攝津正

背番号50 投手 右投右打

  • 愛称は「せっつん」。秋田県出身。釣り部。
  • 「攝津」というのは旧字体であるため、新聞などでは「摂津」と表記されることもある。
  • タイミングの取りにくい投球フォーム、ダルビッシュや田中マーさんをも唸るストレート、代名詞のシンカー、縦に大きく割れる100km/h台のカーブ、普通のスライダーにより打者のタイミングを外す技巧派投手。
  • その言動の数々から、たかせんでは細川大好きっ子キャラ認定をされており、細川も攝津登板日によく打つことから「攝津愛」と書き込まれることも。他の捕手相手だと調子をブチ崩すレベルで、ヒロインでもインタビュアーに「恋女房の細川さんが」と認定を受けるまでになった。
  • 清々しいほど口下手であり、得意技はヒロインキャンセル。失点があるとヤフドでも出てこない。
  • 現在まで、入団以降の成績が2009年のドラフト1指名を受けたこの人と良くも悪くも開きがあるだけに、たかせん住民からは「2009年のドラ1は攝津」と、すっとぼけられることがままある。
  • 始球式でどんなアイドルが投げようが、表情や佇まいをまるで変えずに棒立ちすることで有名。球団公式の中の人にはそのスタイルを「攝津立ち」と言われている。

  • JR東日本東北時代はプロ入りを狙うも、毎年のように指名を見送られていたが、コントロールを鍛えて迎えた2009年のドラフト5巡目指名で、晴れて入団。
  • 2009年は新人ながら開幕からセットアッパーに指名され、勝利の方程式「SBM」の「S」として70試合に登板。防御率1.47、102奪三振、39ホールドと新人離れした成績を残し、新人王、最優秀中継ぎ投手に選ばれる。シーズン後半は攝津の名前がコールされるだけで大歓声が起こる程の無双っぷりであった。

  • 2年目の2010年もセットアッパーとしてフル回転。前半はいつかぶっ壊れてしまうのではないかとファンが心配するほどのハイペース(2試合に1回以上)で登板を重ねる。過去の多くの前例もありさすがに首脳陣もマズいと思ったのか攝津の代わりになるセットアッパーを探し始め、そこから台頭してきた甲藤森福らと共に「SBM48」を始めとする12球団最強の中継ぎ軍団を結成。おかげで攝津の登板数もある程度減り、この年は前年を超える71試合に登板した。・・・あれ?
  • なお、2010年の成績は防御率2.30、89奪三振、38ホールドと1年目より若干成績が落ちている。鉄腕と言えど2年目のジンクスからは逃れられなかったもよう。

  • 2011年は2年連続70試合以上登板による疲労を心配した首脳陣が、右の先発不足もあり攝津を先発で使う事を明言。勝利の方程式を崩す事は大きな賭けであったが、攝津はその期待に応えて1年間ローテを守り通し、14勝8敗、防御率2.79と二桁勝利を達成した。
  • 日本シリーズでは第3戦に先発で登板。相手打線を7回1失点に抑え、連敗をストップさせた。かと思えば中1日で中継ぎとして登板。さらに第7戦ではまさかの9回表2アウトから抑えとして登板。たかせん民(と馬原)の度肝を抜く中、きっちり抑えて胴上げ投手に。

  • 2012年は杉内和田ホールトンがいなくなった事により事実上鷹のエースとしてシーズンを迎えた。本人もエースとしての自覚があるようで、よくエースらしさ、特に完投を意識した発言をしている。8月1日には、故郷秋田の地で初の凱旋登板。家族や親戚による応援団「攝津正君を励ます会」の前で、見事完封&10勝目をあげる。ヒロインでは攝津比で笑顔増量。「九州でも頑張っている秋田県人がいるので応援して下さい」とファンに挨拶した。
    • ちなみに決勝打を放ったのは細川であったため、「細川は『攝津正君を励ます会』の名誉会長」と勝手に認定する住民もチラホラ。
  • 2012年8月28日に、自身2度目のスミ1完封勝利を決める(無四球完封は自身初)などし、最終的に17勝5敗という、おいおいゲームかという結果を残し、最多勝、最優秀投手の2冠、そして沢村賞を受賞。防御率でも2位をマーク。最優秀中継ぎと最優秀投手を一人の選手が受賞したのは史上初。CSでは、序盤に足をひねる(捻挫)も、中継ぎの肩を作る時間を稼ぐため治療後続投。打たれて降板するも、その気迫に自他球団ファンから拍手が送られた。
  • 2013年シーズンは、WBC組が開幕投手を回避する中、ただ一人登板し勝利をおさめる。しかし、15勝をマークする一方で疲労や先発の不安定感から負担、呪いの人形「攝津君」の登場が重なり、後半は負けが続いた(それでも勝利数では、マーさんに次ぎリーグ2位タイ)。しかしその奮闘は誰もが認めるところで、本拠地最終戦のスピーチが回って来た際に、この日一番の拍手に包まれたことがそれを物語っている。
  • 2014年シーズンは故障や疲労のためか、細川をして「どうリードすればいいのかわからなかった」と言わせるほど10勝8敗という数字以上に苦しいシーズンとなった。しかし10月30日の日本シリーズ第5戦で先発を託されると、細川のチェンジアップとカーブを生かした変化球主体の好リードに助けられ、無失点。秋山監督には「攝津の意地を見ました。さすがエースだと思います」、細川には「あれがエースの投球ですね」と絶賛された。


攝津の見分け方


先発攝津
鷹のエース
  • 投球数は多く、QSは非常に多いが完投数は少ない。
  • 基本は7回2失点。誤差は±2回、-2~+1失点。攝津が勝てるかどうかは打線とリリーフに懸かっている。打線が3点取れば大体白星がつく。良く言えば安定感がある、悪く言えばエースらしくない投球。
  • 年に何度か、5回持たずに5失点以上の大炎上で試合をぶち壊して帰ってゆく「炎上日」がある。

セットアッパー攝津
鷹の中継ぎエース
  • 高いコントロールで常にストライク先行のピッチングをする。3球投げたら大体相手打者は追い込まれている。
  • ピンチでも全く動じない鋼の心臓を持つ。マウンド上では常にポーカーフェイスで淡々とピンチを切り抜けていく。
  • 奪三振率がかなり高い。相手を追い込んだら140km/h後半のストレートで内外角いっぱい見逃し三振が彼の真骨頂。とにかく美しい。ただし、先発小椋-中継ぎ攝津のリレーが発生すると、高確率で攝者に変身。そのため、この方程式が起こるとたかせんがざわざわした。ちなみに小椋とは仲良しらしい。

抑えの攝津
苦しい時の攝津頼み
  • レア攝津。中継ぎ時代にも2010年に初セーブを記録していたが、なんと2011年の日本シリーズ第7戦では9回表2アウトから登板。たかせん民の度肝をブチ抜きながら、ゲームセッツを決める。
  • 当時の攝津の登場曲と言えば、ET-KINGの「ギフト(攝津ver)」だが、歌詞の「一生忘れられないよ。きっときっと抑える50番」は、「打者を抑える」意と「日本シリーズに抑えで登板」を示唆するダブルミーニングであったのか。

普段の攝津
ホークスのイケメン軍団の一人。
  • 恵まれた昭和のハンサム顔に反して、モテすぎ対策なのか残念な髪型。ヒロインの際は、大抵スレの住人にこの件で突っ込まれる。髪型どうこうの前に髪の量がアレとか言ってはいけない。日によって顔がパンパンになる。



エピソード


  • 自称「釣り人」。釣りをしている際は、普段より笑顔5割増しとなる。別人ではないかという声も。馬原も釣り仲間でもあり、2010年には「優勝して一緒に釣りに行きたい」と答えていた。2013年には城島と一緒にローカルながら釣り雑誌の表紙を飾ったこともある。
    • トレーナー室でも釣りの本を正座した状態で真剣に読むらしい。
    • 12球団対抗の自慢話対決トーナメントで他球団の選手が野球の記録を自慢する中、80cmのスズキを釣り上げたことを自慢し見事落選。
    • オフに何度か城島の冠番組であるJ的な釣りTVに出演していたが、遂に城島からJTV準レギュラーに認定される。
  • 顔に反して、あまりにも浮いた話がなかったため、一部住民の間で「結婚相手は魚だろ」など好き放題言われていたが、2013年11月26日に入籍したことが発表された。
  • 別府に馬原、攝津、水田、杉内で釣りに行った際 釣り経験者は攝津と馬原だけだったので釣り方を教えるときにぅまー君は「ほら、これで引っ張っても取れないっす」と結び方を教えるほか、最初はみんな初心者なのでぅまー君は全然釣りをせず、揚句の果てには魚をさばきだす心の広さを見せる中、攝津は無関心で黙々と釣りをやっていたという。
    • 水田「あっ!これはちゃんと書いといて。最初は攝津に教えてもらいながら攝津の横でやってたんよ。そしたらオレが先に(攝津が)狙ってたやつを釣ってしまって。それから攝津全然しゃべってくれへん。教えてくれへん。」
      杉内「あいつは意外とそういうのありますからね(笑)」
  • ポッキーにはかなりこだわりがあるもよう。
  • 2010年オフは、2年連続中継ぎでの活躍ぶりから契約更改時に球団から1億円で交渉されるも、「3年続けてやっと一人前の世界ですから」とこれを固辞。外も中もぐうの音も出ないほどのイケメンである。同じく背番号の変更も提案されるが「背番号50で覚えてもらったから」と固辞している。
  • 喋るのがちょっぴり苦手(シャイ?)で、2010年優勝時にインタビューを受けた際、小久保から「いいかげん慣れろや!」「もっと喋れや!」などのツッコミを入れられていた。
    • 日本一が決まった2011年シーズンも最後に三振を取ったあといつものように小さくガッツポーズ、その後どうしていいのかわからずキョロキョロ、抱きつくのを待っている細川歩きながら近付きハイタッチを失敗。その、なかなか見られないテンションの低い胴上げ投手の様子に、後に優勝インタビューに同席したかぷてんから「なんや、あの控えめな喜び方は!」とツッコミを受けている。
    • 特に2013年シーズンからは、勝利投手となった試合であっても自身の投球内容に不満があるとヒロインキャンセルを発動するように。
  • 酔うとテキトーになり、年上の細川のことを「とおるちゃん」と呼ぶとのこと。
    • 「月刊ホークス」にて細川と3ページに及ぶ居酒屋対談をした際は、眠かったこともあるのか(※前日釣りに行ったらしい)早々と「今年のことはさっき良いシーズンだったって話したじゃないですか。これで今回の対談は終了ということで」と、1ページ目上段にしていきなり切り上げようとする企画潰しな一面も。
  • アジアシリーズでは、台湾受けするイケメン枠として川﨑と共に台湾メディアに報じられたとか。
  • 華のあるポジションより堅実な渋いポジションにあこがれるらしく、もし他のポジションにつけるのならショートよりもセカンドをやりたいらしい。ちなみに好きな野球選手は「バントの神様」こと川相昌弘で、「2011年シーズンで一番嬉しかったことは?」と尋ねられた際には、交流戦でのバント2回成功と答えている。
  • 社会人時代はJR東北に所属し駅員の仕事や、地元球団楽天のイベントの裏方として仕事をしたこともある。当時、ファンクラブがあったとの噂もある。
  • ハムの森内は社会人時代の後輩で、目標にもされている。交流戦で打たれた時に攝津へ連絡するも、「それくらいで連絡するな」と愛のムチをお見舞いされたのだとか。
  • 本人曰く、得意料理は「エリンギのバター炒め」。
  • サッカー選手の摂津颯登は遠縁にあたる。こちらも、攝津とはタイプがだいぶ異なるがイケメンである。
  • カブトムシを幼虫から育て上げるのが趣味で、飼育セットをプレゼントしたスタンには「先生」と仰がれているらしい。2015年7月12日の雁ノ巣球場にて、先着8名のお子様に攝津の育てたカブトムシを、本人から手渡しされるというわけのわからないイベントが行われた。
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  • 2008年ドラフト

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最終更新:2015年07月13日 01:21