中村晃

背番号7 外野手

  • スレでの呼び名は、「アキーラ」「アッキーラ」「晃」ときどき「玉ねぎ」。
  • チーム内ではその風貌(ちんくしゃorぶさねこ系)からか、「玉ねぎ」「玉ねぎ王子」と呼ばれている様子。笑顔の可愛さに定評がある。
  • 選手応援歌に「愛する男さ」という意味深な歌詞が使われている。実際に、鴎のズーちゃんを始めとするマスコットたちや鯉のスライリーなどにまで懐かれている様子が見られることも。
  • 脇をパカパカと動かしながらタイミングを取る独特の脇パカフォームが特徴。2015年には福ちゃんにも承諾なしに取り入れられた。
  • その打撃センスは、当時2軍でコーチをしていた宮地から「平成生まれで最初に2000本安打を打つのはオマエだ!天才的な打撃センスがある」と言われるほどで、粘ることもできるが、ちょっぴり「持ってない」疑惑がないこともない。スタメンで結果を残すタイプなので長い目で見よう。ちなみに入団当初、本人が目指していると発言したホークス選手は柴原と大村である。口数は多くないものの、闘争心はギラギラ。

  • 2007年に帝京高校からドラフト3巡目指名で入団。入団当初の背番号は「60」。
  • 帝京高校時代は主将兼一塁手をつとめ、松井秀喜と並ぶ高校通算60本塁打をマーク。甲子園に三季連続で出場し、2007年夏優勝の佐賀北の前に準々決勝で立ちはだかり、シフトを敷かれていたにも関わらず「レベルが違いすぎる(佐賀北サイドの弁)」打撃を見せた。その時の鮮烈な印象から、「中村って、あの帝京の中村か」と他球団ファンから言われることもしばしばある。帝京がアライバプレーを見せた時に、最後、一塁で捕球したのがこの中村である。

  • 2011年には怪我人続出というチーム事情も絡んで、1軍初出場。5月の檻戦では、寺原から初安打初打点初盗塁(しかも三盗含む)初得点初猛打賞を記録!自身の怪我等絡み、夏場以降は出番がなかったものの、本人曰く「足は特に速くない」そうだが、福ちゃんとWスチールを決める(福ちゃん本盗)など、たかせんを大はしゃぎさせた。なお、本人は良い意味でふてぶてしい顔をしており、この時もベンチで「もっと喜べ!」「元々こういう顔してるだけで、すごく嬉しいっス」というやりとりがあったもよう。
  • 2012年シーズンは一軍と二軍を行ったり来たりしつつ、ウエスタン首位打者と最高出塁率の二冠をゲット。

  • 2013年はWBCで主力が欠けたこともあってオープン戦ではリードオフマンとして定着し好成績を残すも、初打席でヘッドスライディングし右手小指を骨折し離脱。完治はしていないが交流戦で復帰し、粘りのバッティングで高い出塁率を維持し、交流戦の最多得点を獲得。6月23日の鷲戦ではプロ入り初HRを決めた。最終的に自身初の規定打席到達を果たし打率.307(リーグ7位)、出塁率.3918(リーグ4位)の好成績を残した。
  • 2014年シーズンは、交流戦の守備中に球が跳ね返って目に当たり一時ヴィジュアル系玉ねぎとなったが、大きな波もなく安定した成績を残し、176安打を放ち最多安打に輝いた。なお、内川長谷川に続く受賞で、三年連続で同一球団の異なる選手が受賞するのはリーグ史上初。日シリでは苦しみながらも、第4戦にオ・スンファンからサヨナラHRを放つなど存在感を見せ、オフに背番号が「7」に変わることが発表された。
  • 2015年シーズンは、なまじ打撃が安定していただけに一塁・外野と守備位置の移動、たび重なる打順の変更と公康をして「頑張ってくれた」一年を過ごしながら3年連続打率3割(ちなみに3年連続で2塁打を22本放つ)でフィニッシュした。オフには怪我の内川に代わりプレミア12に選出されると打率6割越えをマークし、セパの野球ファンを唸らせた。



エピソード


  • 周囲には、事あるごとに「寡黙」と言われることやその佇まいから、長谷川と並んで「いぶし銀」「職人」と呼ばれる。だが、高谷のものまねを「大げさすぎ」と突っ込むなど言う時は言うようで、柳田にも面白いヤツ認定をされている。本人は「ノリがいいわけではないが、はしゃぐ時にはちゃんとはしゃぐ」とのこと。実際に、2016年5月6日に活躍しお立ち台に上がるとこの日誕生日を迎えた高田をお立ち台に招き、美声でハッピーバースデーを歌い上げた。
  • 誕生日は11月5日で、拓也ラヘアと同じ。
  • 好きな食べ物はサバ。煮ても焼いても美味いから。
  • チーム内で尊敬している人・オシャレだと思う人は長谷川で、気づかれない程度に彼の服装を参考にしているらしい。
  • 座右の銘は『野球を差別する人は、野球に差別される』。これは鳥越の言葉で、一軍と二軍を行き来して歯がゆい思いをしていた当時、鳥越コーチが『野球を差別する人は、野球に差別される』と言って、一軍でも二軍でもやることは一緒と教えてくれたことが印象に残っているからとのこと。
  • 横浜の大田阿斗里、ハムの杉谷、虎の原口は帝京高校時代のチームメイトであり(特に大田は学年も同じで、対決が実現しそうになると「同級生対決」「帝京対決」と騒がれる)、球史に残る馬鹿試合として知られる智弁和歌山-帝京戦にも四番バッターとして深く関わっている。
  • 帝京OBである芸能人石橋貴明に存在を知られており、2013年9月23日には鴎戦を観戦した石橋から激励までされた(会うのはこの時が初めて)。野球盤に呼ばれる日を楽しみに待ちたい。ちなみに2014年放送の野球盤に呼ばれたものの、日程の都合がつかず見送り。2015年放送回は怪我のため、またまた見送りとなった。
  • 2012年ホーム最終戦後のセレモニーでは、ノーノーをくらったことにおかんむりの監督による公開決意表明会がサプライズ開催。選手・ファン「!?」背番号順で列の一番端にいたがために、先陣をきることになってしまった。帝京時代にキャプテンをつとめただけあり、一番手という大役をかなり落ち着いてこなすも、次の人がチャラテンションで奮闘を台無しにした。なお翌年も決意表明会がサプライズ開催され、ビックリしながらも一番手を務めた。
  • 2013年9月4日の日ハム戦では、パ・リーグ記録となる6時間1分の長時間試合を自身の3ランで制す。ヒロインに出てきた時には日付けが既に変わっており、挨拶でも「今日も頑張ります」とアドリブの効いたコメントを述べた。さらに2014年5月28日のDeNA戦は前述の試合に次ぐ、5時間21分という球団2位の長時間試合となったが、1本塁打含む4安打を放ち(しかも自身のエラーが絡み追いつかれた)、またもヒーローに選ばれるという野球好きっぷりを発揮。応援歌の「愛する男さ」は「野球を愛する男さ」という意味…なのかもしれない。
  • 2012年ファン感謝祭のストラックアウトでは、森福のフォームを取り入れ、難易度の高いボードの左下スミ(80点)に見事当てる。
  • 得点時にハイタッチの代わりに「ももクロポーズ」をするのが一時期流行った際に、柳田に「でも晃だけはやってくれないんですよ」と暴露されていた。ちなみに中村本人はそんな周囲の影響から、一時しっかりももクロファンになっていた。
  • プロ2年目から気付いたことをメモする・キャンプ中に課されたリポートには自分の課題、取り組みをびっしりと書き込むなど、しっかりした考えのもと行動しており、秋山監督からも「若いのに……」と感心されたことがある。
  • 柳田は魚好き仲間でもあり、よく食事に出かけるそうで2014年に日米野球の代表に選ばれたものの、怪我により代表辞退した際には「一緒にどこに行こうってスケジュール立ててたのに」などローカル番組で柳田に暴露されている。柳田曰く「好きなところは目と構え」。年下だが柳田にはタメ口で「はよせぇよ、お前」などと言うこともあるらしい。
  • 2014年のリーグ優勝チームが決まる「10.2」では、延長10回に先頭バッターのギータ「塁に出ることだけ考えろ」とアドバイスを送り、HRを打ちたいと思っていたギータのよんたまひいてはサヨナラ勝ちのお膳立てに関わった。ちなみに柳田はサヨナラヒットを打った松田の打席では、松田が三振すると思っており「(松田の次の)晃やったら打ってくれると思って見ていたら松田さんがサヨナラヒットでしたからね」と発言している。松田「」
  • 埼玉出身な事もあって、実家の部屋には西武選手のポスターが多く貼られており、子供の頃は西武ドームに通っていたらしい。憧れた選手は松井稼頭央で、番組の企画で「背番号7に昔から憧れていたらしいが、それは当時西武の松井稼頭央なのか、入団当時のホークス背番号7大村なのか」と松井稼頭央本人から質問され「元祖は松井さんで、ソフトバンクに入団してからは大村さんです」と照れながら答えている。
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  • 2007年ドラフト

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最終更新:2016年05月28日 11:25