川口文代

かわぐち ふみよ
  • 所属
    • 扶桑皇国陸軍飛行第11戦隊(扶桑海事変において)
    • 扶桑皇国陸軍飛行第204戦隊
  • 階級 少尉
  • 使用機材
  • 使用武器
    • 扶桑刀
  • その他
    • 扶桑海事変に際し軍に志願、飛行第11戦隊に所属したが、その頃には扶桑海事変はほぼ終結しており、殆ど戦果を挙げる事はできなかった。
    • その後、飛行第204戦隊に転属し、錬成訓練中に准尉へ昇進。士官教育を受けるよう上官に説得され養成学校へ入校。
    • 少尉任官後に原隊に復帰、ウラル方面の欧州支援任務に就き、多くの作戦に参加。
      • 夜間襲来した大型ネウロイの迎撃に出撃、非力なキ43で攻撃を仕掛け、全弾消耗の末に機銃による攻撃を捨てて肉薄、扶桑刀で2体のネウロイを撃破。
    • 大型ネウロイ狩りを得意とし、「大物食い」として知られるようになると、これらの戦果を認められ第503統合戦闘航空団設立と同時に隊員となった。
  • イメージモデル 山口文一 (1918-1992)
    • 撃墜数 19
    • その他
      • 中国・インド・ビルマ戦域において、弱武装、低速の一式戦闘機「隼」で大型爆撃機B-24を6機撃墜したエース。
      • 宮崎県出身。1936年に入営、1940年に第81期操縦学生課程を修了すると中国戦線の飛行第11戦隊第1中隊に配属。
        • 太平洋戦争緒戦ではマレー作戦に参加、1942年初頭にはパレンバンで英空軍のブレニム軽爆を迎撃したが、山口自身には接敵の機会がなかった。
      • 1942年4月、満州の鎮西で新たに編成された飛行第204戦隊に転属。終戦まで同部隊に留まる。
        • ビルマのミンガラドン飛行場を拠点とし進攻・迎撃に従事。1943年12月22日に昆明上空でP-40を撃墜し初戦果。
        • 1944年2月29日夜、滝口広少尉と共に隼でB-24を迎撃、2機の撃墜と不確実撃墜2機を記録。
      • 以後はタイ、マニラ、沖縄防衛を転戦し終戦を迎えた。
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団要略増補記録集/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第三集

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最終更新:2010年12月27日 06:28
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