505JFW


連合軍第505統合戦闘航空団「MIRAGE WITCHES」



隊長

グレーテ・M・ゴロプ

GRETE M GOLLOB
  • フルネームはグレーテ・マクシミリアーネ・ゴロプ(Grete Maxmiliane Gollob)等であると推測される。
  • 所属 オストマルク空軍
  • 階級 少佐
  • 誕生日 6月16日
  • 使用機材
  • その他
    • オストマルク中央に近いグラーツに生まれる。幼少時からウィッチとしての力が発現していた為、兵学校生徒としてオストマルク空軍へ入学。
      • 優秀な成績で飛行訓練を完了し、少尉任官の上、教育中隊の指導官となった。
    • 優秀だが尊大かつ冷酷で、ユーモアを理解しない面白みのない人物だと評価されていたが、その教育中隊ではスパルタ教育で多くのウィッチが飛び方を学び、また戦場における生き延び方を身につけたと言われている。
    • 中尉昇進と共にカールスラントから供与されたをBf110使用する駆逐隊に配備され、オストマルク国境防衛の任に就く。
      • ネウロイ襲撃時から多くのスコアを稼ぎ、リヴォフ方面での防衛の要となった。
    • ダキアの戦況悪化に伴い、トランシルヴァニア南方の都市アルトラントの防衛任務に就く。防衛の要地でもあるこの地で次々と撃墜数を増やしていった。
      • 戦況の悪化に伴い首都ブカレストが陥落、次いでオストマルク南方の要地である鉄門を突破され、ネウロイがオストマルク国内に侵入するが、部下の多くの撤退進言を退け防衛を続行。
      • この働きによって結果的にトランシルヴァニアはオストマルク、ダキア、モエシア陥落後に最後に残された人類の版図となるが、補給が無い状況での部隊や難民の維持は困難であり、苦渋の決断の末撤退を決断。
      • ネウロイの主力がいる西方への撤退は困難であり、逆にネウロイの根拠地である黒海方面へ撤退する計画で、これが後に「最も長い撤退戦」と呼ばれる激戦の始まりであった。
  • イメージモデル ゴードン・ゴロプ (1912-1987)
    • フルネーム ゴードン・マックス・ゴロプ
    • 撃墜数 150(ドイツ空軍24位)
    • その他
      • ドイツ空軍初(=人類初)の150機撃墜を達成した大戦初中期のエース。
      • メルダース、ガランドに続く、全軍で3人目の宝剣付き柏葉騎士鉄十字章授章者。
      • オーストリアのウィーン出身。グラーツで機械工学を学んだ後、砲兵としてウィーナー・ノイシュタットの士官学校に入校。卒業後は初め少尉でオーストリア空軍に配属され教官を務めていたが、ドイツによるオーストリア併合に伴いドイツ空軍に中尉で転籍、3/ZG76に配属された。乗機はBf110。
      • ポーランド空軍との戦闘で初撃墜を記録、以後バトル・オブ・ブリテンバルバロッサ作戦等でスコアを伸ばす。
      • 1942年8月29日、史上初となる150機撃墜を達成。柏葉騎士鉄十字章を授与されると、以降は飛行任務を禁止され本国に召還、様々な要職を歴任。大戦末期には罷免されたアドルフ・ガランドを継いで最後の戦闘機隊総監となる。
      • ユーモアを解さない堅物で、競争心強く尊大。ガランドとは対立しており、ドイツ空軍には少なかったナチストでもあった為に同僚や部下からの人望に乏しかった。
      • 中世の騎士的な人気のあるルフトヴァッフェのエースの中でも、ヘルマン・グラーフと並び、珍しく悪役・憎まれ役的な印象の強い人物。
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第四集


戦闘隊長

アーリャ・V・アレリューヒン

ALYA V ALELJUHIN
  • フルネームはアレクサンドラ・ヴァシーリエヴナ・アレリューヒン(Alexandra Vasilievna Aleljuhin)であると推測される。
  • 所属 オラーシャ空軍
  • 階級 大尉
  • 誕生日 3月30日
  • その他
    • 普段は物静かで親しみ易い性格だが、いざという時には威嚇するかのような強い威厳を発揮する。
    • 指揮能力の高さと信頼できる人間性で、部下を強く引っ張って行く事ができる。
    • モスクワの北方250キロ程にあるケソヴァ・ゴラ村の出身で、工場労働者の父親の元で育つ。
    • 本人はウィッチの素質があるとは思っておらず、普通の学生生活を送っていたが、やがてウィッチの力が発現したため飛行学校へと再入校。
    • 卒業後チカーロフ軍事航空学校に入校。ネウロイ襲来前には中尉として黒海沿岸の港湾都市オデッサに送られた。
      • オデッサでは戦闘機連隊の副司令を務めていたが、ネウロイ襲来に対しても冷静に部隊を統率して抗戦。
    • ネウロイの攻勢が強くなると連隊はオデッサからロストフへと移動し防衛を行う。
      • クリミア半島に拠点を構えるゴロプ少佐達と知り合ったが、所属部隊の違いもあり、あまり親交はなかった。
    • ロストフからの撤退後、ツァリーツィンで人員不足のゴロプの部隊と共同で戦い、その中で親交を深めた。
    • 撤退戦の中で大尉へと昇進し、その後もゴロプの右腕として第505統合戦闘航空団をまとめ上げている。
      • 共に有能でありながら、方や冷酷で傲慢、絶対的な威厳で部隊をまとめるゴロプと、物静かで笑いを絶やさず人当たりの良いアレリューヒンの組み合わせは、撤退戦の中で動揺しがちな部下達をまとめるのに適していたと思われる。
  • イメージモデル アレクセーイ・ヴァシーリエヴィチ・アレリューヒン (1920-1990)
    • 撃墜数 40
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第四集


隊員

コンスタンティア・カンタクジノ

CONSTANTIA CANTACUZINO
  • 所属 ダキア空軍第7戦闘航空群
  • 階級 予備大尉
  • 誕生日 11月11日
  • 使用機材
  • その他
    • 裕福な公爵家に生まれ、幼少時から様々なスポーツで優れた成績を収めた才媛。
      • 親戚の所持している飛行学校で飛行訓練を受け、僅か2週間で基本レベルの航空ウィッチ訓練を終了している。
    • より高度な飛行免許も取得し、自家用航空機と旧式のストライカーユニットを購入。曲技飛行に磨きをかけていた。
      • ネウロイ襲来直前の1939年にはダキア曲技飛行チャンピオンになっている程の腕前。
    • どんなユニットも扱えるという能力を持っており、戦場で手に入れたオラーシャ製やリベリオン製のユニットも、初使用であろうと問題なく使用する事ができる。
    • ネウロイ襲来に際し予備中尉として軍に招集され、ダキアの優秀なウィッチを集めた第53戦闘飛行隊に配属。
    • 防衛に従事し、配属後僅か1週間にして初撃墜。その後も撃墜数を伸ばし予備大尉に昇進するも、公爵家という家柄から後方任務に下げられてしまう。
    • ネウロイの攻勢は強まる一方だった為、前線勤務を申請し続けたところ上層部も根負けし、第7戦闘航空群に配属された。
    • ダキア陥落の際は首都ブカレストの防衛の任に就いており、最後まで民衆を避難させる為戦い続けた。
      • 多少の夜間視力があったと言われており、ドラム缶数本の灯の中で夜間出撃を続けた。
      • 多大な戦果を挙げていると思われるが、戦果を確認する人間がいなかった事と、必要以上に戦果を語らない本人の寡黙な性格から記録には残されていない。
    • ダキア陥落後はアルトラントに撤退、ゴロプ少佐率いる部隊と合流し戦闘を続け、「最も長い撤退戦」の末に第505統合戦闘航空団へ参加。
    • 第506統合戦闘航空団の設立に際し連合軍司令部より転属の要請があったが、第505統合戦闘航空団と同部隊の支援を行っている扶桑陸軍の猛反対もあり実現には至らなかった。
  • イメージモデル コンスタンティン・カンタクジノ (1905-1958)
    • 愛称 「ブズ(Bâzu)」
    • 撃墜数 43
    • その他
      • ARR方式勝利数におけるルーマニア軍トップエース。
      • ブカレストで裕福な公爵家であるカンタクジノ家に生まれ、少年の頃から様々なスポーツに才能を示し、国内外問わず多数のトロフィーを得た。
      • 27歳で親戚のイオアナ・カンタクジノが経営する私立の飛行学校に入り、講習僅か2週間で基本レベルの免許を取得。
      • その2年後に多発輸送機パイロットのライセンスを得てLARESに入社。
      • 同年に自家用機としてフリートF-10D複葉機を購入、続いてコードロン、フリート、ICAR、ビュッカー等を購入、長距離飛行と曲芸飛行の経験を得、曲技で1939年のルーマニア・チャンピオンに選ばれるまで上達。
      • ソ連との開戦を前に予備役中尉として招集され、ARRのエリート戦闘機部隊のひとつ第53戦闘飛行隊に配属。開戦後はハリケーンを駆り、初実戦から1週間も経たぬうちに初撃墜を記録、その後もスコアを伸ばす。
      • この戦いが終わるとLARESに復帰し主席パイロットに昇進、この間にBf109Eへの機種転換コースへの参加やMiG-3への試乗を行なう。
      • 実戦部隊復帰後はBf109Gに機種転換、第7戦闘航空群に配属され、順調にスコアを伸ばしシェルバネスクとトップ・エースの座を競う。
      • 1943年6月から7月にかけて行われたソ連襲撃機に対する28度に上る夜間迎撃で、夜戦についての正式な訓練は全く受けていないにもかかわらず、ドラム缶数本の灯火に照らされた飛行場から出撃し応戦。
      • ルーマニアにアメリカ陸軍航空隊が出現するようになると、首都防衛を任務とする第7戦闘航空群第57戦闘飛行隊に配属されこれを迎撃。
      • 1943年から1944年にかけて猩紅熱に倒れスコアを伸ばせなかったものの、シェルバネスクが戦死すると最終的にARRの勝利点ランクのトップとなった。
      • 1944年8月23日にクーデターが発生するとアメリカ人捕虜のジェイムズ・ガン3世中佐を伴い連合軍に接触する為イタリアのフォッジアに飛行。乗機のBf109GをP-51Bと交換してしまい、全く操縦法を教わっていないにも関わらず難なく操縦し翌日帰投。
      • 第7/9戦闘航空群司令に任命されて後は枢軸側のドイツ空軍と戦い、He111HFw190F等を撃墜。これによりルーマニアが交戦したソ連・アメリカ・ドイツの全ての空軍に対してエースとなった。
      • 戦後は商業パイロットに復帰、旧LARESから改名されたTARSに戻るが、共産主義政権下でルーマニア人パイロットが迫害された事から亡命。フランス、次いでスペインに移住し没。マドリードに埋葬された。
      • 貴族出身の予備士官で、飛行任務を軍人の義務というよりむしろスポーツと見なしていたカンタクジノは、正規士官であるシェルバネスクとは反りが合わなかったと言われる。
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第四集/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第五集



ストヤナ・ストヤノワ

STOYANA STOYANOVA
  • 所属 モエシア王立空軍
  • 階級 中尉
  • 誕生日 3月12日
  • その他
    • モエシア空軍で最初のネウロイ撃墜を果たし、また最初にエースとなったウィッチ。
    • 孤児の生まれで、父は小規模な怪異との戦いで落命している。
    • 新聞配達をしながら戦争孤児の学校に通い、奨学金が出る事から士官学校へ入校。優秀な成績で卒業し騎兵少尉に任命される。
    • 航空ウィッチとしての適正が判明すると王立陸軍士官学校の航空コースを受講。中尉に昇進し航空ウィッチとなった。
    • カールスラントに派遣され、ストライカーユニットでの高等戦術と多数のユニットを用いた機種転換訓練を終了し帰還。
    • 航空学校の教官任務に就いた直後にネウロイが襲来し出撃、初撃墜を果たすも、基地にはカールスラントやオストマルク、ギリシャなどから派遣されたウィッチ部隊が駐留する事になり、国内のウィッチ育成の為に後方へと移動。
    • ダキアの陥落でモエシアにネウロイが迫ると、民衆を撤退させる為に最後まで基地に残って戦闘を続けるが、満身創痍で弾薬切れの寸前にアルトラントから来たゴロプ少佐の部隊に救出された。
    • 負傷しておりアルトラントの基地に移動、回復の後ゴロプ少佐の部下として行動を共にし、「最も長い撤退戦」をくぐり抜けた。
    • 個人としての戦闘技能の優秀さに加え指揮能力も高く、柔和な人柄から多くの人に好かれている。
      • アレリューヒン大尉とは良く意見が合い、部下の面倒を任される事も多い。
  • イメージモデル ストヤン・ストヤノフ (1913-1997)
    • 撃墜数 14
    • その他
      • ブルガリア初のエース。
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第四集



ヴァシリーサ・M・ヴァシリアデス

VASILISSA M VASSILIADES
  • フルネームはヴァシリーサ・ミカエラ・ヴァシリアデス(Vasilissa Michaela Vassiliades)であると推測される。
  • 所属 ギリシャ空軍
  • 階級 准尉
  • 使用機材
  • その他
    • ギリシャのキオス島で裕福な船主の子供として生まれる。
    • 家の伝統に従い海軍に入ろうと考えており海洋学校に入学したが、近隣を飛行するブリタニア空軍のストライカーユニットを見て空へ憧れるようになる。
    • 空軍アカデミーへの転属を希望するが、魔法力不足と判断され入校する事は出来なかった。
    • 海洋学校で教官を務める元ギリシャ海軍航空隊の退役ウィッチと知り合い、密かに旧式ユニットでの訓練を受ける。
    • その後ネウロイの襲撃を知ると退役ウィッチの推薦を受け直ちに空軍へと志願。著名な退役ウィッチからの推薦もあり受諾され、学生身分のままオストマルク方面防衛派遣軍の一員として送り出された。
    • ギリシャ空軍には過剰ユニットがなかった為、オストマルク方面に駐留していたブリタニア空軍で旧式のハリケーンを使用して実戦訓練を受けた後に少尉任官、モエシアに駐留していたギリシャ空軍部隊に配属された。
    • ダキア陥落後は、部隊が南方のギリシャへ撤退を開始した際に連絡のため滞在していたアルトラントに取り残され、そのままゴロプ少佐の指揮下に入った。
    • ウィッチとしては新米に数えられる。
  • イメージモデル バシリオス・ヴァシリアデス (1920-1945)
    • フルネーム バシリオス・ミハエル・ヴァシリアデス
    • 愛称 「ヴァス(Vass)」
    • 撃墜数 11.5
    • その他
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第四集



犬房由乃

いぬふさ ゆの
  • 所属 扶桑皇国陸軍飛行第50戦隊(推定)
  • 階級 曹長
  • 誕生日 3月31日
  • 使用機材
  • その他
    • 元は陸軍の装甲歩兵で、陸上ウィッチとして扶桑海事変に参加していた。
      • 上空支援を行なっていた航空ウィッチが飛ぶ姿に憧れ、航空部隊への転属願いを出す。
    • 戦況の悪化から航空ウィッチが不足しており、転属願いが受理され下士官学生として熊谷飛行学校へ入校。速成教育を受けた後、欧州派遣を視野に入れた野戦補充飛行隊に転属。
      • 優秀な成績を収め、カルパティア山脈での怪異監視任務の為の扶桑からの派遣ウィッチの一人に選抜される。
    • 欧州派遣後はカールスラント方面で義勇飛行兵団の一員として活動を続けていたが、中型ネウロイとの戦闘中に被弾し墜落。
      • 墜落地点がダキアのカンタクジノ公爵の領地だった為、そのまま公爵家に留まり治療を受けた。
      • この際使用していたユニット(キ43)も損傷したが、ダキアのIRDに送られ新品同様に修理されている。
        • IRDではこのキ43の調査結果を反映し、IRD80にキ43の構造を取り入れた新型ユニットの開発を検討。1機のみ作られた試作機はカンタクジノ予備大尉の元へ送られた。
      • 扶桑陸軍では既に戦死したと見なされており、意識が戻った時点で原隊へ連絡したところ大変驚かれたという逸話が残っている。
    • 傷が癒えた後も原隊に復帰せず、カンタクジノ予備大尉と行動を共にし「最も長い撤退戦」に従軍。
    • 元装甲歩兵という経歴からかサバイバル能力に長けており、度重なる撤退戦の中で物資や食料の調達、水の確保、敵中突破等に多大な貢献を示す。
      • バクーでの待機中、ペルシア湾方面の扶桑陸軍との連絡に成功し、ストライカーユニットや武器弾薬、物資の補給を受けて部隊を再編。
  • イメージモデル 大房養次郎 (1918-)
    • 撃墜数 19
    • その他
      • 中国・ビルマ・インド戦域における飛行第50戦隊のエース。
      • 1930年に入営、ノモンハン事変で地上部隊の砲兵曹長として従軍。航空部隊の活躍を知り戦闘機パイロットへの転属を志す。
      • 1942年6月、熊谷飛行学校に入校。卒業し仏印の第1野戦補充飛行隊に所属の後、錬成教育を受け1943年1月にビルマの飛行第50戦隊に配属。
      • 1943年11月24日、ミートキーナ上空で第7爆撃航空群のB-24と交戦、1機を撃墜したものの、同機からの反撃で被撃墜。落下傘降下で脱出するもその後41日間を病院で過ごす。
      • 復帰後は仏印・サイゴン・プノンペンと移駐しながらもスコアを伸ばし武功徽章(乙)を授与され、台湾で終戦を迎えた。
      • 戦後は樋口に改姓。
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第四集/ワールドウィッチーズ扶桑皇国版 其の十二


所属時期不明

黒江綾香

くろえ あやか
  • 所属
    • 扶桑皇国陸軍飛行第1戦隊(1937年)
    • 扶桑皇国陸軍航空審査部(1945年)
  • 階級
    • 少尉(1937年)
    • 大尉(1939年)
    • 少佐(1945年)
  • 身長 170cm
  • 年齢
    • 17歳(1939年)
    • 22歳(1945年)
      • 『キミとつながる空』のキャラクター紹介では23歳、大尉となっている。
  • 誕生日 2月17日
  • 通称 「魔のクロエ」
    • ネウロイに肉薄して扶桑刀で切り裂くという勇猛な戦いぶりから、賞賛と畏怖を込めて。
  • 使い魔 薩摩犬
  • 固有魔法 特性把握
  • 使用機材
  • その他
    • 扶桑海事変より参戦したベテラン。
      • 穴拭智子、加藤武子、加東圭子の「扶桑海三羽烏」と共に飛行第1戦隊に所属していた。
    • 第47独立飛行中隊にて欧州に送られ、鬼神の如き戦いを繰り広げた。
      • 他人からは無謀ともみえる戦い方だが、明確な勝算があっての事。
    • 扶桑刀による近接戦闘能力は歴代ウィッチの中でもトップクラスで、十指に入ると言われる。
      • 刀の切っ先に魔法力を集中させる事により、ネウロイのコアごと一刀両断する秘剣「雲耀」を会得している。
        • 大型ネウロイの撃墜にも成功している。
        • 坂本少佐に7年振りの再会を求められた際、P51-Cのデータ収集を兼ねた模擬戦でこの技を披露、結果的に伝授する形になっている。(キミとつながる空)
    • 大らかで明朗快活な上、気配りも出来る性格。
    • 部隊運営能力も高く、部下に慕われ多くの部隊で転戦を繰り返した。
      • 部隊の士気高揚に長けており、地の底まで落ちていた第42統合戦闘飛行隊の士気を回復させた事は伝説となっている。
    • 20歳で一度退役したが、前線に出ない事を条件に再志願、航空審査部に勤務しテストパイロットを務める。
      • テストパイロットとしての能力も高く、ユニットの特性や出力バランス等を明確に数値化して表現出来るので技術者からも信頼されている。
    • 趣味は魚釣りで、飛行第64戦隊配属時には暇さえあれば釣りばかりしていた。
  • イメージモデル 黒江保彦 (1918-1965)
  • 出典 コンプエース/世界の航空歩兵シリーズ/キミとつながる空/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第一集/ストライクウィッチーズ零


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