508JFW


連合軍第508統合戦闘航空団「MIGHTY WITCHES」



隊長

ジェーン・S・サッチ

JANE S THACH
  • 所属 リベリオン海軍
  • 階級 中佐
  • 誕生日 4月19日
  • その他
    • テストパイロットや飛行教官を歴任し、航空参謀としても活躍していた。
      • 空母飛行隊司令、教育隊司令、航空参謀等を歴任し、的確な作戦立案と指揮能力もあって、男性指揮官からの信任も厚い。
      • 教官としては、スオムスへと送られたオヘア少尉等多くの海軍ウィッチを育て、部下からの信望も厚い。
    • 第508統合戦闘航空団の結成を発案し、大佐昇進を断って司令官として参加。
    • 扶桑海軍との共同作戦を行うに当たって、自ら零式艦上戦闘脚を装着してテストを行った。
      • 零式の格闘性能の高さに驚きつつも、高速飛行での操縦性の低下や高高度性能の悪さから、F6Fとの共同部隊を組むには別の機体を用意するか、扶桑側もF6Fを使用して欲しいと申し入れた。
      • これに対し扶桑側は、同艦隊に派遣されるウィッチに新藤少佐の選定で紫電一一型の先行量産型を艦上型の一一型丁へと改修して配備し、紫電二一型が完成すると同じく艦上型の二一型乙へ改修して部隊に送っている。
        • これらのユニットを元に、後に正規の艦上型である紫電四一型が造られた。
      • この際の扶桑側の素早い対応に感銘を受け、また扶桑側も中佐の率直な態度に感心し、その後の交流は極めて友好的に進んだ。
        • この交流によってリベリオン海軍と扶桑海軍は多くの部材の共通化を図り、紫電四一型にフィードバックされると生産と補給効率の向上に繋がった。
  • イメージモデル ジョン・スミス・サッチ (1905-1981)
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集


戦闘隊長

新藤美枝

しんどう みえ
  • 所属 扶桑皇国海軍第582航空隊
  • 階級 少佐
  • 誕生日 8月28日
  • 固有魔法 『三次元空間把握能力』
  • 使用機材
  • その他
    • 開戦前からウィッチとして活躍し、名指揮官としても知られる。
    • 扶桑海事変から参戦している大ベテランで、零式が初陣を飾った際の部隊指揮官であり、その卓越した指導力で赫々たる戦果を挙げた。
    • 遣欧艦隊機動部隊でも空母赤城のウィッチ隊指揮官を務め、一時はリバウ航空隊の指揮官にも就任し、空母と地上部隊の指揮官を往復して指示を出した。
    • 自らが戦闘に参加するよりも上空で的確な指示を送るタイプで、指揮下の部隊では少数のウィッチでも常に効率的な戦闘を行なう事ができた。
      • 固有魔法の力もあって、空母から出撃し、海洋上で全く目印がない所からでも確実に部下を連れ帰る事ができる。
    • 自身の空戦能力も極めて高く、零式の操縦性を存分に引き出した高度なアクロバット飛行を易々とこなす。
      • 零式を知り尽くしており性能の限界も十分認識していた事から、リベリオン側から零式では共同作戦を行うのに性能不十分と通達があった際には、国内の反対を押し切ってすぐに紫電を使用機材に選定した。
  • 声優 森谷里美
  • イメージモデル 進藤三郎 (1911-2000)
    • その他
      • 歴戦の戦闘機隊指揮官として知られる搭乗員で、零式艦上戦闘機が初戦果を挙げた空戦において指揮官を務めた事で有名。
      • 広島県出身。
      • 1932年に第60期海軍兵学校を卒業、1934年11月、第26期飛行学生として霞ヶ浦航空隊に入隊、翌年7月に教程を修了し大村航空隊に配属。
      • 1937年3月、加賀戦闘機隊分隊長、次いで12月には佐伯航空隊に勤務。
      • 1938年7月、第13航空隊付に補され中支戦線に進出、要地防空任務にあたった後、12月に内地帰還し大村航空隊に勤務。
      • 1940年5月、第12航空隊分隊長を拝命し再び中支戦線に進出、漢口基地で零戦の錬成訓練にあたる。
        • 零戦初出撃である同8月19日の第1回重慶攻撃では陸攻隊を直掩して重慶上空に進攻したが、敵機を発見できず帰還。
      • 同9月13日、零戦13機を率い重慶を再度攻撃。上空をデモ飛行中の敵戦闘機30機を捕捉して空戦に入り、自らの1機撃墜を含め27機を撃墜、味方の損失は無し。
      • 同11月、第14航空隊に転属、次いで1941年4月には新編成の第1航空艦隊の旗艦である赤城の戦闘機隊分隊長に補され鹿児島基地に赴任、ハワイ作戦に備えた訓練にあたった。
      • 真珠湾攻撃では第二次攻撃隊制空隊指揮官としてフォード島のヒッカム飛行場銃撃に加わり、次いで蘭印攻略作戦、インド洋作戦に参加した後、1942年4月本土帰還。
      • 徳島航空隊飛行隊長を経て11月に第582航空隊飛行隊長に転じ前線復帰、1943年7月に第204航空隊飛行隊長、12月には龍鳳戦闘機隊長を歴任しつつソロモン航空戦に参加。
      • 1944年2月本土帰還、3月に第653航空隊飛行隊長、11月に第203航空隊飛行隊長を歴任。
      • 1945年5月築波航空隊に転属し、最後は戦闘402飛行隊を指揮し福知山基地で終戦を迎えた。
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録 第一集/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集/TVアニメ『ブレイブウィッチーズ』(2016年)


隊員

雁淵孝美

かりぶち たかみ
  • 所属 扶桑皇国海軍
  • 階級 大尉
  • 誕生日 10月22日
  • 使用機材
  • その他
    • 顔立ちは幼いが、どんな苦境にあっても明るい笑みを絶やさない性格。
      • 階級を気にせず誰にでも親しく言葉をかける事ができる。
      • 問題を見つけるとすぐに解決を試み、常に部隊の融和を図ろうとする優れた能力を持っている。
    • 空中では敢闘精神旺盛で、誰よりも先に吶喊し、的確な操縦技量で敵を撃墜する腕前の持ち主。
    • 陸上部隊が中心で母艦乗り組みはさほど多くないが、第508統合航空団の設立に伴い、新藤少佐から最初のメンバーとして選出された。
      • リバウ時代に新藤少佐と面識があり、その腕前と性格を十分に知られていた。
      • 扶桑のウィッチは陸上部隊であっても海上での航法が十分に叩き込まれており、誰でも母艦での離着陸程度は容易にこなすだけの腕前が要求されていた為、陸上部隊出身である事は大した問題とはならなかった。
      • 紫電一一型に完熟しており、その性格が統合戦闘航空団の先任として適任と判断された。
    • 宮藤によると胸はヴィルケ中佐ほどある
  • 声優 末柄里恵
  • イメージモデル 鴛淵孝 (1919-1945)
    • 撃墜数 6
    • その他
      • 長崎県出身。六人兄弟の四男で、明るく寛容な人柄で知られた。
      • 1937年4月、第68期海軍兵学校入学。鉄拳制裁等を行わず身をもって模範を示す学生生活を送った。
      • 1941年4月、少尉任官し第三十六期飛行学生となる。
      • 1942年7月、同期生の村田功中尉、大野竹好中尉と共に最前線のラバウルに展開する台南海軍航空隊へ配属。
        • 同8月7日にガダルカナルで先任搭乗員だった坂井三郎一飛曹が被弾し重傷、数日後に内地へ帰還。同8月26日、ガダルカナルへ進攻した笹井醇一中尉が未帰還。
        • 台南空着任時、笹井中尉に才能を見込まれ、坂井一飛曹に育成を依頼したといわれる。
      • 同11月1日、台南海軍航空隊は戦力回復のため内地へ帰還し、第251海軍航空隊に改称。
      • 1943年5月、第251海軍航空隊分隊長として僚隊の第201海軍航空隊第204海軍航空隊と共にラバウルへ再進出。
      • 同9月、第251海軍航空隊は夜間戦闘機隊に改編。この改編に伴い、西沢広義飛曹長と共にサイパンから進出した第253海軍航空隊へ転属。
      • 同11月1日、大尉に昇進。
      • 1944年4月、第203海軍航空隊の戦闘304飛行隊長に着任。
        • 同年11月、レイテ島タクロバン飛行場攻撃の際に地上砲火を右足先へ受け負傷しセブ島に不時着。療養のため内地送還となる。
      • 1945年1月8日、第343海軍航空隊着任。
      • 同7月24日、紫電二一型を駆って大村基地を出撃、豊後水道上空で約200機の敵機を迎撃するも被弾し戦場を離脱、その後行方不明となり未帰還。後に少佐に昇進。
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集/TVアニメ『ブレイブウィッチーズ』(2016年)



セシリア・E・ハリス

CECILIA E HARRIS
  • 所属 リベリオン海軍
  • 階級 中尉
  • 使い魔 ドメスティックショートヘア
  • 使用機材
  • その他
    • ネウロイ侵攻時は普通の教員学校への進学を志していた。
    • 魔法力が発現した事からリベリオン海軍に志願、士官候補生として訓練を受けた。
    • 少尉任官後、41年には第27護衛戦闘飛行隊に配備され、実地で激しい訓練を受けている。
      • 同部隊は給油艦のスワニーを改装した護衛艦に搭載されていた航空隊で、欧州で船団護衛任務を行っていた。
    • 42年には北アフリカへのリベリオン上陸作戦の支援に参加。
      • この際、ダカール軍港にいたルマール曹長(当時)に協力し、初撃墜を記録している。
    • 地中海方面で北アフリカへの補給支援任務に就いていたが、F4FからF6Fへと機種転換した際に第18戦闘飛行隊へと転属。
      • 同部隊は暫く太平洋方面で慣熟訓練を行っていたが、その際に扶桑海軍と合同訓練を行い、扶桑のウィッチと交流を深めた。
    • 第508統合戦闘航空団の設立に際し、合同訓練が縁となりサッチ中佐に次いでメンバーに選出された。
  • イメージモデル セシル・E・ハリス (1916-?)
    • 撃墜数 24
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集



デリア・M・ジェラム

DELIA M JERAM
  • 所属 ブリタニア空軍
  • 階級 大尉
  • その他
    • 淑女然とした柔らかな物腰ながら、やや慇懃無礼な態度の持ち主。
      • スウェット中尉とは水と火のような正反対の性格ながら妙に気が合うようで、良いコンビとして戦果を挙げている。
    • 第508統合戦闘航空団の設立に際し、空母ヴィクトリアスと共に同航空団に送り込まれた。
  • イメージモデル デニス・メイボア・ジェラム (?-1977)
    • 撃墜数 6
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集



ジェイミー・E・スウェット

JAMIE E SWETT
  • 所属 リベリオン海兵隊第221海兵戦闘飛行隊
  • 階級 中尉
  • 誕生日 6月15日
  • その他
    • 海兵隊の中でも若手のウィッチで、激しい性格の持ち主だが腕は確実。
    • カール大尉に推薦され第508統合戦闘航空団に参加。
      • 異なる環境で暫く揉まれると将来的にはもっと成長すると見られていた為。
    • ブリタニア製のユニットを使用していた事もあり、最も環境が異なる場所としてブリタニア空母ヴィクトリアスへの搭乗が決定した。
      • ジェラム大尉とは火と水のような正反対の性格ながら妙に気が合うようで、良いコンビとして戦果を挙げている。
  • イメージモデル ジェームス・エルムス・スウェット (1920-2009)
    • 撃墜数 15.5
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集



ドロシー・ベイカー

DOROTHY BAKER
  • 所属 リベリオン海兵隊
  • 階級 中尉
  • 誕生日 8月27日
  • その他
    • 空母エンタープライズ所属。
    • 第508統合戦闘航空団へのエンタープライズ派遣に伴い、同航空団の追加メンバーとして選ばれた。
      • 負傷療養中だった。
  • イメージモデル ダグラス・ベイカー (1921-1944)
    • 撃墜数 16.33
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集



松田昌子

まつだ しょうこ
  • 所属 扶桑皇国海軍
  • 階級 少尉
  • 誕生日 7月1日
  • 使用機材
  • その他
    • ネウロイ侵攻以後に軍に入った若手だが、その腕前は扶桑海軍でもトップクラスで、多数のネウロイ撃墜を果たしている。
    • さながら研ぎ澄ました扶桑刀のような切れ味の空戦技能と、殆ど後ろを見ず真っ直ぐに敵に突き進む戦法は、見る者に無謀さを感じさせる程であった。
      • この戦法を危み、環境を変える事で余裕を持たせようと考えた雁淵大尉により、第508統合戦闘航空団に推薦された。
      • 雁淵大尉と同部隊に配属され、紫電一一型の習熟訓練中だった。
    • 第508統合戦闘航空団に配属されて後は2人1組のロッテ戦法を行うようになり、更には2番機として長機を守る任務に就いた為、無謀な行動は影を潜めるようになっていった。
  • イメージモデル 杉田庄一 (1924-1945)
    • 撃墜数 120以上
    • 通称 「闘魂の塊」
    • 愛称 「杉さん」
    • その他
      • 第204航空隊の最多撃墜数保持者として知られる。
      • 新潟県出身。
      • 1940年6月、横須賀海兵団に入団、翌年4月に第3期丙種飛行予科練習生を卒業し第17期飛練過程に進み、大分航空隊で戦闘機専修延長教育を受けた。
      • 1942年4月、第6航空隊に配属され、木更津基地で練成訓練に当たった。
      • ミッドウェー海戦に参加し、占領後の同島進駐部隊として輸送船慶洋丸に乗船したが、大敗による作戦中止のため本土に帰還。
      • 同10月、ソロモン航空戦加入の為ラバウル、次いでブーゲンビル島ブイン基地に進出。
        • 同12月1日、ブイン上空迎撃戦でB-17を神田飛長と共同撃墜し初戦果。
        • ソロモン、ラバウル、東部ニューギニアを転戦し戦果を重ねた。
      • 1943年4月18日、山本五十六連合艦隊司令長官の前線視察に6機の零戦による直掩戦闘機隊の1機として任務に当たり、ブイン上空でP-38と交戦し1機を撃墜するも、山本長官機は撃墜されてしまった(海軍甲事件)。
      • この後、ガダルカナル島攻撃ツラギ、ルンガ泊地攻撃、ルッセル島攻撃、レンドバ攻撃、船団護衛、ベララベラ攻撃、ブイン迎撃戦等に参加、8月26日にショートランド島東南海上で約20機のF4Uと交戦し被弾、落下傘降下で脱出するも全身火傷の重症を負いラバウル第八海軍病院に入院、後本土に送還され横須賀、舞鶴海軍病院で治療に務めた。
      • 負傷回復後は大村航空隊に勤務し飛練35期の教員を務め、在職中坂井三郎飛曹長と共にソロモン戦域での最多撃墜記録保持者として表彰された。
      • 1944年3月、第263航空隊に転属しカロリン諸島マリアナペリリュー島を転戦、同7月8日、重松康弘大尉率いる零戦6機でパラオに向かう途中のヤップ付近でVF-31F6Fに迎撃され、ただ一人生き残りペリリュー島に逃れた後、第263航空隊の解隊に伴いダバオに後退し第201航空隊に編入。
      • 本土帰還後の1945年1月、第343航空隊戦闘301飛行隊に転属、松山基地で紫電改の練成に当たり、3月19日に松山上空迎撃戦に参加。
      • 同4月以降の沖縄作戦開始以降は鹿屋基地に進出して沖縄航空戦に参加。
      • 4月15日、迎撃のため鹿屋基地を離陸中にVF-46所属ロバート・ウェザラップ少佐搭乗のF6Fに奇襲攻撃され墜死。死後二階級特進し少尉。
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集



小村定恵

こむら さだえ
  • 所属 扶桑皇国海軍
  • 階級 少尉
  • 誕生日 4月18日
  • 使用機材
  • その他
    • 豪快でありつつも人情に厚い性格で、リベリオン人にも引けを取らない長身の体格。
    • 開戦以来、遣欧艦隊の三番艦翔鶴に乗り込んでいたが、母艦と共に第508統合戦闘航空団に送られる事になった。
      • 翔鶴が損傷してドッグ入りの為に扶桑に戻っていた事から。
    • そのまま翔鶴に残るはずだったが、エンタープライズを母艦とするリベリオンのサッチ中佐は航空参謀としてほとんど飛行を行わない為、戦力の均衡を図ってエンタープライズに送り込まれた。
      • 体格的にリベリオン人に見劣りせず、性格的にも気楽にやっていけると思われた事による。
      • この人選は成功し、ハリス大尉とすぐに打ち解け親交を深めた。
  • イメージモデル 小町定 (1920-)
    • 通称 「荒武者」
    • 撃墜数 40
    • その他
      • 真珠湾攻撃から1945年8月18日の第二次世界大戦最後の空戦まで太平洋戦争の全期間を戦い抜いた搭乗員で、岩本徹三、熊谷鉄太郎らと並び敵編隊への三号爆弾による攻撃の名手。
      • 身長185cmと長身の偉丈夫。
      • 石川県出身。その軍功でよく新聞を賑わせ故郷でも有名人であった。
      • 1938年6月、呉海兵団に入団。
      • 1939年11月、第49期操縦練習生に採用され霞ヶ浦航空隊に入隊、1940年6月に操練を卒業、戦闘機搭乗員となる。
      • 大分航空隊で延長教育の後、1940年4月、新編成の第一航空艦隊空母赤城戦闘機隊に配属され、鹿児島基地で訓練に当たった。
      • 同年9月、第五航空戦隊空母翔鶴戦闘機隊に転属、太平洋戦争開戦日には真珠湾攻撃部隊の母艦直衛任務に当たった。
      • 1942年5月、珊瑚海海戦においてF4F2機(うち1機は共同)、SBD1機を落とし初撃墜を記録。
      • 同8月24日、第二次ソロモン海戦ガダルカナル上空でVF-6のF4Fと交戦、被撃墜を装い辛くも離脱するも燃料切れで不時着水。味方駆逐艦に救助された。
      • ラバウルでは第204航空隊、次いで第253航空隊としてトベラ飛行場で戦闘に参加、対空爆弾を使用しB-24迎撃戦を行った。
      • 1944年6月19日、マリアナ沖海戦に参加する為トラック島からグアムに向かうが、当地でF6Fに撃墜され不時着水し負傷。潜水艦で本国に帰還。
      • 2か月後退院し峰山航空隊に教員として赴任、教員として飛行予科練生の指導にあたった。
        • 当時の海軍では当たり前だった体罰を部下に一切加えなかったばかりか、むしろこれを「海軍の欠陥」として批判。
      • 神ノ池航空隊勤務の後、横須賀航空隊で終戦を迎えるが、終戦の数日後である1945年8月18日、東京上空で386thBSのB-32の2回目の迎撃に参加し、ジョン・R・アンダーソン少尉の乗機に被害を与えた。
        • 日本が公式に終戦合意文書にサインしたのは9月2日だった為、この攻撃は国際法上合法だったが、米軍からの報復を恐れ、駐留軍が日本を去るまでは「地下に潜って」生活した。
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第一集/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集


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