大道典良

背番号75 1軍打撃コーチ

  • 南海最後の戦士。男なら大道。マンハッタン。左殺し。
  • 現役時代は、南海ホークス~福岡ダイエーホークス~福岡ソフトバンクホークス~読売ジャイアンツでプレーしていた。
  • バットを極端に短く持つフォームやパワーあふれる右への流し打ち、トーク力に定評がある。

  • 1987年、南海ホークス最後となるドラフト会議で、4位指名を受けて三重県立明野高校より入団。背番号は「55」。
  • 2001年から登録名を「大道典嘉」に変更(~2012年まで)。守備力はお察しであったため、代打の切り札orDHとしての出番が多かったものの、そのキャラクターとパワー、またホークス一筋であった点など人気が高く、2007年に戦力外通告を受け、すぐ巨人への移籍が決定した際には多くの鷹ファンが衝撃を受けた。ちなみに、巨人への移籍は王監督(当時)の計らいである。
  • 2010年シーズン終了後に引退を表明すると、巨人時代仲の良かったキムタクに想いを馳せ「タクの遺志をついで、コーチになろう。選手のいい兄貴分として、選手と二人三脚で上を目指していく。そして、タクのように(メンタルの)強い選手をつくるんだ」と決意し、コーチになることを示唆。ニューヨーク・ヤンキースで1年のコーチ修行を経て、2012年に巨人の育成コーチに就任。翌2013年、古巣の福岡に戻りホークスの2軍打撃コーチに就任した。登録名も本名の「大道典良」に変更。

  • 現役時代が現役時代だっただけに、パワーバッター育成に期待がかかる。そのうち量産型大道(フォーム的な意味で)が発生するかもしれない…?なんて思われていたが、自分とはタイプの違う選手にも柔軟に指導しているようだ。一説では、2014年の吉村解凍はこの人のおかげとも。
  • 2014年オフに1軍打撃コーチに担当変更することが決まった。



エピソード


  • 趣味は競馬。契約更改後に、「下がった年俸は競馬で取り返す」と発言したことも。
  • その顔の濃さから、巨人にエドガーが在籍した際には、似ていると言われることも多かった。
  • ある試合のベンチ裏で、パンを食べていたことが発覚したことから、そのパン名「マンハッタン」にちなみ、そのまま「マンハッタン」と呼ばれることも。
  • 博多華丸やコンバット満など、福岡の芸人と親しい。
  • 笠原家とは縁深く、父の笠原栄一とはダイエー時代にチームメイト、将生は巨人時代にチームメイト、大芽はホークスでコーチ指導という繋がり。ちなみに、将生が幼い頃は隣の家に住んでおり、巨人入団時には「保育園児だった子が」とコメントしている。
  • 現解説者の本間満など、打撃低調時に大道のようにバットを短く持つスタイルを取り入れた選手は割りと多い。こちらはワザとではあるが、2012年のASでは巨人の阿部にフォームをモノマネされている。

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最終更新:2015年02月18日 00:29