして新世代金属を使用して量産される予定であった。
この飛行機は、エンジンとパイロットを収容する小さな胴体を中央部に置いた一枚翼機になっていた。
こうした配置は、従来機よりも空力抵抗を軽減することを狙ったものであった。
(翻訳を修正してくれる有志求む)


(訳注: XP-56の説明は、こちら(Wikipedia(jp))から。)



All right. X-Attack!

Fritz X was the most common name for a German air-launched anti-ship missile, used during World War II.
Fritz X was a nickname used both by Allied and Luftwaffe personnel. Alternate names include Ruhrstahl SD 1400 X, Kramer X-1, PC 1400X or FX 1400 (the latter is also the origin for the name "Fritz X").
Along with the USAAF's similar Azon weapon of the same period in World War II, it is one of the precursors of today's anti-ship missiles and precision-guided weapons.
On 9 September, the Luftwaffe achieved their greatest success with the weapon.
After the armistice with the Allies, the Italian fleet had steamed out from La Spezia and headed to Malta.
To prevent the ships from falling into Allied hands, six Dornier Do 217 K-2s from the III. Gruppe of KG100 (III/KG100) took off, each carrying a single Fritz X.
The Italian battleship Roma, flagship of the Italian fleet, received two hits and one near miss, and sank after her magazines exploded. 1,255 men, including Admiral Carlo Bergamini, died.
Her sister ship, Italia, was also damaged but reached Malta.

よし。X攻撃だ!(フリッツX)
フリッツXとは、ドイツが第二次世界大戦中に使用した 空対艦ミサイルの名称として最もよく使われた。
フリッツXは連合軍とドイツ空軍の両方の兵員が用いたニックネームだった。ルールシュタールSD 1400X、クラマー X-1、PC 1400X や FX 1400(ここで最後に挙げたFX 1400が『フリッツX』という名称の元にもなった。)などなどの制式名称の代わりに、呼称された。
第二次世界大戦中、同時期のアメリカ陸軍航空軍USAAFにも、これに類似したアゾン*5という兵器があった。このアゾンとともにフリッツXは、現代の対艦ミサイルや精密誘導兵器の先駆けの一つである。
9月9日(訳注:1943年*6)、ドイツ空軍はこの兵器を使って最大の戦果を収めた。
連合軍との休戦が終了して、イタリア艦隊はラスペツィアを出港してマルタに向けて針路を取った*7
イタリアの艦艇が連合軍の手に落ちるのを阻むため、ドイツ空軍所属の第100爆撃航空団*8第3飛行隊 (III/KG 100)から6機のドルニエ Do 217 K-2が離陸した。各機はフリッツXを一発ずつ抱いて飛び立ったのだった。
イタリア艦隊の旗艦・戦艦ローマは、(フリッツXの)直撃弾を2発、至近弾を1発 受けた。そして、戦艦ローマは弾薬庫に誘爆した後、沈没した。カルロ・ベルガミーニ提督以下、1,255名の乗員が英霊となった。
戦艦ローマの同型艦・イタリアもまた損傷を受けたが、マルタにたどり着くことができた。
(翻訳を修正してくれる有志求む)


(訳注: フリッツXの説明は、こちら(Wikipedia(jp))から。英語版Wikipediaの当該項目では海外紳士が使用した写真も見られる。また、Azonの説明はこちら(Wikipedia(en))から。
戦艦ローマの説明は日本語版Wikipediaではこちらですが、英語版のほうがくわしいかも。ちなみにローマ艦長 カルロ・ベルガミーニ提督は戦後、カルロ・ベルガミーニ級フリゲートとしてイタリア海軍にその名を遺した。)



Lucchini's tour of Rome

Francesca Lucchini's tour of Rome visited St. Peter's Basillica*9, the Flavian Ampitheater, the Trevi Fountain, the Mouth of Truth, and the Spanish Steps (including ice cream.)

ルッキーニのローマ巡り
フランチェスカ・ルッキーニがローマを案内してまわった場所は、サン・ピエトロ大聖堂*10、フラウィウス円形競技場*11(訳注:古代ローマのコロッセオアンフィテアトルム)、トレヴィの泉*12、真実の口*13、そしてスペイン広場*14(アイスクリームを食べるシーンがある)である。
(翻訳を修正してくれる有志求む)


(「たかき屋に のぼりて見れば 煙立つ 民のかまどは にぎはひにけり」新古今 第七 賀歌・ 仁徳天皇)
(訳注1: サン・ピエトロ大聖堂の説明はこちら(Wikipedia(jp))、フラウィウス円形競技場の説明はこちら(Wikipedia(en))、トレヴィの泉はこちら(Wikipedia(jp))、真実の口 Bocca della Veritàはこちら、スペイン広場(スパーニャ広場)はこちら(Wikipedia(jp))。なお、現在、スペイン広場ではアイスクリームなどの飲食はできない。
ここで挙げられたほかにも、幾つか名所旧跡が登場している。FAQ 2期第五話「聖地巡礼したいのですが、今回の舞台はどの辺りですか?」も参照のこと。
また、マリア公女のモデルとしては、マリーア・ジョゼ・デル・ベルジョMaria José del Belgio・英語表記 Princess Marie José of Belgium )が考えられる。)
(訳注2: ローマ生まれのルッキーニが案内した場所は、いずれも 映画『ローマの休日』"Roman Holiday", 1953 (米)に登場する有名な観光地で、同映画のオマージュになっているようです。この「ローマの休日」という映画自体も、『或る夜の出来事』"It Happened One Night", 1934 (米)によく似ていると言われることもあります。)



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最終更新:2010年08月29日 21:47
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*1 米合衆国で1900年創業。1925年にラジオ製造を開始した。

*2 中波帯

*3 金属環・グロメット

*4 フード付きの袖なしの雨具。軍用のカッパ

*5 AZimuth ONlyの略

*6 その前日の1943年9月8日、連合軍総司令官によってイタリアの無条件降伏が発表された。

*7 連合軍に降伏するため、英国の支配下にあったマルタへ向かった。

*8 Kampfgeschwader: KG

*9 Basilicaのtypoと思われる

*10 キャプチャ左下の絵は、聖堂のドームから広場を見下ろしたところ。

*11 キャプチャ右下の絵は、コロッセウムの嘗ての地下施設がむき出しになっているところ。

*12 キャプチャ左上

*13 キャプチャ中央

*14 右上