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カリノヴィク

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カリノヴィク

ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の構成国であるスルプスカ共和国の市町村。かつてはオーストリア=ハンガリー帝国の軍事拠点として栄えた。1991年までは4600人を超える人口を抱えていたが、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争によってボシュニャク人・クロアチア人が一掃された事により、現在は2500人程度に減少している。

人口の推移

1971年
計9.458人
  • セルビア人 - 5.536人(58,53%)
  • ボシュニャク人 - 3.796人(40,13%)
  • クロアチア人- 44 人(0,46%)
  • 他のユーゴスラビア人 - 20人(0,21%)
  • その他 - 62人(0,67%)その他
1991年
計4.657人
  • セルビア人 - 2,821人
  • ボシュニャク人 - 1,726人
  • その他 - 55人
現在2500人程度(ほぼセルビア人で占められている)

著名人

ラトコ・ムラディッチがカリノヴィクのボザノヴィッチ村出身。ムラディッチはスルプスカ共和国軍の参謀総長だった。アメリカ合衆国は彼の戦争犯罪・ジェノサイド・人道に対する罪として500万ドルの懸賞金を懸けているが、現在行方不明。セルビア政府もムラディッチの情報に100万ドルの懸賞金を懸けている。

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争におけるカリノヴィク

1992年から1993年にかけて、セルビア人勢力によってボシュニャク人に対するジェノサイド(民族浄化)が繰り広げられた。

1992年、民間人であるボシュニャク人は学校に収容された。女性は強姦され、男性の一部は学校から連れ出された後、二度と戻ることはなかった。

2009年12月21日、一連の民間人に対する戦争犯罪を指揮したとして、BundaloとZeljajaにボスニア・ヘルツェゴビナ政府は判決を言い渡した。Bundaloは懲役19年、Zeljajaには懲役15年が言い渡された。

現在のカリノヴィク

人口が半減したカリノヴィクは、失業と貧困層の人々が数多くいる。未だボスニア・ヘルツェゴビナのボシュニャク人との民族対立は根深く残っている。山岳地帯という地理的な要因により、市場はボスニア・ヘルツェゴヴィナに大きく遅れをとる。また、政治家により他国からの援助を受け付けていない。

戦争犯罪者として起訴・国際手配されているラトコ・ムラディッチはカリノヴィクの住民から現在も支持されており、影響力は未だ強い。

女性の社会進出が高まりつつあり、繊維業などに従事している。