ヴァルトラウト・ノヴォトニー

WALTRAUT NOWOTNY
  • 所属
    • オストマルク空軍
    • カールスラント空軍第54戦闘航空団第1飛行隊司令
    • 連合軍第503統合戦闘航空団「タイフーンウィッチーズ」
  • 階級 大尉
  • 誕生日 12月7日
  • 使い魔 グレートデーン
  • 使用機材
    • フラックウルフ Fw190A-4(白の8号機)
    • フラックウルフ Fw190D-9(白の8号機、試作型)
    • フラックウルフ Fw190D-9(白の8号機、後期生産型)
    • メッサーシャルフ Me262A-1a(110400号機)
      • 一時帰国中に131先行実験隊を見学した時に使用したユニット。偶然ながら「白の8番」であった。
      • 東部戦線には後期生産型は配備されていないと考えられていたが、鮮明な写真の発見で判明した。
  • その他
    • 真面目で人格者。個人能力が優れているのみでなく、指揮能力も極めて高い。
      • 部隊としての撃墜数を伸ばす事ができる。
      • この指揮能力をサフォーノフ中佐とボニン中佐に買われ、第503統合戦闘航空団設立と同時に戦闘隊長に任命され、戦闘指揮全般を任された。
    • ネウロイ襲来と共にオストマルク空軍に入隊し、ウィーンのウィッチ学校に入校。
    • 速成教育を受け、卒業後はカールスラントのJG54に間借りして編成されていたオストマルク錬成中隊に配属。
      • 新人ではあったが、最前線で優秀な教官による実戦訓練を受け、着実に技量を高める。
    • オストマルク陥落後は正式にJG54の一員となり、オラーシャ方面へ避難する民衆を護衛しながら撤退。
      • 撤退作戦中、撃墜されてアゾフ海に墜落、3日間の漂流の末に救出される。
    • 被撃墜を経験しながらも確実に技量を向上させ、特にタイフーン作戦では大きく戦果を伸ばす。
      • 大尉に昇進後、反抗部隊として設立された第1飛行隊の司令となる。
    • その後の活躍は目覚しく、わずか1ヶ月の間に49機撃墜、その翌月には45機の撃墜を果たし、更にその翌月、わずか10日間のうちに32機の撃墜を果たすという驚異的な戦果を重ねた。
      • 名だたるエースウィッチの多いカールスラントでも、初の撃墜数250機達成を果たした。
  • イメージモデル ヴァルター・ノヴォトニー (1920-1944)
    • 通称 「Tiger vom Wolchowstroj」
    • 愛称 「ノヴィ(Nowi)」
    • 撃墜数 258(ドイツ空軍第五位)
    • その他
      • オーストリア出身。
      • 史上初めて250機撃墜を記録し、1943年8月には月間49機撃墜。中隊長昇格後の急激なスコア上昇に定評がある。
      • 統率力に優れ、ノヴォトニーの率いるシュヴァルムは1942~43年にかけて合計戦果450機撃墜を記録。
      • バルクホルン、ラル、キッテルの上位3人が手にする事のなかった宝剣付柏葉騎士鉄十字章を授章した27人のうちの一人。
      • Fw190の液冷エンジン搭載型であるFw190D-9の開発において、Fw190の設計者のクルト・タンク博士に協力し、実戦テストを務める。
      • 世界初のジェット戦闘機による実戦部隊であるコマンド・ノヴォトニーの指揮官を務め、自らMe262に搭乗し出撃。
      • 1944年11月8日、アッハメール基地上空で交戦中エンジントラブルが発生、訪問中だったアドルフ・ガランドの目前で墜死。状況から敵機に撃墜されたものと思われるが、直接の原因は不明。
        • この最後について、当時基地の離着陸場で他大勢と共にノヴォトニーとの無線通信を聞いていたヘルムート・レンナルツがコメントを残している。
      • 死後、Me262による本土防衛部隊である第7戦闘航空団(JG7)には「ノヴォトニー」の名が冠された。
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録 第五集/第五〇一統合戦闘航空団要略増補記録集/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第三集/第一独立特殊作戦航空団全記録/第五〇一統合戦闘航空団全記録参 第五集/島田フミカネ Twitter(1)(2)

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最終更新:2021年05月07日 18:41
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