海外紳士元ネタ解説2 > 9話


第9話「明日に架ける橋」の元ネタ解説翻訳

このページは常に有志の翻訳を募集中です。翻訳の修正はお気軽にどうぞ
  • 原文(英文)には手を加えないこと
  • 訳文への補足説明、誤認の指摘、修正などは注釈にて行うこと


#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (Title01.JPG)

目次


Forth Rail Bridge

The Forth Bridge is a cantilever railway bridge over the Firth of Forth in the east of Scotland, to the east of the Forth Road Bridge, and 14 kilometres (9 mi) west of central Edinburgh.
It is often called the Forth Rail Bridge or Forth Railway Bridge to distinguish it from the Forth Road Bridge.
It was opened on 4 March 1890. The bridge connects Scotland's capital city, Edinburgh, with Fife, leaving the Lothians at Dalmeny and arriving in Fife at North Queensferry; it acts as a major artery connecting the north-east and south-east of the country.
Described in the Collins Encyclopaedia of Scotland as "the one immediately and internationally recognised Scottish landmark", it may be nominated by the British government to be added to the UNESCO World Heritage Sites in Scotland.
The bridge and its associated railway infrastructure is owned by Network Rail Infrastructure Limited.
It is currently the longest cantilever bridge in the world for rail transport (the second longest cantilever bridge in the world after the Quebeck Bridge).

フォース鉄道橋
フォース橋は、スコットランド東部のフォース湾に架かる 片持ち梁*1式の鉄道橋である。エディンバラの中心部から西方に14キロメートル(9マイル)に位置し、フォース道路橋*2の東側に架かっている。
この橋はしばしば、フォース道路橋と区別するため、フォース鉄橋あるいはフォース鉄道橋とよばれる。
開通は1890年3月4日。この鉄道橋は、スコットランドの首都・エディンバラとファイフを結んでいる。ダルメニーロジアンを起点とし、北クイーンズフェリーのファイフが終点となり、スコットランドの北東部と南東部をつなぐ大動脈の機能を担っている。
コリンズのスコットランド百科事典では、『スコットランドのランドマークとして直ぐに分かる世界的な目印』と記され、イギリス連邦政府からスコットランドのユネスコ世界遺産群への追加登録が推薦される見込みである。
この鉄道橋とその上を走る鉄道設備は、ネットワーク・レール・インフラストラクチャー有限会社の所有である。
この橋は完成当時、鉄道輸送用としては世界一長いカンチレバー橋であった(ケベック橋*3の完成後は、世界で二番目に長い鉄道橋となった)。
(翻訳を修正してくれる有志求む)


(訳注1: 元になっているのは英語版Wikipedia(en) "Forth Bridge"です。日本語版Wikipediaの説明はこちらから。)
(訳注2: カンチレバー(・トラス)の説明はこちらWikipedia(jp)、ときにゲルバー(・トラス)橋ともいわれる。橋梁の工法としてわかりやすいサイトに、カンチレバー技術研究会があります。
ネットワーク・レール社の説明はこちら(Wikipedai(jp))から。同社のサイトはこちらです。)




Lockheed U-2/TR-1

The Lockheed U-2, nicknamed "Dragon Lady", is a single-engine, very high-altitude reconnaissance aircraft operated by the United States Air Force and previously flown by the Central Intelligence Agency.
It provides day and night, very high-altitude (70,000 feet / 21,000 meters), all-weather surveillance.
The aircraft is also used for electronic sensor research and development, satellite calibration, and satellite data validation.

The U-2R, first flown in 1967, is significantly larger and more capable than the original aircraft.
A tactical reconnaissance version, the TR-1A, first flew in August 1981.
A distinguishing feature of these aircraft is the addition of a large instrumentation "superpod" under each wing.
Designed for standoff tactical reconnaissance in Europe, the TR-1A was structurally identical to the U-2R.
The 17th Reconnaissance Wing, Royal Air Force Station Alconbury, England used operational TR-1As from 1983 until 1991.
The last U-2 and TR-1 aircraft were delivered to the Air Force in October 1989.
In 1992 all TR-1s and U-2s (all U-2Rs) were designated U-2Rs.
The two-seat trainer variant of the TR-1, the TR-1B, was redesignated as the TU-2R.
After upgrading with the F-118-101 engine, the former U-2Rs were designated the U-2S Senior Year.

ロッキード U-2/TR-1
ロッキードU-2、愛称「ドラゴン・レィディ」は、単発・超高高度 偵察機である。米合衆国空軍で運用される前は、米中央情報局CIAでも使用していた。
本機は昼夜兼用、超高高度(70,000フィート/21,000メートル)の全天候下で監視任務を果たしている。
この航空機は、電子センサーの研究開発、人工衛星の測定や、人工衛星のデータを検証するのにも用いられる。

1967年に初飛行のU-2Rは、元の航空機*4よりもずっと大きくなり、性能も格段に向上した。
戦術偵察用のTR-1Aは、1981年9月に初飛行した。
これらの航空機にとりわけ目立つ特徴は、『スーパーポッド』といわれる大型の装置が両翼にそれぞれ追加されているところである。
ヨーロッパにおいて遠距離戦術偵察*5を実施するために設計されたTR-1Aは、U-2Rと構造的には同じである。
英国王立空軍アルカンバリー基地第十七偵察航空団は、1983年から1991年までTR-1Aを運用していた。
最後のU-2およびTR-1が空軍に引き渡されたのは、1989年10月のことだった。
1992年にはTR-1とU-2の全機(U-2Rもすべて)が、U-2Rという呼称に変わった。
TR-1の複座練習機型にあたるTR-1Bは、TU-2Rと改称された。
エンジンをF-118-101に換装したのち、旧称・U-2Rは U-2S シニア・イヤーと呼称されるようになった。
(翻訳を修正してくれる有志求む)


(訳注1: 元になっているのは英語版Wikipedia(en)です。日本語版Wikipediaの説明はこちらから。 )
(訳注2: スーパーポッドを翼下に装備した形姿から、第九話のネウロイのモデルと推測したようです。もともとU-2は他の航空機が飛ぶことのできない高高度から偵察する目的で開発されました。高高度迎撃用の局地戦として上昇性能を重視して設計された震電が、U-2/TR-1型ネウロイのところまで一挙に上昇接近した点も、元ネタとして興味深いところだと思われます。)




Puzzle box

There's a place that makes these in my neighborhood.

A puzzle box (also called a secret, or trick box) is a box that can only be opened through some obscure or complicated series of manipulations.
Some puzzle boxes may require only a simple squeeze in the right spot, whereas others may require the subtle movement of several small parts, to open the box.
Some puzzle boxes are comparable to burr puzzles.
The puzzle box originated in the Hakone region of Japan at the turn of the 19th century as the Himitsu-Bako, or Personal Secret Box.
If opened, a puzzle box usually contains a sort of good luck charm.
These boxes were made in various complexities, and consist of moves with a variety of twists to trick the person trying to open the box, but the real trick is finding the correct series of movements that can range from two to 300+ moves.

秘密箱
「ウチの近所にね、こういうの作ってるところがあるの。
細工箱(あるいは秘密箱、からくり箱とも呼ばれる)とは、他の人にはわからない手順または複雑な手順を履まないと開かない箱のことである。
ある種の細工箱は、特定の位置をキュッと押すだけで*6簡単に開けられるが、ある種のものは小さなパーツを幾つも微妙に動かさないと開かないものもある。
細工箱によっては、組み木パズルと言ってもいいようなものまである。
このような細工箱は19世紀末*7、日本の箱根周辺で秘密箱つまり自分だけの物を内緒でしまう箱*8として考案された。
細工箱を開けると、中にはお守りの類が入ってることが多い。
こうした箱は複雑なものが色々と作られ、箱を開けようとする人をあざむくため、さまざまな操作が必要なものとなった。しかし、からくりの神髄は、2回から多いものでは300回以上にもなる操作の正しい手順を見つけていくことにある。
(翻訳を修正してくれる有志求む)


(訳注1:元になっているのは英語版Wikipedia(en) "Puzzle Box"です。日本語版Wikipediaの説明はこちら(秘密箱)から。 )
(訳注2: 日本では細工箱(パズル・ボックス)という語よりも、箱根寄せ木細工の秘密箱としてよく知られているようである。現在、生産は小田原などでも行われている。秘密箱が寄せ木細工で装飾されるのは、開けるために細工した接合線などを分かりにくくするためといわれる。)



The Blue Grotto

Light from the entrance to the cave is reflecting off the water.

The Blue Grotto (Grotta Azzurra) is a noted sea cave on the coast of the island of Capri, Italy.
Sunlight, passing through an underwater cavity and shining through the seawater, creates a blue reflection that illuminates the cavern.
The Blue Grotto is one of several sea caves, worldwide, that is flooded with a brilliant blue or emerald light.
The quality and nature of the color in each cave is determined by the unique lighting conditions in that particular cave.

青の洞窟(カプリ島)
「洞窟の入り口から入った光が、水面に反射してるんですわ。
青の洞窟*9(グロッタ アッズーラ)は、イタリアのカプリ島の海岸にある海蝕洞として有名である。
陽光が水面下を透過して洞腔内に入り、再び海面上に抜けると、青い反射光を生じて洞窟の内側を美しく照らし出す。
あざやかな青やメラルド色の光で満たされた海食洞は世界中に幾つもあるが、この青の洞窟もその一つある。
洞窟それぞれに光の具合が違うため、その色彩の質や特徴は洞窟ごとに異なる。
(翻訳を修正してくれる有志求む)


(訳注1:元になっているのは英語版Wikipedia; Blue Grotto (Capri)です。日本語版Wikipediaの説明は青の洞窟 (カプリ島)から。 )
(訳注1: 青の洞窟といわれる観光スポットは、このカプリ島のほかにも、クロアチアのビシェヴォ島マルタ島、ギリシャ領カステロリゾ島、イタリアのアマルフィ海岸、シチリア、恩納村などにある。
イタリア国内にも有名な「青の洞窟」は多々あるが、ストライクウィッチーズの基地の想定位置に比較的近い(近い・・・のか?)ことと、資料写真と本編画像の雰囲気が似ていること、おそらく最も有名であることからカプリ島が選ばれた模様である。)




Buddha of Kamakura

It's as big as the giant Buddha in Kamakura.

The Great Buddha of Kamakura is a monumental outdoor bronze statue of Amitābha Buddha located at the Kōtoku-in Temple in Kamakura, Kanagawa Prefecture, Japan.
The bronze statue probably dates from 1252, in the Kamakura period, according to temple records.
It was preceded by a giant wooden Buddha, which was completed in 1243 "after five years of continuous labor", the funds having been raised by Lady Inadano-Tsubone and the Buddhist priest Joukou of Toutoumi.
That wooden statue was damaged by a storm in 1248, and the hall containing it was destroyed, so Joukou suggested making another statue of bronze, and the huge amount of money necessary for this and for a new hall was raised for the project.
The sculptors were Ono Goroemaon and Tanji Hisatomo.
At one time, the statue was gilded. There are still traces of gold leaf near the statue's ears.
The hall was destroyed by a storm in 1334, was rebuilt, and was damaged by yet another storm in 1369, and was rebuilt yet again.
It is unclear, however, whether the statue constructed in 1252 is the same statue as the present statue.
The building housing the statue was washed away in the tsunami of September 20th, 1498 during the Muromachi period.
The statue is approximately 13.35 meters tall and weighs approximately 93 tons. The statue is hollow, and visitors can view the interior.

仏像
「鎌倉の大仏くらいあるよ。
鎌倉の大仏は、日本の神奈川県鎌倉の寺院・高徳院に安置された阿弥陀如来の銅像で戸外にある。
寺伝*10よると、この銅像はおそらく鎌倉時代の1252年(訳注:建長4年)から存在している*11
銅像よりも前に巨大な木製の大仏像があり、この木仏は1243年、『5年の間、絶え間なく働いた後』に完成した。その寄金は稲多野局[いなだ の つぼね]の発願と、遠江の僧・浄光[じょうこう]の勧進で集められた。
この木造仏像は1248年の嵐で損傷を受け、仏像を覆う仏殿も破壊されたので、浄光は新たに銅造りで建立するよう提案した。この銅像と新しい仏堂を作るには多額の資金が必要であったから、そのための計画が立ち上げられた。
銅造大仏の彫師は 大野五郎右衛門[おおの ごろうえもん*12]と丹治久友[たんじ ひさとも]だった*13
一度、銅像は金箔で箔押しされた。今もその金箔の痕跡が銅像の耳のあたりに残っている。
仏殿は1334年の嵐で倒壊し再建されたが、1369年にまた嵐によって損壊して、またもや再建された。
しかし、1252年に建立された銅製大仏が 現在の大仏と同じものなのか、はっきりしていない。
大仏殿は室町時代の1498年9月20日の津波で押し流されてしまった。
大仏の高さは約13.35メートル*14、重量はおよそ93トン*15。大仏は空洞で、参拝客は内部を拝観することができる。
(翻訳を修正してくれる有志求む)


(訳注1: 元になっているのは英語版Wikipedia(en)「高徳院」です。日本語版Wikipediaの説明はこちらから。)
(訳注2: 英語版Wikipediaは特定の説に拠っているようで、あまり正確な内容とは言えないようです。日本語の資料は豊富にありますから、本項の説明を鵜呑みしないほうがよいかも知れません。)



タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2010年09月04日 02:31
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。

*1 かたもちばり・カンチレバー。

*2 1964年にフォース鉄道橋と並んで、フォース道路橋"Forth Road Bridge"が開通した。

*3 カナダのケベック橋は1919年 完成、全長987m・支間長549m。フォース鉄道橋は全長こそ2530mだが支間長は521m。支間長の距離で橋の長さは比較される。

*4 U-2の初飛行は1955年。

*5 遠隔航空偵察 Airborne Stand-Off Reconnaissance [ASTOR]の一環に位置づけられる。

*6 手で扱うこととなっており、お尻でキュッとできるわけではない。

*7 それ以前の18世紀末には既に存在が確認されている。

*8 Personal Secret Box:英語圏でいう秘密箱のこと。日本製の寄せ木細工のものがコレクションの対象となっていたりする。

*9 grottoは ほら穴より小さめで、岩屋というイメージ。西洋庭園では避暑用に装飾された「グロット」が設けられた。

*10 高徳院の縁起書ではない。

*11 吾妻鏡の記述を元にした建長4年造立開始説と混同している。

*12 英語版Wikipediaでは「おの ごろえもん」とも読める表記になっているが、ここでは寺伝に従って訳し直しておきます。

*13 主として寺伝によった記述であるが、鋳物師についても諸説がある。

*14 台座を含む。像高は約11.3メートル。

*15 121トンとする資料も。