503JFW


連合軍第503統合戦闘航空団「TYPHOON WITCHES」



隊長

ブロニスラヴァ・F・サフォーノフ

BRONISLAVA F SAFONOV
  • フルネームは ブロニスラヴァ・フェオクチストヴナ・サフォーノフ
    • キリル文字 Бронислава Феоктистовна Сафонов
    • ラテン文字 Bronislava Feoktistovna Safonov
  • 所属
    • オラーシャ海軍北洋艦隊航空隊第72混成飛行隊隊長
    • オラーシャ海軍第78戦闘航空連隊司令
  • 階級 中佐
  • 誕生日 8月28日
  • 使用機材
  • その他
    • いつも優しげな眼差しと微笑を絶やす事がなく、控えめかつ寡黙。
      • 部下思いの隊長として知られる。
      • 必要以上の話はしないが、その分口にする言葉は熟考と吟味を重ねたもので、深い含蓄と重みがある事が多い。
    • 早くからウィッチの素質を発現したため、オラーシャでも著名なウィッチであるグリゾデュポワに飛行を教わり、航空学校に入校。
      • すぐに優秀さを発揮し、教官の助手を務めたばかりか、卒業後もしばらく飛行教官として通っていた。
    • ネウロイ襲来時は北方艦隊の航空部隊に所属、第72混成飛行隊の隊長として海軍基地の防衛戦を行なっている。
      • 着実に戦果を重ね少佐に昇進。
    • たまたま新機材受領のため後方に移動した際、再結成された第78戦闘航空連隊の司令に任命された。
      • ヴォルガ川の要衝であるツァリーツィンの防衛任務に投入され、半年に亘る激戦を重ねた。この戦いの中で中佐に昇進。
      • カールスラント等各国軍と共に戦い、特にJG54司令だったボニン中佐とは深い親交を結んでいる。
  • イメージモデル ボリス・サフォーノフ (1915-1942)
    • フルネーム ボリス・フェオクチストヴィッチ・サフォーノフ
    • 通称 「ムルマンスクの星」
    • 撃墜数 25
    • その他
      • 独ソ戦で活躍し、ソ連邦英雄を二度受賞。
      • 後にソ連邦英雄となるグリゾデュボワに操縦を教わった。
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録 第四集/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第三集/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第四集


副指令

フーベルタ・フォン・ボニン

HUBERTA VON BONIN
  • 所属 カールスラント空軍第52戦闘航空団第4中隊
  • 階級 少佐
  • 身長 168cm
  • 年齢 18歳(1939年)
  • 誕生日 8月3日
  • 使用機材
  • 使用武器
    • MG34 (Maschinengewehr 34)
  • その他
    • 首都ベルリン近郊のポツダム出身で、昔からウィッチを輩出してきた貴族の家系。
    • 幼時からウィッチとなる事を当然と考えて育ち、日々訓練を欠かさず、一族の現役ウィッチから士官の心得を教え込まれ育つ。
    • 適正発現と同時に軍に志願、ベルリンの士官学校に入校し優秀な成績で卒業。卒業後は少尉任官。
    • 1936年のヒスパニア戦役では技能優秀者を選抜して設立されたヒスパニア防衛の義勇部隊・第88戦闘飛行隊に参加し、ガランド中尉(当時)率いる第3中隊に所属。
      • この活躍で中尉に昇進、同戦役従軍者向けに作られた勲章「ヒスパニア十字章」第二位の黄金剣付き十字章を授与される。
    • 中隊長がガランド中尉からメルダース中尉(当時)に変わると、同中尉の編み出した新戦法をいち早く呑み込み4機撃墜を達成。
      • 特に将来有望な少尉と見なされており、優秀な両指揮官の下で戦った事から同じく有能な指揮官としての片鱗を見せ始める。
    • 戦役後は大尉に昇進し、第26戦闘航空団第5中隊に転属。経験を積み重ね第52戦闘航空団第4中隊に再転属。
      • この時期のJG52に配属されたのが訓練学校を出たばかりのハルトマン少尉(当時)とマルセイユ少尉(当時)。
    • 後に第54戦闘航空団に転属し、第1飛行隊隊長、次いで航空団司令を経てタイフーン作戦を迎え、第503統合戦闘航空団「タイフーンウィッチーズ」設立に尽力する。
      • 司令にとの声が上がったが年齢的な事情もあり辞退、サフォーノフ中佐に司令の座を譲る。
      • サフォーノフ中佐からの強い要請により副司令に就任。部隊運営と人員育成、他部隊や総司令部との折衝を主任務とし、積極的に補佐を勤めている。
    • 戦闘に無関係な事には一切こだわらない、実用性一点張りの性格。
      • 軍装にこだわりを持つカールスラント軍人には珍しく、身なりに無頓着。
    • 戦場では徹底した実力主義者で、僚機が最下級軍曹であっても、撃墜数が多ければ(=実力が上であれば)空では命令に従うと公言している。
    • 年齢の割に落ち着いており、その老成した雰囲気から歳若いウィッチには母親のように慕う者もいる。
    • 唯一とも言える趣味としてチェスを嗜むが実力は高くない。
      • 対戦を通じて相手の人物像や性格を見る事を楽しみにしている。
  • 声優 甲斐田裕子
  • イメージモデル フーベルタス・フォン・ボニン (1911-1943)
    • 撃墜数 77
    • その他
      • エーリヒ・ハルトマンJG52着任時の飛行隊司令。
      • スペイン内乱でコンドル軍団に属し4機を撃墜。JG26に所属していた英本土航空決戦では9機、東部戦線以降に40機以上のスコアを記録したベテラン。
      • 背が高く、長い黒髪を後ろに撫でつけた細面の風貌。前線の佐官らしく軍装は小汚い。
      • 「ここでは撃墜数だけがものをいう。階級とか、他のくだらぬものはどうでもいい。地上では軍律があるが、空中では最多数撃墜のパイロットで、戦闘技術と経験に優れたものが指揮をとる。この規則には、私を含む全員が服従する。もし私より撃墜数の多い軍曹と一緒に飛べば、私は軍曹の指揮に従う(以下割愛)」―――『不屈の鉄十時エース』より。この言葉通り、交戦中の部下グリラフスキー中尉の命令に従い、興奮から出た悪態を戦闘後に笑って受け流している。
  • 出典 秘め録CD 下/秘メ録手牒 下巻/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第三集


戦闘隊長

ヴァルトラウト・ノヴォトニー

WALTRAUT NOWOTNY
  • 所属 カールスラント空軍第54戦闘航空団第1飛行隊司令
  • 階級 大尉
  • 誕生日 12月7日
  • 使用機材
  • その他
    • 個人能力が優れていたのみでなく、指揮能力も極めて高い。
      • 部隊としての撃墜数を伸ばす事ができる。
      • この指揮能力をサフォーノフ中佐とボニン中佐に買われ、第503統合戦闘航空団設立と同時に戦闘隊長に任命され、戦闘指揮全般を任された。
    • ネウロイ襲来と共にオストマルク空軍に入隊し、ウィーンのウィッチ学校に入校。
    • 速成教育を受け、卒業後はカールスラントのJG54に間借りして編成されていたオストマルク錬成中隊に配属。
      • 新人ではあったが、最前線で優秀な教官による実戦訓練を受け、着実に技量を高める。
    • オストマルク陥落後は正式にJG54の一員となり、オラーシャ方面へ避難する民衆を護衛しながら撤退。
      • 撤退作戦中、撃墜されてアゾフ海に墜落、3日間の漂流の末に救出される。
    • 被撃墜を経験しながらも確実に技量を向上させ、特にタイフーン作戦では大きく戦果を伸ばす。
      • 大尉に昇進後、反抗部隊として設立された第1飛行隊の司令となる。
    • その後の活躍は目覚しく、わずか1ヶ月の間に49機撃墜、その翌月には45機の撃墜を果たし、更にその翌月、わずか10日間のうちに32機の撃墜を果たすという驚異的な戦果を重ねた。
      • 名だたるエースウィッチの多いカールスラントでも、初の撃墜数250機達成を果たした。
  • イメージモデル ヴァルター・ノヴォトニー (1920-1944)
    • 通称 「Tiger vom Wolchowstroj」
    • 愛称 「ノヴィ(Nowi)」
    • 撃墜数 258(ドイツ空軍第五位)
    • その他
      • オーストリア出身。
      • 史上初めて250機撃墜を記録し、1943年8月には月間49機撃墜。中隊長昇格後の急激なスコア上昇に定評がある。
      • 統率力に優れ、ノヴォトニーの率いるシュヴァルムは1942~43年にかけて合計戦果450機撃墜を記録。
      • バルクホルン、ラル、キッテルの上位3人が手にする事のなかった宝剣付柏葉騎士鉄十字章を授章した27人のうちの一人。
      • Fw190の液冷エンジン搭載型であるFw190D-9の開発において、Fw190の設計者のクルト・タンク博士に協力し、実戦テストを務める。
      • 世界初のジェット戦闘機による実戦部隊であるコマンド・ノヴォトニーの指揮官を務め、自らMe262に搭乗し出撃。
      • 1944年11月8日、アッハメール基地上空で交戦中エンジントラブルが発生、訪問中だったアドルフ・ガランドの目前で墜死。状況から敵機に撃墜されたものと思われるが、直接の原因は不明。
        • この最後について、当時基地の離着陸場で他大勢と共にノヴォトニーとの無線通信を聞いていたヘルムート・レンナルツがコメントを残している。
      • 死後、Me262による本土防衛部隊である第7戦闘航空団(JG7)には「ノヴォトニー」の名が冠された。
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録 第五集/第五〇一統合戦闘航空団要略増補記録集/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第三集


隊員

ガリーナ・D・コストイリョーフ

GALINA D KOSTYLEV
  • フルネームはガリーナ・ドミトリエヴナ・コストイリョーフ(Galina Dmitriyevna Kostylev)であると推測される。
  • 所属 オラーシャ空軍
  • 階級 大尉
  • 誕生日 4月20日
  • その他
    • 陽気で快活、外交的な性格。
      • 各国のウィッチともすぐに親しくなったため、第503統合戦闘航空団設立時には最初からメンバーに選ばれていた。
    • 黒海艦隊の防衛任務に就いていた。
      • 黒海方面から撤退中にJG54と合流、ツァリーツィン、次いでウファまで撤退。
    • 原隊が消滅し、撤退時の混乱で新たな部隊に編入されなかったため、タイフーン作戦にはJG54の一員として自主的に参加。
  • イメージモデル ゲオルギー・ドミトリエヴィッチ・コストイリョーフ (1913-1960)
    • 撃墜数 46
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第三集



アレクサンドラ・シェルバネスク

ALEXANDRA SERBANESCU
  • 所属
    • オストマルク空軍第7戦闘航空群第57戦闘飛行隊
    • カールスラント空軍第3戦闘航空団第1オストマルク独立飛行隊
  • 階級 中尉
  • 誕生日 5月17日
  • 使用機材
  • その他
    • 開戦前からウィッチとして飛行しており、第7戦闘航空群第57戦闘飛行隊にて南方国境線の防衛任務に就いていた。
    • オストマルク陥落の際に殿軍として民衆の撤退を助け、そのまま敵中に残されるが、壊滅を前にしてカールスラント空軍JG3に救出され、共にオラーシャ方面へ撤退。
      • ウィッチが地上整備員を背中に乗せて強行突破するほど苛烈な撤退戦となった。
    • その後もJG3所属のオストマルク人部隊として戦闘を続け、タイフーン作戦時には新設の第1オストマルク独立飛行隊に所属して戦った。
      • 地上ネウロイとの戦闘中に負傷、顔に傷を負っている。
    • 勇猛果敢な戦い振りを買われ、第503統合戦闘航空団が設立された際にスカウトされた。
  • イメージモデル アレクサンドル・シェルバネスク (1912-1944)
    • 愛称 「アレク(Alecu)」
    • 撃墜数 44
    • その他
      • スターリングラード東部戦線で活躍した、連合軍機に対するARRトップエース。撃墜数では1位だが、ARR方式の勝利数算定法に基づきルーマニアでは第2位のエースとされている。
      • オルト州コロネスティーヴライチに生まれ、1933年にシビウの歩兵士官養成学校を卒業して少尉任官、ブラショフの山岳兵部隊に入隊。
      • 1939年初頭に空中観測員学校に入校、同年に飛行資格を取得し、1940年に飛行学校入校。10月31日に戦闘操縦士資格を獲得、PZL P.11IAR80、次いでBf109Eを操縦。
      • 1942年4月、中尉で第7戦闘航空群に転属し、第57戦闘飛行隊の一員としてスターリングラードで初出撃するが、間もなく飛行隊長が戦死したため、隊長代理を命ぜられた。
      • 同9月17日、スターリングラード北東でYak-1を撃墜、これを皮切りに戦功を重ねると、1943年3月6日に大尉に進級。その後、30名の選抜パイロットから成るドイツ空軍第3戦闘航空団内の実験部隊「ドイツ=ルーマニア王国戦闘団」が編成されると、この合同部隊に配属されるARRの三つの飛行隊のひとつ、第57戦闘飛行隊の指揮官に任命された。
      • 1943年6月1日に同戦闘団が解散すると、シェルバネスクとその飛行隊は第1ルーマニア航空軍団に属し勝利を重ね、7月5日には航空有功騎士十字章を授与された。
      • その4日後、敵軍縦隊を機銃掃射中に地上放火で顔面を負傷。辛うじて基地に不時着したものの、傷が癒えたばかりの8月20日に再び負傷。顔面に傷跡を残す事となった。
      • 8月から9月にかけて大きくスコアを伸ばし、ミハイ勇敢公勲章三級、一級鉄十字章を授与される。10月10日には敵味方の中間地点に不時着するも、第4山岳師団に救出された。
      • ソ連との戦闘が激化するとカンタクジノのスコアを追い抜くが、アメリカ陸軍航空隊の参戦により、1944年8月18日にP-51に撃墜され戦死。機体の無線機が故障しており、高高度での奇襲時に僚機からの警告を聞くことが出来なかったためとされる。
      • ARRパイロットでも受勲の前例のないミハイ勇敢公勲章二級の授章を推薦されたが、その死からわずか5日後にルーマニアが連合国側に陣営を鞍替えした為、実現しなかった。
      • 枢軸国への〝裏切り〟前に戦死した事により伝説となったパイロットで、共産主義体制崩壊後に威光を取り戻し、ブカレストの大通りのひとつにその名を残している。
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第三集



ロザリー・ド・ラ・ポワプ

ROSALIE DE LA POYPE
  • 所属 自由ガリア空軍「ノルマンディ
  • 階級 中尉
  • 誕生日 7月28日
  • その他
    • 元は学生だったが、ガリア陥落と同時にブリタニアに渡り飛行学校に入校。
    • 少尉任官後は自由ガリア空軍に所属したが、戦闘任務には殆ど出ず、補給物資輸送を主任務としていた。
      • 輸送先が激戦の続くツァリーツィンで、輸送してきたユニット共に留まり防衛任務に志願。
        • 防衛軍はこれに応じ、同様のガリア出身ウィッチをまとめ「ノルマンディ」部隊を設立。
    • 防衛戦で頭角を現し、中尉に昇進後、同時に最年少中隊長となる。
      • その戦い振りがサフォーノフ中佐の目に留まり、後に第503統合戦闘航空団にスカウトされた。
  • イメージモデル ローラン・ド・ラ・ポワプ (1920-)
    • 愛称 「侯爵(Le marquis)」
    • 撃墜数 16
    • その他
      • 自由フランス空軍第8位のエース。
      • 当初はイギリス空軍に勤務していたが、後に自由フランスのソビエト派遣部隊「ノルマンディ・ニーメン」に参加し、最年少の中隊長として活躍。
      • 戦後はプラスチック産業で成功し、アンティーブにマリンランドを設立。
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第三集



オティーリエ・キッテル

OTTILIE KITTEL
  • 所属 カールスラント空軍第54戦闘航空団錬成中隊
  • 階級 少尉
  • 誕生日 2月21日
  • 使用機材
  • その他
    • 緒戦からノヴォトニー大尉の僚機として共に戦い続けてきた。
    • ノヴォトニー大尉を上回るペースで撃墜機数を増やし、カールスラントでも突出したエースとなる。
  • イメージモデル オットー・キッテル (1917-1945)
    • 通称 「Butcher-Killer」
    • 愛称 「ブルーノ(Bruno)」
    • 撃墜数 267(ドイツ空軍第四位)
      • 583回という比較的少ない出撃回数で達成。
    • その他
      • 東部戦線で活躍した、JG54のトップエース。
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団要略増補記録集/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第三集



川口文代

かわぐち ふみよ
  • 所属
    • 扶桑皇国陸軍飛行第11戦隊(扶桑海事変において)
    • 扶桑皇国陸軍飛行第204戦隊
  • 階級 少尉
  • 使用機材
  • 使用武器
    • 扶桑刀
  • その他
    • 扶桑海事変に際し軍に志願、飛行第11戦隊に所属したが、その頃には扶桑海事変はほぼ終結しており、殆ど戦果を挙げる事はできなかった。
    • その後、飛行第204戦隊に転属し、錬成訓練中に准尉へ昇進。士官教育を受けるよう上官に説得され養成学校へ入校。
    • 少尉任官後に原隊に復帰、ウラル方面の欧州支援任務に就き、多くの作戦に参加。
      • 夜間襲来した大型ネウロイの迎撃に出撃、非力なキ43で攻撃を仕掛け、全弾消耗の末に機銃による攻撃を捨てて肉薄、扶桑刀で2体のネウロイを撃破。
    • 大型ネウロイ狩りを得意とし、「大物食い」として知られるようになると、これらの戦果を認められ第503統合戦闘航空団設立と同時に隊員となった。
  • イメージモデル 山口文一 (1918-1992)
    • 撃墜数 19
    • その他
      • 中国・インド・ビルマ戦域において、弱武装、低速の一式戦闘機「隼」で大型爆撃機B-24を6機撃墜したエース。
      • 宮崎県出身。1936年に入営、1940年に第81期操縦学生課程を修了すると中国戦線の飛行第11戦隊第1中隊に配属。
        • 太平洋戦争緒戦ではマレー作戦に参加、1942年初頭にはパレンバンで英空軍のブレニム軽爆を迎撃したが、山口自身には接敵の機会がなかった。
      • 1942年4月、満州の鎮西で新たに編成された飛行第204戦隊に転属。終戦まで同部隊に留まる。
        • ビルマのミンガラドン飛行場を拠点とし進攻・迎撃に従事。1943年12月22日に昆明上空でP-40を撃墜し初戦果。
        • 1944年2月29日夜、滝口広少尉と共に隼でB-24を迎撃、2機の撃墜と不確実撃墜2機を記録。
      • 以後はタイ、マニラ、沖縄防衛を転戦し終戦を迎えた。
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団要略増補記録集/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第三集


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